対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

「論理的なもの」の動的・静的側面――「自己表出と指示表出」・「関係性と指示性」

2009-05-31 | 自己表出と指示表出

  「論理的なもの」の構造として想定している「自己表出と指示表出」について、明確に把握できているとは思っていない。その意味では、表出論は、しっかりとした基礎の上に構築されているわけではない。しかし、「論理的なもの」を媒介するモデルとして、優れているのではないかと思っていて、手放せないのである。そんなわけで、ときどき基礎を見直すことになる。

 「表出の場――指示と関係」(自己表出は関係の表出、指示表出は指示の表出)という関係に思い至ってみると、「論理的なもの」の構造として想定している「自己表出と指示表出」も、検討した方がよいように思われてきた。表出という主として「動作」を表わすことばで「構造」を表現している点が気になってきたのである。

 「試論2003」で、わたしは次のように「自己表出と指示表出という構造」を「客体的な認識自体と主体的な認識過程(人間の頭の中)」に想定している。ここで「認識」と「論理的なもの」は、基本的に同じものである。

 さて、主体的な認識行為は、かならず認識の中に反映されます。すなわち、主体的な認識行為としての自己表出と指示表出は、構造として認識の中に転位します。自己表出と指示表出を主体的な認識行為としてだけでなく、表現(把握)されたものの構造としても捉えます。つまり、認識は、自己表出と指示表出の二つの側面をもっていると考えます。

 このように設定するのは、認識の形成過程を正確に把握するためです。なぜなら、認識が構造として自己表出と指示表出の二つの側面をもっていることは、たんに認識行為の結果を表しているだけではなく、認識行為自体を成立させる前提でもあるからです。

 すなわち、認識の形成過程でおこなわれるのは、これまでの認識の自己表出と指示表出を基礎にして、新しく自己表出と指示表出を作り、それを一つの認識として提出することだと考えられるからです。

 主体的な認識過程の構造として、また認識自体の構造として、自己表出と指示表出を想定します。このように自己表出と指示表出という構造は、客体的な認識自体と主体的な認識過程(人間の頭の中)を貫いていると考えます。

 自己表出と指示表出を構造として想定しているのは、吉本隆明の表現論を引き継いでいるからである。しかし、構造と過程は区別しなければならないと思う。
 
 「認識」の動的な側面と静的な側面、すなわち「論理的なもの」の主体的な行為と転位した構造を、同じ一つの「自己表出と指示表出」で表わすのではなく、動的な側面は「自己表出と指示表出」、静的な側面は「関係性と指示性」で表現した方がよいのではないかと思われるのである。

 「論理的なものは」次のような2側面を持っていると想定するのである。

   (1)自己表出あるいは関係性
   (2)指示表出あるいは指示性

 認識に転位した構造と主体的な認識過程を区別するのは、商品の価値と抽象的人間労働を区別すること、また商品の使用価値と具体的人間労働を区別することと対応すると考えられる。

 これまで「論理的なもの」の構造を「自己表出と指示表出」だけで表わしてきたのは、商品の構造を、「価値と使用価値」ではなく、商品の「抽象的人間労働と具体的人間労働」と考えてきたことに相当すると思う。

 認識に転位した構造と主体的な認識過程を区別していくことにする。

 認識の形成過程の基礎にあるのは、与えられた「論理的なもの」の「関係性と指示性」である。これを足場に、認識主体の自己表出と指示表出が立ち上がる。認識の過程は、この自己表出と指示表出によって、新たな関係性と指示性を形成する過程である。

 複素数のモデルで示しておこう。

   A=a+bi

  (論理的なもの)=(自己表出)+(指示表出)i   動的側面

  (論理的なもの)=(関係性)+(指示性)i     静的側面

 
 これまで、弁証法の共時的構造や通時的構造のなかで、自己表出・指示表出と表現してきたものは、関係性・指示性と表わした方が的確のように思う。例えば、これまで混成モメントは、一方の「自己表出」と他方の「指示表出」によって構成されると表現してきた。これを、一方の「関係性」と他方の「指示性」によって構成されると表現した方がよいと思うのである。


