私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

ベートーベンの第九の響きが伝わりますが????

2016-05-23 09:07:06 | 日記

 これも、また、古事記の原文で書いておきます。

         “許母理久能  波都瀬能賀波能 
          賀美都勢爾  伊久比袁宇知
          斯毛都勢爾  麻久比袁宇知
          伊久比爾波  加賀美袁加気
          麻久比爾波  麻多麻袁加気
          麻多麻那須  阿賀母布伊毛
          加賀美那須  阿賀母布都麻
          阿理登   伊波婆許曾爾
          伊幣爾母由加米 久爾袁母斯怒波米”

 です。
 古事記から字を写している私さえ、「どう読むんなら」と、思うのです。昔の人は、これを如何様に読んだのでしょうかね・????。  

    さて、ルビが符してありますので、それも書いておきます。

         こもりくの   はつせのかわの
         かみつせに  いくひをうち
         しもつせに  まくひをうち
         いくひには  かがみをかけ
         まくひには  またまをかけ 
         またまなす  あがもふいも
         かがみなす  あがもふつま
         ありと  いはばこそに
         いへにもゆかめ  くにおもしぬはめ

 と、出ております。

 これも声に出してお読み下さい。・・・・・・・・・・何処からともなく、「第九交響曲」のような響きが 伝わってはきませんか??????            


軽太子の妻を恋うる歌について“意母比豆麻阿波禮”

2016-05-22 10:50:10 | 日記

 「まだかくんか。あんまりにもに ひつけえど」

 と、例の筆敬さんからのお叱りは覚悟で、此の歌に付いて、もう少しだけ付けたさせていただきますので、お許しを。

 と云いますのは、此の歌は、いつ、どこで歌われたのでしょうかね???。衣通姫をその目の前にした時の思いではなく、まだ、これから会おうとしているその前に作った歌ではないかと思ったのです。文章の構造からみると、どうもこの歌は、手紙か何かで「我が思ひの妻」に、「早くわが恋しいあなたに会いたい。このわたしがいる伊予まで来て下さいな。早く早く!!!!」という思いがよく現れているように思われるのです。そうでなかったなら、あの大峯や小峯に幡を立てるとか弓を置くと等の言葉は使われないはずです。それともう一つ「あはれ」<阿波禮>という言葉も、既に、此の二人が再開した後ならば、使われなかったのではないでしょうか。
 また、是もこじ付けかも知れませんが???「隠国の 泊瀬の山の・・・・」ですが この山は「そんなにも遠くに離れている高い山の上にいないで」ということを意味しているのではないでしょうか。
 “後も取り見る”もありますから、そうだと確信しておりますが>

  そんなことが<意母波禮>たのですが、どうでしょうか??????明日は二人が再開した後の歌だと思うのですが、それを書いてまいります。退屈でしょうが、是非、お読みください。


木梨軽王の「思い妻あわれ」 ”意母比豆麻阿波禮”

2016-05-21 11:42:20 | 日記

 此の歌の意味ですが、

 “泊瀬”というのは「長谷の山」だと言う事だけは分かるのですが、此の歌の後の部分はどう解釈すればいいのか分かりません。“仲定める”というのは何でしょうか。「我々二人の仲を許してくれた」ぐらいに解釈すればいいのでしょうか???。それが“大峯<オホヲ>にし”です、この「にし」というのもよく分かりませんが、本居宣長は「大峯に於いて」だとしておりますが。でも、どうしてそれが「大峯」で、「小峯」はどうなったのでしょうか。この辺りもよく分かりません???お教え願えれば・・・・

 それに引き続き、今度は、「槻弓」「梓弓}ですが、是もよく分かりませんが、次のように解釈してはどうでしょうか。これ等の言葉は枕詞ですが「伏せたり」、「立てたり」して我が身の側に置いている弓ですが、いざ使う段になると、それらの弓を取りあげるように、別れ別れになっていようと、結局は、お互いに逢うことができるのですよ。我が愛しの妻よ早く逢いたいものだ。それが

 “意母比豆麻阿波禮” 「思ひ妻あわれ」

 です。前の「大峯」の歌より、「槻弓」以後の歌の意味は比較的よく分かるのですが。

 なお、この「あわれ」ですが 「かわいい」「いとしい」「なつかしい」という意味で、ある事を思い浮かべるだけでも感に堪えないような侘びしさがこみ上げる感情を云います。だから、昨日書いた「哀」は間違いでした。現在の世間並に、改めて、訂正してお詫びを申し上げます。


木梨之軽王は軽大郎女を迎えた愛の歌を高らかに

2016-05-20 09:36:30 | 日記

 “許母理久能<コモリクノ>”「隠国之」です。泊瀬<ハツセ>の枕詞ですが、此の言葉でもって、軽太子の衣通姫を心いっぱいに思う歌が二つ続きます。その一つづつを数日の間にわけて書いてみますのでお笑いください。「そんなのどうでもいいや。ほっとけ」と云わないで、じっくりと読んでみてください。太子の並々ならぬ軽大郎女への恋慕の情が湧き出ている愛の歌です。余りこの歌が、我が国の最大級の愛の歌だとして取り上げられる人はないと思うのですが、私は、先にあげた“愛しと さ寝しさ寝てば・・・・”、それから、“君が行き 日長くなりぬ・・・”の歌と共に我が国においての最高級の愛の賛歌だと思うのですが???

 さて、その歌です。まず、「万葉仮名」で書いておきます。

        許母理久能  波都世能夜麻能 
        意富袁爾波  波多波理陀弖
        佐袁袁爾波  波多波理陀弖
        意富袁爾斯  那加佐陀売流  淤母比豆麻阿波禮 
        都久由美能  許夜流許夜理母
        阿豆佐由美  多弖理多弖理母
        能知母登理美流  意母比豆麻阿禮

 これを

       コモリクノ  ハツセノノヤマノ
       オホヲニハ  ハタハリタテ
       サオオニハ   ハタハリタテ
       オホヲニシ  ナカサダメル  オモヒツマアワレ
       ツクユミノ   コヤルコヤリモ
       アヅサユミ  タテリタテリモ
       ノチモトリミル  オモヒツマアワレ    

 と、読ましております。これだけでは「何のことやらさっぱりわからず」ですので、現代風に書いてみますと

       隠国の  泊瀬の山の
           大峯には  幡張りたて
       さ小峯には  幡張りたて
       大峯にし  仲定める  思ひ妻哀れ
       槻弓の  伏やる伏やりも
       梓弓  立てり立てりも
       後も取り見る 思ひ妻哀れ    

 と。意味は明日にでも???       

 


「山たず」論その2

2016-05-19 16:20:40 | 日記

 私の持っている福永氏訳の古事記に、この「山たず」を、昨日、「ニワトコノキ」として説明があると書いたのですが、それに付いて、また、ご指摘を賜りました。それによると、古事記には、小字にて、その補足説明がなされており、この場合も、“此云山多豆者<コレニヤマタヅトイヘルハ>是今造木者也<イマノミヤツコギ>” とされ、このミヤツコギというのが「にわとこのき」だ、と教えてくださいました。

 でも、この「造木<ミヤツコギ>」について本居宣長は、これを<ミヤツコギ>と読まないで、<タツゲ>と読んで,木を切る時に使う道具「まさかり」だとしております。

 まあ、どっちにしても、この「山たづの」という詞は「迎え」の枕詞には違いありません。そのような歌とともに、衣通姫は恋しい兄を追って伊予の国へ行くのです。