対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

弁証法を創作する 2009

2009-12-28 | 案内
 今年は相対性原理の誕生過程と弁証法(複合論)の関係について、考察していく予定だった。ところが、「アインシュタインがヘルムホルツから引き継いだもの」を書いた頃から、風向きが変ってきた。
 前へ進めないような感じになってきたのである。ひとまず、「双子のパラドックス――弁証法1905(Ⅰ)」をまとめ、自分の足元を見つめ直すことにした。
 12月になって、弁証法の理想型を探究する試みを、「弁証法を創作する」と表現してみた。とてもいい感じである。また、進むことができると思う。
 弁証法をつくる姿勢がよく表われているブログの記事を8編えらび、「弁証法試論」への「まえがき」とする。

    弁証法を創作する 2009

  目次      
   1 赤と白の『弁証法の系譜』
   2 弁証法の理想型と現実型
   3 悟性の二重性
   4 弁証法を形式化する試み
   5 止揚はヘーゲル弁証法の合理的核心である
   6 高校講座「弁証法」―― 「向日葵(ひまわり)の弁証法」から「光(ひかり)の弁証法」へ
   7 弁証法をつくる――PLDの複合
   8 表出論の系譜

弁証法をつくる――PLDの複合

2009-12-06 | ノート

目次

まえがき
1 ボイル-シャルルの法則(気体の法則)――PVTの複合
2 新しい弁証法の理論――PLDの複合
 1 問題解決の過程Pと対話D
 2 論理的なものD
 3 PLDの複合
     1 論理的なものの構造
     2 対話をモデルとした思考方法 ――弁証法の共時的構造
     3 認識における対立物の統一――弁証法の通時的構造

まえがき

 許萬元の『弁証法の理論』を読みこんでいくうちに、ヘーゲル弁証法とは違った弁証法の理論をつくれるのではないかと思うようになった。

 許萬元が主張していたのは、ヘーゲル弁証法は「論理的なものの三側面」の規定(『小論理学』)に集約できること、また、この規定はヘーゲルの矛盾論と対応していることであった。

 許萬元の指摘を逆にたどり、次のように言いかえてみよう。ヘーゲルは弁証法を存在と認識をつらぬいているものとして捉え、弁証法の核心を「矛盾」と洞察し、「論理的なものの三側面」を定式化した、と。

 これがヘーゲルの弁証法の作り方だったのではないだろうか。これに対して、私の場合は、弁証法を認識のなかだけに成立するものとして捉え、弁証法の核心を「対話」と洞察し、ヘーゲルとは違った「論理的なもの」の構造と「媒介」の過程を構想したのである。

 わたしが新たな「論理的なもの」の構造の基礎になると考えたのは、言語の「自己表出と指示表出」である。これは吉本隆明が『言語にとって美とはなにか』で提出していた考え方である。
 また、新たな「媒介」の過程の基礎になると想定したのは、バイソシエーション(二元結合)である。これはケストラーが『創造活動の理論』や『ホロン革命』で述べた考え方である。

 わたしは『もうひとつのパスカルの原理』のなかで、創造活動の理論として複素過程論を提出した。これは自己表出と指示表出を認識領域に拡張し、また、バイソシエーションが複素数のかけ算で表せることを示したものである。

 弁証法をつくろうとしたとき、わたしの手元にあったのは、この複素過程論だった。

 ヘーゲルの弁証法を特徴づければ「矛盾と止揚」である。これに対して、わたしは「対話と止揚」の弁証法をつくろうと思った。「矛盾」を排除し、「対話」を導入する。これが方針だった。

 「矛盾」の排除とは、弁証法を矛盾律を基礎に構築すること、また「論理的なものの三側面」を解体することである。

 「止揚」は、わたし(だけ)がヘーゲル弁証法の合理的核心と考えているもので、「論理的なものの三側面」を解体したあとにも残る「論理的なものの三側面」の精神である。

 さまざまな理論を検討していくうちに、次の3つの理論が目に止まった。

   1 ポパー「弁証法とは何か」(『推測と反駁』所収)

   2 中埜肇『弁証法』

   3 上山春平『弁証法の系譜』

 わたしがめざしたのは、弁証法を矛盾律を基礎に構築することだったから、ポパーの「問題解決図式」に弁証法の基礎を置くことにした。これはポパーと同じように反ヘーゲルの立場を表明したものである。