表出の場――指示と関係

2009-05-23 | 自己表出と指示表出

 選択された2つの「論理的なもの」と混成された「論理的なもの」と統一された「論理的なもの」。

 3つの段階の「論理的なもの」は、それぞれ「自己表出と指示表出」が違う。

 例えば、選択された「論理的なもの」(AとA')と統一された「論理的なもの」(B)の違いを表現するとき、指示表出の方は「指示性」が変換されたといえば、過不足のない表現だと思われる。これに対して、自己表出の方は、「指示性」に対応するような適切な表現を持ち合わせていないように思われた。

 「弁証法試論」(試論2003)を読み直して、思い当たることがあった。わたしは次のように想定していた。

  1 認識の指示表出は対象に対する「指示」の表出である。
  2 認識の自己表出は対象に対する「立場」の表出である。
  3 表出における「指示」と「立場」は対応している。

 表出における「指示」と「立場」は対応していないのではないか。「立場」は、表出の全体と対応し、自己表出には、別のことばが必要ではないかと思われたのである。

 これが自己表出の違いを表現するとき、何も出てこなかった原因ではないだろうか。立場性や自己性では感触が違うのである。

 自己表出は、対象に対する「立場」の表出ではなく、「関係」の表出であると想定すればよいと思った。

  1' 指示表出は対象に対する「指示」の表出である。
  2' 自己表出は対象に対する「関係」の表出である。
  3' 表出における「指示」と「関係」は対応している。

 1'から「指示性」の変換が、2'から「関係性」の変換がもたらされる。3'から「指示性と関係性」の変換がもたらされる。

 「指示」と「関係」が根底にあり、この2つが「立場」を構成すると想定すれば、指示表出・自己表出・表出の関係を整合的に把握できるように思われる。


アインシュタインの「手さぐり」と複合論

2009-05-16 | アインシュタイン

 1952年、マイケルソンの生誕100年を記念した会議に寄せられたアインシュタインの手紙には、次のように書かれているという。(G・ホルトンの「アインシュタイン・マイケルソン・〈決定的〉実験」『アインシュタイン研究』所収参照)

 いうまでもなく、ひとつの理論の樹立に導く論理的な道というものはありません。事実の知識を注意ぶかく考慮しながら、手さぐりで組み立ててゆくだけです。

 このアインシュタインの「率直な告白」(G・ホルトン)は、ヘルムホルツの「登山者」や湯川秀樹の「旅人」の精神と同じものだと思う。

 複合論はアインシュタインの「手さぐり」と同調している。

 複合論は、認識における対立の統一過程を複素数のかけ算をモデルにして表現している。それは次のようなものだ。

1(選択) A =a+bi
A' =c+di
2(混成) A×A' =(a+bi)×(c+di)
≒(a+di)×(c+bi)
3(統一) =(ac-bd)+(ab+cd)i
=x+yi
=B

 これは、「論理的な道」ではなく、「手さぐりで組み立ててゆく」過程を表わしているのである。 


アインシュタインがヘルムホルツから引き継いだもの

2009-05-10 | アインシュタイン

 G・ホルトンの「アインシュタイン・マイケルソン・〈決定的〉実験」(『アインシュタイン研究』所収参照)を読んでいた。その中に、シャンクランドのインタヴューに答えた次のようなアインシュタインのことばが引用されていた。 

 自分の問題と格闘し、解を見出すためにあらゆることを試み、そしてついに得られた解は、きわめて遠周りをしたやり方でもたらされることが多い。これが正しい描像である。

 これは、アインシュタインが研究の心的過程をふりかえって述べたものである。湯川秀樹の「旅人」の精神と同じものだと思う。また、ヘルムホルツの「登山者」の精神と同じだと思う。
 
 ヘルムホルツは、マックスウェルの電磁場理論を改作してドイツに導入した科学者で、弟子にはヘルツがいる。アインシュタインは1899年の手紙の中で、ヘルムホルツの本に言及して、「ヘルムホルツの考えの独創性と独自性をますます尊敬するようになった」と記している。(安孫子誠也『アインシュタイン相対性理論の誕生』参照)

