対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

海王星の発見と武谷三段階論

2018-07-31 | ノート
海王星の発見はニュートン力学形成過程の本質論的段階を特徴づける例だった。「ニュートン力学の形成について」(武谷三男)を読んだ誰もがそのように受け取っていたと思う。わたしもそうであった。しかし、「ニュートン力学の形成について」を注意深く読んでいると、武谷は違った展開を示していて驚いたことがあった。

武谷は実体論的段階から本質論的段階へ移行するとき3つの形態を区別している。その第1の形態に海王星の導入を取り上げている。
(引用はじめ)
実体論から本質論への移行において3つの形態が存在する。第1は実体の導入が直ちに本質論に導く場合であって、それはその実体が新たなる性質のものではない場合、すなわち海王星の導入、立体化学、物質構造論などである。
(引用おわり)
海王星の導入によって実体論から本質論へ移行したかのような指摘になっている。しかし、海王星の導入は段階の移行をもたらしてはいない。海王星の導入はニュートン力学がすでに本質論的段階にあったから、その理論的段階を特徴づけているだけである。
課題はすでに解決されていたのである。そもそも実体が「新たな性質のものではない」とき、対象認識が移行するはずはないのである。どうしてこのような区別をしたのだろうか。海王星の導入?立体化学?物質構造論?など?!

(注)
第2は実体が全く機能に解消される場合(フロギストン、エーテル)、第3は全く新たな実体であって、新たなる論理を要求しているものである(ニュートン力学の運動方程式、原子における量子力学)。


演繹/帰納とphilosophy

2018-07-30 | アブダクション
演繹と帰納は、deductionと inductionを西周が翻訳したものである。duction(導)に対してde(出)とin(入)で、対照的に翻訳すれば、導出と導入である。演繹と帰納では関連がわかりづらいと思っていたが、これは漢字に対する知識がないことに起因しているのではないかと思うようになった。演繹と帰納を分析してみると、「演」「繹」は、「引き出す」の同義語、「帰」「納」は「納める」の同義語である。「導」は方向を指していると考えれば、同義語を繰り返すことによって、演繹は出す方向、帰納は入れる方向を指している。これは、語源を踏まえた忠実な翻訳のように思える。

呉智英はdeductionと inductionに対して、出理、入理を提案した。わたしは演繹より出理、帰納より入理のほうがわかりやすいと思う。しかし、語源自体に「理」は欠如しているのではないかと思う。語源では「何」から出すのか、「何」に入れるのかは問題になっていない。
deductionと inductionは方向だけを示していて、philosophyのような構造(philo-「希(こいねがう)」、sophia「知」、希哲学)を示していないのである。

「理」を補足し同義語を追加して、演繹から入理、帰納から出理を導いてみよう。

演繹→演繹理→演出理→出理
帰納→帰納理→納入理→入理


帰納とアブダクション

2018-07-27 | アブダクション
米盛裕二はポリアの発見的推論(「発見的三段論法」)がパースのアブダクションの形式と同じであることを指摘している(『アブダクション』)。しかし、ポリアが「帰納的推論」に留まり、帰納とは異なる「重要な方法的特性を見落としている」のではないかと疑問を呈している。

ポリアの発見的論理(「発見的三段論法」)に対する自身の位置づけは次のようなものである。『いかにして問題をとくか』(How to Solve It)
(引用はじめ)
「〈発見的推論〉とか、〈帰納的推論〉あるいは(すでに存在する言葉の意味を拡張することを好まなければ)〈そうらしいという考え方〉と呼ぶことができる。ここでは最後の呼び方を採用する。」(柿内賢信訳)
(We could call the reasoning that underline this kind of evidence) “heuristic reasoning” or “inductive reasoning” or (if we wish to avoid stretching the meaning of existing terms) “plausible reasoning.” We accept here the last term.(G.Polya)
(引用おわり)
これに対する米盛裕二の疑問は次のようなものである。
(引用はじめ)
ここでポリアが「そうらしいという考え方」という呼び方をしているのははなはだ曖昧で、それは発見的推論が普通の帰納よりも弱い蓋然的推論であるということを意味しているようにもとれますが、しかしその蓋然的推論が帰納的推論なのか、それとも帰納とは違う別の種類の蓋然的推論なのかは明確ではありません。
(引用おわり)
ポリアは『いかにして問題をとくか』では「そうらしいという考え方」と言っているが、『発見的推論そのパターン』(数学における発見はいかになされるか2、PATTERNS OF PLAUSIBLE INFERENCE、Mathematics and Plausible Reasoning 2 )では「帰納的パターン」と言っている。
(引用はじめ)(柴垣和三雄訳)
(前略)つぎのような蓋然的推論の一つのパターンがある。
AはBを含蓄する
Bは真である 
Aは信頼が増す
(If A then B
 B true    
 A more credible)
この型を基本的な帰納的パターン、あるいは幾らか簡潔に「帰納的パターン」と呼ぼう。
この帰納的パターンは別に驚くべきことをいってはいない。反対に、それは理性的な人なら疑うとは思えない信念: 結果の確証は推測の信頼性を増す、ことをいい表わしている。少し注意すれば、日常生活において、法廷において、科学において、等々、このパターンに従うと思われる推論は数限りなく見られるのである。
(引用おわり)
米盛と同じように、わたしにもポリアの発見的三段論法はパースのアブダクションの形式と同じだと思える。しかし、それは米盛と違って、「帰納とは違う別の種類の蓋然的推論」であるのは明確であるようにみえる。
米盛裕二のポリアへの疑問はパースのアブダクションを絶対視する考え方からみちびかれているのではないだろうか。わたしには、ポリアの「帰納的パターン」はパースのアブダクションを「帰納」の側面から見直す契機を示しているのではないかと思われる。



