対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

ヘーゲル弁証法の解釈12

2015-03-29 | 弁証法
茅野良男は『弁証法入門』で次のように述べていた。
論理的なものはなぜこの三つの契機をもち、なぜこの三つの段階をたどるのでしょうか。私たちは、悟性は有限なものを無限なものの反射あるいは反照としてつかみ、理性は無限なものをつかむという、あのヘーゲル初期の思考を前提して、ようやく分かるといわなければなりません。それにしても、理性による絶対的なものの思考には、いつも悟性による認識が先行しなければならず、それが破れなければならないのです。弁証法に疑問をもつ人は、いつまでもここに固執するでしょう。
悟性と理性、有限と無限に対するヘーゲルの特異な捉え方が「論理的なものの三側面」の定式の背後にある。「対立する一項の内在的否定による進展」はヘーゲル哲学の中だけで成立する特異な進行形式といわなければならない。

マシュレは『ヘーゲルかスピノザか』の中で次のように述べていた。
それゆえ、それがどんなに魅力的にみえようとも、スピノザによって開かれた展望を、やがてカントによってたどられる展望に接近させることは、避けねばならない。しかし、ヘーゲル自身はこの混同におちいらないかというと、それはどうも怪しい。彼が行うスピノザに対する反論とカントに対するそれとは、秘かに共鳴しながら互いに呼応しあっている。この点が、スピノザ哲学についてのヘーゲルの誤解の鍵ではないだろうか。要するにヘーゲルは、スピノザのなかにカントを読んだかのようであり、スピノザの哲学的位置の革命的独自性を読むことができなかったのである。
ヘーゲルはスピノザのなかにカントを読む一方で、カントのなかにスピノザを読んだのである。また、ヘーゲルはスピノザばかりでなくカントも誤解したのである。ヘーゲル弁証法はスピノザとカントを継承する過程で形成された「論理的なもの」だった。それは弁証法の神秘的な解釈だったのある。(了)

参考文献
ヘーゲル・松村一人訳『小論理学』岩波文庫 1978年
城塚登『ヘーゲル』講談社学術文庫 1997年
島崎隆『ヘーゲル弁証法と近代認識』未来社 1993年
栗原隆「ヘーゲルとスピノザ」(『ヘーゲル』講談社選書メチエ 所収 2004年)

ヘーゲル弁証法の解釈11

2015-03-28 | 弁証法
6 「論理的なものの三側面」の定式

「規定的否定」と「二律背反の拡張」は統一される。積極的に把握しなおされたアンチノミーの地平で積極的に把握しなおされた否定性が機能し始める。普遍化した対立の中を否定が自己関係的に進展していく形式が出現した。「対立する一項の内在的否定による進展」の形式である。認識と存在の弁証法は一体である。

ヘーゲルが「アンチノミーの真実で積極的意味」として強調したものは、「規定的否定」と「二律背反の拡張」が統一されたものである。これが「論理的なものの三側面」の定式の基礎にある考えである。定式を見ていこう。

(1)〈否定〉(悟性――否定的理性)
理性のアンチノミーにおいて問題となるのは、いろいろな理由にもとづいてああ考えたりこう考えたりすることでもなければ、単に主観的な行為でもなく、どんな悟性規定でも、それをその真の姿において考察しさえすれば、直接にその反対物に転化することを示すことである。
これが「弁証法的側面あるいは否定的理性の側面」の定式になった。
弁証法的モメントは、右に述べたような有限な諸規定の自己揚棄であり、反対の諸規定への移行である。
(2)〈否定の否定〉(否定的理性――肯定的理性)
ところでアンチノミーの真実で積極的な意味は、あらゆる現実的なものは対立した規定を自分のうちに含んでおり、したがって、ある対象を認識、もっとはっきり言えば、概念的に把握するとは、対象を対立した規定の具体的統一として意識することを意味する、ということにある。
これが「思弁的側面あるいは肯定的理性の側面」の定式になった。
思弁的なものあるいは肯定的理性的なものは対立した二つの規定の統一 、すなわち、対立した二つの規定の解消と移行とのうちに含まれている肯定的なものを把握する。


