対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

萌黄色

2016-01-29 | 日記
若草色(わかくさいろ)かなと思った。色見本を見ると少し違う。明るさが足りない気がする。萌黄色(もえぎいろ)に近い。春の黄緑色。
ふきのとうの花である。まだ総苞片に包まれている。

マクスウェルの間違い

2016-01-28 | εとμの複合
木幡重雄はes/em=cと考えていた(『電磁気の単位はこうして作られた』)。いいかえればes/emに速度の大きさと次元を見ていた。この間違いを指摘するために、「エーテル」(1875年)を取り上げた。そこでマクスウェルは速度の大きさをem/esに見ていた。しかしマクスウェルはem/esに速度の次元も見ていた可能性がある。いいかえればマクスウェルはem/es=cと考えていた可能性がある。

マクスウェルは、静電単位系の電気量は「長さの単位と力の単位の平方根に比例して変わる」([LF1/2])こと、他方、電磁単位系の電気量は「時間の単位と力の単位の平方根に比例して変わる」([TF1/2])ことを指摘した後、次のように述べているのである。
(引用はじめ)
したがって電磁単位の静電単位に対する比は、ある長さの、ある時間に対する比となり、言い換えれば、この比はある速度となる。そして長さ、時間、質量の単位として何を選んでも、この速度は同一の絶対的な値をとるはずのものである。
(引用おわり)エミリオ・セグレ著「古典物理学を創った人々」(「FNの高校物理」より孫引き)
電磁単位の静電単位に対する比em/esは静電単位が基準になっているから、 [TF1/2]÷[LF1/2]である。これは[T/L]で、「ある時間の、ある長さに対する比」となり、速度の次元[L/T]の逆数である。これはマクスウェルの指摘とは違っている。ここだけなのだろうか。それとも「エーテル」(1875年)とも連動しているのだろうか。もし連動しているとしたら、マクスウェルは、大きさと次元の違いに気づかないまま、em/es=cと考えていたことになる。

計算?

2016-01-27 | εとμの複合
『オイラーの公式がわかる』(原岡喜重著/ブルーバックス)に「マクスウェルの大発見」という節がある。真空中の電磁波が伝播する速さはγ=1/√(ε0μ0)になるが、この速さをマクスウェルは計算で求めたとある。
(引用はじめ)
ε00はそれぞれ真空の誘電率と透磁率で、それぞれの値が定まっている定数です。したがってγ=1/√(ε0μ0)も決まった値となり、計算で求めることができます。マクスウェルがこの値を計算したところ、
        γ=2.99792458×108 m/s
という値が得られました。驚くべきことに、この値は光速度とぴったり一致するのです。つまり真空中の電磁波は、光と同じ速度で伝わるのです。このことからマクスウェルは、光も電磁波の一種ではないかと考えました。
(引用おわり)
MKSA単位系のε0μ0の値を使って、1/√(ε0μ0)が光速になることを確認する本は見たことがあるが(例えば、『物理入門』山本義隆著/駿台文庫)、マクスウェルが計算して求めたというのは初めてである。トンデモ大発見。

1/√(ε0μ0)の値は、ε0μ0の値から直接に計算で求められたのではない。1/√(ε0μ0)の値は電荷の静電単位と電磁単位の比に反映されており、電荷を測定しその比を求めることによって間接的に決定されていったのである。

日の出の時刻

2016-01-26 | 日記
今日の日の出の時刻は6時55分である。調べてみると6時30分より遅くなったのは11月中旬(19日)である。ラジオ体操は6時30分にはじまるが、休みがちになったのは11月下旬、日の出の時刻と対応している。暗くてやる気が失せたのだろう。12月上旬に少しやったが、それ以降まったくやっていない。寒いのもあるが一番は暗いからである。日の出の時刻が6時30分より早くなるのは2月下旬(22日)である。それまでは休もう。

ケ・セラ・セラ2

2016-01-25 | 日記
「なるようになる」として知られている「ケ・セラ・セラ」(Whatever will be,will be.)は、正しくは「起こるべきことは必ず起こる」と訳すべきものである。鹿島茂氏が「起こるべきことは必ず起こる」(映画「裸足の伯爵夫人」の中で語られる伯爵家の家訓)を『悪の引用句辞典』でとりあげた理由の一つに商業道徳の風潮への疑問があった。
(引用はじめ)
かねてより疑問に思っていたことだが、データ改竄や賞味期限の書き換えなどを行っているメーカーや商店は、いずれ自分たちの不正が露見すると予感することはないのだろうか?偽装を施せば露見は「起こるべきこと」となる。当分は露見しないかもしれないが、時がくれば「起こるべきこと」は必ず「起こる」のである。
(引用おわり)
映画「裸足の伯爵夫人」(1954年)が公開されたとき、《Che sarà,saràケ・サラ・サラ》は「起こるべきことは必ず起こる」と正しく訳されていたという。しかし、今のビデオでは「なるようになる」に変わっている(わたしも見たが、確かに「なるようになる」であった。字幕/松浦美奈)。これはドリス・デイ「ケ・セラ・セラ」の日本語訳の影響だろう。たしかに鹿島氏が指摘するように「なるようになる」では行為の意味付けが逆転してしまう。「逆らう」行為が「従う」行為になってしまう。
この訳の変化に鹿島氏は日本社会の深層の変化を感じる。
(引用はじめ)
「起こるべきことは必ず起こる」から「なるようになる」へ。この変容は、日本人の商業的道徳の衰退と軌を一にしてはいないだろうか?
(引用おわり)
その通りなのだろう。やっちゃえ、Naruyohninaru。今も続く商業的道徳の衰退である。やってはいけないことをやってしまうのである。「なるようになる」のではなく、「起こるべきことは必ず起こる」の自覚が求められているのである。

ケ・セラ・セラ

ファラデーの法則?