 ヘルムホルツの「登山者」。ハンス・セリエ『夢から発見へ』( 田多井 吉之介訳 1969年)のなかに引用されていたヘルムホルツのことばが強く印象に残っている。

 アインシュタインがヘルムホルツから引き継いだものは、熱力学や電磁気学だけではない。なによりも研究の姿勢そのものだったと思う。

 道を知らないで、苦しみながら上にゆっくり登り、もう歩けなくなって自分の足跡をもう一度たどらねばならない。だが、考えてみたら、幸運からか、ともかく新しい道筋を見つけ、またほんのちょっと進み、とうとう長くかかってたどりついたところ、正しい登山の知恵さえ心得ていたら、それを登ればよかったんだという広い道がそこにあるのを知って恥かしくなる。こんな山をさ迷っている人に自分をたとえてもらって、いっこう差し支えない。私の仕事について、読者には当然、自分の誤りについて何もいわなかった。そして、困難なしに高い頂上に登れる大きな道しか書きはしなかった。


ローレンツとアインシュタインの違い

2009-05-02 | アインシュタイン

 安孫子誠也氏は「アインシュタイン相対性理論の誕生」のなかで、ローレンツとアインシュタインの相対性理論を区別するのは、光速度一定を原理として要請しているかどうかであると述べている。この見解は優れていると思い、踏襲するだけでよいと思っていた。しかし、いくつか文献を読み、自分なりに相対性理論が誕生していく過程を思い描いてみると、光速度一定の原理だけを強調するのは、一方的だと思えてきた。やはり、相対性原理と光速度一定原理の両方がローレンツとアインシュタインの違いなのではないかと思うようになった。

 安孫子氏が強調するように、アインシュタインにあってローレンツにないものは、「運動学」であり、これがローレンツとアインシュタインの相対性理論の違いである。「運動学」とは、「物理現象を表現し記述するための数学的枠組み」である。そして、この「運動学」の前提になっているのは、光速度一定の原理と相対性原理である。2つが関連することによって、運動学が構成されている。ローレンツとアインシュタインを区別するのは、相対性と光速度一定の2つを原理として要請しているかどうかにあると思う。

 安孫子氏が光速度一定の原理を強調することは、相対性理論がマクスウェル電磁場理論を前提としないという主張と結びついている。もちろん、広くいえば、相対性理論はマクスウェル理論を前提にしているのだが、安孫子氏が「前提」にしていないというのは、正確にいえば、マクスウェルの電磁場理論を、修正を必要としないそのまま引き継ぐ理論と考えないという意味である。直接には、輻射の説明に対してマクスウェルの理論は限界をもっていることを踏まえて、相対性理論は構築されていることを指している。

 安孫子誠也氏の見解を確認しておこう。

「光速度の一定性」は、マクスウェル方程式に相対性原理を適用することによって得られる結論である。しかしながらアインシュタインは、「光速度不変の原理」を、マクスウェル方程式や相対性原理を前提とはしない、それ自体として独立した原理にまで高めて設定したのである。

 しかしながら、ローレンツ変換を導くために、アインシュタインはマクスウェル方程式と相対性原理から導かれる「光速度の一定性」を必要とし、そこから彼はすでに時間概念の変革を導き出していた。したがって、マクスウェルの電磁場理論を超越するためには、彼はこの「光速度の一定性」を、「光速度不変の原理」の地位までに高めざるをえなかったのである。

 かくして、ローレンツ―ポアンカレ理論とアインシュタイン理論との本質的な違いは、「光速度不変の原理」が独立の要請として樹立されていたかどうかだという結論に到達する。言い換えれば、ローレンツ―ポアンカレ理論は、特殊相対性理論にとって本質的な「運動学の部」を欠いていたのである。この「運動学の部」において、「相対性原理」と「光速度不変の原理」をもとにして、初めて正しい形のローレンツ変換が導出されたのだった(それまでは、誤りを含むローレンツ変換式が天下り的に仮定されていたのである)。

 最後の引用文において、後半には異論がない。しかし、前半は、「相対性原理」が欠如しているのではないか、というのがわたしの見解である。いいかえれば、「言い換えれば」に飛躍があり、「言い換え」になっていないと思う。

