対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

マンゴーの新葉と若葉

2019-09-30 | マンゴーの栽培記録
8月下旬に撮ってから、しばらくしたら、葉が緑になった。それ以降、1か月ほど、見た目はまったく変わりがなかった。しばらく前に見ると、新葉が出ていることに気づいた。緑の若葉の上に茶褐色の新葉が出ている。これがまた緑に変わる。よく見ると、次の新葉が準備されている。いま15センチほどになっている。上へ上へと葉を増やしながら伸びていくのだろう。


エイトンと山本義隆を読み比べる8

2019-09-27 | 楕円幻想
ケプラーの『新天文学』第56章の「目覚め」をあきらかにするために、単純な図を提示してみよう。

これはケプラーの楕円軌道発見の図の中心部分を取り出したものである。山本義隆と比較するために、記号は変えてある。Eは離心円上の点、Fは楕円上の点(観測結果が示す点)、Bは離心円の中心、Aは太陽である。山本義隆の楕円軌道発見図では、太陽Aと離心円上の点Eを結ぶ線はなく、∠BFAが5°18′と考えられている。この図ではAEは結ばれていて、∠BEAを5°18′と考えている。この2つの点で、これは山本義隆の発見図に対するアンチテーゼである。
エイトンは「目覚め」を次のように述べた。
「太陽から惑星への距離FAはEB、すなわち離心円の直径へのEAの投影に等しい」
   FA=EA・cos(∠BEA)=EB
どのようにこの考えにケプラーが至ったのかといえば、ぼうだいな数の数値の中から、特別な数値が目に留まったからである。
上の図の線分はすべて長さが決まっている。それを取り出してみよう。
離心円の半径EBは1、離心距離BAは0.09265、切り取る三日月の幅EFは0.00429である。これをもとに、直角三角形に着目し三平方の定理を使って、FA、EAを求めることができる。
直角三角形FBAに着目して、FA2=(1-0.00429)2+0.092652より、FA=1.00001≒1。
直角三角形EBAに着目して、EA2=12+0.092652より、EA=1.00428≒1.00429。
まとめると、FA=1、EA=1.00429である。そして、EB=1である。
ケプラーは次のように述べていた。(ここから半径は1ではなく100000である。)
(引用はじめ)
全く偶然に最大の視覚的均差を測り取った5°18´という角度の正割に思い至った。この値が100429であることを見たとき、まるで新たな光のもと、眠りから目覚めたかのように、以下の推論をし始めた。平均的な長さを取る所で均差の視覚的部分が最大になる。平均的な長さを取る所で三日月形つまり距離の短縮分が最大になり、ちょうど最大の視覚的均差の正割100429 が半径100000 を上回る分になる。したがって、平均的な長さを取る所で正割の代りに半径を用いると観測結果のとおりとなる。
(引用おわり)
正割は余弦の逆数である。EB・sec(∠BEA)=EAである。この関係を数値で表せば、100000sec(5°18′)=100429となる。正割と半径(底辺)は100429と100000である。その差は429である。また半径100000は観測結果(太陽と惑星への距離)100000と同じである。「最大の視覚的均差を測り取った5°18´という角度の正割」の値100429が、EAとEBとFAをつなぎ合わせて、「目覚め」を支えている。まずEA=EB・sec(5°18′)、次にFA=EB。そしてFA=EA・cos(∠BEA)=EBだったろう。
ケプラーは「正割EA(100429)の代りに半径EB(100000)を用いると観測結果FA(100000)のとおりとなる」と推論する。これが求めていた方法である。これで離心円から三日月形を切り取った軌道(楕円)になるだろう。半径(直径距離)を媒介にすればよい。

「正割の代りに半径を用いると観測結果のとおりとなる」は、「円軌道を放棄すると同時に、その円形性からの外れ」(山本義隆の表現)の端的な表現である。「正割」EAはプトレマイオスである。「観測結果」FAはティコ・ブラエである。そして、「半径」EBはケプラーである。ケプラーは半径(直径距離)を媒介にして、「離心円から三日月形を切り取った軌道(楕円)」を展望する。円周距離EAの代わりに、直径距離EBを用いると、求めていた軌道が得られる。「円から楕円へ」の歩みが、『新天文学』第56章で始まったのである。

