板倉聖宣は「仮説実験授業」の提唱者として知られているが、「発想法としての弁証法」という考え方も提出している。
はじめに
1 特徴
2 複合論との共通点と相違点
3 形成の経緯
4 初期の考え方
はじめに
三浦つとむの弁証法と複合論の違いは、「弁証法2004」にまとめてあるが、対照をよりはっきりさせようと思って、『弁証法・いかに学ぶか』(季節社)を読んでいた。発行者あとがき(中原しげる)に思いがけない発見があった。そこには板倉聖宣の弁証法の考え方が紹介してあったのである。
板倉聖宣氏は、科学と哲学についての考察をふまえて、次のようにいう。――― 「弁証法は科学ではない。それはいわばコトワザみたいなもので、一つの発想法にすぎない。だから、弁証法的に考えたからといって、正しい認識であるなどというわけでは全くない。正しいか間違っているかは、弁証法が決めるのではなく、実験のみが決めるのである。」 まことに明解である。こう考えると、弁証法を役立て、使いこなすことも可能になってくるし、弁証法の三つの法則にとらわれ、苦労することもなくなる。この弁証法観は、ヘーゲル・マルクス・エンゲルス・レーニン的な弁証法観よりも、ギリシャのそれにヨリ近いものに思える。 「最初の素朴な見方は、概して後の時代の形而上学的な見方よりもヨリ正しい。」(エンゲルス)とは、弁証法についても言えることなのである。
板倉聖宣という名前は、仮説実験授業の提唱者として知っていたが、「発想法としての弁証法」という考えを持っているとは知らなかった。わたしは板倉弁証法に興味を持った。
中原しげるの説明を読んでいて、奇妙に思ったのは、なぜ三浦弁証法の解説のなかにあるのだろう、この弁証法の考え方は三浦つとむの否定ではないかということであった。
わたしには、板倉聖宣の弁証法は三浦の弁証法よりわたしの主張する弁証法(複合論)に近いものと思われた。
(1) この弁証法観はわたしの主張する弁証法の理論とよく似ている。カッコのなかに要約してある弁証法の考え方を、わたしの場合、ポバーの問題解決図式に弁証法を位置づけることによって、表現している。( 「弁証法試論」第5章 対立の統一と対話 4 弁証法の位置 )
(2) コトワザという形容がよくわからない。発想法全体に弁証法が広がっていく感じを受ける。わたしの場合、さまざまある発想法のうち、「対話をモデルとした思考方法」として限定する方向を選択している。( 「弁証法試論」第5章 対立の統一と対話 )
(3) 三浦つとむは「反デューリング」の立場だが、板倉聖宣は、わたしと同じように、「デューリング」の立場ではないのか。( 「弁証法試論」補論3 弁証法2004 )
わたしは、板倉聖宣は岩崎武雄と同じように存在のなかに矛盾を認めていないだろうと直観した。その予想をもって、『新哲学入門』と『発想法かるた』を手にしたのである。わたしなりに「実験」をしてみたことになる。
予想は当たった。
1 特徴
板倉弁証法の特徴は次の三点と考えられる。
(1) 矛盾は、認識の論理にかかわるもので、自然や社会には実在しない。
それなら、ある人々のいうように、「矛盾は実在する」といっていいのでしょうか。私はそうは考えません。「運動は、静止の論理にこだわって表現しようとすると、どうしても矛盾した表現を必要とする」というのと、「運動そのものが矛盾している」というのとは違います。「矛盾」という概念は、もともと人間の認識の論理にかかわるものなので、人間の認識とは独立な自然や社会そのものに矛盾があるはずはないのです。
ところが、「人間の認識は自然や社会の反映なのだから、人間の認識に(矛盾)という概念が必要だということは、自然や社会そのものに矛盾が実在していると考えるべきではないか」という人がいるので注意する必要があります。「人間の認識上で必要になったものは、みな自然の中に実在するとは限らない」のです。何度もいうように、人間が静止の論理でもって無理に表現しようとしなければ、矛盾など問題にならないからです。(『新哲学入門』)
