ニュートン力学の形成に関する武谷三段階論は知っていた。しかし、相対性理論の形成過程について武谷が三段階論を提出していたということは知らなかった。今年になって、『アインシュタイン相対性理論の誕生』(安孫子誠也著 講談社現代新書 2004)のなかで、はじめて知ったのである。
武谷三男は、科学理論の発達における「武谷の三段階論」を定式化した人物として有名である。それによると、プランクの熱輻射論は現象論の段階、アインシュタインの光量子論は実体論の段階、特殊相対性理論は本質論の段階に相当すると述べている。
武谷三男は、自然を科学的に認識していく過程には、次のような質の異なった三つの段階があるという考え方を提示した。
1 個別的に事実を記述する現象論的段階
2 現象が起こる実体的な構造を想定し、この構造を媒介にして、現象を整理し法則性を捉える実体論的段階
3 諸実体の相互作用の法則を認識する本質論的段階
ニュートン力学が形成された過程でいえば、観測結果を蓄積したティコ・ブラエの段階が現象論的段階、法則性を洞察したケプラーとガリレイの段階が実体論的段階、天上の法則と地上の法則を統一したニュートンの段階が本質論的段階である。
武谷の関心は量子力学にあり、素粒子論の研究を進めていく科学方法論として三段階論は構想された。素粒子論の研究段階は実体論から本質論への移行を模索しているのではないかという武谷の直観がはじまりだったと思う。その判断を確定しようとして、武谷は、ニュートン力学の形成過程を反省した。
ニュートン力学の形成についての三段階論は、「ニュートン力学について」(『弁証法の諸問題』所収)のなかで明確に展開してあるものである。しかし、相対性理論の形成過程での三段階論は、独立の論文としてではなく、『量子力学の形成と論理Ⅰ』(1948年)で述べられている次のような展開を整理したものと思われる。
量子力学の形成についても同様である。熱輻射のエネルギー分布やスペクトル法則のような現象論的知識が単なる経験の記述として整理されて量子力学が出来たのではなく、実体的な光粒子や電子、原子構造の認識が確立されてはじめて量子力学が形成されたのである。原子模型の決定は原子物理学史上重要な一段階である。これは原子核物理学についていうと1930年から最近に至る十数年の段階に相当するものである。
またこれを相対性理論の発展ということから見ても重要な問題であって、弾性エーテルという実体的な観念が19世紀初めに提出され、様々の矛盾をうみながら、これが一方において原子構造に、他方において光量子という、より明確な実体が定立されることによって、解消して初めて相対性理論という本質論的段階に達したのであった。
相対性理論の形成についての武谷三段階論は、詳しい分析にもとづいて提出されているといえるのだろうか。わたしにはそのようにはみえない。また、わたしには、この三段階論は、きわめて窮屈な見方になっているように思われる。アインシュタインはプランクの熱輻射論をきっかけに、光量子を想定した。しかし、アインシュタインは光量子という実体をもとにして相対性理論の「本質論的段階」を形成したのではないように思われる。
武谷が、プランクの熱輻射論を現象論的段階・アインシュタインの光量子論を実体論的段階と捉えている過程を、アインシュタイの「自伝ノート」と対応させれば、次のところになるだろう。
このような考察のおかげで、一九〇〇年を少しすぎたころ、すなわち、プランクの画期的な研究のでた直後には、すでに私には、「力学」と「電磁気学」のどちらもが(限定的な場合を除いて)厳密な正確さを要求しえないものだとわかっていた。
プランクの熱輻射論が契機になったことには違いはない。しかし、1900―1905年の間で、相対性理論の形成にとって大事なことは、光量子という明確な実体が定立されたことではなく、「厳密な正確さを要求しえないもの」として「力学」と「電磁気学」が捉えられたことではないだろうか。相対性理論は、実体論的段階が本質論的段階に移行することによってではなく、この「力学」と「電磁気学」が「複合」されることによって、形成されるのである。
さて、相対性理論の形成に関する武谷の理解に立ち入ってみることにしよう。その特徴は、「エーテルの否定は光量子論で最初に行われたのであり、特殊相対性理論とはエーテルに立脚しない運動学だった」(安孫子誠也)というところにあると思われる。
光量子論をアインシュタインが書いたのは1905年の3月であり、特殊相対性理論の入り口の論文「運動物体の電気力学について」を書いたのは同年の6月である。この前後関係は単なる偶然ではないと考えねばならない。実際アインシュタインはマイケルソン-モーレーの実験からだけエーテルを棄てたのではなくて、光量子論の立場からエーテルを棄てたのだといわねばならない理由がある。……アインシュタインはそのはじめの論文においてすでに古典電磁気論と光量子とは鋭く対立するものであることを述べている。すなわち、その論文においてエーテルの振動などという考えで光を考えてはいない。それゆえ我々はアインシュタインによるエーテルの否定は、その相対性理論の論文によって最初になされたのではなく、その光量子論の論文において最初になされたといわねばならないのである。こうしてエーテルという媒質が積極的に否定された以上、新たにエーテルに拠所をもたない運動学を築く必要が起こったということができよう。(『量子力学の形成と論理Ⅰ』)
わたしは以前に、ニュートン力学の形成過程を、複合論の立場から展開した。こんどは、相対性理論の形成過程について、三段階論とは異なった認識過程を提出しようと思う。