目次は次のようになっている。
1 双子の微笑
2 アンチとヘテロとパラ
3 ひらがな弁証法
4 新しい弁証法的精神
5 「対立物の相互浸透」のゆくえ
6 弁証法の理想型と現実型
双子の微笑2006
中埜肇は、弁証法を考察するさいに、理想型と現実型を区別した。(『弁証法』)
弁証法の理想型とは、弁証法の語源である「対話」を、言語的・歴史的な起源としてだけでなく、本質的な始元・意味内容の原点としてとらえたもので、「対話をモデルとした思考」・「対話的思考」のことである。
これに対して、弁証法の現実型とは、歴史に現れたさまざまな形態の弁証法のことである。
複合論は、中埜肇の弁証法を引き継ぐものである。しかし、わたしの考える理想型は中埜とは違っている。
中埜肇は対話の特徴として「二個の主体」を挙げたが、弁証法の構造的な特徴を整理するとき、「二個の主体」を捨てている。このために、中埜の理想型は対話的思考として十分に展開されず、ヘーゲルの正・反・合という三つ組(トリアーデ)形式と結びついてしまった。
これは中埜肇の理想型の核心にある考えである。というのは、弁証法の歴史を概観して、弁証法とトリアーデは、歴史的には必然的・本質的な連関はないと強調する一方で、次のようにも述べているからである。
「弁証法」ということばと正・反・合という三つ組(トリアーデ)形式とは歴史的にはヘーゲルにおいて初めて結びつくことになる。(ただし第一章で述べたように、対話の思想的構造を分析すれば、その本質上トリアーデ形式が必然的に導き出される。だからヘーゲル以前の弁証法の諸形態のなかで、「弁証法」がトリアーデと結びつけて考えられなかったことのほうがむしろ不思議なことだと言われなくもない。)
わたしが考える弁証法の理想型は、「二個の主体」を弁証法の構造的特徴として取り入れたものである。
弁証法試論 第5章 対立物の統一と対話 3対話をモデルとした思考方法
理想型の内容は中埜肇のものとは違っている。それだけではない。弁証法の理想型と現実型の関係も違っているのである。
中埜肇が取り上げた弁証法の現実型には、次のようなものがある(引用してある哲学事典を基にして作成)。
1 論理的な結果を吟味することによって反駁する方法(エレア派のゼノン)
2 万物流転(ヘラクレイトス)
3 問答による産婆術(ソクラテス)
4 詭弁的な推論(ソフィスト)
5 分割の方法、もしくは類を種へとくりかえし論理的に分析する方法(後期のプラトン)
6 特殊の場合とか仮説から遡ってゆくある推論のプロセスによって、最高の普遍性をもった抽象的な概念を探究すること(中期のプラトン)
7 単に蓋然的であったり、ただ一般的に承認されているにすぎない(不確実な)前提を用いる論理的な推論や議論(アリストテレス)
8 論理学(ストア派、ヨーロッパの中世全体)
9 超越的な対象を取扱うために経験を越えようとして理性が落ちこむ矛盾を示すことによって、仮象(超経験的なものについての思考内容)の論理を批判すること(カント)
10 定立と反定立を歴てこの対立の総合に達するところの思想と実在の論理的な発展(ヘーゲル)
11 単独者の「あれかこれか」の選択(キルケゴール)
12 自然・社会および思惟の一般的運動法則についての科学(マルクス主義)
中埜肇は、理想型と現実型の関係を次のように述べている。
このような理想型がそのままのかたちで思想の歴史に登場したことはない。たとえば前に挙げた哲学事典に記されたさまざまの弁証法は、思想の歴史のなかに実際に登場したものであるが、それらはすべてここに私が構想した理想型から派生した誘導体である。あるいはこの理想型をテーマ旋律として、これにさまざまの作曲技法を加えることによってできあがった変奏曲であるということもできよう。しかもそこで加えられた技法がきわめて複雑なために、変奏曲のなかにはもとのテーマ旋律との間の共通性や関連性を疑わせるほどテーマから離れてしまったものも現実にはいくつか登場した。しかし詳細に見れば、どんなに奇妙な変奏曲のなかにもテーマは何らかのかたちで響いているはずである。
