私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

“末幾久而”とは???

2019-11-18 10:15:01 | 日記
 ようやくとしぶしぶながら御琴を天皇が弾き始めます。それから

            “末幾久而”
            <イクダモアラズテ>

 です。弾き始めていくらの時間も経ってないのに、どうした訳かわからないのですが、突然に琴の音がしなくなってしまいます。天皇が琴をお弾きになったのは前庭
“沙庭<サニハ>”です。これも真っ暗闇の真夜中なのです。
 と言う事は、先日行われた「大嘗祭」の儀式も真夜中に執行されています。これ等の天皇の行う儀式(ト占)は、凡て、古代から延々と同じように真夜中に行われていたと云う証拠なのです。
 とにかく、突然に、琴の音がしないのです。真っ暗で何がどうなっているかも、あの建内宿禰にも分かりません。不思議に思った宿禰は

           “挙火見者<ヒヲアゲテ ミマワレバ>
 
 その庭には光はありません。何処か神殿の中にでもあったのでしょうか、大急ぎで、その火を沙庭に捧げ持ちいだしてきて、天皇の曽我に近寄って見れば、琴をお弾きになっていらっしゃったはずの天皇は

           “既崩訖”

 これを<ハヤク カムアガリシマシキ>と読ましています。

 なお、仲哀天皇の死については日本書紀に

       “天皇忽有痛身、而明日崩”

 「天皇は急に病気になられ、翌日はもう亡くなられた」とあります。

仲哀天皇の詞をお聞きになった神は・・・

2019-11-17 14:57:42 | 日記
 「この偽りの神が・・・」
 と、心の内に思召した仲哀天皇に対して、その神の心を知った建内宿禰は
 「どうぞ、そんなことをおっしゃられないで、はやく神の為にそこにある御琴を引いてください。」
 と申し上げるのです。しかし、天皇は

       “那痲那摩邇控坐<ナマナマニ ヒキイマシケル>”

 「那痲那摩」とは「生々に」です。この「なま」とは「なまはんかに」とか「なまいきに」の「なま」で、心をこめないでいい加減にと言う意味です。
 「建内宿禰がそんなゐ言うなら、まあ琴を適当に鳴らしてやるか」としぶしぶ弾き始めます。それが“控坐<ヒキイマスケル>”で、宣長先生も
 「琴を控き賜う」でなく、「琴を弾いて坐<イマス>なり」だと説明しております。

神のご宣託を・・・・

2019-11-16 09:49:23 | 日記
 701年制定された大宝律令によって国の政治の根幹が定められたのですが、それ以前の天皇政治は、大方が神の神託により左右されておりました。
 あの卑弥呼も邪馬台国で、鬼道(きどう)と呼ばれるト占(呪い)で政治を行っていたと書かれています。この弥生時代からの日本政治形態が今日の皇室儀式にも取り入れられ、その神事が誰にも見られないように、それもま夜中に、厳密裡の内に執り行われるのです。だから、その儀式が国家行事ではないと主張する人達の意見で、「違憲」だと云うのです。

 さて、この「仲哀天皇」の「請神之命<カミノミコトヲ コヒマツリキ>」“卜占“なのです。時が夜なのか昼なのかは分かりませんが、その場には大后と建内宿禰の他には人はいません。“沙庭<サニハ>”に琴を備えるだけの簡単な施設だったのです。24億円もの高い費用は掛けていません。
  その御託宣にイチャモンをつけた天皇に対して神=天照大神は大層ご立腹されます。

  “茲天下者、汝非応知国。汝者向一道”
 <コノアメノシタハ ミマシノシラスベキクニニアラズ ミマシハヒトミチムカイマセ>

 「此の瑞穂の国はお前のような者が治める所ではない。黄泉の国にでも行きなさい」
 と申されます。この言葉は天皇に聞こえるはずがありません。やはり大后を通して建内宿禰に知らされます。その御託宣の密かに聞いた宿禰は天皇に申上げます。

大嘗祭その2

2019-11-15 09:03:26 | 日記
 昨日の午後6時半過ぎからその前半が「悠紀殿」で、その後半は今朝0時半から「主紀殿」で天皇が諸神に新穀を供え、自らも食して、その五穀豊穣を祈る儀式です。
 でも、何故、同じ行事を2回にも分けて行うのでしうか?それについては諸説あるようですが、弥生時代から人々の食生活は朝と夜の2回が普通だったのだそうです、その名残が此の2日に掛けて執り行われる原因があったのではと言う学者もあられます。その2回全く同じ儀式が執り行われる場所が

          「悠紀殿」と「主基殿」

 です。これも何時頃からはっきりはして無いのですが、「11月下卯の辰と巳両日」に行われたのだそうです。
 悠紀国と主基国の2つの場所は亀トによって日本の東と西の地域が選ばれてそこで育てられた米が夫々二つの神殿に供えられるのです。東の国から供えられた米が辰の日に悠紀殿へ、翌日の巳の日に主基殿に西の国で出来た米が供えられるのです。


“大嘗祭宮様の疑義引きずって”

2019-11-14 08:33:53 | 日記
 一昨日、「大嘗祭」が既に終わったと書きましたが間違いでした。その儀式が今日あります。その費用がなんと24億4千萬円だとか。・・・・・でも、本年度は、特に、その費用の内半分ぐらいでも台風災害に見舞われた人のために使ったら???とも思わないでもないのですが
 今朝の新聞川柳に

         “大嘗祭宮様の疑義引きずって”

 が載っていました。「うまい!!!」思わず感心することしきりです。

 さて、今日、皇居で執り行われる大嘗祭ですが、この行事は天皇が即位した初めての年に国家の安寧と五穀豊穣を祈る儀式ですか、元々は“大宝令”(701年)にも見られるように、この儀式は

     “下卯大嘗祭”

 であり、そもそも、大嘗祭は、十一月下の卯の日に新穀を諸神に捧げる、天皇の私的行事だったのですが、それならば今日と明日に懸けて執り行われる大嘗祭の儀式は、純然たる皇室の私的な儀式になり、憲法に定められた国事行為に該当しないために、今では、この儀式は「国民の」と言う言葉が付け加えられて、天皇の国事行為に位置付けられているのです。
 その歴史的経緯をご存じの秋篠宮殿下の発言を踏まえて、今朝の新聞川柳になったのではと思われます。でも、この行事は宗教色が強く政教分離に反すると云う意見もあるようですが貴方はどう思われますか???