 ポパーが弁証法(ヘーゲルやマルクス主義の)に対置したのは試行錯誤の理論だった。その核心は次の問題解決図式によって表されている。

          P1―TT―EE―P2       

 ここでP1(problem1)は問題状況を表している。そして、TT(tentative theory)は提案される問題解決案や理論を表す。EE(error elimination)は、案や理論に対するエラー排除の過程である。P2(problem2)は新しい問題状況である。

 わたしは弁証法を、P1(problem1)とTT(tentative theory)の間に位置するものと考えたのである。

 中埜肇は弁証法を「対話をモデルとした思考方法」(「対話的思考」)と捉えていた。

 一方、上山春平は問題解決の過程の分析を弁証法固有の研究対象であると考えていた。そして、弁証法を「認識における対立物の統一」と捉えていた。

 この2つの理論は、マルクス主義の弁証法(唯物弁証法)とは違ったところに弁証法の可能性を探究しているように思えた。しかも、2つの理論とも、ポパーの反弁証法論を踏まえて構想されているように思えた。

 しかし、中埜肇も上山春平も「論理的なものの三側面」の規定を踏襲していた。いいかえれば、中埜も上山も「対話」や「問題解決の過程」を分析するさい、「論理的なものの三側面」の規定と対応させることになんの疑問も持っていないのであった。むしろ、「論理的なものの三側面」と対応させることに分析の成果を見ているのであった。ようするに、二人とも、ヘーゲル弁証法(「論理的なものの三側面」)に束縛されていたのである。

 わたしは、この部分を切り捨てれば、新しい弁証法の理論がつくれるのではないかと考えた。

次に進む前に、「論理的なものの三側面」の規定を確認しておこう。

 「論理的なものの三側面」は、『小論理学』の79節から82節にかけて展開されているもので、ヘーゲルによれば、論理的なものは次の三つの側面をもっている。

   (1)抽象的側面あるいは悟性的側面
   (2)弁証法的側面あるいは否定的理性の側面
   (3)思弁的側面あるいは肯定的理性の側面

 (1)は、対象を規定し他の規定と区別する。(2)は、一つの規定が自己を否定して他の規定に移行する。(3)は、対立した二つの規定の解消と移行の中から肯定的なものを把握する。いわゆる正反合の図式の根拠となっているものである。

 この三つの側面はそれぞれ他の側面と切り離せないことをヘーゲルは強調している。他の側面から切り離し単独で考える場合、誤った思考におちいると注意している。例えば、悟性的側面だけでは独断論や二元論になるという。また、弁証法的側面は懐疑論や詭弁になり、そしてまた、思弁的側面は神秘主義や折衷主義になるといっている。

 ヘーゲルは次のように説明している。

(1)抽象的側面あるいは悟性的側面

 ―悟性としての思惟は固定した規定性とこの規定性の他の規定性に対する区別とに立ちどまっており、このような制限された抽象的なものがそれだけで成立すると考えている。

(2)弁証法的側面あるいは否定的理性の側面

 ―弁証法的モメントは、右に述べたような有限な諸規定の自己揚棄であり、反対の諸規定への移行である。

(3)思弁的側面あるいは肯定的理性の側面

 ―思弁的なものあるいは肯定的理性的なものは対立した二つの規定の統一 、すなわち、対立した二つの規定の解消と移行とのうちに含まれている肯定的なものを把握する。

 ヘーゲルの論理的なものの構造の特徴は、三側面論がそのまま三段階論になっていることだと思う。逆にいえば、進展の形式がそのまま論理的なものの構造となっているのである。この進展の形式は、「対立する一項の内在的否定による進展」(松村一人)という表現がうまく言いあてていると思う。

 これを止揚したいのである。
 
1 ボイル-シャルルの法則(気体の法則)――PVTの複合 

 ゼノン以来、弁証法の考え方はいろいろある。例えば、次のようなものがある。(中埜肇『弁証法』参照)

