私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

神沼河耳命のとっさの判断で・・・

2019-09-08 06:00:38 | 日記
 神八井耳命は当藝志美美を、手足がぶるぶると震えて、殺すことができません。それを見た神沼河耳命は

           “乞取其兄所持之兵”

     <ソノイモセノ モタセル ツワモノヲ コイトリテ>

 兄「神八井耳命」が持っている兵を「乞い取りて」もらいうけます。
 この“兵<ツワモノ>”は、辞書には、武器、或は、兵隊の意味があると出ていますので、こん場合は「兵隊」ではなく、兄が持っていた「刀」です。もしかして、天孫降臨の時に高天原から持ち降りて来た            
           「草那藝剣」
 だったのかもしれませんが、そこまでは詳しくは書かれてないので分かりかねますが、「多分、そうだ」と、また、「宣長先生は如何に??」とも、微笑みながら考えておりますが!!!!!?????
 
 その刀を受け取ると神沼河耳命は

       “入殺當藝志美美”

 容易に押入りタギシミミを殺してしまったのです。ここにもその戦の状況は書かれていませんが易々と殺してしまっていますが、これは刀の威力を示したものではないかと私は考えておりますが????そんなにタギシミミの勢力が弱かったとは思われないのですが・・・

“手足和那那岐弖”。ここでも古事記の私流深読みです

2019-09-07 09:35:29 | 日記
 中の兄「神八井耳命」に出陣を願います。

   「お兄さん。どうぞタギシミミを殺して来てください。」

と。そこで兄は、早速、兵を連れてタギシミミの陣へ駆けつけます。母の歌に

   “夕されば 風吹かむとぞ 木の葉さやげる”

 とあるように、タギシミミは、既に、戦闘の準備が整って、出陣は今か今かと待機している時です。そこに、急に、思わぬ敵の来襲です。相当慌てたと思います。そらあたりの戦況は分かりませんが、兎に角、カムヤイミミの兵が相手の陣地に押し入り、今にも、カムヤイミミが刀を抜いて、タギシミミを打ち殺そうとしますが、この人、相当な人情家というか、人間性に富んだ人だったのでしょか、義理である兄が、例え自分達の殺害を計画している敵だとしても、どうしても切り殺すことができません。それを古事記には

      “・・・将殺之時。手足和那那岐弖。不得殺”
   <シセミトシタマフトキ テアシワナナキテ エシセタマワザリキ>

 と書いてあります。「手足がぶるぶると震えて 殺すことができなかった。」のです。

 昨日も書いたのですが、一番上の同母の兄である「日子八井命」はこの戦闘には初めから参戦しておりません。やはりこの中兄同様に義兄殺害の戦いにためらって不参加していたのではないでしょうか???

 そう考えると、この末子

         “神沼河耳命<カミヌナカワミミノミコト>

は、アマテラスから言われたこの日本国を、
        「是非、強靭な国家に」
 創り上げようとする信念に燃えていた情熱家の皇子だったのでしょうか???二人の兄のように人間性豊かな人では、決して、相当に乱れていた人心の蔓延る当時の日本を統一できることができなかったということを意味しているのではないでしょうか??

母親の必死の忠告の歌を・・・

2019-09-06 06:49:07 | 日記
 この歌を先ず解き明かしたのが、一番下の皇子
          “神沼河耳命”
 の筈です。そんなことは書かれてはいないのですが。古事記には

      “於是其御子聞知而。驚乃為将殺当藝志美美之時”
     <ココニ ソノミコタチ キキシリマシテ 
      オドロキテ スナハチタ タギシミミヲ シセムトシタマフトキ>

 と書いてあります。
 「三人は大変驚いて義兄「タギシミミ」を殺してしまおうと話しあった時」
 神沼河耳命は言い放ちます。作戦会議の主導をしていたのでしょう。

 「お兄さん!!あなたがタギシミミを兵たちと一緒に行って殺して来てくださいよ。」

 と。どうして三人で一緒に行かなかったのかという疑問が残るのですが、最初に攻撃に立ち向かったのが、

          “神八井耳命”

 です。三兄弟の中の兄です。一番上の“日子八井命”はどうしたことかここには顔がでできません。

 まあ、それは兎も角として、歴史の順序を整えるように細かい部分は、大方、省いて筋道だけがおおまかに書かれています。それが古事記の歴史に対する大切な生命でもあるのでしょうが?????

