私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

その歓びの声が“伊波婆許曾爾”です

2016-05-27 10:00:03 | 日記

 夢にまでみた愛しの「吾が妹」「吾が妻」の衣通姫が、今、吾が目の前に現実に、突如として、現れたのです。何と云う嬉しさでしょう。言葉も何もありません。唯、その腕の中に自然と強く抱き寄せます。そのまま、暫くの間、堅く堅くお互いに抱きあったままです。永遠の時間が一瞬の中に凝固したように二人だけの時間に引き付けられて静かに止まったままです。その止まった二人の時間がどれだけ続いたのでしょうか。ふと我に変えった軽之御子は抱いたままの吾が妻にゆっくりと一語一語を確かめるように語りかけます。

    “阿里登  伊波婆許曾爾<アリト  イハバコソニ>”  

 阿里登は「在りと」です。伊波婆許曾爾は「云はばこそ」「に」です。「に」は意味を強めるための助詞です。

 ここに、こうして、現実に、今、あなたが確かにいるのですね。間違いありません。お別れして以来、一刻たりとも忘れたことがない、常に、我胸中にいた貴方をこのようにして実際に抱きかかえているのです。何と云う幸せなことか。本当にあなたがここにいるのです。

 という意味になるのです。思わず御子の口からほとばしり出でたる真に迫る感嘆の言葉なのです。だからこそ、ベートーベンの第九なのです。どうでしょう????


 鏡を掛け、真玉を掛け

2016-05-26 09:41:58 | 日記

                     “斎杙には  鏡を掛け
             真杙には  真玉を掛け”

 ここまでは、愛しい我が妻に再会の嬉しさを引き出すための序文ですが、「鏡や真玉」を歌の中に使ったと言う所に、此の歌の神秘さというか、その後の此の二人の運命を物語っているように思われますが????
 この「鏡や真玉」は、当時の人達が誰でもが手にすることのできる物ではありません。神の領分というか特定の支配階級の者にしか手にしたり目にしたりすることができない物でした。特に、シャーアマン的な存在の人物だけが手にすることが出来るものです。と考えると、もしかして、軽大郎女、衣通姫は、朝廷で、あの卑弥呼的な役割を担っていたのかもしれませんね。神聖にして犯すべからざる神の御子(巫子)としての存在なのです。永遠の処女でなくてはならない、それが当り前です。それなのに、ましてその同母兄と、在ってはならない当時の社会でも禁忌行為なのですが、それも、敢て、破って結ばれたのです。

 此の度の、衣通姫の旅も、相当の思いやそれにもまして強い覚悟はあったと思われるのですが、何もかにも打ち捨てた、非難は覚悟の愛の逃避行だったのです。それを見通してのその兄でもあり、また、夫でもある「木梨之軽王」の、よく遥々と伊予の国までく来てくれたと言う、その妹であり妻である衣通姫に送った「愛の讃歌」です。普通の恋人同士の愛の歌ではありません。深い深い誰にもわからないような二人だけの愛の賛歌なのです。

 その思いが
           真玉なす  吾思う妹
            鏡なす   吾思う妻

 となったのです。「玉」が先に「鏡」が後に、それから、妹、「我が恋人よ」として、その次に「妻よ」と歌っているのです。此のあたりの書きぶりにも軽御子の思いがに表われているように思われます。

  「そげえなこたあ どうでもええ。はよお つぎへ すすまにゃあ」、とお叱りが覚悟しております。あしからず!!!???です。


「吉備の中山」は物語のある絶品なる風景です。

2016-05-25 09:36:38 | 日記

 昨日に続いてもう少し「吉備の中山」をご紹介しますのでお読みください。

 この山(細谷川と一対になって)は古来から多くの人によって日本全国に紹介されております。中でも、物語の主人公がその悲喜交々な人生をその風景と絡ませながら展開している多くの場面に出くわすと、この地を見ずして”な語りそ"と云いたい気分になります。特に、あの俊寛の物語の場面などです。
 また、この地は「天皇」と大いに関わりがある土地でもあるのです。新しい天皇が即位した年に行われる大嘗会のための「主基」の地として平安の昔から、度々、お米の生産に携わっておりました。その祝いの為の歌や絵が多くの名のある人達によって作られています。その歌を集めた和歌集が、「夫木集」として残されています。その代表とされる歌が

     古今和歌集にある
                  “真金吹く吉備の中山帯にせる 
                                      細谷川の音のさやけさ”

   です。


「私の町吉備津」のオススメスポットは

2016-05-24 10:28:31 | 日記

 誰が何と言おうと

      「吉備の中山と吉備津神社」です。

 

 世界遺産に登録されてもいい様な場所です。古来から、万葉集や古事記を始め、古今和歌集、枕草子などの多くの書物に紹介されております。日本の歴史を彩る「大和と吉備」の物語の舞台でもあるのです。

    


“隠国の 泊瀬の川の・・・

2016-05-24 08:48:05 | 日記

 愛しい妻が大和から、遥々と伊予の国まで駆け付けてくれます。あまりのその嬉しさに「歓びの歌」が口を突いて出て来ます。

      “隠国の 泊瀬の川の  
             上つ瀬に  斎杙<イクヒ>を打ち
             下つ瀬に  真杙<マクヒ>を打ち”

 です。
 川です。山ではありません。山から流れ出た水が集まって川となって流れております。その川水が、自分のいる伊予の国までやってきたということを間接的に言い表しています。その汚れも何も知らない生まれたての赤子のような純粋で神聖な川が「泊瀬の川」です。そんな無垢な川に神殿に捧げられ清められた聖なる杙(杭)を打ちつけた、と言うのです。

 さらに、そのような神聖なる川に打ちつけられた聖なる杙には、

            斎杙には  鏡を掛け
            真杙には  真玉を掛け

 「鏡や真玉を掛け」です。
 この鏡や真玉(勾玉)は、当時の社会では、神の領域の物で、誰からの犯されることのない不思議な霊力を持つ聖者しか持つ事が出来ない物でした。なお、余残事ですが、あの卑弥呼も中国の王様から鏡を100枚もらっています。王を象徴する不思議な力を持つと信じられていたのです。それから、天皇を象徴するあの「三種の神器」にも、この鏡と真玉(勾玉)も入っているのです。

 ここまでは、「阿賀母布伊毛」(吾が思ふ妻)、本当に純心で無垢なあまりにも美しい、誰からも犯すことが出来ない神聖な吾が妻が、今、自分の前に現実にいる。その心溢れんばかりの嬉しさ、その実感を素直に言い表すための序文なのです。

 どうです。これ以上はないと言う最大限の木梨之軽太子の「歓びの歌」でなないでしょうか。是を読むと「ベートーベンの第九」のような思いに至りませんか。感じがしませんか。