初雪が降って 予定が狂った 今回のブログ。
こちらも やっぱり 雪の話題でした。 ( )
新年ブログの 歌紹介 の コーナーで 雪国のこと を 少しだけ書きました。
雪は きれいで、 あの冷たさの中に 魅力を 感じます。
でも 雪の恐さ も 少しだけ 経験 したことがあるんです。
昔、娘達を連れて スキーに行った時、
バスを降りたら 吹雪いていて 道路以外 何も見あたらず、
初めての場所で 地理も分からず、 車も 通らず、
おまけに 夕方ということで “釣る瓶落とし” さながらに
あっというまに暗くなっていく!
娘達は 寒さと 不安とで 泣き出すし、
私も 内心 パニック状態! 涙も凍るほどの寒さでした!
「こっちだって泣きたいわよ ~!」 と 思いながらも
そんな素振りは 見せられず、
それでも 本当に
このまま 凍え死ぬんじゃないかと 思ったことがありました。
これから 明るくなっていく ‥ というのなら
もう少し 余裕が 持てたのかもしれませんが、 ホントは極限に 近かった!
後がない と いうのは 本当に 恐ろしいものです。
晴れていれば見える物 も 見えない !
後で見たら、看板も 家の屋根も そんなに遠くない位置に 見えていました !
遭難する って そういうことなんでしょうね。
グレー と 黒 の 世界
あの時の 恐怖感は 今でも 忘れられません。
それでも 雪を 嫌いになることは ありませんでした。
そうかと言って …
雪深い中での生活 を、
今の私が 1 シーズン 経験できるか … となると 話は別 で、
まったく 自信が なくなってしまう ! 寂しーい!
もう少し若かったら きっと 出来たに違いない
なんて思ってみたり したんですが …、
!!?
かえって 若くない方が
落ち着いた楽しみ方 が 出来るのかもしれないな~
なんて、思い直してみたり しています。 瞬発力は ないけど
持続力は あるんじゃない!?
いっぱい 食料を 買い込んで
家の中で出来る楽しみを 見つけたら
インドア派の私 ですから
けっこう ハマル かも 知れません。
外は雪 !
窓越しに そんな景色を 眺めていられたら …、
かなりの 癒し です。
ただ じーっ と …、
何時間でも 見ていられそうな 気が します。
そしたら きっと
都会で汚染された心や身体 が
雪の白さに 吸収されて 純白に戻れそう … な~んて、
乙女チックな発想 !?
また また 出て来た この言葉。 私を 10代の乙女 と 想像してネ!
純真だけど 本能のままになっちゃう
赤ちゃん にまで 戻らないように 注意しながら
赤ちゃん返り!
もう少し 想いのある頃 に戻れたら 良いかな~ !?
もう 違う世界に 入り 込んじゃってます!
外に出たら すぐに 芯まで冷えて 固まっちゃいそうな 寒さでも、
防寒対策は こちらより しっかりしているのでしょうし、
晴れた日の 雪道は キラキラと 目に痛いほど きれいです。
毎日 新しい発見 がある かもしれませんよね。
スキーに行かなくなって かなりの 年月が 過ぎましたから
寒くて 恐くて もう 外遊び は 出来ないかもしれない !
だから ほとんど 冬眠生活 していそうな 気はするんですが、
冬眠 と言っても、
一日中寝ている ということではなく、
凝りだしたら 何日でも平気な性格 だから
家に引きこもって
朝から晩まで 時間を忘れて 何か やっていそうな 気がします。
編み物 、読書 、ジャム作り 、パソコン etc
やっぱり 歌 なの かな~!?
理想的には 暖炉があったら最高 なんですけど、
床暖房 で 部屋が暖かくて コタツ もある … なんてのも 良いかな~ !
それって 暖ったか過ぎて 干乾びちゃうような 気がするけど…!
まぁ これは 空想の世界。
実際には ないだろうお話 ですが、
雪国、 そして どんな場所 で あっても、
自分なりの楽しみ方を 見つけられたら 良い !
と いうことでしょう。
確かに そうなんですが … 空想話も 長い !
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
純白には戻れそうもない私なので、 気持ちは 純白のつもり なんだけど、
見た目は … 二十歳過ぎ!
