わたしの弁証法への関心は、1970年代の前半に始まるが、そのときは、弁証法といえば、もっぱら、『弁証法の諸問題』(武谷三男)だった。そのころ、許萬元は、『ヘーゲル弁証法の本質』(1972年)・『認識論としての弁証法』(1978年)を刊行しているが、わたしはまったく知らなかった。
1995年に、『弁証法の理論』(創風社)をはじめて読んだとき、弁証法の本質を探究していくという姿勢に感動したものである。この本(『ヘーゲル弁証法の本質』と『認識論としての弁証法』を合本としたもの)はヘーゲル弁証法の合理的核心を捉えようとする研究の最先端にあるのではないかと思っていた。
わたしのようなずぶの素人にありがたかったのは、ヘーゲル弁証法には三大特色(内在主義・歴史主義・総体主義)があり、ヘーゲル弁証法の本質が「論理的なものの三側面」に集約されるという指摘だった。そして、ヘーゲルとマルクスの弁証法の内的な構造の違いを、歴史主義と総体主義の二つの契機で要約してあることだった。
ヘーゲルではなくマルクスの考える「論理的なもの」の構造はどのようになるのか? ヘーゲルが想定した「媒介の論理」とは異なる「媒介の論理」の可能性があるのではないか? これが、許萬元を検討していくなかから生まれた「問題」だった。
わたしは弁証法を再考するきっかけを許萬元によって与えられたのである。
1990年代の後半に、『弁証法の理論』をもっとも読んでいたのは、わたしだったのではないかと思う。いまは立場を異にしているが、「弁証法試論」は、許萬元の『弁証法の理論』の正統な継承であると考えている。
わたしは2004年5月に、ホームページ「弁証法試論」を公開した。そのとき、立命館大学文学部気付で、許萬元に案内をした。感想をもとめたのである。返事はなかった。今月(2005年9月)になって、遺族の方から、先月、他界したと訃報のメールをいただいた。「生前は、父の著書をお読みいただき、感謝しています」とあった。おそれおおいことである。
ある夜のこと、私は私の前を私と同じように提灯なしで歩いてゆく一人の男があるのに気がついた。それは突然その家の前の明るみのなかへ姿を現わしたのだった。男は明るみを背にしてだんだん闇のなかへはいって行ってしまった。私はそれを一種異様な感動を持って眺めていた。それは、あらわに言ってみれば、「自分もしばらくすればあの男のように闇のなかへ消えてゆくのだ。誰かがここに立って見ていればやはりあんなふうに消えてゆくのであろう」という感動なのであったが、消えてゆく男の姿はそんなにも感情的であった。(「闇の絵巻」梶井基次郎より)