私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「鴨別命」って人ご存じですか??

2020-06-08 09:16:59 | 日記
 稲速命と弟彦は西笏御崎に祀られています。では、「東笏御崎<トウシャクオンザキ>」は???という疑問が当然浮かぶはずですが、それは正宮外陣の東中壇にあります。ここには御友別の兄「浦凝別<ウラゴリワケ>」と弟「鴨別」が祀られています。どちらも前の稲速別、弟彦と同じ正宮の東の「御崎」としての神です。

なお、この東笏御崎にお祀りされている「鴨別命」ですが、日本書紀には、
 「神功皇后の新羅への遠征の時、九州の熊襲を討って服従させた。」
とあります。
 九州の雄「熊襲」を平定して服従させるだけの力のある兵力を、神功皇后が朝鮮征伐に連れて行きたいのはやまやまでですが、あえて日本に残し熊襲征伐をさせているのです。それだけの実力のある吉備国の勢力です。その力はは押して知るべしです。それだけ深い信頼関係が当時の吉備と倭の間には生まれていたのです。
 そのような背景があった時の応神天皇の吉備への行幸です。日本書紀では、単に、天皇の愛妃「兄媛」に逢いたいという短絡的で個人的な思いつきのように書かれていますが、よくよくその行動を考えてみますと、その底には相当深い日本統一という天皇の深い配慮があったはずです。それは淡路島から直接ではなく、途中で、小豆島にも立ち寄りるという余残なことまでして、吉備に到る行程の中に見え隠れしているのではと思えて仕方がないのですが????

 この兄媛を尋ねる応神の吉備国行幸について、こんなことを考えているのは私一人ぐらいしかいないのではとは思いますが・・・・あえて書かせていただきました。
     
              ぜひ、ご批判を!!!!!

「東笏御崎」もあります・・・

2020-06-08 09:16:59 | 日記
 稲速命と弟彦は西笏御崎に祀られています。では、「東笏御崎<トウシャクオンザキ>」は???という疑問が当然浮かぶはずです。正宮外陣の東中壇にあります。
ここには御友別の兄「浦凝別<ウラゴリワケ>」と弟「鴨別」が祀られています。どちらも「御崎」としての神です。

これも珍しい名前です・・・

2020-06-07 13:07:14 | 日記
 昨日、御友別の子「仲彦」は正宮に、稲速別・弟彦は「西笏御崎」に祀られていると書いたのですが、ここにある

             「笏<シャク>」

 とは一体何でしょうか??辞書に依らなくてもご存じだろうと思いますが、令和天皇が皇位継承時に右手に持っていた木の細長い板のことです。威儀を正して神拝する際に持つ手板です。NHKの子供番組でお馴染の「おじゃま丸」も持っていますね。神に相対する時に使う道具です。ということは、「西笏御崎」ですから、西に陣取って正宮に祀られている神々に仕える神職を意味します。要するに、家来となってお仕えしているということを意味します。
 なお、「御前<オンザキ>」ですから、神々を先導する役目「先駆け」のような大切な役目を持つ神のお宮ということではないでしょうか???

「吉備津神社記(8)」 仲彦の正宮に合祀されている理由は????

2020-06-06 10:04:06 | 日記
 日本書紀によると、応神天皇の吉備への行幸に際して心を尽くして奉仕した御友別には御子が稲速別命・仲彦命、弟彦の三人ありました。この内の仲彦命だけが父と一緒に吉備津神社正宮の内陣に奉祀されており、他の稲速別命・弟彦の2人は正宮が外陣の西中陣にある「西笏御崎<セイシャクオンザキ>」に祀られています。
 どうしてこのように御兄弟で差別されているのかこの神社記にはないも書かれておりません。そこで私がちょこっとない頭を巡らしてみたのですが・・・・

 そこで「日本書紀」をもう一度取り出して、そのページをめくってみます。すると、「仲彦は応神天皇より上道縣を与えられ、「香屋臣」の先祖だ。」と記されています。
 これからが私の推理です。この「香屋臣」から賀陽氏が出て、吉備津神社の創立以来宮司として活躍する由緒ある家柄です。だから、その祖先の仲彦が父御友別と一緒にこの正宮に合祀されている原因ではないかと私は思いますが??????

   
   これは「宣伝」です。
 今年は、例のコロナコロナで、その開催ははっきりとは決まっていませんが、高松公民館で「高松歴史を楽しむ会」が主催する高松歴史講座で、会員の井上氏による「吉備津神社」の講演会が開かれる予定です。ご参加していただくと嬉しいのですが・・・・

「吉備津神社記⑦」

2020-06-05 09:18:58 | 日記
 吉備津神社の正宮の神殿内部は内陣と内々陣の仕切られた2つの部屋からできております。内々陣の広さは内陣の約2倍の広さで、天井も舟形天井になっております。それに対して内陣の天井は格子天井で内々陣の半分の広さしかありません。
 この内々陣には「吉備津彦命」が祭られております、造りもそれなりに豪華です。その前側に位置する内陣にはこの記によると、吉備津彦命のご兄弟の

       1)千々速比売命<チチハヤヒメ>
       2)倭迹々日百襲姫命<ヤマトトヒモモソヒメ>
       3)日子刺肩別命<ヒコサスカタワケ>
       4)倭迹々日稚屋媛命<ヤマトトトヒワカヤヒメ>
       5)彦窹間命<ヒコサメマ>
       6)若日子建吉備津彦命
 このご兄弟六人の他に
       7)御友別命
       8)仲彦命
 が奉祀されています。なお、この「仲彦命」ですが、この人は御友別の次男です。どうして、この人がお祭りされているのかその理由は何も書かれてはいません。