武谷三男と広重徹の立場の違いを、1エーテル問題 2 光量子論と特殊相対性理論の関係にしぼって要約しておこう。
相対性理論の形成に関する武谷三男の見解の特徴は、次の2点である。
1 エーテルの否定は光量子論で最初に行われ、相対性理論はエーテルに立脚しない運動学である。
2 光量子論と特殊相対性論は対応している。
これに対して、広重徹の見解の特徴は、次の2点である。
1 相対性理論の成立のポイントは、エーテルを捨てるかどうかではなく、時間と空間概念の変更である。
2 光量子論と特殊相対性論は矛盾している。
武谷の見解と広重の見解を確認しておこう。
A 武谷三男
『量子力学の形成と論理Ⅰ』(1948年)より 引用中の括弧()は、原文にはなく後の説明のために、引用者がつけたものである。また表記を現代的に改めている。
この両理論の前後関係はまことに興味のあるところである。光量子理論をアインシュタインが書いたのは1905年の3月であり、特殊相対性理論の入り口の論文「運動物体の電気力学について」を書いたのは同年の6月である。この前後関係は単なる偶然ではないと考えねばならない。
実際アインシュタインはマイケルソン-モーレーの実験からだけエーテルを棄てたのではなくて、光量子論の立場からエーテルを棄てたのだといわねばならない理由がある。すなわち光量子論では先にのべたようにニュートンの光粒子説のような考えをアインシュタインは心にえがいていた。(これは当時までの考えすなわち光をエーテルの弾性波だとする考えとまったく異なり、それとは互いに相容れない考え方である。光をエーテルの振動とする考え方では、アインシュタインが行ったように光をガス分子のように扱ってこれに運動論を適用することはできない。また、アインシュタインはそのはじめの論文においてすでに古典電磁気論と光量子とは鋭く対立するものであることを述べている。)すなわち、その論文においてエーテルの振動などという考えで光を考えてはいない。それゆえ我々はアインシュタインによるエーテルの否定は、その相対性理論の論文によって最初になされたのではなく、その光量子論の論文において最初になされたといわねばならないのである。
こうしてエーテルという媒質が積極的に否定された以上、新たにエーテルにより所をもたない運動学を築く必要が起こったということができよう。すなわちマッハ的経験論がいうように、ただ観測されないエーテルを排止するという消極的な観点からではなかったことである。
(物体内における光、電磁場の性質のために考えられたエーテルの部分が、最初ローレンツの電子論によって、原子論というさらに明確な実体とその運動とに解消されてしまった。これでエーテルの矛盾の一つは除かれた。しかし)真空中の光、電磁場のための絶対静止のエーテル(が残されていたが、これ)も、より明確な光量子という実体とその運動に解消されてしまったのである。
B 広重徹
「特殊相対性理論成立の要因」(1960年)(『相対論の形成 広重徹科学史論文集1』所収)
広重は、武谷の見解を引用した後、次のように述べている。ただし、上で示した括弧の部分は省略して……で示している。
しかしこの説明も、エーテルを捨てることが相対性理論のキー・ポイントだとしている点では、本質的には伝統的説明の枠内にある。さらに、ここに引用した文章のおわりの部分からは、光量子という実体のkinematicsが特殊相対論であるというふうに受けとれるが、はたしてそうであるのか。むしろ、そのままでは光量子は相対論ときびしく矛盾するものであった。なぜなら、特殊相対論はその物理的内容からいって、“連続な”電磁場のkinematicsであったから、両者の一応の統一は量子力学の成立以後にもちこされねばならなかったのである。
筆者の見解では、物理学の論理的構造からいっても、当時の物理学の歴史的状況からいっても、特殊相対論成立のキー・ポイントはエーテルを捨てるか捨てないかというようなところにはなかった。一方では電磁場の物理的内容を明らかにすること、他方では物理学の理論構成の枠としての時間・空間をその物理的内容からとらえ直すこと、この2つの要因の相互作用が特殊相対論を生みだしたのである。
特殊相対性理論の成立過程をめぐる武谷と広重の論争は、上の二つの引用が発端で、安孫子誠也が、『アインシュタイン相対性理論の誕生』(講談社現代新書 2004)のなかで取りあげているものである。安孫子誠也は、武谷三男を擁護し、広重徹を批判している。
二人の見解は次のような文献で補充されていった。
1 武谷三男「量子力学の形成と論理Ⅰ」1948年
2 広重徹「特殊相対性理論成立の要因」1960年
3 武谷三男「アインシュタインが相対性原理を発見するまで」1964年
4 広重徹「相対論はどこから生まれたか」1971年
5 長崎正幸「量子力学の形成と論理Ⅰ」(再刊)の解説 1972年
6 広重徹「19世紀のエーテル問題」1974年
7 広重徹「エーテル問題・力学的世界観・相対性理論の起源」1976年
これらを参考にして、わたしなりに相対性理論の形成過程を描いていきたいと思う。