対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

飛騨の「年取り」を尾張でも

2024-12-27 | 飛騨
飛騨では大晦日に「年取り」を行っていた。年を重ねる祝いである。全国的にはお節料理は正月からだが、飛騨では大晦日の夜から始まる。この祝いには必ず「ブリ(鰤)の塩焼き」が出た。

いまは尾張にいるが、それでも大晦日に「年取り」をやっている。近くの仕出し屋さんに頼んで焼いてもらったブリに、お節の重、それに飛騨の酒(「蓬莱」や「白真弓」)で祝っている。

「さくら」2(古川祭、起し太鼓)

2024-04-19 | 飛騨
昨年の秋、「さくら」の再放送をやっていることに気づいた。国会中継と重なって変則的な放送になっていたが、今年になって終わった。ときどき見ていた。

最終回には、ハワイから帰ってきたさくら(高野志穂)が桂木(小澤征悦)と会う場面があった。そのときは古川祭の夜、「起し太鼓」が進行している最中、場所は瀬戸川沿いの大銀杏の下である。とてもいい感じの再会であった。起し太鼓の映像も流れていた。

古川祭は4月19日・20日、高山祭の5日後である。今日19日は起し太鼓、明日20日は屋台巡行である。「動」の起し太鼓、「静」の屋台と形容される。

起し太鼓の櫓の上に乗ったことはないが、その櫓の担ぎ手には何度か出たことはある。また、付け太鼓で町中を巡ったこともある。屋台は、中学生のとき「龍笛台」で太鼓をたたいていた。そのころ屋台は女性禁制だったが、いまは解禁されている(担い手不足なのだろう)。

今日と明日が古川祭である。天気は良さそうである。

「さくら」1

2023-11-20 | 飛騨

今、「さくら」をやっている (NHK、午後3時15分前)。2002年の朝ドラの再放送である。主人公さくらが、家庭訪問で生徒の家がある飛騨古川に来る辺りで気が付いた。勤めていた会社の上司が大ファンで、私が飛騨古川出身ということもあって、話しかけてくるのだった。もう20年も前のことになる。さくらは生徒のこの家に下宿することになる。

この下宿先のモデルは「三嶋和ろうそく店」で、観光客が立ち寄るコースにある。ドラマの店先は現物とほぼ同じだが、奥行きはドラマ独自のものである。最初は、三嶋の家の奥行きが深く、本当にあんな作りになっているのか、帰省した時に、確かめに行ったことがある。ちなみに、私の実家はローソク店の通りを数百メートル下がったところにあった。この通りは小学校や高校の通学路だった。

同級生 A さんの兄が高校の先生役として出演していた。またドラマの方言指導を担当していた。 

 

つづく


飛騨古川駅2

2022-09-26 | 飛騨
天気が不安定で、いつ飛騨古川に行くか、迷っていた。日曜日、久しぶりに行ってきた。墓参りと親戚への挨拶である。 三連休の最後の日でもあり、いつも停める市役所の駐車場が満車で、駅裏の若宮駐車場に停めることになった。ここから街中へ行くとき跨線橋を通る。ここは映画「君の名は。」にイメージとして登場している場所である。

以前(2016年)、映画を見たとき、下りのワイドビューひだが、上りの車線に入ってくるのを見て、違和感を持った。しかし、映画の中の話であり、そのまま受け入れるべきであった。跨線橋を渡るとき、下りの列車が通過したばかりで、駅にはどちらにも列車は停まっていなかった。

思えば、昔の駅の跨線橋は写真に写ってる橋だけで、写真を撮っている橋はなかった。

「やわう」の英訳と漢字訳

2020-06-29 | 飛騨
「やわう」が通じなかった。昨夜、子供が米を洗っているときのことである。飛騨地方では何かを「準備する」ときに「やわう」と表現する。子供がご飯を炊く準備をしていたから、使ったのだが、通じなかった。英訳すればprepareだが、漢字ではどう書くのだろうか。説明できなかった。

今日、古語にそれらしい言葉がないかと辞典を見たが、なかった。ネットで調べてみると、「やわう」(名詞化すると「やわい」、祭りのやわい)は、飛騨地方と郡上、東濃のごく限られた地方でしか使われていないという。「やわう」には「準備する」の他に「着飾る」という意味もある。

「やわう」の漢字表記に「矢合う」あてる記事、「和う」(古語、和(やわ)す)をあてる記事があったが、どちらもピンとこない。漢和辞典を見ていると、1.身支度、2.支度する(用意する)の意味をもつ、「装」が一番近いように思った。「装(やわ)う」である。「よそおう」は全国共通の訓読みだが、飛騨地方限定の訓読み「やわう」ということにしておこう。

「うむす」のイ音便化

2020-03-18 | 飛騨
「うむす」が通じなかった。朝、妻や子供と話していたときのことである。「蒸す」の意味の飛騨の方言である。尾張では使われていないようだ。飛騨では「むす」も「うむす」も使っている。
「うむす」は古語としてあったのだろうか。手元の古語辞典には載っていなかった。ネットで調べていて、「サ行イ音便」という問題があることを知った。これは「話した」が「話いた」とイ音便化するものである。しかし、中世から「サ行イ音便」は衰退しはじめ、近世江戸ではほとんど見られず、いまでは方言に残っているだけだという。

