対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

追悼・許萬元

2005-09-24 | 許萬元

 わたしの弁証法への関心は、1970年代の前半に始まるが、そのときは、弁証法といえば、もっぱら、『弁証法の諸問題』(武谷三男)だった。そのころ、許萬元は、『ヘーゲル弁証法の本質』(1972年)・『認識論としての弁証法』(1978年)を刊行しているが、わたしはまったく知らなかった。

 1995年に、『弁証法の理論』(創風社)をはじめて読んだとき、弁証法の本質を探究していくという姿勢に感動したものである。この本(『ヘーゲル弁証法の本質』と『認識論としての弁証法』を合本としたもの)はヘーゲル弁証法の合理的核心を捉えようとする研究の最先端にあるのではないかと思っていた。

 わたしのようなずぶの素人にありがたかったのは、ヘーゲル弁証法には三大特色(内在主義・歴史主義・総体主義)があり、ヘーゲル弁証法の本質が「論理的なものの三側面」に集約されるという指摘だった。そして、ヘーゲルとマルクスの弁証法の内的な構造の違いを、歴史主義と総体主義の二つの契機で要約してあることだった。

 ヘーゲルではなくマルクスの考える「論理的なもの」の構造はどのようになるのか? ヘーゲルが想定した「媒介の論理」とは異なる「媒介の論理」の可能性があるのではないか? これが、許萬元を検討していくなかから生まれた「問題」だった。

 わたしは弁証法を再考するきっかけを許萬元によって与えられたのである。

 1990年代の後半に、『弁証法の理論』をもっとも読んでいたのは、わたしだったのではないかと思う。いまは立場を異にしているが、「弁証法試論」は、許萬元の『弁証法の理論』の正統な継承であると考えている。

 わたしは2004年5月に、ホームページ「弁証法試論」を公開した。そのとき、立命館大学文学部気付で、許萬元に案内をした。感想をもとめたのである。返事はなかった。今月(2005年9月)になって、遺族の方から、先月、他界したと訃報のメールをいただいた。「生前は、父の著書をお読みいただき、感謝しています」とあった。おそれおおいことである。

 ある夜のこと、私は私の前を私と同じように提灯なしで歩いてゆく一人の男があるのに気がついた。それは突然その家の前の明るみのなかへ姿を現わしたのだった。男は明るみを背にしてだんだん闇のなかへはいって行ってしまった。私はそれを一種異様な感動を持って眺めていた。それは、あらわに言ってみれば、「自分もしばらくすればあの男のように闇のなかへ消えてゆくのだ。誰かがここに立って見ていればやはりあんなふうに消えてゆくのであろう」という感動なのであったが、消えてゆく男の姿はそんなにも感情的であった。(「闇の絵巻」梶井基次郎より)

 


矛盾論のスペクトル

2005-09-10 | 学問
 上山春平『弁証法の系譜』、三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』、許萬元『弁証法の理論』。この三つの中で論じられている矛盾は、いずれも「問題解決」との関連で取り上げられていますが、違った性格をもっています。

 『弁証法の系譜』では、矛盾はアリストテレスの矛盾をさしています。矛盾は特別な名前を持っていません。

 『弁証法はどういう科学か』では、アリストテレスの矛盾とヘーゲルの矛盾が並存しています。ここでは矛盾は、二つの名前を持っています。一つは「敵対的矛盾」、もう一つは「非敵対的矛盾」です。敵対的矛盾はアリストテレスの矛盾で、克服によって解決される矛盾をさしています。これに対して、非敵対的矛盾は父と子、上と下などヘーゲルが提起した矛盾で、実現によって解決される矛盾をさしています。敵対的矛盾は矛盾の特殊なあり方で、ヘーゲルが矛盾を深く掘下げたと考えられています。

 『弁証法の理論』では、矛盾はヘーゲルの矛盾をさしています。ここでは矛盾は、二つに分けられています。理性の否定作用にもとづく「闘争矛盾」と理性の肯定作用にもとづく「調和矛盾」です。

 上山春平『弁証法の系譜』と許萬元『弁証法の理論』を両端に置き、三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』を中央に据えることによって、矛盾が、アリストテレス(論理的矛盾)からヘーゲル(弁証法的矛盾)へと意味を変えていくようすを捉えることができると思います。