  1 論理的な結果を吟味することによって反駁する方法(エレア派のゼノン)
  2 万物流転(ヘラクレイトス)
  3 問答による産婆術(ソクラテス)
  4 詭弁的な推論(ソフィスト)
  5 分割の方法、もしくは類を種へとくりかえし論理的に分析する方法(後期のプラトン)
  6 特殊の場合とか仮説から遡ってゆくある推論のプロセスによって、最高の普遍性をもった抽象的な概念を探究すること(中期のプラトン)
  7 単に蓋然的であったり、ただ一般的に承認されているにすぎない(不確実な)前提を用いる論理的な推論や議論(アリストテレス)
  8 論理学(ストア派、ヨーロッパの中世全体)
  9 超越的な対象を取扱うために経験を越えようとして理性が落ちこむ矛盾を示すことによって、仮象(超経験的なものについての思考内容)の論理を批判すること(カント)
  10 定立と反定立を歴てこの対立の総合に達するところの思想と実在の論理的な発展(ヘーゲル)
  11 単独者の「あれかこれか」の選択(キルケゴール)
  12 自然・社会および思惟の一般的運動法則についての科学(マルクス主義)

 わたしの主張する弁証法は、これまでのどれとも違う考え方である。弁証法とは、対話をモデルとした思考方法で、認識における対立物を統一する技術である。これがわたしが考える弁証法である。前半は中埜の、後半は上山の弁証法を継承したものである。

 中埜と上山の2つの弁証法を統一する過程は、弁証法試論(試論2003)の第6章複合論で展開されている。

 わたしは、「弁証法2004」のなかで、自分の試みを、「ボイル-シャルルの法則」という表現と対比させて、「中埜-上山の弁証法」であると形容した。この関係に立ち戻り、わたしの試みの概要を説明したいと思う。

 ボイル-シャルルの法則は、高校で学習する気体の法則である。ボイルの法則は、温度一定のとき、気体の体積は圧力に反比例することを指摘するものである。またシャルルの法則は、圧力一定のとき、気体の体積は絶対温度に比例することを述べたものである。この2つを統一したものが、ボイル-シャルルの法則で、「物質量が一定の体積Vは、圧力Pに反比例し、絶対温度Tに比例する」と表現されている。

 2つの法則が統一される過程を次のように考えてみよう。

 状態(圧力P、体積V、温度T)を考える。

 ボイルの法則・状態1(P1 、V1 、T1  ) T1 一定のとき、P1  1  一定。
 シャルルの法則・状態2(P2 、V2 、T2 ) P2 一定のとき、V2  / T2  一定。

 この関係を統一するとき、ボイルの法則・状態1(P1 、V1 、T1  )とシャルルの法則・状態2(P2  、V2  、T2  )の間に、(P2  、V' 、T1 )という中間状態を想定する。すなわち、温度は状態1と同じT1  、圧力は状態2と同じP2  、体積は状態1とも状態2とも異なったV'という状態を想定するのである。

 状態1と中間状態の間で、温度は一定だから、

     P1 1 = P2  V' が成立する。         (1)

 他方、状態2と中間状態の間では、圧力が一定だから、
     V2  / T2=V' / T1 が成立する。       (2)

 (1) (2) より、V'を消去して、

      P1 1 / T1=P2  2 /  T2

 ボイル-シャルルの法則は、このように導かれる。

 前提になるのは、ボイルの法則・状態1(P1 、V1 、T1 )とシャルルの法則・状態2(P2 、V2 、T2  )である。この2つをにらみ合わせて、中間状態(P2 、V'、T1 )を仮定して、ボイルの法則・状態1とシャルルの法則・状態2を統一する。別々の2つの法則が関係を結ぶような中間状態を想定することが要点である。

 ボイル-シャルルの法則を、圧力P、体積V、温度Tの複合ということにしよう。

 
2 新しい弁証法の理論――PLDの複合

 1 問題解決の過程Pと対話D

 ボイルの法則とシャルルの法則がボイル-シャルルの法則に統一されるように、中埜肇の弁証法と上山春平の弁証法から新しい弁証法の理論が導かれる。

 ボイルに中埜肇の弁証法が、シャルルに上山の弁証法が対応する。また、ボイル-シャルルにわたしの弁証法が対応する。

 ボイル-シャルルの法則の場合、ボイルの法則もシャルルの法則も全部取り入れられて、統一されている。しかし、弁証法の場合は、一部は切り捨てられ、ある一部だけが取り入れられる。これは大きな違いである。しかし、二つの理論が関係を結ぶような中間状態が想定され、統一されることは共通している。
 