木の葉“さやぎぬ”と“さやげる”と・・・

2019-09-05 08:53:27 | 日記
       “狭井河よ 雲立ち渡り 
         畝火山 木の葉さやぎぬ 風吹かむとす”

 と、母親は必至の願いを込めてタギシミミの謀略(三弟の暗殺計画ーこの三弟ですが昨日も書いたのですが、一度には、後期高齢者にはとても覚えきれるものではありませんので。)

         <ミバシラノ オト ミコタチ>

 を三人の我が子に教えたいと思い暗号的に歌うのです。でも、これだけでは、母親がどうしてこんな歌を歌ったのか皇子たちには分かりません。

 「狭井河から雲が黙々と立ち上り、畝傍山の木の葉がさやさやと鳴り騒いで 風が吹いてこようとしている」

 です。暗号解読者であっても、この歌の意味する所がなんであるか、読み解くことができないのではと思いますが???

 この必死の思いで歌った母の歌の内容を三弟は気がつかなかったのでしょうか、そこで、母親は、続けて、又も歌います。

         “畝火山 昼は雲とゐ
          夕されば 風吹かむとて 木の葉 さやげる”
 
 と。
 この歌の解釈は
 「雲とゐ」は「雲と居」で、「昼には、まだ、雲のままでそこに留まっている」が、それが夕方になったならば、風となって吹き下って此処まで押し来たるべく、頻りに、今、木の葉が騒いでいることよ。タギシミミの兵隊達がこに攻め込もうとして準備していることよ」

 最初の歌は「木の葉さやげぬ」で、今、攻撃の準備が完了した状態であることを歌い。後の歌では、夜になると「木の葉」は「さやげる」で、「まさに、これから吹き下ろしてこようとして、今盛んに騒いでいることよ。速くその対策を直に準備していなさい。」と忠告を与えているのです。

今日も又ちょっと。「よ」とは何ぞや????

2019-09-04 06:08:38 | 日記
 伊須気余理比売はタギシミミの計略を知り、それとなく
  
    “狭井河 雲立ち渡り
     畝火山 木の葉さやぎぬ 風吹かむとす”

 と歌って三弟<ミバシラノオトミコタチ>に知らせるのです。
 
 さて、この歌にある「狭井河よ」の「よ」に付いて、今日もいささか知ったかぶりして書きますがよかったら見てください。
 この「よ」ですが、万葉集などに見られる上代語で、動作の時間的、空間的な起点を示す言葉だそうです。「~から」です。この「よ」が使われている歌を、万葉集の中から、ごく最近になって見つけたのですが、自分の身と比較しながらしみじみと読んでおります。良かったら読んでみてください?????!!!


 「天地の 遠き初め 世の中は 常なきものと 語り継ぎ 流らへ来たれ 天つ原 振り放け見れば 照る月も 満ち起きしけり あしひきの 山し木末(こづゑ)も 春されば 花咲きにほひ 秋づけば 露霜負(を)ひて 風交り もみち散りけり うつせみも かくのみならし 紅(くれなゐ)の 色もうつろひ ぬばたまの 黒髪変り 朝し咲(ゑ)み 夕変らひ 吹く風の 見えぬがごとく 行く水の 止まらぬごとく 常もなく うつろふ見れば にはたづみ 流るる涙 留めかねつも」

 解釈は必要ありません。
 
 またまた、私事ですが、昨日、高齢者のための運転講習に出かけました。高齢者の避けては通れない「老いの現象」に打ち勝つための有難い??????講習会です。講師の指導員のお方から累々と御親切なる説明をお聞きしました。その時に、ふと頭を横切ったのが、この山上憶良???の歌です。
  ・・常もなく うつろふ見れば にはたづみ 流るる涙 留めかねつも。

 涙は出ないのですが、何となく我が身の

            “常もなく うつろふ見れば・・・”
 
    老いの悲しさ 留めかねつも。

 蛇足ですが・・・
  
 ・・・かく行けば 人にいとはへ かく行けば 人に憎まれ 老よし男は
     かくのみならし たまきはる 命惜しけど せむすべもなし。


      “常盤なす かくしもがなと 思へども
                 世の事なれば 留みかねつも”

 と。これも山上憶良の歌ですが???