私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「あの娘さんぐらいかなあ!!!!???」

2019-08-23 06:17:58 | 日記
 「延袁斯麻加牟」とジンムは歌われます。
 そこで、ジンムの御心を知った大久米命は、早速、「伊須気余理比売」にその旨を伝えます。仲人としての役目として当然ですが、それ以前の歴史ですと「イザナギイザナミ」を始めとして「スサノヲ」も「オホクニ」も「ヤマヒコ」にしても求婚は本人が直に相手を求めて、結婚は成立していたのですが、ジンムの場合は違うのです。
 ともかくも、大久米命はヨリヒメに
 「あなたを大后にとジンムがお考えですがどうでしょうか」
と伝えます。その時の大久米命の人相を古事記には次の3字で書き表しています。

        “黥利目”
        <サケルトメ>

 と。
 
 なお、ここでも「黥」の解釈がまちまちです。
 <イレズミ>で、多くの訳者は、この所を
   「目尻に入れ墨を施した精悍な眼つきをしていた。」
 としていますが、宣長は
   「此の命<ミコト>の目の甚<イト>大キにして裂けたる如くなるを云なり」
 と、更に、そのような容貌「大きい目」が「大久米」と云う名がつけられる原因になたのだと説明があります。また、入れ墨は、当時の社会では、罪ある人の面に入れるものだから大久米命がしているはずがないとも説明がありますが・・・・。

 なお、蛇足ですが、例の魏志倭人伝には、当時の倭人の風貌として、

    「男は大人も子供も、みんな顔や体に黥<イレズミ>をしている」

 と書かれており、顔には刻されていたことは確かですがですが、目尻にしていたかどうかは分かりませんが、どうお思いでしょうか???
 
      やはり私は宣長に賛成していますが・・・・。