逆手を取って、 三十路でも五十路でも 二十歳過ぎ! 嘘は 言ってませんヨ!
1982年(昭和52年) 2月 発売、
ザ・タイガース の 『色つきの女でいてくれよ』 。
(作詞 = 阿久悠さん。作曲 = 森本太郎さん)。
「移り気は 夢の数と同じだけ それぞれの心に それぞれの夢を」
「去りぎわの季節のあざやかさ その裏のさびしさを感じてた」
「想い出はいつもゆれるメランコリー
それぞれのページに それぞれの色を」
さよなら 僕の愛した美少女よ。
あどけない君がまぶしかったこともあった。
大人びた素振りが気になったこともあった。
去っていく君、
いつまでも 変わらずに
僕が愛した 色つきの女でいてくれよ 。
きりきり舞いをさせられても 好きだった?
きりきり舞いをさせられることが、(ある意味)好きだった?
どちらにも とれます!?
女性も 難しいけど、男性心理は もっとわからない!
あどけなさがまぶしくて 触れることも出来ず、
さりげなく背を向けた日もあった と言う人。
振り回されても 好きだったのに、
夢や生き方の違いで 別れなければならない。
そんな 別れ間際に
「いつまでも ドキドキするような いい女でいてくれよ」
なんて なかなか言えることじゃないですよね。
そんな意味合いから 彼の優しさと 愛情の深さを 感じます。
いつまでも 純白でいたい。
純白だと 言われてみたい … ! これはあくまでも 思い です。
言ってくれなんて言いませんから 笑わないで ください !
そのくせ
「いつまでも 色つきの 良い女でいてくれよ」 なんて
そんな風にも 言われてみたい … ! なんか 呆れてます!?
あくまでも 思い だから、大目に見てくださいね !
女は やっぱり 複雑なのかな !?
私は 何色 なんだろ ~ ?
ちなみに、
「ザ・タイガース」 といえば 〈ジュリー〉 と言われるほど
沢田研二さんが 有名ですが、
結成した当初 彼は入っておらず、
・岸辺おさみさん =身長が高かったので、ビートルズの曲
(一徳) 「のっぽのサリー」 に掛けて (サリー)・ベース
・加橋かつみさん = トッポ・ジージョ に似ていることから (トッポ)・ギター
・森本太郎さん = 名前から (タロー)・ギター
・瞳みのるさん = キューピーに似ていることから (ピー)・ドラム
の 学生アマチュアバンド でした。
他のバンドから 彼が加わって 「ファニーズ」 となり、
デビューが決まって
すぎやまこういち氏によって 「ザ・タイガース」 と命名され、
それぞれニックネームが付いて …
〈ジュリー〉 というのは、沢田さんが
映画 『サウンド・オブ・ミュージック』 の主役、ジュリー・アンドリュースの
大ファンだったことから 付けられました。
1967年2月に 『僕のマリー』 で デビューし、
1971年に日本武道館コンサートで 解散。
その間、1969年3月に、トッポが 脱退して、
リーダー(サリー)の弟の 岸辺四郎さん (シロー)・ギター が 入りました。
10年後の 1981年に、東京・有楽町の日劇が 取り壊される際に、
《さよなら日劇ウエスタン・カーニバル》 が開催されて
グループ・サウンズ (GS) が かなり再結成され、
タイガースも 瞳さんを除く 他のメンバーが 「同窓会」 として復活。
この曲は …、
コーセー化粧品の春のイメージソング だった こともあり、
43万枚近くも売れた 通算17枚目のシングル で、
トッポの リードボーカルで、ジュリーが サビを担当した という
タイガースとしては 珍しい楽曲でした。
ザ・タイガースは その後 3年間ほど 活動していましたが、
瞳さんだけは 高校の漢文の先生になっていて 復活しませんでした。
サリー トッポ ジュリー タロー シロー ピー
懐かしい お話です。
イラスト素材の一部は、下記を利用させていただいています。
「SOHOママの食卓」 「顔文字を動かそう!」
こちらも やっぱり 雪の話題でした。 ( )
新年ブログの 歌紹介 の コーナーで 雪国のこと を 少しだけ書きました。
雪は きれいで、 あの冷たさの中に 魅力を 感じます。
でも 雪の恐さ も 少しだけ 経験 したことがあるんです。
昔、娘達を連れて スキーに行った時、
バスを降りたら 吹雪いていて 道路以外 何も見あたらず、
初めての場所で 地理も分からず、 車も 通らず、
おまけに 夕方ということで “釣る瓶落とし” さながらに
あっというまに暗くなっていく!
