私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

“大奴佐<ダイヌサ>”

2019-11-24 09:39:11 | 日記
 神の御祟<ミタタリ>を懼れ慄いた「建内宿禰」は、早速、筑紫の国にあるすべての穢れを払うためにお祭をします。そのお祭が

            “大奴佐<オホヌサ>

 を奉って大祓(神にその罪穢れを除き清め払ってれもらうためお祈り)をするのです。
 その穢れの種類を古事記には次の様に書いてあります。少々意味不明で面倒くさい文ですがお読み頂けましょうか???

   “生剥逆剥。阿離溝埋屎戸。上通下通婚。馬婚牛婚鶏婚犬婚之罪類”

  <イキハギ サカハギ アハナチ ミゾウメ クソヘ オヤコタハケ ウマタハケ
  ウシタハケ トリタハケ イヌタハ ノ ツミノタグヒ>
 
 と読ましております。
 何の事だとお思いでしょうか???

 こんな意味のわからない様な罪穢れの他に、現今、毎日のように、新聞等で報道されている数々の殺人・窃盗事件や国会議員や大会社の幹部がしょっちゅう繰り広げておる嘘八百な「言い訳言葉」などと云ったものは、上古の社会にはなかったのでしょうかね?????           

       

上古の穢れを払う方法は・・・・

2019-11-22 07:22:21 | 日記
 天皇の急死は神を冒涜したための結果です。そこで建内宿禰は、早速に、その穢れを払うために神事を行います。
    
           “国之大奴佐<クニノヌサ>”

 筑紫の国にある大祓(神に捧げる物)幣<ヌサ>を用意してです。これはそれまでに行った仲哀天皇の天照大神に対する非礼なるの行為(罪穢れ)を除き清めるために神に献上して祷ることです。
 榊の枝に麻と紙とを垂らしたもので、今でも神社などで行われている普通の祓いです

殯宮

2019-11-21 15:25:18 | 日記
        “既崩訖<ハヤク カムアガリ マシニキ>

 既に死んでしまっていたのです。
        “驚懼而<オドロキカシコミテ>”
 今まであのよう元気だった天皇の突然の急死です。大変に驚いて、神の御崇<ミタタリ>を懼<カシコ>みて、そこで建内宿禰は后とも相談したのでしょうか、早速に

             “殯宮<アラキノミヤ>”

 にその死体を移します。
 「殯」は<アラキ>です。本葬までの間に死体を仮に暫らくの間に安置しておくことを言いいます。お墓が完成するといよいよ本葬します、その場所が

             “墓<オクツキ>”

 です。
 古事記によりますと“帯中日子天皇”の御陵は

          “在河内恵賀之長江也”

 と書かれています。

「御琴」と唐琴とが・・・・・・

2019-11-20 08:52:05 | 日記
 天皇が控(ひ)かした“御琴”とは

           “天詔琴<アマノノリトゴト>”

 だったことには違いありません。それが実際どのような品物だったのか不明すが、ただ、あの聖武天皇の御物が置かれた正倉院の中に、天皇の遺愛品としての、「琴」がありますが(「楓蘇芳染螺鈿槽琵琶」と「紫檀木画槽琵琶」など五品)、多分、仲哀天皇がお弾きになった琴もそのような形をしていたのではないかと考えられております??????
  その琵琶の写真を!!!!

  
  



 
 なお、これは「御琴」とは何らの関係もないのですが、わが岡山県には「唐琴」と云う地名の所(倉敷市児島)がありますが、中国との行き来が盛んだった頃と言うより、それ以前から岡山地方にも、太古より外国製品が沢山もたらさ、その中に琴があって、それがこの地に残されたので、このような地名が付いたのではと思われます。
 と云う事はそれだけ「琴」が太古の昔には、日本ではと云うより倭では、唯の楽器と云うだけでなく、神事と結びついて人々の日常の生活と随分と深い係りがあったものではないかと考えられるのですが???

“天皇控御琴”の琴とは???

2019-11-19 20:04:56 | 日記
 又ちょっと余残事ですが・・・
 仲哀天皇が熊曾との戦いの戦勝を占う為に
      「御琴を控(ひか)して」
 戦いの成果を占ったのです。
 このように上代の政治は「ト占」によってなされたのですが、その占いをする時には、必ず「琴」が大切な働きをしていたと云うことが分かります。
 あの大国主命が須佐之男命の娘須世理毘売と手に手を取りてスサノヲの神殿から逃げ出す時に持ってきたものの中に

         “天詔琴<アメノノリトゴト>”

 がありましたが、この上代の「琴」は、亦、宣長によりますと
 「神の御心を問ぬとて、其ノ命<ミコト>を請い申すには、必ス琴を弾り、時には其ノ神、琴の上に降り来て、人に著(かかり)て命を詔たまふ。」
 と説明がしてあります。更に
 「かかれば琴と云名は、神の来て詔言(のりとごと)し賜う所、と云意につけたるものなり。」
 とあります。
 
 このように上古の「まつりごと」には「琴」が大切な役目を果たしたのです。