日常生活を送る中、
「自分なら こんなことは しないし、 出来ないな~ !」 と 思うことが起きたりすることも ありますよね。
そんな折、
大人力 と言う言葉を 耳にしました。
「
大人力 ねぇ~ !」
※ ストレス・悩み・軋轢(あつれき)・葛藤(かっとう)・やるせなさ。
「そうね、そうなことが 起きたりするのよね !」
※ 大人の目の前に立ちはだかる邪魔モノを なぎ倒すため …!?
あるいは 手なずけたり 脇をすり抜けたりするため …!?
武器であり、知恵であり、テクニック …!?
「えぇ~っ! なんか 好きじゃない言葉 ばっかり !」
「<
大人力> って そんなものなの ?!! 」
たしかに、暮らしの中では 胃が痛くなることも多く、
<大人の日々は胃にくるね!> なんてコマーシャルが 身につまされることもありますが、
邪魔モノ・手なずけ・武器、 その上 テクニック とまで言われてしまうと あまり良い気分は しない!
「
大人力、 私には見えてこない気がするんですが …!」
※ 正解の場合も間違えた場合も、解説をじっくり読めば
大人力への理解が深まり、大人力がメキメキ強化される …!?
もし納得できない部分があったとしても、目くじらを立てず、
「ま、そういう見方もあるよね」と大人の寛容さを発揮してもらえれば幸い …!?
「まぁ そんな見方も
意見のひとつ … と思えばいいのかな~!」
自分が大人として きちんと対応出来ているのだろうか ということは
自分ではわかりにくい時が あります。
だからこそ
人の振り見て 我が振り直せ
再確認 しながら、良い点は 見習い、悪い点は 気をつけようと思う!
今回 違和感を感じた <
捉えかたの違い> も、
<自分はどう思うか!?> を考えられた良い機会だったのではないかと思います。
ところで、
大人力 とはどういうものなのでしょうか? ありそうなことで例をあげてみると、
【質問1】
あと2駅で降りるという電車内で、若者に 「どうぞ!」 と座席を譲られた時、あなたならどうしますか?
(1) 「私はそんな歳じゃないです!」 と言って怒る。
(2) 「もうすぐ降りるからいいです。」 と言って断る。
(3) 「ありがとう」 と言って座る。
(1)は、せっかくの
勇気や
優しさを
反発に変えてしまう可能性があります。 <若いと思っているのに
プライドを傷つけられた>ということなのでしょうが、
好意を反感で返すなんて <若さ>を気にする以前の
<子どもっぽさ>の表れ! おとな気なさを 恥ずかしいと思わなくてはいけないと思います。
好意というのは 断られると
萎縮 してしまいがちなものですから、(2)も もう少し柔軟に、「もうすぐ降りるん
だけど、せっかくだから …」 と とりあえず座るくらいの寛容さがあったら素敵ですよね。
断るにしても、「ありがとうね!」 という言葉を添えれば (3)と同様に気持ちが伝わり、次回に繋がる可能性
が高まるのではないでしょうか。
良い方向に導く力 は
大人力のひとつだと思います。
【質問2】
普段から気が小さくて、 演説、演奏、プレゼン、舞台など、 終わった後に 自分がどうだったのかと
いつも不安に思う友人がいたら、あなたならどうしますか?
(1) 「ねぇ どうだった?」 と聞かれるまで黙っている。
(2) 「なかなか良かったよ。」 とだけ言う。
(3) 「声も出ていて聞きやすかったよ~!」 「ちょっと歯切れの悪い部分もあったけど、誠意は十分に
伝わったと思うよ!」 「もう少し気張らなければ 最高だったな!」 などと自分から伝える。
(1)は、相手の性格を知っている友達としてはどうなんでしょう。
(2)も、大まか過ぎて何が良いのかが まったく伝わって来ない感じ! 社交辞令のようにも思えてきます。
(3)のように 良いにつけ 悪いにつけ、どこが どうだ と きちんと指摘 してもらえたら、それについて また
考えてみることが出来るので とても嬉 しく思えるのではないでしょうか。
思いやる心 があったら自然に出来る行ないから、
信頼関係 も深まってゆくのだと思います。
【質問3】
歌いたいのに混んでいて歌えない! カラオケ店で待ち時間が長い時、あなたならどうしますか?