娘達は 寒さと 不安とで 泣き出すし、
私も 内心 パニック状態! 涙も凍るほどの寒さでした!
「こっちだって泣きたいわよ ~!」 と 思いながらも
そんな素振りは 見せられず、
それでも 本当に
このまま 凍え死ぬんじゃないかと 思ったことがありました。
これから 明るくなっていく ‥ というのなら
もう少し 余裕が 持てたのかもしれませんが、 ホントは極限に 近かった!
後がない と いうのは 本当に 恐ろしいものです。
晴れていれば見える物 も 見えない !
後で見たら、看板も 家の屋根も そんなに遠くない位置に 見えていました !
遭難する って そういうことなんでしょうね。
グレー と 黒 の 世界
あの時の 恐怖感は 今でも 忘れられません。
それでも 雪を 嫌いになることは ありませんでした。
そうかと言って …
雪深い中での生活 を、
今の私が 1 シーズン 経験できるか … となると 話は別 で、
まったく 自信が なくなってしまう ! 寂しーい!
もう少し若かったら きっと 出来たに違いない
なんて思ってみたり したんですが …、
!!?
かえって 若くない方が
落ち着いた楽しみ方 が 出来るのかもしれないな~
なんて、思い直してみたり しています。 瞬発力は ないけど
持続力は あるんじゃない!?
いっぱい 食料を 買い込んで
家の中で出来る楽しみを 見つけたら
インドア派の私 ですから
けっこう ハマル かも 知れません。
外は雪 !
窓越しに そんな景色を 眺めていられたら …、
かなりの 癒し です。
ただ じーっ と …、
何時間でも 見ていられそうな 気が します。
そしたら きっと
都会で汚染された心や身体 が
雪の白さに 吸収されて 純白に戻れそう … な~んて、
乙女チックな発想 !?
また また 出て来た この言葉。 私を 10代の乙女 と 想像してネ!
純真だけど 本能のままになっちゃう
赤ちゃん にまで 戻らないように 注意しながら
赤ちゃん返り!
もう少し 想いのある頃 に戻れたら 良いかな~ !?
もう 違う世界に 入り 込んじゃってます!
外に出たら すぐに 芯まで冷えて 固まっちゃいそうな 寒さでも、
防寒対策は こちらより しっかりしているのでしょうし、
晴れた日の 雪道は キラキラと 目に痛いほど きれいです。
毎日 新しい発見 がある かもしれませんよね。
スキーに行かなくなって かなりの 年月が 過ぎましたから
寒くて 恐くて もう 外遊び は 出来ないかもしれない !
だから ほとんど 冬眠生活 していそうな 気はするんですが、
冬眠 と言っても、
一日中寝ている ということではなく、
凝りだしたら 何日でも平気な性格 だから
家に引きこもって
朝から晩まで 時間を忘れて 何か やっていそうな 気がします。
編み物 、読書 、ジャム作り 、パソコン etc
やっぱり 歌 なの かな~!?
理想的には 暖炉があったら最高 なんですけど、
床暖房 で 部屋が暖かくて コタツ もある … なんてのも 良いかな~ !
それって 暖ったか過ぎて 干乾びちゃうような 気がするけど…!
まぁ これは 空想の世界。
実際には ないだろうお話 ですが、
雪国、 そして どんな場所 で あっても、
自分なりの楽しみ方を 見つけられたら 良い !
と いうことでしょう。
確かに そうなんですが … 空想話も 長い !
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
純白には戻れそうもない私なので、 気持ちは 純白のつもり なんだけど、
見た目は … 二十歳過ぎ!
逆手を取って、 三十路でも五十路でも 二十歳過ぎ! 嘘は 言ってませんヨ!