山本義隆の楕円軌道発見の説明や図には「正割の代わりに」が欠如している。エイトンの3段階の「直径距離の法則」に対して、山本の「直径距離の法則」は2段階である。そこには、ティコ・ブラエとケプラーだけがいて、プトレマイオスは見当たらないのである。それでは「直径距離」の媒介性が明確にならない。正割EAは盲点になっているのである。
EとAが結ばれていないから∠BFAを5°18′と考えたのか、∠BFAを5°18′と考えたからEとAを結ばなかったのかはよくわからない。いずれにせよ、「正割の代わり」が欠けていることは、離心円上に端点をもつ「正割」(EA)を離心円から切り離し(FA)、離心円上に頂点をもつ5°18′(∠BEA) を離心円から切り離す(∠BFA)ことになった。
△BEAではなく、△BFAに注意がそそがれ、次のような誤った「目覚め」が演出されたのである。
   FAFBsec(5°18′)=(1-0.00429) (1+0.00429)a≒a=EB

(つづく)














彼岸花が咲いていた

2019-09-26 | 日記
朝のラジオ体操が終わった後、なんとなく茶の木の辺りを眺めていると、赤い花が咲いていることに気づいた。ヒガンバナ(彼岸花)だと思ったが、どうしてそこに咲いているのか心当たりがなく、近づいていった。やはり、ヒガンバナである。1本だけある。

咲いているのが3つ、つぼみが5つある。花にはおしべが6本(先が紫のもの)、めしべが1本(先に何もないもの)ある。ヒガンバナは花が咲いた後に、葉が出てくるのだという。たしかに花茎が長く伸びて先に花があるが、途中には何もない。
ヒガンバナは種ができず、球根で増えるのだという。ますます、ここに咲いている訳が分からない。水仙と同じで、球根以外にも増える方法があるのだろう。おそらく鳥か風がヒガンバナの何かを運んできたのだと思う。
画像は午前7時ころのものだが、その後、何度か見に行った。午前中は、あまり変化はなかったが、午後になって、おしべの先端の紫色の袋は取れて黄色になっていた。また、つぼみが開きはじめて、おしべの先の紫色が覗いていた。明日にはすべて咲くと思われる。

昨日に続いて、思いがけない花1輪。

秋なのにサツキが咲いていた

2019-09-25 | 日記
朝は寒いくらいだったが、だんだん暖かくなってきた。昼はほとんど夏の日差しである。洗濯物を取り込んだ後、庭を歩いていると、サツキ(皐月)が1輪だけ咲いていた。次に咲きそうな蕾もなく、この1輪だけである。花芽らしきものはいくつかある。季節外れのせいなのだろうか、花びらもおしべも弱々しい感じがする。


エイトンと山本義隆を読み比べる7

2019-09-24 | 楕円幻想
火星が離心円上にある場合と楕円上にある場合の火星-太陽間の距離について見ておこう。端緒と一般化に分けてそれぞれ確認しておこう。
ここでは楕円HFIを前提にするので、離心円と楕円は1:√(1-e2)の比(例えば、KL:ML)に分割されることは前提である。また、離心円の半径を1、離心率をeとする。

1、端緒でのAE、AFの距離

離心円上の火星-太陽間の距離AEは△EABに着目して、三平方の定理より、
AE 2 EB 2AB2
=12+e2
したがって、 AE √(12+e2)=(12+e2) 1/2
離心率eは十分小さいので、べき展開して2次までとると次のようになる。、
AE =1+e2/2

楕円上の火星-太陽間の距離AFは△FABに着目して、三平方の定理より、
AF 2 FB 2AB 2=(√(1-e2))2+e2=1
したがって
AF =1

楕円上の火星-太陽間の距離AF=1は半径EB=1と等しく、
また、離心円上の火星-太陽間の距離AEと半径EBは、AE cos(∠AEB)=EB の関係にある。

2、一般化でのAK、AMの距離

AKは△KABに着目する。余弦定理より、
AK 2=12+e2-2・1・e・cos(π-β)=12+e2+2・1・e・cosβ=12+e2+2ecosβ
したがって、
AK =√(12+e2+2ecosβ)=(12+e2+2ecosβ) 1/2
離心率eは十分小さいので、べき展開して2次までとると次のようになる。
AK =1+ecosβe2/2・sin2β

AMは△MALに着目する。三平方の定理より、
MA 2 AL 2ML 2
ここで、
AL AB BL e+cosβ
ML ML /KL ・sinβ=√(1-e2)・sinβ
である。したがって、
AM =√( AL 2ML 2)=1+ecosβ
である。

楕円上の火星-太陽間の距離AM=1+ecosβ1は直径距離KT=KB+BT=1+ecosβに等しく、
また、離心円上の火星-太陽間の距離AKと直径距離KTは、AKcos(∠AKT)=KT の関係にある。

