私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

藝術は爆発か???

2019-09-18 12:12:08 | 日記
 昨日、日本文化の源流(漢字の日本への流入と日本文化の成り立ち)について拙い私の論を書いたのですが、それに付足して、今日も又「だれかさんに叱られ」そうですが、何処からあのエネルギーがと思われる日本文化の源流を訪ねてみたいと思い、重い筆を敢て取りました。それは



ご存じ!岡本太郎をして「芸術は爆発だ」と言わしめた縄文土器です。曽利式土器と呼ばれる甲信越地方を中心にして作られた縄文中期の土器です(約5000年前)

 このような文化を創造した日本人の感覚的な技能は、やはり、過去の何万年という時間の経緯の中から生まれ出た日本独特の四季折々の自然の変化が作りだした生活の知恵ではないでしょうか。そのような自然と共生しながら育まれた人々の内面の内から醸し出されたごく自然な姿だと云っても、決して、不思議では有りません。そんな自然と共に造り出された日本人の鋭い感性で以って、自らの感覚に訴えながら、というか、自然に同化しながら己の生活をより豊かにしようとした日本人だけが持っている人々の心の現れではないでしょうか。それが縄文土器という形に現れたのです。「神が作った。」と云ってもいいのではないでしょうか。
 この時、作られた土器をして、「爆発だ。」と、言ったと云われているのですが、それは「爆発」というたった2字だけで言い表しすることはできないような崇高な精神作用がその中に内在しているのではと思うのですが。偶発的に突如として現れた美ではない、その中には物言わぬ縄文人の詩的な意味が含有されているのだと考えられるのではないでしょうか。むしろ、自然に対する畏怖する心までが含まれ、というか、己が今まで生きたと云う生命維持に対するか、何か自然に対する感謝もしくは敬意といったものがその作品の神髄に内在しているように思われます。
 それを作り上げた人は、その時の人々の生活のあるがままを素直に表したと思われますが、この無意識的に作られたその“もの”の中に、岡本太郎は永遠の藝術的な生命を感じ、その神秘的創作意欲を持つ縄文人の精神を

     “爆発”

 と考えたのかもしれませんね???

それで直に神渟川耳尊は・・・

2019-09-18 09:11:19 | 日記
 神渟川耳尊は兄の持っていた弓矢を

         “掣取<ヒキトリ>”

 ぐずぐずしていては居られません。一秒を争うことです。ヌナカワは、兄がふるえて矢を放つことができなく放心したようになっているの見て、直ちに、兄の持つ弓矢を、強引に、捥ぎ取るように手にして、矢を寝ているタギシミミに向かって放ちます。
 その場の様子(戦況を含めて)を敏速に、しかも、沈着に決断して有無を言わさず、果敢に、実行に移します。それが“掣”というたった漢字一字の中に完全に包み込まれて描き出されているのです。このようなことは英語など表音の文化圏(ローマ字社会)ではけっして描くことのできない話です。
 このように漢字の持つ機能を巧みに利用して書物を作りだしたのは、古事記も同じですが、漢字が日本に入ってきて、まだ、200年もみたないような時にです。舎人親王(天武天皇の子)を始め相当多くの日本人が、既に、十分にこの漢字を熟知して、そして、巧みにそれを利用して文章を作っているのです。
 大変な驚きと言いましょうか、この漢字から派生したと云ってもよいと思うのですが、好学の人々が沢山、この奈良期にも、日本にいたかということが分かります。この時から芽生えて行った日本人の好奇な心はそれ以後の日本文化を育む源に大きな貢献を与えていたのではないでしょうか。更に、その先へ溯って行けば、その好奇心なる心的な要因は縄文、いや、それより以前の先縄文期から長い年月を経て作り上げられたDNAではないでしょうか。それを生む要因としては“日本の四季の為せる業には有りける”とも考えられますが、それは兎も角として、それが、日本で、見事に花開いたのが、この「奈良の時代」だったのです。それを代表するものが

           “記紀”

 だったのではないでしょうか。それが日本の現在のノーベル賞受賞者の数の多さにも結びついているのではと私は・・・

 今日は、又、へんてこな文章をお見せしましたが、考えてみますと、この「紀記」の文章、いや“掣”からでもいいのですが、果たして、「日本人とは」と問われた時、一体、あなたなら、どうお答えをなさるのでしょうかね????