ヘーゲル弁証法の解釈10

2015-03-27 | 弁証法
5 アンチノミーの拡張

ヘーゲルは、アンチノミーを拡張する。
古い形而上学の立場では、認識が矛盾におちいるのは偶然の過ちにすぎず、それは推理や論証における主観的誤謬にもとづくと考えられていた。カントによれば、これに反して、無限なものを認識しようとすれば矛盾(アンチノミー)におちいるということは、思惟そのものの本性なのである。
アンチノミーについて注意すべきもっとも重要なことは、アンチノミーは、宇宙論からとられた四つの特殊な対象のうちに見出されるだけでなく、むしろあらゆる種類のあらゆる対象のうちに、あらゆる表象、概念、および理念のうちに見出されるということである。
カント固有のアンチノミーは4つの限定されたものである。カントのアンチノミーの指示表出はスピノザ規定論の自己表出と関連することによって拡張される。これはスピノザの否定性を普遍化するため要請されたものである。カントの「認識」と「対立と矛盾」は、スピノザの規定論の自己表出と関連することによって存在化していった。

認識において偶然の過ちとして考えられていた「矛盾」は、無限なものの認識においては必然と考えられる。さらに、対立(矛盾)は認識だけではなく、存在にも普遍化されていく。対立(矛盾)が存在化される。アンチノミーはあらゆる現実的なものに存在するものとして拡張され、それと同時に理性は限界を越えて絶対化していく。

対立する二項を移行によって関連づける基礎が規定的否定である。他方、否定性を普遍化する基礎がアンチノミーの拡張である。それぞれが支えあい「対立(矛盾)」と「否定」は普遍化していったのである。

連翹(れんぎょう)

2015-03-26 | 日記
翹は鳥の尾の長い羽根のこと。この連なりで連翹なのだろうか。うつむいて咲く黄色い花と緑の葉。これはサッカー ブラジル代表ユニフォーム の色彩ではないか。英名はゴールデンベル (golden bells)、的を射た命名だと思う。高村光太郎が好んだ花。


小松菜のとう立ち

2015-03-24 | 日記
有効期限を3年ほどオーバーした種を植えた。期待通り発芽し生長した。スーパーで売られているのは早取りした葉である。その状態では取らずに放置した。春になってとう立ちしてきた。やわらかい花茎を食べる。葉も蕾も茎もいける。なばなと同じ理である。


雑草

2015-03-23 | 日記
新明解国語辞典より
ざっそう【雑草】1利用価値(観賞)が無いものとして注目されることがない草。農作物や栽培樹木の生長の妨げになる場合は取り除かれたりする。〔顧みる者が無くても繁茂し、踏みつけられても生長を続ける存在の意にも用いられる。例、「―のようにたくましい」〕〔取っても取っても―が生えて来る〕2知識が乏しいために、名前をいうことが出来ない、多くの草。「植物学的には―という草は無い」


目立つのはオオイヌノフグリだが、ここにはハコベもホトケノザもスズメノカタビラもスギナもある。草取りをしたが、雑草の主役はスズメノカタビラである。これからはスギナになるのだと思う。オオイヌノフグリやホトケノザは残したい気になる。

草取りのとき、ワケギの畝のなかをのぞいてみると、


ホトケノザ
スズメノカタビラ
ハコベ
オオイヌノフグリ

ヘーゲル弁証法の解釈9

2015-03-22 | 弁証法
否定は自己関係的に解釈されるようになる。例えば、AはBであると規定されると、AはBでないものとして捉えられるようになる。そしてこの否定態にはCやDへの移行が想定されはじめる。「規定は否定である」は「新たな規定を生み出すための自己否定」の意味を持ち始める。規定的否定によって認識の進展が生じるのである。規定的否定の構想の核心である。ヘーゲルは「否定」に対して「肯定」以上の積極的で建設的な役割を担わせたのである。

「規定は否定である」の意味は、スピノザでは他を否定する否定態であった。しかし、ヘーゲルでは自己を否定する否定態となり、しかも他への移行が可能になったのである。この「自己」と「他」にアンチノミーの二項が対応する。規定的否定は二項を関連づけるために要請された。しかし、「否定」は一項から開始されるために、共時的な否定ではなく通時的な否定という限定された形式で把握された。

スピノザの規定論の指示表出はカントのアンチノミーの自己表出と結合することによって、対立の二項に機能する場所を見つけ「規定的否定」となった。このときスピノザの規定論は、カントのアンチノミーの自己表出と関連することによって認識化していったのである。