一般的な位置と端緒の位置を対応させれば次のようになる。端緒の位置はβ=90°だから、cos90°=0、sin90°=1である。

AK=1+ecosβ+e2/2・sin2β  → AE=1+e2/2
AM=1+ecosβ       → AF=1
KT=1+ecosβ       → EB=1

これらを背景にして、ケプラーの「目覚め」を見てみよう。ケプラーは離心円上の軌道から三日月形を切り取る理由とその方法を考えている。軌道は楕円ではないかという予感はある。切り取る三日月形の最大の幅は429で、図のF点は求める軌道上にあることはわかっている。ケプラーはE点とF点を見つめる。

(つづく)

エイトンと山本義隆を読み比べる6

2019-09-23 | 楕円幻想
「一般化」
「新しい光に眠りから覚まされた」あとは、次のようになっている。
(引用はじめ)
そしてケプラーはこの関係を一挙に軌道上のすべての点に一般化した。

すなわち、図で火星が点Mにあるとき、Mから長軸線HIに下ろした垂線の足をL、この垂線MLのLと反対側で円と交わる点をK、離心アノーマリーを∠HBK=ββ=∠HBMではない)として、太陽Aから火星Mまでの距離r=AMは、離心円(半径a、離心率eの直径KJへの直線AKの斜影の長さ、つまりAからこの直径KJに下した垂線の足をTとして、
r=KT=KB+BT=a(1+ecosβ)
で与えられると考えたのである。このKTはケプラーが「直径距離」と名づけたものに他ならない。
(引用おわり)
ケプラーは離心円上の位置から三日月形を切り取る方法を考えている。それゆえ、第56章では点Mは決まっていない。それを点Mから始めているのだから、山本の展開は文脈を無視した特異なものである。しかし、山本の「端緒」と「一般化」が整合していないかといえば、そうではなく、整合している。つまり、山本がここでみているのは、火星―太陽間の距離(観測結果)は直径距離に等しいということだけだからである。これが山本義隆が第56章に見ている「直径距離の法則」である。エイトンの「直径距離の法則」が3段階(1円周距離、2直径距離、3観測結果)であるのに対して、山本のは2段階(1観測結果、2直径距離)なのである。対照すれば〈「正割(円周距離)の代わりに」のない「直径距離の法則」〉である。軌道上のすべての点に一般化した「この関係」というのは、3段階ではなく2段階の「直径距離の法則」だった。これをこれまでうまく読みとれなかった。こちらの問題意識を投影して混乱していたのである。

一般化では、真の距離AMと直径距離KTを、直径距離の定義にしたがって、つないでいる。
  AM=直線AKの射影の長さ=KT=KB+BT=a(1+ecosβ)
端緒では、真の距離FAと直径距離EBを、直径距離の定義ではなく計算で、つないでいた。
  FA=FBsec(5°18′)=(1-0.00429) (1+0.00429)a≒a=EB
山本の「端緒」と「一般化」を比べて、統一されていないと思ってきた。例えば、端緒で「直線AEの射影の長さ」でつないでいないところに不整合を見てきたのだが、それは3段階の「直径距離の法則」を基礎にしていたからである。しかし、観測結果と直径距離が同じだとする2段階の「直径距離の法則」では整合していたのである。

エイトンが『新天文学』第56章でみているのは「円軌道を放棄すると同時に、その円形性からの外れ」(山本義隆の表現)だが、山本義隆がみているのは「円形性からの外れ」だけであると述べた。「円形性からの外れ」は「円軌道の放棄」を意味するから、山本義隆も第56章に「円軌道を放棄すると同時に、その円形性からの外れ」をみているともいえるかもしれない。しかし、エイトンと比べると、明らかに違っている。その意味で、やはり後半しか表現されていないのである。「円軌道の放棄」(「正割の代わりに」)は山本義隆において「盲点」となっている。たしかに、山本の「楕円軌道発見の図」ではEとA、KとAは結ばれておらず、実際に山本義隆にはEAとKAは見えていないのである。

EとA、KとAを結んだ「楕円軌道発見の図」において、「円軌道を放棄すると同時に、その円形性からの外れ」の端緒をまとめておこう。

(つづく)