弁証法の現実型は理想型から派生した誘導体であり、理想型をテーマ旋律とした変奏曲だと言っている。いいかえれば、すべての現実型には理想型が内在していると想定している。
これに対して、わたしは、すべての現実型とは別の場所に理想型があると考える。すなわち、理想型がそのままのかたちで思想の歴史に登場したことはないという想定は中埜と同じだが、理想型はすべての現実型の外に存在していると考えているところが違っている。
弁証法という曲名で奏でられてきたさまざまな旋律。反駁、流転、問答、詭弁、分割の方法、イデアへの道、蓋然的な推論、論理学、仮象の論理、正反合、選択、一般的運動法則についての科学。これらはすべて弁証法の誤った旋律である。誤ったという形容が極端なら、あいまいな旋律である。人類は、2500年の試行錯誤の後に、テーマ旋律(「対話をモデルとした思考方法」)を発見したのではないかとわたしは考えているのである。
理想型はもともと存在していたのではなく、20世紀になって初めて発見されたのである。「変奏曲のなかにはもとのテーマ旋律との間の共通性や関連性を疑わせるほどテーマから離れてしまったものも現実にはいくつか登場した」のではなく、もともとテーマ旋律は存在しなかったのである。存在したのは、弁証法ということばとそれぞれに固有の旋律だけである。
弁証法といえば、ヘラクレイトスの「万物流転」である。しかし、この連想は、ヘーゲルとマルクス主義によってもたらされたもので、たかだか、19世紀以降の現象にすぎないのではないと述べたことがある。
実際、アリストテレスは、ヘラクレイトスではなく、ゼノンの帰謬法(背理法)を指して、弁証法の始まりを見ているのである。
おそらく、これまでの歴史をつらぬく弁証法の普遍的なイメージは「論理学」である。
沢田允茂によれば、始まりは、次のようである。
アリストテレス以前、すでにエレア学派やプラトンにおいて論理は論理学という独立した学問としてではなくて、たがいに敵対する論者が相手の議論を論破するという具体的な状況のなかでの技術として用いられた。このような技術がlogic とよばれないで、dialecticsとよばれたのもこの故である。(「哲学と論理学」岩波講座哲学 10 論理 所収)
中世から近世では、次のようである。
もちろんロジックという名前でよばれるようになったのは13世紀ごろになってであって、それまでは、アリストテレスでは、すべての学問のための道具 organon と呼ばれ、ストア学派では弁証法 dialectic すなわち対話論争の技術や方法を意味することばで呼ばれている。16世紀になるとふたたび「論理学」(ロジック)にかわって「弁証法」(ディアレクテイク)という名称が優勢となり、17世紀には、また「論理学」という名称が一般的になっている。(『現代論理学入門』)
沢田允茂は、アリストテレス的形式論理学に対して、三種類の反動があったという。一つは、経験科学的な反動である。すなわち、ベーコンにおいて、アリストテレスでは不完全な形のままに残されていた帰納的推論が「新しい道具」として提出される。二つめは、幾何学・代数学からの反動である。すなわち、形式論理学よりもはるかに形式化が進んでいた数学の方法を取り入れることによって、論理そのものの形式化をより推し進めていこうとする試みである。三つめは、認識論的・形而上学的な反動である。すなわち、形式論理学の形式性そのものに対する懐疑から出発するカントの先験的論理学やヘーゲルの弁証法的論理学の試みである。(『現代論理学入門』参照)
このような三つの試みは、科学、論理学、弁証法を掘り下げていくことになった。そして、20世紀になって、弁証法と論理学の分離を明確にしたのである。沢田允茂は次のように述べている。
形式論理学は現実の生成変化を否定するどころか、それを十分に表現できる。弁証法と形式論理学とはその意味で矛盾するものでもなければ対立するものでもない。弁証法の重要さは形式論理学にとって代わるような領域にあるのではなくて、形式論理学とはまったく別の問題に関係しているものである。(『現代論理学入門』)
