海王星の発見はニュートン力学形成過程の本質論的段階を特徴づける例だった。「ニュートン力学の形成について」(武谷三男)を読んだ誰もがそのように受け取っていたと思う。わたしもそうであった。しかし、「ニュートン力学の形成について」を注意深く読んでいると、武谷は違った展開を示していて驚いたことがあった。
武谷は実体論的段階から本質論的段階へ移行するとき3つの形態を区別している。その第1の形態に海王星の導入を取り上げている。
(引用はじめ)
実体論から本質論への移行において3つの形態が存在する。第1は実体の導入が直ちに本質論に導く場合であって、それはその実体が新たなる性質のものではない場合、すなわち海王星の導入、立体化学、物質構造論などである。
(引用おわり)
海王星の導入によって実体論から本質論へ移行したかのような指摘になっている。しかし、海王星の導入は段階の移行をもたらしてはいない。海王星の導入はニュートン力学がすでに本質論的段階にあったから、その理論的段階を特徴づけているだけである。
課題はすでに解決されていたのである。そもそも実体が「新たな性質のものではない」とき、対象認識が移行するはずはないのである。どうしてこのような区別をしたのだろうか。海王星の導入?立体化学?物質構造論?など?!
(注)
第2は実体が全く機能に解消される場合(フロギストン、エーテル)、第3は全く新たな実体であって、新たなる論理を要求しているものである(ニュートン力学の運動方程式、原子における量子力学)。
武谷は実体論的段階から本質論的段階へ移行するとき3つの形態を区別している。その第1の形態に海王星の導入を取り上げている。
(引用はじめ)
実体論から本質論への移行において3つの形態が存在する。第1は実体の導入が直ちに本質論に導く場合であって、それはその実体が新たなる性質のものではない場合、すなわち海王星の導入、立体化学、物質構造論などである。
(引用おわり)
海王星の導入によって実体論から本質論へ移行したかのような指摘になっている。しかし、海王星の導入は段階の移行をもたらしてはいない。海王星の導入はニュートン力学がすでに本質論的段階にあったから、その理論的段階を特徴づけているだけである。
課題はすでに解決されていたのである。そもそも実体が「新たな性質のものではない」とき、対象認識が移行するはずはないのである。どうしてこのような区別をしたのだろうか。海王星の導入?立体化学?物質構造論?など?!
(注)
第2は実体が全く機能に解消される場合(フロギストン、エーテル)、第3は全く新たな実体であって、新たなる論理を要求しているものである(ニュートン力学の運動方程式、原子における量子力学)。