エイトンと山本義隆を読み比べる5

2019-09-20 | 楕円幻想
エイトンが『新天文学』第56章でみているのは「円軌道を放棄すると同時に、その円形性からの外れ」(山本義隆の表現)だが、山本義隆がみているのは「円形性からの外れ」だけである。いいかえれば、エイトンは「正割の代りに半径を用いると観測結果のとおりとなる」過程をすべてみているのに対して、山本義隆は「半径を用いると観測結果のとおりとなる」だけをみている。「正割の代わりに」が抜けているのである。

山本義隆は火星―太陽間の距離が「直径距離」で与えられることだけを楕円軌道発見と考えている。間違っているわけではないが、半分しか正しくない。「直径距離」の媒介性をみていないといえよう。直径距離(半径)は、円周距離を放棄させ、観測結果(真の距離)につなげる役割を担っている。この役割に着目していない。

これまで山本義隆では「端緒」と「一般化」が整合していないと強調してきた。それは無意識のうちに「正割の代わりに」を考慮していたからである。しかし、「半径(直径距離)を用いると観測結果のとおりとなる」だけ、火星―太陽間の距離が「直径距離」で与えられることだけを楕円軌道発見とする立場からすれば、「端緒」と「一般化」は整合していることがわかる。どのように整合しているか確認しておこう。
「端緒」
(引用はじめ)
さらなる新しい局面への突破口は、ここで火星-太陽間の距離が、先に述べた「直径距離」で与えられることに偶然気づいたことにある。そのことをケプラーは、離心アノーマリーが90度になり火星軌道が円からもっとも外れたときの三日月の幅(図のEF間の距離)が離心円の半径a=BFBEの誤植、引用者注)の0.00429倍であること、そのとき∠BFAが5度18分で、そのセカント(余弦の逆数つまり1/cos5°18′)が1.00429であることからひらめいたと証言している。つまりFB=(1-0.00429)aにたいして
FA=FBsec(5°18′)=(1-0.00429) (1+0.00429)a≒a=EB
に気づき、この「新しい光に眠りから覚まされた」のである。

(引用おわり)
「そのとき∠BFAが5度18分で、そのセカント(余弦の逆数つまり1/cos5°18′)が1.00429であることからひらめいたと証言している」。和訳にはない。独訳や英訳でもケプラーが∠BFAが5度18分であるといっているとは思えない。これは、山本義隆がケプラーに偽証させた可能性が高い。しかし、とにかく、∠BFA=5°18′を使って、火星―太陽間の距離FAが「直径距離」(半径)EBに等しいことを「計算」で導いている。もちろんこれはエイトンがケプラーに見る「目覚め」とは違うものである。

「一般化」
(つづく)

エイトンと山本義隆を読み比べる4

2019-09-19 | 楕円幻想
『新天文学』第56章の核心は、ケプラーが三日月形を切り取る方法に気づいたことである。それは「平均的な長さを取る所で正割の代りに半径を用いる」ことだった。そして、この方法を「離心円上の他の位置」においても一般化することによって、ケプラーは楕円軌道への道を歩み始めた。

『新天文学』第56章と山本義隆の「第56章」の分析を比較していて、最初に気づいたことは山本義隆には「正割の代わり」が抜けていることだった。また、最大の視覚的均差5°18′の位置が『新天文学』とは違っていることだった。いいかえれば、山本が掲げる楕円軌道発見図とその説明に違和感をもったのである。

この図には、ケプラーの図のENとKN(離心円上の点と太陽Nをむすぶ線分)が欠如している。これなしにはケプラーの「目覚め」を把握できないとして、わたしは次のように山本の図にEAとKAを追加して論じてきた。


都築正信も「ケプラーの火星楕円軌道について」において、山本義隆の「第56章」の分析に、「端緒」と「一般化」が整合していないとして、疑問を述べている。わたしも同じように考えていたのである。

山本義隆の「直径距離の法則」(エイトン)を取り上げるとき、「端緒」と「一般化」の不整合を指摘するこれまでの展開を反復すればよいと思っていた。しかし、突如、これまでになかった見方が浮かんできた。それは次のようなものである。わたしたちは(わたしだけでなく、エイトンも岸本良彦も都築正信も)、第56章に、山本義隆の表現を借りていえば、「円軌道を放棄すると同時に、その円形性からの外れ――現代的に表現すれば対称性の破れ――」の端緒を見ている。しかし、山本義隆は第56章にはこれを見ようとしないのである。この姿勢が、わたしたちには不可解と思われる楕円軌道発見図が山本義隆において正当化されている理由のように思われたのである。これは『新天文学』第56章の分析としては間違っている。しかし、山本義隆の「第56章」の分析は彼の内的論理として一貫しているように見えてきたのである。