(1) 自分の歌以外は退屈! つまらなさがそのまま態度に出て、大あくびや不機嫌顔になってしまう。
(2) 人の歌はあまり聞く気にならないので 寝ているか 話しているかしていて、拍手だけ人に合わせる。
(3) 時々は小声で話しながらも、人の歌もきちんと聴いて 賛美として拍手するのがマナーだと思う。
(1)は、自己中心的過ぎますよね。 (2)も、失礼に当たります。 歌いたいだけなら カラオケボックスが
あります。 自分も聞いていただいているわけだから (3)のように、行くなら 行くなりのマナーはもって
いないといけないと思います。
場に応じた適切対応 が出来るかどうかは
大人力 の有る無し!
直そうと思う気持ちも大事です。 きちんと聴くことの出来る方達を見ると、やっぱり大人だなと感 じます。
年齢的なもので言うわけではないけれど
自分より大人な人が 良い
そんな風に思うのは、
何かを学べる とか
導いてくれる とかの
信頼感 に、
大人力 という
安心感 を感 じるからでしょう。
しっかりとした
判断力、
思考力、
行動力。
他の人との兼ね合い を考え、
場によっての判断 が出来る人には
スマートさ を 感 じます。
相手のことを考えて
苦言を呈することが出来るのは、たぶん ほんのひとにぎりの人間で しょう。
言うほうの心情を理解できれば ありがたいとも思えるのでしょうが、<嫌なことを言う>くらいにしか理解
出来ないと 徐々に言われることが減ってゆき、そのうち何も言われなくなってしまう なんてことも 起きてくる。
それは
大人力 が不足しているために起きてしまう とても勿体なくて、自分にとっても損なこと だと思うの
ですが、それにさえ気づかないこともあるのかもしれません。
言ってもらえるうちが 花
私は、<あたりさわりなく>より <考えることの出来る正直な意見> を言ってくれる友人を 信頼 します。
「若いね~!」
そんな言葉だって、よく考えてみれば、
<誉め言葉> とばかりは言えない場合が あります。
「ずいぶん 子どもっぽいんだね~!」
ちょっと皮肉を込めた そんな言い回しだったら、
大人として扱われる <二十歳(はたち)> を過ぎたら もう恥ずかしいことなのかも しれません。
<若い> って言われたら、良い気分になって鼻の下を伸ばしているだけでなく、
<自分は ちゃんと 大人に見られているのかな!?> と見つめ直してみることも必要なのでしょうね。
中身がきちんとした大人なら、外見の若さも プラス要因になる!
<少年っぽさ><少女っぽさ> という 純粋さ なら、心の片隅に残 しても おきたい!
だけど、考えに深みを持つ 大人力 がないと、<単純 なだけ> ということになってしまいます。
いつまでも若いと言われることだけが良いわけじゃありませんよね。
二十歳で大人として扱われるなら 自分は …!?
自覚 することも
大人力 なのでしょうね。
服装で言うと、
女性の場合は 何を着ても たいてい
ファッション と して捉えてもらえたりするものですが、
男性の場合は 「野暮ったい!」 「むさ苦しい!」 「とっちゃん坊みたい!」 など
あまり 嬉しくない、厳しい表現を されてしまうことが多いような気がします。
<
見た目>にも影響は出るもの!
年齢を重ねるほどに、
派手過ぎず 地味過ぎず、清潔感のあるスマートな服装。
大人力を増すには そんなことに気を配ることも必要かも しれません。
外観だけでなく、言動からも 年齢感が出てしまう時があります。
<加齢臭>が気になる <おじさん臭い><おじさんぽい> という表現。
ここまでくると <
大人力 を突き抜けてしまっている>ような気がするんですが、
<おばさん臭い><おばさんぽい> というのだって よく使われる言葉です。
大人のスマートさに 余分なお肉が付いて、
図太くなった ということなんでしょうか!?
心の代謝までが落ちてブヨブヨになり、人への気づかいがなくなってしまったら大変!
