対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

手紙のなかの「弁証法」

2008-01-27 | 弁証法

 マルクスは、1858年1月に、エンゲルスに手紙を書いている。そのなかで、「ヘーゲルが発見はしたが、同時に神秘化してしまったその方法における合理的なもの」を、「印刷ボーゲン二枚か三枚」で、「普通の人間の頭にわかるようにしてやりたい」と述べた。ちょうど150年前のことである。

 マルクスがどの程度の分量を念頭に置いていたのかは、前から気になっていた。しかし、具体的なイメージは、浮かばなかった。ボーゲンは、八折版の印刷用紙のことで、1ボーゲンは16ページに当たるといわれても、よくわからなかったのである。

 具体的にイメージしてみようと思った。

 『資本論』には、原書のページが載っている(マルクス/大内兵衛・細川嘉六監訳 『資本論』大月書店 1968年)。それでみると、1章 商品が50ページ、2章 交換過程が10ページ、3章 貨幣または商品流通が52ページである。この三章分で約7ボーゲン。マルクスは、『資本論』の1章分程度を想定していたことがわかる。

 また、『経済学批判』(武田・遠藤・大内・加藤訳、岩波書店、1956年)の原稿は、約12ボーゲンで、これが岩波文庫で約240ページである。1ボーゲンは、日本語訳で、約20ページ分に当たることになる。マルクスが暇があったら書いたはずの『弁証法』は、岩波文庫で、40から60ページ位のものである。第1章の商品が、約50ページ(日本語訳)だから、この程度のものを考えていたことになる。

 前にもっていた漠然としたイメージと比べてみると、この分量は、多いように思われる。わたしは、もっと短いものを考えていた。

 しかし、問題は、分量ではなく、その内容である。「ヘーゲルが発見はしたが、同時に神秘化してしまったその方法における合理的なもの」。150年経っても、未知のままである。


理論と「理論」と《理論》

2008-01-20 | アルチュセール

 アルチュセールは「唯物弁証法について」のなかで、3つの理論を区別している。理論と「理論」と《理論》である。

 ・ 理論――科学的性格をもついっさいの理論的実践。

 ・ 「理論」(括弧つき)――現実に存在しているある科学の所定の理論体系。例えば、万有引力の理論、波動力学の理論、史的唯物論の理論。

 ・ 《理論》(二重ギュメつき)――実在する「経験的」実践(人間の具体的活動)にもとづくイデオロギー的な生産物を、(認識)(科学的な真理)へ転化する実践の一般理論。

 理論は、「理論」と《理論》を貫徹している。アルチュセールは、《理論》に「唯物弁証法」を想定している。

 わたしが提唱する弁証法の新しい理論をアルチュセールの区分に対応させておこう。

 「論理的なもの」は、「理論」(括弧つき)と対応する。「複合論」は、《理論》(二重ギュメつき)に対応するが、それだけでなく、「理論」(括弧つき)にも対応するといえるだろう。


Parasophic (パラソフィック)

2008-01-13 | ノート

 松下電器産業は、「松下」や「ナショナル」をやめ、「Panasonic(パナソニック)」に社名を統一するという。

 この「panasonic」の語源は、pan(「すべて・あまねく」の意味)と「sonic(音)」からつくられた造語で、「松下電器産業の音を、あまねく世界中に」という願いがこめられているのだという。

 「pana」と「sonic」。双子が微笑む。「para」と「sophic」。

 わたしは弁証法の新しい理論を提唱している。複合論である。複合の二つのテーゼとして、テーゼとアンチテーゼではなく、テーゼ thesis とパラテーゼ parathesis を考えている。パラテーゼ parathesis のパラ para は、パラレル parallel(平行・並行)のパラ para である。パラ paraに、「 傍らに、並立していて、よく似ているが、違っていて、対立しているもの」という意味を込めているのである。
 
 例えば、わたしは、リカードの労働価値説とヘーゲル弁証法を、マルクスにとって、テーゼとパラテーゼであったと考えている。

 pana と対応させるのは、このような para である。

 一方、sonic と対応させるのは、sophic である。哲学 ( philosophy )の語源は、ギリシャ語の philos 愛と sophia 知で、哲学とは知を愛するという意味であった。sophicは、知( sophia , sophy )の形容詞である。

 para と sophic をあわせて、parasophic (パラソフィック)。このことばで、並立する知を表現しようと思うのである。

 パラテーゼ parathesis をいいかえたのが parasophic ではなく、テーゼとパラテーゼの対が parasophic である。「対」になる「論理的なもの」が、parasophic である。

 Panasonic と Parasophic。

 Parasophic(パラソフィック)に、「複合の知を、あまねく世界中に」という願いをこめておくことにしよう。