帰納の分割

2018-07-26 | アブダクション
米盛裕二によれば、パースの帰納は3つに分かれる(『アブダクション』)。観察された事例の一般化(単純・量)と探究の過程での役割(質)に着目したものである。
1 単純帰納…「単純枚挙による帰納法」(ベーコン)
2 量的帰納…数学的確率論にもとづく帰納
3 質的帰納…仮説を実験的にテストし検証する方法
アインシュタインの思考モデルに位置づけている帰納は3の質的帰納である(SEA)。1と2は帰納が「仮説」が前提になっていることに基づいてEJA(アブダクション)に入れることになる。


クマゼミとアブラゼミ

2018-07-25 | 庭の小動物
昨日、夜になっても外からチチ…ジジ……と鳴き声が聞こえるので、今朝起きたら確かめるつもりでいた。ニイニイゼミの可能性があると思っていた。しかし、それらしいセミも脱殻も見つけることができなかった。
朝からセミが鳴いていた。これはクマゼミだろう。シャシャ…とテンポが速い。クマゼミ(熊蝉)は黒くて大きいのが名前の由来だろうか。午前中に鳴くようである。実際、午前10時に鳴き止んで静かになってしまった。庭に出てみるとクマゼミとアブラゼミがいた。

連れ立っているのを見たのは枇杷の木だけだったが、それぞれは庭のあちこちにいた。庭で見たのはこの2種類だけだった。アブラゼミ(油蝉)は、鳴き声が油で揚げるときのジジ…という音というよりも、油紙のようにみえる翅に由来しているのではないだろうか。不透明な翅の蝉は世界でも珍しいのだという。
アブラゼミは午後になって鳴く蝉のようである。しばらく庭は静かであった。午後4時近くになって、ジジ…ジジ…とアブラゼミが鳴きはじめた。

昨日、今日、明日。

2018-07-24 | 庭の草木
紅葉葵は日曜日から咲き出した。夏に似合う赤い花。モミジアオイは一日花で、朝に咲いて、夕にしぼむ。

右下が昨日咲いていた花、中央左が今日開いた花、中央上が明日開く花。これはわたしの身長ほどの高さ。
一番高い(2メートルほど)紅葉葵は1輪咲いている。

こちらは、今日、明日、明後日。

暑い日がつづく

2018-07-23 | 日記
昨日、1階の居間で冷房をつけて過ごしていた。妻にせかされてネットで市内の気温を調べることになった。市内に観測所はないからどこのデータを使っているのだろうと思っていたらA市であった。午後3時で全国5位の気温であった。最終的に7位に落ちたが、たいへん暑い日であった。2階の部屋は窓を開けっぱなしにしていたが、38.5℃を示していた。
今日も暑いが、ベスト(ワースト?)10位には入っていない。2階の部屋は38.5℃である。今日も1階に避難している。外からヒヨドリの鳴き声が聞こえた。双眼鏡で確かめると近くの電柱に止まって鳴いている。冬鳥と思い込んでいたヒヨドリである。直射日光を浴びている。暑いだろうなと思う。

シオヤアブ

2018-07-20 | 庭の小動物
猛暑が続いている。しばらく前に庭に出てみると、見かけない昆虫がいた。最初は枇杷から飛んで、花桃に止まった。なにかアンバランスな体型と白い尻が特徴だった。その後、ナンテンやユスラウメに止まっているところを見かけた。今日やっと、レンギョウの葉にとまっているところを撮った。

シオヤアブ(塩屋虻)。白い尻(毛の束)はオスの特徴で、白色を塩に見立てたのが名前の由来。肉食で、他の昆虫を奇襲して体液を吸い取るという。スズメバチも襲うことがあるというからすごい。庭では蛾や蜂や蝉が犠牲になっているのだろう。

紅葉葵のつぼみ

2018-07-19 | 紅葉葵、栽培記録
本家の紅葉葵は4本、すでに2メートル近くに生長して、いくつも大きな蕾をつけている。

2年目の紅葉葵は、合わせて6本、70センチほどに成長して、注意してみれば、小さな蕾をいくつかつけている。

昨年は1輪だけ咲いたが、今年は5輪ほどは咲くのではないかと期待している。
東側には10数本生長していて、そのうち3本は50センチほどに伸びている。しかし、どれにも蕾は見当たらない。

あざみ

2018-07-18 | 庭の草木
洗濯物を干しているとき、なんとなく西側の通路を見ると、南天の前に、桃色の花が目に留まった。このごろ庭ではカンナのオレンジ色しか見ていなかったので、思いがけない桃色だった。

蕾にも棘(トゲ)、葉にも棘。あざみの漢字は薊だが、魚の骨のような棘を刀(りっとう)と見立てたのだろう。

夏がすぎ風あざみ、夏まっさかり夏あざみ。