20世紀になって、弁証法は論理学から解放されたのである。そして、自由になった場所に「対話」が甦る。プラトンが『国家』で作った「弁証法」(ディアレクティケー)に見合う固有の領域が見いだされたのである。
古代ギリシアの dialectics は、理想型の対話でもなければ、理想型の弁証法でもない。この意味では中埜肇の次のような指摘は正しいといえるだろう。
しかし私はこういうソクラテス的な問答が真の対話であるとは考えない。何となればこの問答では知識探究の主体はつねに問うほうの側にあって、答える側は問う側の信念を確認するか、せいぜい自分の知と無知とを悟らせられるにすぎず、両者はけっして平等に真理探究に参加しているとは言えないからである。それが証拠に答える側の発言内容は原則として「イエス」と「ノー」に限られ、内容を持った主張にはなっていないのである。ところが「対話」とは先にも述べたように、平等な権利と資格とを持った二人の語り手の、対立した内容を持った主張の動的な関わり合いである。だからつきつめて考えれば、ソクラテスの「問答」は本質的にはまだ「論駁」(エレンコス)という、いわば技術的な段階にとどまっており、学問の方法として自覚された弁証法ではなかったと言えよう。(『弁証法』)
弁証法の理想型と現実型。弁証法の現実型のリストに、複合論を付け加えておこう。
13 対話をモデルとした思考方法で、対立を統一する技術(喜一郎)
藤沢令夫は「弁証法」を「意味不明瞭な言葉」・「硬直した訳語」と考えていた(『プラトンの哲学』)。わたしは違うと思った。「弁証法」は「ディアレクティケー」と正確に対応した訳語である、と。弁証法の「弁」はディアレクティケーの「ディア」と対応し、「証」は「レクティケー」と対応していると思う。「意味不明瞭」・「硬直」は、「弁証法」ということばではなく、そこに盛り込まれた内容にあるのではないだろうか。
「国語辞書・マクシコン」の「弁証法」の項に、次のようにある。
誰がいつどこで初めて Dialektikを弁証法と訳したのかは知りません。「弁証」という言葉の「弁」は「辨」とするなら「刀などで半分に切る」という意味であり、「辯」とするなら「二人の言い争いを分けて収める」という意味です(角川漢和中辞典)。
そこから「辯」には「論争する」という意味も出ています。従って「弁証」という言葉は「道理を弁別して明らかにする、あるいは証明する」という意味となります。 Dialektikの訳語としてなかなかのものだと感心します。
語学が堪能な人に、このようにいってもらえると、たいへん心強い。
ウィキペディアに投稿する「許萬元」の原稿をまとめていたとき、「ヘーゲル」のなかの「主な著作」の投稿者が、高く許萬元を評価しているのを知った。
「ヘーゲル論理学の研究」の項で、マルクス・エンゲルス・レーニンの古典に並べて、許萬元の三部作(『ヘーゲルにおける現実性と概念的把握の論理』『ヘーゲル弁証法の本質』『認識論としての弁証法』)を紹介していたのである。
その投稿者の「不朽の名著」という許萬元の評価は、すでに「本文」にはないもので、「履歴」の中から拾い上げたものである。
「主な著作」は、今年(2006年)の9月下旬、トラブルに巻き込まれていた。投稿者の翻訳書や研究書についての批評が「個人的見解」という理由で勝手に削除されてしまったのである。いろんな人がいるのだなあと思う。
しかし、このトラブルのおかげで、わたしたちは一つ、ブログを見られるようになったのである。
いま(2006年12月2日)、「主な著作」を見ると、ただ「著作」が並んでいるだけである。また、「ヘーゲル論理学の研究」の項がなくなっている。当然ながら、わたしがクリックした許萬元のリンクもなくなっている。削除する必要があったのだろうか。
「許萬元の弁証法」
「主な著作」の項目はいずれなくなるかもしれない。
「主な著作」は、次のようだった。「個人的見解」である。