私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

萌葱の吉備を・・・・・

2018-04-09 14:38:02 | 日記
 オホクニもいいのですが、今日はそれは置いといて・・またまた吉備の美しい萌葱の春をご紹介します。「萌葱の春」と書きましたが、正式に言いますと「萌葱」と云うより其のもう少し深い「浅翠」の吉備の春色です。表現に仕方がないぐらいに淡い薄緑之吉備独特のの春色です。
       「吉備の中山」の4月9日のとっておきの春色のどうぞ!!!!!!

            

            

            

            

            

         

     

i「オホクニ物語」もここらあたりで・・・・

2018-04-08 09:55:11 | 日記
 オホクニ之出雲の国での治世の途中で、古事記も、「どうしてこのような場面が」と言うような事がありましたが、これから、いよいよオホクニも随分と老人になり、引退するのではありませんが、それまで治めていた出雲の国から黄泉の国に行かれて、それに代わって高天原にいたアマテラスの子供が出雲を含むこの水穂の国を治める様になるのですが、その過程が詳しく物語たられております。

 オホクニの幸魂奇魂が倭の御諸山にお祭されたその時です。高天原で「天照大神」は

   “豊葦原之千秋長五百秋之水穂国<トヨアシハラノ チアキナガイホアキノ ミズホノクニ>”

 を自分の御子

   “正勝吾勝勝速日天忍穂耳命<マサカ アカツ カチハヤヒ アメノオシホミミノミコト>”

 に統治させようとお考えになられるのです。

オホクニの魂が倭に

2018-04-07 15:03:46 | 日記
 「倭を取り囲む青々とした山々の東にある山上にお祭してください」とその光と共に来た神は言います。そこが

            “御諸山上神<ミモロノ ヤマノヘニマ スカミ”

 とあります。「御諸」とは、即ち、三輪山のことです。ということは、此のときにオホクニの魂は倭の国の三輪山に行っていたということになります。此の山の神はあの大物主神ですから、そこら辺りのにも出雲と倭との関連が深く結び付いているのです。

 此処までは、一応、歴史の筋道が順序良く述べられておりますが、どうしてかは分からないのですが、ここにきて今まで述べられてきたオホクニは、一体、どこへ行ってしまったのかと疑いたくなるようなお話が突如として出てきます。どう考えても、これは何を意味するのかと疑いたくなるような事実が書かれております。大年神の御子などどうして此処に出てくるのも分からない歴史が現れて、「こりゃなんじゃ???」と思うような文が、突如として現れ、読む者を慌てさせるのです。
 是も古事記を紐解く面白さかもしれませんがね???
 

光と共にやってきた神は

2018-04-06 13:16:39 | 日記
     “吾者伊都岐奉于倭之青垣東山上”

 と、海の上から光と共に来た神は言います。これを 

   <アレヲバ ヤマトノ アオカキ ヒムカシノ ヤマノヘニ イツキマツレ> 

 と読ましております。
 要するに、此処に、「出雲」と「倭」ととが、はっきいと結び附いて、その後の日本の歴史の進展に深く係る端緒になる事件です。
 先に、オホクニが、その妻「須勢理毘売<スセリヒメ>の嫉妬」に嫌気がさして家出しようとする事件があたのですが、その家出の先も、やはり「倭」だったのです。それも、やはり、倭と出雲は何か目に見えない形で、それ以後の歴史を物語る大きな要因になっておりますが、此処にきて、はっきりと、それ以後の日本国、言い換えますと「神武天皇」以後の天皇中心の大和朝廷の成立を物語るうえで、出雲と倭の深くかかわる出来事だったのではないでしょうか???

 此の事については、余り深く、世の歴史家は取り扱ってはいないようですが、私には、とっても深く「オホクニ」が天皇中心の日本の国の成立に係っているように思われるのですが????どうでしょうかね。

「光と声」だけの神様がやってきました。

2018-04-05 09:08:11 | 日記
 暫らく、咲く桜と散る桜にかまけてオホクニのことから離れておりましたので、又、元へ戻します。
さて、
 スクナヒコナが、多分、朝鮮半島辺りへと思われますが、お帰りになります。オホクニは途方に暮れて
 「私は、これからどのように出雲の国を治めて行けばいいのでしょか」
 とお悩みになられます。それまで、スクナヒコナが来る前には、オホクニの政治は、何か自信たっぷりにと思われる様な為政だったのではと思えるのですが、ここへ来て、どうして、そんなに、突如として、弱気心が出て来たのか不思議なのですが・・・・・
 そなん弱気な心が天に通じたのか、海の彼方から光に乗って神様が、再び、オホクニの前に現れたのです。今度現れた神様の正体は、古事記には、書かれてはおりんせんが、書紀には「幸魂奇魂<サキミタマ クシミタマ」とあります。『魂』ですから、ここに現れた神様は、スクナヒコナとは違ってオホクニの体の魂になって「一緒に国を治めましょう」と言われたのです。そこで、オホクニは、亦も、お尋ねになります。

      “治奉之状奈何<オサメ マツラムサマ ハ イカニゾ>”

  「いかなる状態でお祭りすればいいでしょうか。貴方様のおられる所はどうしましょうか」
 と尋ねられたのです。もしかして、「自分の体の中に、そんなゐ偉い神様が居座ってしまわれたら大変だ」と、思われたのかもしれませんよね。この光と共にやってきた神様を自分の体の中では無く、どこかほかの所にお社でも建てて住まわせたらと思われたのではないでしょうか、お尋ねになります。

 スクナヒコナは姿があったのですが声はありませんでしたが、次にきた神様は声はあったのですが姿はありません。その対比も又読んでて面白いところです。