2016-01-22 | まちがい発見
『オイラーの公式がわかる』(原岡喜重著、ブルーバックス)は、コンパクトでわかりやすい。とくに8電気回路に感心した。そこではオイラーの公式を利用して直流のオームの法則を交流に拡張してある。E=RIからEc(t)=ZIc(t)へ。
しかし、こんなところもある(9電磁波)。
(引用はじめ)
空間の中に電荷があると、そのまわりにはクーロンの法則によって電場が発生します。その電荷が動くと、それはすなわち電流が流れたことになり、ファラデーの法則によってそのまわりには磁力線が発生します。
(引用おわり)
ファラデーの法則?これはアンペールの法則ではないだろうか。

玉ねぎの芽

2016-01-21 | 日記
保存している玉ねぎから芽が出て伸びてきていた。そのまま食べてもよいらしいが、畑に植えると葉が伸びてきて、葉玉ねぎのように食べられるという。2玉だけだが、畑に植えた。

εとμの複合9

2016-01-19 | εとμの複合
5 1/√(με)es/emの関係
あとがき

5 1/√(με)es/emの関係

マクスウェルが1/√(εμ)の速さを推論するとき、参考にしたのはes/emの比だった。それは速さの次元をもっていたからである。そして、1/√(εμ)es/emは比例定数k1k2 k3を媒介して関連していたからである。
1/√(εμ)は[k11/2k21/2k3-1LT-1 ]である。他方、es/emは[k1-1/2k2-1/2k3LT-1]である。
1/√(εμ)は速さの次元をもち、大きさk11/2k21/2k3-1である。es/emは速さの次元をもち、大きさk1-1/2k2-1/2k3である。
1/√(εμ)es/emは同じ速さの次元をもつ。しかし、大きさは同じではない。1/√(εμ)の大きさはes/emの逆数em/esと同じになるのである。マクスウェルはes/emの比を参考にしたが、速さの次元と大きさを切り離して参考にしたのである。
木幡重雄はQ/Qm=cと考え(Q/Qmes/emのことである)、次のように述べている。「この比の値は、本論文では種々の電流の単位で考察されているが、現代的単位に換算した結果はc=3.11×108 m/secとなる。当時の実験装置を考慮すると、このように光速に近い値が得られたということに感心せざるを得ない。」あるいは「WeberとKohlrauschは、同じ電気量を静電単位で測定した値esと電磁単位で測定した値emとの比を求め、その値が光速になることを知った。」
これはまちがっている。Q/Qmの値は1/cである。しかし、Q/Qm=1/cとすると、こんどは次元が合わなくなる。ちなみにcの文字は、ラテン語celeritas(speedの意味)に由来するという。

1/√(εμ)=es/em=c
 これは速さの次元としての等式である。
1/√(εμ)=em/es=c
 これは速さの大きさとしての等式である。

マクスウェルは1875年の「エーテル」という記事の中で、電磁波の伝搬速度について次のように述べている。
(引用はじめ)
この速度の計算のためのデータは、電磁気単位系を静電単位系と比較するために行なわれた種々の実験によって提供されている。
The data for making the calculation are furnished by the experiments made in order to compare the electromagnetic with the electrostatic system of units.
(引用おわり)
ここでは電磁気単位系(the electromagnetic system of units) が「比べる量」で、静電単位系(the electrostatic system of units)が「もとになる量」(基準)であることが明白である。マクスウェルはem/es=cとみていることがわかる。
1/√(εμ)=cを導くとき、マクスウェルは静電単位と電磁単位の比(es/em)をいわば止揚したのである。止めたのは大きさである。揚げたのは次元である。
マクスウェルは変位電流を仮定し、電気力線と磁力線を真空中に描いた。εμ は複合され、電磁波として真空中を伝播する。電磁波は、同じように真空中を伝播する光と関連づけられる。1/√(εμ)=v1/√(εμ)=cとなったのである。

イヌホウズキ

2016-01-18 | 日記
ジャノヒゲの実の青色は深みがあって大変好きである。その青を見るために庭に出ていたら、黒色と緑色の実が目に付いた。小さな花も付けている。ナスの葉と花に似ている。以前調べたはずだが、名前が出てこない。ひ弱で小さい株が何カ所かにある。午後、散歩している途中に同じ植物があった。力強いし背丈も高いが、花も同じ、実も同じ黒と緑である。街路樹の下にたくさんある。
夕方、気になって調べ始めた。すぐにはわからない。そのうち、エクセルにメモを残していたことを思い出した。メモを開いて花のイメージがわかない名前を検索してみると、それだった。イヌホウズキ(犬酸漿)。ホウズキに似ているが役立たないことからの命名らしい。イヌは「犬」ではなく「否」という説もあった。毒草だという。最近はアメリカイヌホオズキが増えているらしい。これは花の色が白ではなく、紫がかっているという。写真はアメリカイヌホオズキなのかもしれない。