(2) 弁証法は、科学的な真理ではなく、ことわざのような発想法である。
(3) 弁証法の核心は、討論(議論)である。実は、弁証法というのはことわざと同じように、「社会や自然の見忘れがちな側面に注意するように教えてくれる」という意味では真実ではありえても、「科学的な真理」とはいえないのです。つまり、弁証法というのは言葉の厳密な意味では科学ではないのです。「それなら、弁証法はデタラメか」というと、そうではありません。弁証法を文字どおりの科学と考えると間違いではあっても、そこには自然や社会を見る優れた視点があり、私たちの発想を豊かにしてくれるものがたくさん含まれていることは間違いありません。つまり、弁証法は一つの発想法というべきものなのです。(『発想法かるた』)
弁証法的にものごとを考えたかったら、これまで言い古されてきた弁証法の「法則」なるものに従って考えるよりも、弁証法という言葉の大本に帰って、「討論しながら考える」ということを大切にしたほうがいいのです。(『新哲学入門』)
他人と議論をすると話が進むのは、人によってそれまでに経験したことが違うし、その考え方も違うからです。経験や考えの違う人は、他の人々からするとまったく非常識と思えることを言い出したりします。ところが、その考えを発展させていくと思わぬ真実が見えてきたりします。そこで、私たちは思わぬことに気づくようになるのです。(『新哲学入門』)
2 複合論との共通点と相違点
板倉聖宣の弁証法は、次の二点において、わたしの弁証法の理論(複合論)のさきがけである。
(1) 矛盾律を前提にした弁証法(矛盾の実在を否定する弁証法)
(2) 発想法としての弁証法
私はこれまで、自分でまとめたこのカルタを「ことわざカルタ」と呼んだり、「弁証法カルタ」と呼んだり、「発想法カルタ」と呼んだりしてきましたが、それは、このような弁証法観・ことわざ観・発想法観を元にしてのことです。つまり、このカルタは「科学的な真理を教えるもの」というよりも、「一つのことに囚われない自由な発想の仕方」――ということは、「時には一つのことに囚われることの素晴らしさ」をも認める発想の仕方――を教えるもの、と考えて作ったのです。「弁証法と〈ことわざ〉とはどこが違うか」というと、それは、「弁証法というのはことわざ的真実を体系的組織的に研究したものだ」といったらいいのかも知れません。(『発想法かるた』)
わたしの場合、弁証法というのは、対話をモデルとした思考方法で、認識における対立物の統一をめざす発想法である。弁証法ではない発想法もあると考えている点が違っている。
例えば、板倉は「同じ見えないでも違う」を表すカルタとして、「原子は小さすぎて見えず、地球は大きすぎて見えない」、また、「モデルの重要性」のカルタとして、「原子も模型を作ればよく見える」を取り上げている。どちらも優れた発想法だが、わたしはこれらを弁証法とは考えないのである。
この違いは、わたしが弁証法の大本を、語源に忠実に「対話の技術」と考えているのに対して、板倉は「討論しながら考える」と広く捉えていることと関連していると思う。「討論しながら考える」は、「対話」というよりも、「授業」のイメージではないだろうか。
3 形成の経緯
私は、学生時代に三浦つとむ著『哲学入門』という本を読んで以後、その弁証法を身につけることができるようになったのでしたが、その本にはたくさんのことわざが弁証法の法則と同じものとして説かれていました。そこで、私は弁証法をことわざと同じような「生活の知恵、発想法」として学んだのです。そして、「弁証法的に物事を考えるようにすると視野が開ける」ということを知ったのです。だから、私は、その後の弁証法を「科学」とする三浦さんにはついていかれなくなりました。そして、ついに私流の弁証法論議を発展させることになったのです。そこで、私の弁証法なるものは、三浦つとむさんの弁証法とも、ふつうの哲学の本に書かれているものともかなり違うものとなっています。(『新哲学入門』)