 状態(圧力P、体積V、温度T)に対応させて、弁証法の理論(問題解決の過程P、論理的なものL、対話D)を想定する。

 中埜肇の弁証法(『弁証法』)を(P1 、L1 、D1 )とする。

 他方、上山春平の弁証法(『弁証法の系譜』)を (P2 、L2 、D2 )とする。

 中埜は「対話」の分析を主として、問題解決は直接とりあげられていないが、それでも、中埜の弁証法に問題解決を補完する。同じように、上山は問題解決の過程を主題としていて、対話を直接とりあげていないが、上山の弁証法に対話を補完する。

 もちろん、気体の法則の場合と違って、比例とか反比例とかの関係は、弁証法の場合、存在しないから、(問題解決の過程P、論理的なものL、対話D)の設定はあくまでも説明のため比喩である。

 中埜肇の弁証法(P1 、L1 、D1 )と上山春平の弁証法(P2 、L2 、D2 )の関係を見るのではなく、新しい(P、L、D)をつくることがわたしの課題だったのである。

 まえがきで、2人ともヘーゲルの「論理的なもの」にの規定に束縛されていると述べた。具体的に指摘しておこう。

 中埜の場合、これは、対話の特徴としてあげられた「二個の主体」・「共通の話題」が、対話の前提条件として捉えられ、対話の構造からはずされているところ、そしてTa・Tb・Tm が安易に三側面(「正」・「反」・「合」)の規定と対応させられているところに現れている。

 一方、上山の場合は、問題解決の3つの段階が、「論理的なものの三側面」と安易な対応となっていて、悟性的モメントが実質的に空白になっているところに現れている。上山が示した対応は次のようなものだ。

 問題のない段階  悟性的モメント(正) 
 問題をもつ段階   否定的理性的モメント(正と反)
 問題の解決した段階  肯定的理性的モメント(合) 

 問題をもつ段階から始めればよいのである。

 また、「正」と「合」は、同じ論理形式を持つと指摘しながらも、「正」は悟性的モメント、「合」は肯定的理性的モメントと対応させていて、不整合を指摘することができる。

 さて、中埜肇の弁証法(P1 、L1 、D1 )と上山春平の弁証法(P2 、L2 、D2 )の内容は、弁証法試論第5章対立物の統一と対話 を見ていただきたい。

 ヘーゲルの「論理的なものの三側面」の束縛から解放された「対話」と「問題解決」は、それぞれ次のようなものである。これ(「理想型の対話」と「対立物の統一における認識の進行形式」)は2人の弁証法から、不要なものを切り捨て、必要な一部を取り上げたものである。

 ア) 理想型の対話

  (1)(「二個の主体」「共通な話題」) 対話はTという共通の話題について、AとBとの二人が行う二つの発言TaとTbとの間に初めて成り立つ。

  (2)(「媒介性と相補性」)TaとTbとは相互に否定し合いながら相互に肯定し合うというかたちで、対立の中で共存している。 

  (3)(「一致和解」) TaはTbによって否定されながらもTbと内容的に結びつき、TbもTaによって、内容的な働きかけを受け、両者は相互媒介によって総合されてTmとなる。

 イ ) 「対立物の統一」における認識の進行形式

  (1) 問題解決の過程は、次の図式で表現できる。
 
       悟性―理性……理性―悟性 

  (2) 否定的理性的モメントと肯定的理性的モメントは、二つの段階として区別できるものではなく、否定的・肯定的理性的モメントは一体となり一つの理性的段階を構成している。 

  (3) 「正」と「反」の対立が、問題解決の過程の第一段階(悟性的モメント)である。 

  (4) 問題解決のすべての過程において、混成した理性の否定作用と理性の肯定作用が一体となって進行していく。

 これが整合的に展開できるように、「論理的なもの」の構造と媒介の新たな可能性を探究した。

 2 論理的なものD

 「論理的なもの」の2側面として「自己表出と指示表出」を想定した。言語の構造と認識の構造を拡張して、「論理的なもの」の構造として想定したのである。

 これはヘーゲルが想定していない構造である。論理的なもの(認識)に、言語と同じ構造を想定することは、弁証法の語源ディア・ロゴスの「ロゴス」が、話・言語・論議・理論・理法という意味を持っていることから、妥当ではないかと思う。

