壬申の年(674年)7月、大海人皇子軍と大友皇子軍の直接の対決です。最初の対決が犬上川(滋賀県)ですが、その後、四日の戦いです。「乃楽山<ナラヤアマ>」の戦いです。(奈良山のことです)
あの額田王<ヌカダノオオキミ>が詠んだ
”味酒 三輪の山
あおによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで 道の隅 い積るまでに
つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を
情なく 雲の 隠さふべしや”
その山です。この山を挟んで両軍が対峙して合戦が行われそうになったのです。
この時、吉野軍の赤麻呂という人が主人の「吹負<フケヒ>」に言います。
「奈良は古い都です。その都を先ず何よりも固く守ってこそ我が軍の為すべきことです。」
と。その為に奈良の都に入る橋を壊して道々に並べ、敵兵が都へ入る道を塞ぎます。この奈良山での戦いは吉野軍が破れ、近江軍が奈良の都へ押し迫りますが、都に入る橋は壊され、そこに使われた板が街の至る所に並べられていました、その影にきっと大勢の敵がいるのではと恐れた近江軍は戦わずして引き換えします。
これが「乃楽山の戦」です。7月4日です。この戦いが近江軍の初めての戦勝ですが・・・
あの額田王<ヌカダノオオキミ>が詠んだ
”味酒 三輪の山
あおによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで 道の隅 い積るまでに
つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を
情なく 雲の 隠さふべしや”
その山です。この山を挟んで両軍が対峙して合戦が行われそうになったのです。
この時、吉野軍の赤麻呂という人が主人の「吹負<フケヒ>」に言います。
「奈良は古い都です。その都を先ず何よりも固く守ってこそ我が軍の為すべきことです。」
と。その為に奈良の都に入る橋を壊して道々に並べ、敵兵が都へ入る道を塞ぎます。この奈良山での戦いは吉野軍が破れ、近江軍が奈良の都へ押し迫りますが、都に入る橋は壊され、そこに使われた板が街の至る所に並べられていました、その影にきっと大勢の敵がいるのではと恐れた近江軍は戦わずして引き換えします。
これが「乃楽山の戦」です。7月4日です。この戦いが近江軍の初めての戦勝ですが・・・