対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

双子の微笑

2006-01-29 | 九鬼周造

 九鬼周造は、『偶然性の問題』の中で、「双子の微笑」という比喩を紹介している。

ポール・ヴァレリーは一つの語と他の語とのあいだに存する「双子の微笑」ということを言っているが、語と語との間の音韻上の一致を、双子相互間の偶然的関係に比較しているのである。

 九鬼は押韻との関連で、偶然性の象徴としてみている。音と音との偶然の出会いである。

偶然性を音と音との目くばせ、言葉と言葉との行きずりとして詩の形式の中へ取り入れることは、生の鼓動を詩に象徴化することを意味している。

 たいへん美しい。「音と音との目くばせ」、「言葉と言葉との行きずり」。

 「双子」に、「よく似た二つの顔」が重なる。

 よく似た二つの顔は、一つ一つのときには別に人を笑わせないが、二つ並ぶと、似ているというので人を笑わせる。(パスカル『パンセ』133)

 これは、わたしの考察の出発点だった。いまは複合論(弁証法の新しい理論)の象徴である。「よく似た二つの顔」を、これまでわたしは類似性から見て、偶然性という立場では考えてこなかったように思う。偶然性からも見ることができるのだ。

 「双子の微笑」を複合論の象徴として借りようと思う。

 双子。例えば、ケプラーの惑星の法則とガリレイの落下の法則、エールステッドの法則とファラデーの法則、スピノザの規定論とカントの二律背反。

 ケプラーとガリレイの目くばせ、エールステッドとファラデーの行きずり、スピノザとカントの微笑。


二元結合

2006-01-07 | 九鬼周造

  ケストラーの bisociation は、「単一の論理領界内での定型的な思考(いわば単一平面での思考)と、つねに二平面以上で働く創造的な精神活動とを明確に区別するため」に、ケストラーが、アソシエーション( association )に、二をあらわす接頭語バイ  bi  を導入して、創造活動の核心を表現したことばである。

 わたしは、これまで、 bisociation  を、『ホロン革命』( 田中三彦・吉岡佳子訳 工作舎 1983年 )にしたがって、「バイソシエーション」としてきた。

 カタカナの表示で不都合は感じなかったが、しかし、英語の bisociation  と関連づけて、バイソシエーションを考えていたと思う。

 昨年(2005年)、『創造活動の理論』( 大久保直幹・松本俊・中山未喜訳 ラティス社 1968年 絶版 )を見る機会があった。この本の存在は知っていたが、これまで縁がなかったのである。そこでは、 bisociation を、「二元結合」と翻訳してあった。

 「バイソシエーション」ではなく、「二元結合」。感じるものがあった。

 「二元結合」の「二元」に、「独立なる二元の邂逅」(九鬼周造『偶然性の問題』)の「二元」が重なったのである。

 ヘーゲル弁証法の合理的核心を把握する試みを、わたしはバイソシエーションを創造活動の理論としてだけでなく弁証法の理論として見直すという表現で、説明している。

 「二元結合」は、「複合」と相性がいいし、「対立物」の違いを説明するのに、都合がいいように思える。

 ヘーゲル弁証法における「対立物」は、「相関関係」に基づいている。これに対して、わたしの提起する弁証法では、「対立物」は、「独立なる二元」である。このように簡潔に説明できるように思える。わたしは「元」として「論理的なもの」を想定しているのである。

 「二元結合」の「結合」のほうは、「偶然性の内面化」(九鬼周造)の「内面化」に対応しているだろう。すると、「弁証法」もまた、「偶然性の内面化」と密接な関連があることになる。