どうして“手脚戦慄不能放矢”だったのでしょうか??

2019-09-17 08:58:05 | 日記
 ヤイミミ・ヌナカワミミの二人は 密かに、タギシミミの館に近ずきます。丁度、タギシミミは部屋の中で寝ていました。それを見たヌナカワミミはヤイミミに、

 「兄さん。私がタギシミミが寝ているあの部屋の戸を開けますので、その弓でタギシミミを射殺してください。」

 と言って屋敷の中ヘ二人で押し入り、戸を開けます。兄の家ですから勝手知ったる所ですから、楽々と
    “突開其戸<ソノトヲ ツキアク>”
 しかし、どうしたことか、ヤイミミは

    “手脚戦慄不能放矢<テアシ フルイオノノキ ヤヲハナツコト アタハズ>”

 手足が震えて矢を射ることができなかったのです。ヤイミミは大変な小心者だったのか、それとも、母は違っていても自分の兄ですから、その肉親を安易にこのような方法で殺害することにためらいを感じるような大変な律儀者だったのかもしれませんが・・・。

 あなたはどちらだと思われますか。私は後者の方だと思うのですが。

“本無預者”をどう読めば・・・

2019-09-16 06:25:52 | 日記
 書紀によると「神渟名川耳命<カムヌナカハミミノミコト>と神八井耳命<カミヤイミミノミコト>は、密かに、兄手研耳命<イロセ タギシミミノミコト>を殺害しようと思い、弓矢を造って戦闘の準備をします。そして、父神武の

        “至於山陵事畢<ミササギノコトオワルニイタリテ>”

 計画を実行に移します。二人は密かに準備した弓矢を持って「タギシミミ」の館のある「片丘<カタオカ>」に向かいます。二人がそこに着いた時、タギシミミは、丁度、大きな部屋の中で寝ておりました。それを見た弟の「ムナカハミミは
 
   “夫言貴密事宜慎故我之陰謀本無預者

 と兄「ヤイミミ」に言います。
 <ソレ コトハ シヌビヲタフトビ ミワザハ ツツシムガヨロシク コノユヘニ ワレラ ヒソカナルハカリゴト モトモト ソフモノ ナシ>

 「何か事を起こそうと思うならば、こっそりと秘密時に行なわなければなりません。それだけ慎重に事を運ばなくてはいけません。だから、今回の計画は誰も預かり知らぬことである。」
 と話します。そして更に
 「私があの部屋の戸を開けるから、兄さんは弓で寝ているタギシを射殺してください。」
 と言います。

 なお、これもどうでもいいことですが、
           “本無預者”
 の「預」の読み方ですが、私の書紀には
           

 <アイイウ>とありますが、それでは意味が通じず、現在、普通に訳されている<ソフモノ>としたのですがどうでしょうか。専門の先生のご意見を伺いたいのですが・・・


          

「ひつけえどー」と言われそうですが・・・

2019-09-15 06:53:23 | 日記
 昨日の
          “三更の冷漢の雲”
 ですが、私にとっては比較的多くの人のお目に止まりましたので、「柳の下」、再び、「和漢朗詠集」の“月”の中に見える、私の好きな歌がありますので書いてみます。まずは写真を・・・

             

 この最後に載っている和歌です。

    ・世に経れば もの思ふとしも なけれども
                月にいくたび ながめしつらむ

  「この世に長年暮らして生きておれば、何時でも物思いすると決まったわけではないが、月の美しさに何度もこのように眺めた物であることよ」

 と、まあ、このように解釈もできるのではないでしょうか???

 昨夜も月が煌々と冴えわたる「名(明)月」の一夜でした。カラオケから夜中に帰る道すがら、つい、この歌が頭をよぎりましたので、書いてみました・・・・