例えば、栗の皮を剥いた後に、これを蒸す動作を連続させるとき、
「クリをむいて、むして、」(栗を剥いて、蒸して、)は通じる。しかし、「蒸す」を「サ行イ音便化」すると、
「クリをむいて、むいて、」(栗を剥いて、蒸いて、)となって、通じにくくなる。「蒸す」はイ音便をともなわない。
しかし、「うむす」(「う蒸す」の書くのだろう)を使うと、
「クリをむいて、うむいて、」(栗を剥いて、う蒸いて、)となり、飛騨では十分通じる。「うむいて」は「むして」の意味で、「うむす」には「サ行イ音便」がしっかりと残っている。

「う蒸す」の「う」に漢字をあてるとどう書けばいいのだろうか。「うむす」は古語にあったのではないだろうか。

「大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 文法」参照

横谷峡の4つの滝

2019-08-27 | 飛騨
横谷峡には4つの滝がある。何年か前の家族旅行の帰りに滝を見に行った。最初の白滝と次の二見滝は見たが、三番目の滝までの距離が800メートルほどあって、あと二つはあきらめてしまった。今年はそのリベンジをすることになった。ひそかな人気だった。何組かの家族連れや二人連れにあった。

山のなかはミンミンゼミの大合唱である。ツクツクボウシの声も聞こえた。渓流の白や緑や青や透明な水の色。流れの音も心地よい。道には崩れた岩があちこちにあった。上り坂なのでかなりの運動量のはずだが、汗もそれほどかかず、むしろ清涼感を感じていた。途中、川沿いの遊歩道から出てきた地元の人がいた。ヒルの被害にあって、ちょうどヒルを見つけた時で、わたしたちにヒルを見せてくれた。思っていたより、小さかった。何匹かいて、そのうちの1匹は立ち上がっていた。

3番目の紅葉滝。音とともに流れ落ちる滝の水。滝つぼに近づく。しぶきが飛んでくる。ミストがひろがっている。小学生の子供が滝に向かって石を投げていた。
4番目の鶏鳴滝は落差33メートル。4つのうち一番高い。今回のメインである。老夫婦が腰かけて滝を眺めていた。場所によってはしぶきでびしょぬれである。これはミストというよりミセストだろうか。
3人とも大満足で降りてきた。帰りは行きより短く感じるとか、こんど来るときは黄金姫パークの方を歩きたいとか話しながら。見に来てよかったと思う。

横谷峡の4つの滝(西エリア)

金山巨石群

2019-08-26 | 飛騨
はじめてここを訪れたとき、こんなところに、こんなものが、よくもあったものだと感動したものである。何の情報もなかった。何年か前、夏の終わりに行く家族旅行の帰りに立ち寄った。
それ以降、何回かそばを通ったのだが、立ち寄ることはなかった。しかし、今年は久しぶりに立ち寄った。訪れたとき、わたしたち家族だけだったが、巨石群を見ていると、1台観光バスがやってきた。大勢の観光客が出てきた。これまでなかったことなので、ひそかな人気があるものだと感心していた。するともう1台、観光バスがやってきた。金山町で観光を売りに出しているようなのだ。
巨石群は縄文時代の天体観測所だったのではないかといわれている。特定の日(春分、夏至、秋分、冬至)に岩の隙間から太陽の光が差し込むように設計されているというのである。事実かどうかは別として、やはり巨石の存在は圧倒的であった。

金山巨石群

「ぼっかさ」は「歩荷」だった

2019-07-17 | 飛騨
「ぼっかさ」は飛騨弁で、荷物を運ぶ人(職業人)のことだった。小さい頃は荷車を引いている「ぼっかさ」を見かけたものである。いまでいう宅配便で、頼んで荷物を届けてもらっていたのである。「ぼっかさ」の漢字表示など考えても見なかったが、どうやら「歩荷」と書けばいいようだ。「歩」いて「荷」を運ぶのである。交通機関が発達して「ぼっかさ」は死語になってしまった。今では、山小屋に荷揚げするときなど、どうしても歩かざるを得ないときだけに「歩荷」は残っている。しかし、山で荷物を背負って運ぶことだけが「歩荷」ではない。平地で荷車を引いて運ぶことも「歩荷」である。「ぼっかさ」は飛騨弁だが、「ぼっか」は他の地方でも使われていたのではないだろうか。

令和と飛騨古川

2019-04-08 | 飛騨
新しい元号が「令和」(れいわ)に決まった。それに関連して飛騨古川がテレビ(全国)に出てきて2度驚いた。
最初は「令和」と同じ字で「れな」と読む子供が飛騨古川にいるという報道。
次は、全国民が注目した「令和」の文字が飛騨古川出身の書家、茂住菁邨(修身)の筆であったこと。何度も見ている駅の看板「飛騨古川」や店の看板「古里精肉店」も茂住氏の作品だった。飛騨市は飛騨古川にある茂住氏の作品を巡る散策地図を配布し始めている(祝「令和」記念散策マップ)。