合併症などにも気をつけて
心身共の肥満防止対策に気を配る ことも、
大人力 でしょうか。
「昔は少~しはモテたんだけど、今は使えるお金も少なくなっちゃってね!」 と こぼす友人。
「小遣い少ないから あんまり出来なくてゴメンネ!」 と言って ご馳走してくださるビールは
たとえ 1杯だろうと 1本だろうと 嬉しいものです。
支える人 がいる方の、特に ここ数年の大変さは よくわかります。
変に気取らない優 しさで 無理を しないところが 大人だと思います。
使うか使わないかも自分次第、使い方も自由。 そんな独身者も良いけれど、しっかりと守るべきものが
ある人は 支えられても いる! だ~れも いなかったら きっと 寂 しいことでしょう!
「恵まれているな!」 そう思えたら 大人!
<人に良く思われたい> という意識は 大なり小なり 誰にでもあるのだろうと思います。
違いが出るのは 性格的なものなのか、大人力なのか!?
アピール度のほうが上がってしまうと
<してあげる感>が強くなり、<さり気なく>が 必ず人のいる場所 であったりすることがあります。
大人力 があれば 相手への気遣いから 他人には気づかれないところですることが出来る。
さり気なさは、本当にさり気ないほうが伝わるものです。
良いことを しているのを見せたくなる気持ちも わからないではありませんが、
度が過ぎると、かえって 相手に寂 しさを与えてしまうことがあるので 注意 したいものです。
釘のように、目立たずに支えてくれるのが 大人力や 力量のある人 なんじゃないかな!?
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生きていれば大人にはなる … ということで
1973(昭和48)年 3月 1日発売、
井上陽水 さん の
『いつのまにか少女は』。
(作詞・作曲 = 井上陽水 さん)。
「君は静かに音もたてずに大人になった」
誰でもそうなんだと思うけれど、いつの間にか 歳を とっている!
いつの間にか 大人になっていた! 気づかないほど静かに …!
「君は季節が変るみたいに大人になった」
1年は早い! 歳を重ねる度にそう思うようになると言うけれど、近年、ホントにそう思う!
人生には何度も四季があり、一生を季節に例えることも出来る。
もう若いとは言えない歳になったら、きちんと考えることの出来る大人になっていたいものです。
「だけど春の短さを誰も知らない 君の笑顔は悲しいくらい大人になった」
<若さ> は良いものだけど、若くて許される時期は短く、大人でないことが 恥ずかしい時も ある!
変な無邪気さが人を傷つけることもあるのに、それにさえ気づかないこともあるのかもしれない!
そんな悲しい大人にならないために、何でも言い合い、見守ってくれる友が必要なのでしょう。
(※ 詞の内容から、その時感じたままを 書いています。)
井上陽水 という名前を聞いただけで、いくつもの曲が浮かんで来ます。
アマチュアとしての活動も ほとんど経験しないままにデビューし、シングル3枚で終わった
<アンドレ・カンドレ>時代から数えると、40年!
今年8月末で61歳になった陽水さんは、アニバーサリー・イヤーの第1弾 として、
今年4月末、約3年ぶりのニュー・シングル 「Love Rainbow」 を リリースしています。
自ら<食う寝る遊ぶ>と称 してマイ・ペースを守りながら、
個性に溢れ、常に第一線で活躍し続けている 国民的シンガー・ソングライター。
モジャモジャ頭にサングラスは 強烈な個性アピールとなり、今も脳裏に焼きついています。
理解出来るような出来ないような、独特の歌詞や 歌い方には多面的凄さを感じたものでした。
見た目も歌い方も、決して<好き> とは言えないと思うことがあったりしながらも
その歌声やサウンドに凄い魅力を感じた … なんてことが何度もありました。
音楽に独自の美学を持った凄い方だと思います。
大好きだった歌をまた歌ってみたい!
改めてそう思えたのは この歌を思い出したおかげです。
聴き心地は良くても、 果たして 今、全部歌えるのかな!?
イラスト素材の一部は、下記を利用させていただいています。
「イラスト工房」 「今日もわんパグ」
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