 安孫子氏の見解を一方的だと思うようになったのは、『特殊および一般「相対性理論」について』のなかで、アインシュタインが次のように述べていたからである。

 相対性原理によれば、真空中の光の伝播法則は、すべての他の一般法則と同様に、列車を基準体としようが、レールを基準体としようが、同じことにならねばならない。ところが、われわれの考察によれば、それが不可能のように思える。すべての光線が堤防に関して速度cで伝播するとすれば、まさにそのことのために、列車を関する光の伝播法則はこれとは別のものにならなければならない――すなわち相対性原理と矛盾する。
 このディレンマを考えてみれば、相対性原理か簡明な真空中の光の伝播法則かの、どちらかを放棄せざるをえないように思える。
 これまでの論議に注意深くついてきた読者は、心底ではきっと、自然さかつ簡明さのゆえにほとんど拒み難く感じている相対性原理が支持されて、一方、真空中の光の伝播法則は、相対性原理と結びついた、より複雑な法則に置きかえられることを期待するだろう。しかし、理論物理学の進展から、この道を、辿れないことが示された。運動物体の電気力学的、光学的諸過程について道を拓いたH・A・ローレンツの理論的研究によると、この領域の経験では、電磁気学的な諸過程に関するある一つの理論が、抗い難い必然性をもって導かれるのであって、その理論からは、真空中の光速度が一定であるという法則が避くべからざる結論となるのである。このために、この相対性原理に矛盾するような経験的事実は、何一つ見いだせないにもかかわらず、指導的な理論家たちはむしろこの原理をなくしてしまう方向に傾いていた。
 ここに相対性理論が登場した。時間と空間についての物理的な概念を分析することによって、現実的には相対性原理と光の伝播法則との間との不一致は、まったく存在しないこと、それどころか、この二つの法則を組織的に、しっかり把握することによって、論理的に異論の余地ない理論に到達することが示された。(金子務訳)

 これを読んで、光速度一定の原理よりも、むしろ相対性原理の方が、アインシュタインの独自性ではないかという気になったのである。安孫子氏の表現を借りれば、アインシュタインは、「相対性」を、ガリレイの相対性原理や光速度の一定性を前提としない、それ自体として独立した原理にまで高めて設定した、といいたくなったのである。

 もちろん、光速度一定の原理は、はずせない。とすれば、光速度一定の原理と相対性原理の両方を原理として要請するところに、アインシュタインの独自性をみるべきなのではないかと思うようになったのである。

 安孫子氏から、アインシュタインの独自性の契機として、相対性原理が抜けたのは、おそらく、ポアンカレの「相対性原理」の過大評価があったのではないかと思われる。

 もし、特殊相対性理論の主要な内容が、マイケルソンーモーレーの実験の説明とローレンツ変換の提出であったとするならば、それはすでに一九〇四年のローレンツ理論によって済まされていたと言える。また、もし相対性原理導入の重要性を強調するのならば、そのローレンツ理論への通用は一九〇五~一九〇六年のボアンカレ理論によって行われたと言えるのである。この論争は、しばしばローレンツーアインシュタイン問題と呼ばれており、いまだに完全に決着がついたとは言い難い。

 安孫子氏が『アインシュタイン相対性理論の誕生』のなかで引用しているポアンカレの「科学と仮説」を読むと、確かに、アインシュタインの考えと同じではないかと思う。しかし、「ローレンツ‐ポアンカレの相対性理論」とアインシュタインの相対性理論は、違うのである。

 広重徹氏が簡潔に指摘している(「相対論はどこから生まれたか」『アインシュタイン研究』所収)。

 たしかに、それ(「ローレンツ変換」という名称が初めて使われた1905―6年のポアンカレの論文、ホイッテカーが「ポアンカレ‐ローレンツの相対性理論」とよんだもの――引用者注)は相対論とよびたくなるような理論であった。数式の面からみると、それは相対論と同じ形をしている。そのうえポアンカレは、しばしば「相対性原理」ということを唱えている。しかし見落としてならないのは、それで彼が意味したのは、対エーテル運動の効果の実験的検出不可能性のことだったということである。ポアンカレにとって、それは理論からの帰結として説明されるべきものであって、アインシュタインにおけるように、それの上に全理論が築かれる構成的原理ではなかった。ローレンツ‐ポアンカレの理論は、あくまで、生じているはずの効果が表に現われないことを説明する理論だったのである。この点が、それを、すべての慣性系の同等性という原理から出発する相対論から決定的に区別するのである。

 さて、ローレンツは、マイケルソン―モーレーの実験の説明として、ローレンツ収縮と局所時間の考えを提出した。そして、このローレンツ収縮と局所時間を使えば、電磁気の法則は、あらゆる慣性系において、まったく同じ形で成立することを指摘した。いいかえれば、電磁気の法則は、相対性原理を満たしていることを発見した。

