私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

高天原は「ソラ」の上にあった???

2018-04-19 19:57:02 | 日記
 書紀によると「天」は

        “及其淸陽者薄靡而爲天”

 と書かれており、これを、好古は、その「和事始」で、
 「そのすみあきらかなるものは たなびいて天となり。}
 と説明しています。では、此の「天」について漢書(からぶみ)ではと言うと、あの「四書の中庸」では

               

               

 太安万侶も、此処に見られるように、中国では「陰陽五行」によって「天」が成るという考えがあったということは知っていたはずですが、そのような中国の思想とは違って、我が国では「天地初発之時」には、既に、「高天原」があったと考えていたように思うのですが??どうでしょうか。 

「天経或問」・・・御存じですか?

2018-04-19 09:41:48 | 日記
 日本書紀の「渾沌」から、また書く方向が大転換したのですが、此の「天地の渾沌」と云う考えは中国生まれだと言うことがはっきりしました。その考え方を、更に、確かめるために、私の持つ、是も自慢本の一つですが、「天経或問」と言う本を開いてみました。
 この本は享保15年に刻された和本です。それを

     

 此の本は中国の「藝子六」と言う人が、17世紀のヨーロッパから最新の情報を得て書き現わした天文学の入門書です。それを 江戸の 『西川正休』と言う人が日本人向けに読みやすく書き現わした本です。多分、これも、岡山県では、私が持っているだけではないかと思っておる大変な珍品だろうと思っておりますが???????
 
 此の本は「天地之原」から書き出されておりますが、その最初は

         “曰ク古今謂ク天地之始、鴻洞深昧。未可臆譚・・・・”
 
 です。これは、
「天地については、古くから、大き久深い洞窟みたいなもので、その中はどのようになっているのか・それを推し量って語ることは不可能だと言われておる」
です。
と、言うことになりますと、「太安万侶」は、天地創造について何も知らないから書かなかったのだろうと私の浅はかな考えで、つい書いてしまったのですが、これら中国人の深遠なる考えをよく承知していて、敢て

         “天地初発之時”

 と、その形状等の説明は省いて、このようなその場にあった最も適切な書き出しにしたのではないかと思いを改めました。

 此の頃流行の

 『大変失礼をしました。深くお詫び申し上げます』
 
 の言葉を此処に掲げさせていただき、太安万侶と、合わせて皆さんに、謹んでお詫びをさせていただきます。

古、天地未剖、陰陽不分、渾沌如鶏子

2018-04-18 10:41:13 | 日記
日本書紀に書かれている最初の言葉は

        “古、天地未剖、陰陽不分、渾沌如鶏子”

 です。この文は何処から舎人親王が引用したのかという疑念が浮かび上がります。「古事記」と違い「日本書紀」は、内外にある沢山あるそれまでの記録に基ずいて編集していることには違いありません。その参考資料として、日本国内だけでなく中国の書物などを参照して作られたのではないかと思われるのです。
 では、中国では、当時どのように天地の創造を記録していたかちょっと此処に書いてある
  
      “渾沌”

 と言う字を頼りに捜してみました。すると『荘子』の中に

   “中央之帝為渾沌”

 また、『淮南子』に

   “洞同天地。渾沌為樸”

 とあります。これから日本書紀の舎人親王が日本に於ける「天地」を古事記とは違って詳しく創造させたのではないかと思いました。書紀が作られたのは720年頃のことです。漢字が日本に伝わったのは6世紀の頃ですからもう既に中国の歴史などは当然に入っています。ですから、天地創造のこの辺りは、既に、日本人の一部の人達には理解されていたのだと思われます。それが古事記との違いになったのではと思います。

もう暫らく「和事始」を・・・

2018-04-16 12:31:59 | 日記
 貝原好古はその『天地』について

    “くくもりて きざしをふくめり。そのすみあきらかなるものは”

 と書いています。よく分からない物の中から何か生まれそうな兆しが現れだして、此の中の透き通ってはっきりと分かるようなものは、

    “たなびいて「天」となり。おもくにごれるものは、つづひて地となる”
 
 と。天となり、そのくくもりたる中の大変重く、濁っている所が「地」になったのだと。

 なお、此の部分を日本書紀には

     “及其淸陽者薄靡而爲天・重濁者淹滯而爲地”

 と、書き表わしております。

 古事記には、「天地初発之時」と、たった6字でしか説明してない事を、日本書紀には、こうも事細かく、詳しくその生成過程まで詳しく書き現わしているのでしょうか、太安万侶と舎人皇子の差でしょうか。そこら辺りに何か深い理由いみたいなものがあるように思えるのですが。そこら辺りはよく分かってはいません。
 兎に角、古事記は日本書紀より前に出来上がっていたと言われますが???そこら辺りに何かいわくがありそうですが???

大和事始

2018-04-15 08:16:40 | 日記
 “天地始発之時”と言う書きだした古事記ですが、私の持っている大層古臭い書物の中から、此の「天地<アメツチ>」をどのように解釈しているのか見てまいりたいと思います。先ずは

        “大和事始”

 です。まずは、その写真を・・・・
     

 貝原好古はこの本の最初に、日本の国の先ず最初の状態を「日本書紀」の記述通りに説明しております。

 「いにしへ天地いまだわかれず。陰陽わかれざりし時まろかれたる事、鶏子<トリノコ>の如し。くくもりてきざしをふくめり」

 と書いております。なお「くくもりて」というのは。「外部からははっきりとはそれとは分からない様な状態」を言います。それが日本書紀のいう「渾沌如鶏子、溟涬而含牙」です。古事記の表記とは、随分異なった詳しい天地の創造の様子が分かります。
 「もう ええかげんせえや」
 と思われるかもしれませんが、この天地創造の日本書紀の記述が、また、大変面白いので??御存じのと思いますが、もう少し詳しく見て行きたいと思いますので、よろしかったらお付き合いください。なかなか本題にまで、オホクニの話が終わるまで、まだまだ時間がかかりそうですが、ご勘弁賜ってです。