昨日書いたように、我が「神様」は、138億年も前に、既に、この世にいらっしゃったと言うのです。ここから日本の歴史が始まるのです。縄文時代は、現在の知識からは「一万二千年前からだ」とされていますが、この神の存在はそれに比べると「つい最々近の出来事」になりますから、大いなる驚きです。それを「古事記」や「日本書紀」には、次のような言葉で以って書き表わしております。洞察力の鋭さと言いましょうか、人間としての素晴らしい能力を一杯に、近代的知識の集積も科学的機械もなかった時代にです、何処からこの思考が湧いてきたのでしょうか??????。もういっぺん書きますが、大変な驚きだと言わざるを得ません。
それを「古事記」では
“天地初発之時”
<アメツチノ ハジメノ トキ>
と。また、「日本書紀」には
“古天地未剖陰陽不分渾沌如鶏子”
<イニシヘ アメツチノ イマダワカレズ メオ ワカレザルトキ マロカレタルコト
トリノコノゴトシ>
と。なお、「渾沌」を、<マロカル>と読ませ、これは「合わせて固まりにする」と言う意味ですから、丁度、卵のようにどろどろとして1か所にあつまっていて、何処が「天」で、何処が「地」なるかが分からあに様な状態にあったつりゐ時代の事だと説明しております。宇宙誕生の前です。だから138億年も前になると言うのです。
それを「古事記」では
“天地初発之時”
<アメツチノ ハジメノ トキ>
と。また、「日本書紀」には
“古天地未剖陰陽不分渾沌如鶏子”
<イニシヘ アメツチノ イマダワカレズ メオ ワカレザルトキ マロカレタルコト
トリノコノゴトシ>
と。なお、「渾沌」を、<マロカル>と読ませ、これは「合わせて固まりにする」と言う意味ですから、丁度、卵のようにどろどろとして1か所にあつまっていて、何処が「天」で、何処が「地」なるかが分からあに様な状態にあったつりゐ時代の事だと説明しております。宇宙誕生の前です。だから138億年も前になると言うのです。