1982年(昭和52年) 2月 発売、
ザ・タイガース の 『色つきの女でいてくれよ』 。
(作詞 = 阿久悠さん。作曲 = 森本太郎さん)。
「移り気は 夢の数と同じだけ それぞれの心に それぞれの夢を」
「去りぎわの季節のあざやかさ その裏のさびしさを感じてた」
「想い出はいつもゆれるメランコリー
それぞれのページに それぞれの色を」
さよなら 僕の愛した美少女よ。
あどけない君がまぶしかったこともあった。
大人びた素振りが気になったこともあった。
去っていく君、
いつまでも 変わらずに
僕が愛した 色つきの女でいてくれよ 。
きりきり舞いをさせられても 好きだった?
きりきり舞いをさせられることが、(ある意味)好きだった?
どちらにも とれます!?
女性も 難しいけど、男性心理は もっとわからない!
あどけなさがまぶしくて 触れることも出来ず、
さりげなく背を向けた日もあった と言う人。
振り回されても 好きだったのに、
夢や生き方の違いで 別れなければならない。
そんな 別れ間際に
「いつまでも ドキドキするような いい女でいてくれよ」
なんて なかなか言えることじゃないですよね。
そんな意味合いから 彼の優しさと 愛情の深さを 感じます。
いつまでも 純白でいたい。
純白だと 言われてみたい … ! これはあくまでも 思い です。
言ってくれなんて言いませんから 笑わないで ください !
そのくせ
「いつまでも 色つきの 良い女でいてくれよ」 なんて
そんな風にも 言われてみたい … ! なんか 呆れてます!?
あくまでも 思い だから、大目に見てくださいね !
女は やっぱり 複雑なのかな !?
私は 何色 なんだろ ~ ?
ちなみに、
「ザ・タイガース」 といえば 〈ジュリー〉 と言われるほど
沢田研二さんが 有名ですが、
結成した当初 彼は入っておらず、
・岸辺おさみさん =身長が高かったので、ビートルズの曲
(一徳) 「のっぽのサリー」 に掛けて (サリー)・ベース
・加橋かつみさん = トッポ・ジージョ に似ていることから (トッポ)・ギター
・森本太郎さん = 名前から (タロー)・ギター
・瞳みのるさん = キューピーに似ていることから (ピー)・ドラム
の 学生アマチュアバンド でした。
他のバンドから 彼が加わって 「ファニーズ」 となり、
デビューが決まって
すぎやまこういち氏によって 「ザ・タイガース」 と命名され、
それぞれニックネームが付いて …
〈ジュリー〉 というのは、沢田さんが
映画 『サウンド・オブ・ミュージック』 の主役、ジュリー・アンドリュースの
大ファンだったことから 付けられました。
1967年2月に 『僕のマリー』 で デビューし、
1971年に日本武道館コンサートで 解散。
その間、1969年3月に、トッポが 脱退して、
リーダー(サリー)の弟の 岸辺四郎さん (シロー)・ギター が 入りました。
10年後の 1981年に、東京・有楽町の日劇が 取り壊される際に、
《さよなら日劇ウエスタン・カーニバル》 が開催されて
グループ・サウンズ (GS) が かなり再結成され、
タイガースも 瞳さんを除く 他のメンバーが 「同窓会」 として復活。
この曲は …、
コーセー化粧品の春のイメージソング だった こともあり、
43万枚近くも売れた 通算17枚目のシングル で、
トッポの リードボーカルで、ジュリーが サビを担当した という
タイガースとしては 珍しい楽曲でした。
ザ・タイガースは その後 3年間ほど 活動していましたが、
瞳さんだけは 高校の漢文の先生になっていて 復活しませんでした。
サリー トッポ ジュリー タロー シロー ピー
懐かしい お話です。
青春歌年鑑 1982オムニバス,田原俊彦,大橋純子,ザ・タイガース,一風堂,紅麗威甦,山下久美子,あみん,薬師丸ひろこ,中村雅俊,細川たかしコロムビアミュージックエンタテインメントこのアイテムの詳細を見る |
イラスト素材の一部は、下記を利用させていただいています。
「SOHOママの食卓」 「顔文字を動かそう!」