 「論理的なもの」の「自己表出と指示表出」は、「商品」の「価値と使用価値」に対応している。自己表出は価値と、一方、指示表出は使用価値と対応している。わたしは、「対話のモデル」を「価値形態論」を基礎にしてつくろうと考えた。

 一つの商品(リンネル)の価値が、もうひとつの商品(上着)の使用価値で表現されるという関係に着目した。この関係は、ヘーゲルの弁証法的・否定的理性的側面(「反対の諸規定への移行」)のマルクスなりの捉え方だったと思う。わたしは、この関係を「対話」へと展開していくために、次のような工夫をした。

 1 リンネルが相対的価値形態にある場合と上着が相対的価値形態にある場合を、同時に表示できる図を示したこと。(矢印の起点が相対的価値形態、終点が等価形態)

      「リンネルの使用価値」 + 「リンネルの価値」
               ↑        ↓
          「上着の価値」 + 「上着の使用価値」

 2 リンネルの固有の価値と使用価値に対して、新しい第3の要素(上着の使用価値)がリンネルに出現するが、このとき、上着の方にも、上着固有の価値と使用価値に対して、第3の要素(リンネルの価値)が出現すると想定したこと。

 3 2つの商品の価値関係から出現する第3の要素に、相対的価値形態に位置する商品の「否定」と「肯定」を見ようとしたこと。

 こうして、「二個の主体」が相互に否定すると同時に、相互に肯定するというかたちで共存している対立関係のモデルをつくった。

      「リンネルの使用価値」 + 「リンネルの価値」
               ↑         ↓
          「上着の価値」 + 「上着の使用価値」

を、記号を使って、

bi + a
     
c + di

で表わせば、「二個の主体」が相互に否定すると同時に、相互に肯定するというかたちで共存している対立関係のモデルは、次のようなものになる。

c bi + a di
     
bi c + di a

 中央のリンネル ( bi  + a ) 固有の価値と使用価値と上着( c  + di) 固有の価値と使用価値を起点にして、第3の要素が出現する。対立しあうことによって出現した第3の要素はリンネルと上着の価値と使用価値を4隅に複製する。次のようである。

   「リンネルの価値」から「上着の使用価値」が出現する(右上)。
   「上着の使用価値」から 「リンネルの価値」が出現する(右下)。
   「リンネルの使用価値」から「上着の価値」が出現する(左上)。
   「上着の価値」から「リンネルの使用価値」が出現する(左下)。

 これが価値形態論を参考にして作った「対話のモデル」である。これを「二個の主体」の「媒介性と相補性」の関係を把握する基礎にした。

 次に、リンネルと上着を二つの「論理的なもの」に置き換えた。また、価値と使用価値を自己表出と指示表出に置き換える。この置き換えによって、対話のモデルをつくったのである。
 
 対立関係から出現した第三の要素どうしの結合を想定することが要点である。次の図である。

c bi + a di
+       +
bi c + di a

 第三の要素どうしの結合(右端a+diと左端c+bi)が「一致和解」の基礎になると想定したのである。

3 PLDの複合

1  論理的なものの構造

 「論理的なもの」は自己表出と指示表出の二つの側面をもつ一つの複合体である。「論理的なもの」の構造として、複素数をモデルとする。複素数の実部と虚部に、自己表出と指示表出を対応させる。

 すなわち、

    A=a+bi 

 に、

  (論理的なもの)=(自己表出)+(指示表出)i

 を対応させる。

 「論理的なもの」のモデルとして、複素数を想定するのは次の理由からである。

 複素数は、数学において、自然数から始まる数の系列の究極的な形であり、外部がないこと。また「直観的な描像化ができない象徴的な形式」(ボーア)として量子力学や相対性理論の定式化の基礎にあって、単純な理論形式を提供していることである。そして、なによりも、1つの数で2つの側面を表示できることである。