(つづく)

アゲハがどこかに止まるのを待った

2019-09-18 | 日記
3時間ほど庭にいた。最初、南側の道路沿いを剪定した。柿、連翹、楠、南京ハゼ、山茶花。美的というよりも実用的に。通行のじゃまにならないように、また風通しが良いように剪定した。また、東側の枇杷の木を切り詰めた。チェーンソーも使ったし、普通のノコギリも使った。これで鳥が止まれるような枇杷の木はなくなってしまった。前に切り詰めた枇杷から枝葉が伸びてきている。高く伸ばさないようにしなければならない。ときどき晴れ間はあったが、だいたい曇り空だった。それでも2キロほど汗をかいた。明日は後始末をする予定である。
蝶が舞っていた。アゲハは顔の近くまで近づいてきて、ゆっくり羽ばたくことが何度かあった。ツマグロもいた。最初見つけたのはメスだったが、追っかけてみるとオスもいた。蝶は瞬間移動ではないかと思うほど、高速で移動することがある。アゲハ(ナミアゲハ)が止まるのを待った。蜜柑、南天、花桃などをあちこちした後、やっと枇杷の若葉に止まった。

エイトンと山本義隆を読み比べる3

2019-09-17 | 楕円幻想
ケプラーが一般的な結論を下したときの訳注に次のようにある。
(引用はじめ)
注040
このケプラーのことばに従うと、左の図で離心アノマリアβに属する距離はMS=rではなくて、MB=rcosφ=1+ecosβ(ただしMO=1、e=OSは離心値)ということになる。この数式が楕円に関する関数に見られることは言うまでもない。すなわち、この時点でケプラーはすでに軌道が楕円であることを明らかにしているはずだが、ケプラー自身はまだそのことに気づいていない。注059参照。

(引用おわり)
図の記号を補足しておこう。P1は遠日点、P2は近日点である。Mは火星(惑星)、Qはエカントの点、Oは離心円の中心、Sは太陽である。アノマリアとは遠日点を基準とする角度で、αは平均アノマリア、βは離心アノマリア、υは真アノマリアである。∠QMSを均差といい、物理的均差Ψと視覚的均差φからなる。均差は平均アノマリアαと真アノマリアυの差、また視覚的均差φは離心アノマリアβと真アノマリアυの差である。
注059(これは第59章にある)も見ておこう。
(引用はじめ)
注059
直径距離(もしくは直径上の距離)とは、注040の図で、太陽から惑星までの距離rを対応する円の直径上に投影したもので、いま視覚的均差をφとすれば、rcosφになる。ところが楕円に対応する円の半径を1とし、離心アノマリアをβとすれば、これは1+ecosβの形に書き表せる。そしてこれが後で述べるように、まさに楕円軌道上にある惑星の太陽からの距離にほかならない。したがって、すでに先の注で述べたように、ケプラーはこの式に相当するもの出してきた第56章で楕円軌道を発見していたことになる。
(引用おわり)
このように読んでくると、エイトンの要約、ケプラーの第56章の本文、岸本良彦の訳注は整合していることがわかる。円周距離を直径距離に置き換えることによって、ケプラーが楕円軌道を発見した(火星-太陽間の正しい距離を求めた)という認識が共通している。また、視覚的均差は離心円上の角度であり、その最大の大きさ5°18′は∠HENを指すことも自然に導かれると思われる。

視覚的均差が円周距離と直径距離を関連させていて、その最大の大きさ5°18′の正割(100429)が、円周距離(100429)の代わりに直径距離(100000)を用いることを気づかせてくれたことも納得できる。たしかに、それが円軌道から楕円軌道への端緒(「目覚め」)になっていたのである。

しかし、山本義隆は5°18′を∠HBNとし、さらに円周距離(ENとKN)を消去した楕円軌道発見の図を掲げている。記号の違いはあるが、同じ円と楕円と見ていいだろう。(『世界の見方の転換3』)

これは和訳された『新天文学』(ラテン語から翻訳された)を読むかぎりありえない展開である。ここに和訳を利用できなかった影響が出ていると思われる。山本義隆は独訳と英訳の『新天文学』を併用していた。これらはラテン語(和訳)と同じ内容のはずである。しかし、違う内容が書かれているかのようなのだ。山本義隆の読み方はエイトンとは違っている。エイトンが正しいのだから、山本義隆が誤っているのである。山本義隆は第56章を正しく読み解いていないと思う。

山本義隆の「直径距離の法則」を取り上げよう。

(つづく)