板倉弁証法の形成経緯をスケッチしておこう。( 『新哲学入門』あとがき参照。)
1 三浦つとむの『哲学入門』(1948年)、『弁証法・いかに学ぶべきか』(1950年)に感銘を受けるが、『弁証法はどういう科学か』(1955年)には違和感をもつ。
2 主体的唯物論の認識論(三浦つとむ『哲学入門』)に基づいて、仮説実験授業の理論と方法を提唱しはじめる(1963年)。
3 「仮説」「実験」「授業」の考えを深めていくうちに、三浦弁証法から「科学」と「矛盾」を排除し、弁証法は、ことわざのような発想法であるという考えを確立する。
4 三浦つとむファンと自称する人びとが〈文字通り弁証法を科学と考え、「弁証法的に考えさえすれば(実験的検証もなしに)真理を発見できる」と考えているように思える〉ようになり、心配になる。
5 『唯物弁証法の成立と歪曲』(三浦の最後の論文集)の編集のさいに、「三浦さんには、科学と実験の概念が決定的に欠如している」ということを認めざるをえなくなる。
6 三浦つとむに欠如している「実験」概念を補い、『新哲学入門』を書く(1992年)。
弁証法を使うと、それまでの常識を越えた考え方を発見することはできます。それは素晴らしいことです。しかし、そうやって考えついたことがいくら正しそうに見えても、それを実験的に証明して見せなければ、真理とは言えないのです。これまでの弁証法の説明が神秘的に思えたのは、「本当かも知れない考え方」と「実験によって証明された真理」との区別を明確にしなかったことにあると言っていいでしょう。(『新哲学入門』)
4 初期の考え方
板倉聖宣は、1992年の時点ではデューリングの立場に立ち、自然や社会に矛盾の存在を認めていないが、はじめからデューリングの立場ではなかった。
例えば、「ニュートン力学の形成過程における力と運動――本質論的理論の形成と根本矛盾――」(『科学と方法』1969年 季節社 所収)には次のような展開がある。
ニュートン力学が,まさにニュートンの力学であったのは,彼が,すでに知られていた力と運動との関係を(彼の発見した微分法を用いて)運動の行なわれる瞬間における矛盾の定立と解決との事実においてとらえ,惑星の楕円軌道を,逆二乗の求心力と慣性力(遠心力)との矛盾の解決の形態として導くことが出来たからなのである。
これは、マルクスの「楕円の論理」(注)にひきづられた展開であるといえるだろう。
逆二乗の求心力を不断の落下と対応させ、また慣性力(遠心力)を不断の飛去に対応させて、ありもしない「矛盾」を発見している。
惑星の楕円軌道は、逆二乗の求心力と慣性力(遠心力)との矛盾が解決され実現されている運動形態ではない。端的にいえば、惑星の楕円軌道は、逆二乗の求心力(太陽の求心力)と慣性(接線方向への直線運動)の合成された形態に他ならない。楕円には、矛盾がありそれが解決されているのではなく、そもそもはじめから「矛盾」は存在しないのである。
わたしの弁証法から見たニュートン力学の形成過程については、「ニュートン力学の形成と弁証法」を参照していただければありがたい。
(注) マルクスの「楕円の論理」
商品の交換過程は、矛盾したお互いに排除しあう関係を含んでいることを知った。商品の発達は、これらの矛盾を止揚しないで、それが運動しうる形態を作り出している。これがとりもなおさず、一般に現実の矛盾が解決される方法である。 例えば、ある物体が不断に他の物体に落下しながら、同じく不断にこれから飛び去るというのは、一つの矛盾である。楕円は、その中でこの矛盾が解決され、また実現されている運動形態の一つである。(『資本論』)