2 対話をモデルとした思考方法 ―― 弁証法の共時的構造

 中埜肇が対話の特徴とした「二個の主体」「共通な話題」「媒介性と相補性」(「一致和解」)が、次の図式の中に表現されている。

c bi + a di
+       +
bi c + di a

  中央にある bi + a と c + di は、選択された二つの「論理的なもの」である。垂直方向の矢印は推論を示している。混成された否定的理性と肯定的理性である。

 出現した第三の要素は結合する。右側の a + di と左側の c + bi である。これらは異なる二つの「論理的なもの」の、一方の自己表出と他方の指示表出で構成されている。混成モメントと名付けている。

 認識の進展を考えれば、中央にある bi + a と c + di は、ここで「止」まる。両側の a + di と c + bi は、次の段階へ「揚」がる。 「止揚」の現場である。

 中央にある2つの「論理的なもの」 bi + a と c + di の例として、中埜肇の弁証法(P1 、L1 、D1 )と上山春平の弁証法(P2 、L2 、D2 )を挙げるなら、両側の a + di と c + bi は、「理想型の対話」の3箇条、「対立物の統一における認識の進行形式」 の4箇条である。

3 認識における対立物の統一 ―― 弁証法の通時的構造

 複素数のかけ算をモデルにして、弁証法の通時的な構造(三段階)を、表現できる。正反合に対置する図式である。正に対置するのは選択、反に対置するのは混成、合に対置するのは統一である。

 1(選択) 多数の「論理的なもの」の中から、二つの「論理的なもの」を選択する。対象を規定し、他の規定と区別する。

 2(混成) 二つの「論理的なもの」を対立させ、混成する。区別された規定を混成する。
 

 3(統一) 混成された二つの規定を対立物とみて、統一する。新しい規定として、他の規定と区別する。

 これを複素数で表現すれば、次のようになる。

1(選択) A =a+bi
A' =c+di
2(混成) A×A' =(a+bi)×(c+di)
≒(a+di)×(c+bi)
3(統一) =(ac-bd)+(ab+cd)i
=x+yi
=B

 1(選択)― 2(混成)……2(混成)― 3(統一)

が、

   悟性―理性……理性―悟性

に対応する。

 2(混成)の(a+bi)×(c+di)は、共時的な構造の中央にある bi + a と c + di に対応している。また、2(混成)の(a+di)×(c+bi)は、共時的な構造の両側の a + di と c + bi (混成モメント)に対応している。

 この混成の段階は、ボイル-シャルルの統一過程でいえば、中間状態に対応する。

 「論理的なもの」の構造として「自己表出と指示表出」を想定して、中埜の理想型の対話と上山の対立物における認識の進行形式を取り入れ、それを弁証法の共時的構造として、また弁証法の通時的構造とした。

 このように問題解決Pと論理的なものLと対話Dを複合することによって、ヘーゲル弁証法とは違った弁証法をつくったのである。
 
 ヘーゲル弁証法と複合論の特徴を表にまとめて、終わりにする。

     ヘーゲル弁証法 複合論
進展の動因   対立する一項の内在的否定   対立する二項の対話 
論理の特徴 矛盾と止揚 対話と止揚
通時的構造 1 悟性的(抽象的)側面 1 選択
2 否定的理性(弁証法的)側面 2 混成
3 肯定的理性(思弁的)側面 3 統一
共時的構造  -  自己表出と指示表出

 参考文献

  ヘーゲル/松村一人訳『小論理学』岩波文庫 1978
  マルクス/向坂逸郎訳『資本論(1)』岩波文庫 1969
  許萬元『弁証法の理論』創風社 1988
  上山春平『弁証法の系譜』未来社 1963
  中埜肇『弁証法』中公新書 1973
  ポパー/藤本ら訳『推測と反駁』法政大学出版局 1980
  ケストラー/田中・吉岡訳『ホロン革命』工作舎1983
  ケストラー/大久保・松本・中山訳『創造活動の理論』ラティス社 1968
  吉本隆明『言語にとって美とはなにか』(著作集6)勁草書房 1972
  嶋喜一郎『もうひとつのパスカルの原理』文芸社 2000
  照井俊『理論化学の最重点照井式解法カード』学研 1995