 ローレンツ変換、光速度の一定性、ローレンツ収縮、局所時間、同時刻の相対性、ローレンツの相対性理論のなかには、必要なものはすべてそろっていた。しかし、ローレンツの相対性理論は、ガリレイの相対性原理と関連することなく、それとの関係をあいまいにしたまま、電磁気学だけに限定されたものであった。また、ローレンツ収縮や局所時間が、どうしておこるかの説明は納得のいくものではなかったのである。

 相対性理論の形成過程におけるローレンツは、ニュートン力学の形成過程におけるケプラーと対応するのだと思う。ローレンツがつかんだ相対性理論の核心はさまざまな偶有性につつまれていたのである。

 『神は老獪にして…』(アブラハム・パイス/西島和彦監訳)に、次のようにある。

 大問題は、もちろん二つの基本原理の両立性の問題であった。それについてアインシュタインは、1907年の概説論文の中で、次のように言った。「驚くべきことに、最初にあげた困難[すなわち、マイケルソン‐モーリーの実験のことで、アインシュタインはこの1907年の論文の中で初めてこれに言及した]を克服するには、時間の概念を十分に正確に定めることが必要なだけであるとわかった。ローレンツによって導入され、“局所時間”と命名された補助的量が、純粋で単純な“時間”としてはっきり規定される、という洞察が必要なことのすべてであった。」

 「局所時間」を「純粋で単純な“時間”」として規定することは、相対性原理を電磁気の法則だけでなく力学にも拡張することを意味している。ガリレイの相対性原理を正しいものとして前提せず、物理学のすべての法則に対して、相対性原理を要請することが求められたのである。電磁気学で成立している「相対性原理」と「光速度一定の原理」を力学にも拡張することができるのか、この姿勢がアインシュタインとローレンツを区別したのである。「相対性」と「光速度一定」の意味と価値が「局所時間」をきっかけにして、変容しはじめるのである。

 ローレンツとアインシュタインの違いは、マックス・ポルンが過不足なく指摘していると思う。ボルンは1955年のベルンにおける講演でホイッテイカーの見解を批判して、次のように論じているという。(安孫子誠也「アインシュタイン相対性理論の誕生」参照)

 ①ローレンツ自身がアインシュタインを相対性原理の発見者だとみなしており、さらにローレンツは生涯にわたって絶対空間と絶対時間の概念を放棄しようとはしなかった。
 ②アインシュタインの一九〇五年論文の刺激的な特徴は、ニュートンの公認された哲学、すなわち空間と時間に関する伝統的概念に異議申し立てをした勇敢さなのである。

 アインシュタインはある手紙の中で述べている。

特殊相対性理論の新しい特徴は、ローレンツ変換の振舞いがそのマクスウェル方程式との関連性を超えて、時間と空間の本性に関係していることを明らかにした点である。もう一つの新しい結果は、「ローレンツ不変性」こそは、あらゆる物理理論にとっての一般的条件だという点である。

 アブラハム・パイスは、次のようにローレンツを紹介している。

 私がローレンツを理解しているところでは、彼は理論物理学における指導者であり、特殊相対性理論のあらゆる物理的、数学的面を完全に把握していたが、それにもかかわらず、最愛の古典的過去にすっかり別れを告げることができたわけではなかった。この態度は自我の葛藤とは何も関係がない。そういうものは彼にとっては異質のものであった。アインシュタインとポアンカレは常に彼を賞賛し、ローレンツは常に返礼した。そしてまた彼はどこで誤ったかをはっきりさせるのをためらわなかった。「[特殊相対論の発見にあたって]私の失敗の主な原因は、変数 t だけが真の時間と考えうる量で、私の局所時間 t’は補助的数学量にすぎないとみなさねばならないという考えに、私が執着したことであった」と彼はコロンビア講義の第2版の付記に書いた。

 「[特殊相対論の発見にあたって]私の失敗の主な原因は、変数 t だけが真の時間と考えうる量で、私の局所時間 t’は補助的数学量にすぎないとみなさねばならないという考えに、私が執着したことであった」。感動的な自己評価だと思う。
 これに、アインシュタインの自己評価を対置してみよう。「ローレンツによって導入され、“局所時間”と命名された補助的量が、純粋で単純な“時間”としてはっきり規定される、という洞察が必要なことのすべてであった」。やはり感動的である。

 ローレンツとアインシュタイン。二人の違いは、ケプラーとニュートンの違いに対応すると思う。