対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

コガネグモが巣を張っていた

2024-04-30 | 庭の小動物
クルメツツジ(久留米躑躅)の花を見に行ったら、枝の間にクモが巣を張っていた。

これはコガネグモ(黄金蜘蛛)である。白く太いジグザグ(「かくれおび」)が同定するときの目印の一つである。これまで何度か見掛けたが、一番小さいクモのように思われる。花に魅かれて来る虫を待っているのだろう。



HBCにおける推論と仮説設定の位置

2024-04-29 | ノート
最近(ここ1か月ほど)のカテゴリー「ノート」の記事は、『言語の本質』(中公新書)の中にパースのアイコンとアブダクションが取り上げられていたことがきっかけになっている。

吉本の言語の自己表出を認識論に応用して、アブダクションを自己表出に位置づける思考モデルを作っていた。

アインシュタインの思考モデルとパースの探究の三段階論の対応 アブダクション(仮説)―― EJA、ディダクション(演繹)―― AS、インダクション(帰納)―― SEA

最初、分家の自己表出はアブダクションだが本家の自己表出はどうなのかということを「自己表出はアブダクションである」で考察して、言語論においても自己表出はアブダクションと考えてもいいのではないかという見解を示した。

次に出てきた問題は、演繹法・帰納法・仮説設定法(ディクション・インダクション・アブダクション)の関係についてである。この関係も上の思考モデルで位置づけている。これはパースの位置づけを基礎にしたものである。しかし、その位置づけは中山正和とは違っているので、その関係を明確にしようと思った。中山正和はHBCモデルを提示していたので、この図を使って違いを示すのが妥当と思われた。

中山正和のHBCモデル

パースは演繹(ディダクション)を解明的推論とし、帰納(インダクション)と仮説設定(アブダクション)を拡張的推論としている。中山はパースが仮説設定を「推論」に位置づけていることに対して異論を提起している。その根拠になっているのは独特で魅力的な創造論(「いのち」の知恵、仏の知恵)である。
(引用はじめ)
「仏」というのは、本当は「佛」という字を書くので、これは「イ」(人)に「弗」(あらず)という意味である。自然システムに組み込まれているすべてのものや出来事のうち、人間を除いたものをいうのである。これらのものは自然システムに素直に組み込まれている故に知恵をもっているが、人間だけがコトバを操っていろいろ悪いことを考える。コトバが知恵を阻止するのである。
(引用おわり)
「推論」は理性的なものでコトバによるのに対して、「仮説設定」はコトバによらないので、明らかに「推論」ではないと考えられている。
中山は推論(演繹・帰納)と発見(仮説設定)をHBCモデルで次のように捉えている。
推論
〔W・R〕⇆〔W・S〕+〔I・S〕
仮説設定
〔S→O〕→〔I・S〕

(引用はじめ)
問題が解けないというのは、いのち(〔S→O〕)にとって不快なことである。W・RとW・Sという「理性」では解決できない、つまり、いままでの法則によって演繹した結果と、自分が経験した事実から帰納した結果とが対立・矛盾することであるから、ここに何かこの対立・矛盾を止揚するような仮説がほしい。それを〔S→O〕が過去の経験に求めるのである。
(引用おわり)

クルメツツジ、飛龍の舞か

2024-04-26 | 庭の草木
オオムラサキとは別のところにツツジが咲いている。

これがクルメツツジ(久留米躑躅)であることは知っていた。ただ、ネットで見ると、クルメはもう少しピンク色が多いように思っていた。これはどちらかといえば、朱色である。検索していて「飛龍の舞」という品種と近いと思った。どうなのだろう。

中山正和のHBCモデル3

2024-04-25 | ノート
イメージ記憶〔I・S〕にコトバ記憶〔W・S〕がつながる。中山正和は「メージに直結しているコトバ」を「パロール」と呼んでいる。2つを結ぶたくさんの線はイメージとコトバの対応を表している。例えば、花のイメージに「ハナ」といコトバ言葉が対応する。しかし、一対一の対応ではない。花には、サクラもバラもある。またバラもさらに細分化される。コトバ記憶のコトバには「類としての同一性と個としての差異性」が保存されるように対応していく。

コトバ記憶がつながることによって、意味の伝達が可能になる。
(引用はじめ)
コトバ記憶〔W・S〕をつけ加えることによって、人間は自分のもっているイメージを他人に伝えることができ、他人のコトバによってその人のもっているイメージを想像することができる。コミュニケーションの成立である。
(引用おわり)
イメージ記憶とコトバ記憶の特徴は、いつの記憶でも任意に取り出すことができることである。事柄の順序に拘束されない。記憶は空間配置性を特徴としている。

記憶が蓄積されてくると、それらの関連に注意が向けられるようになり、人間に独自性が現れてきた。これを中山は「自然システムに組み込まれたいのち(〔S→O〕)の工夫と考えている。
(引用はじめ)
人間(の子供)は〔W・S〕のパロールによって、〔I・S〕のイメージを出し入れしているうちに、何回か繰り返して起こる出来事からある「法則性」を見つける。目覚めたあと、ある時間がくると暗くなってねたくなるという体験(〔I・S〕上のイメージ)を繰り返すとき、目ざめたときは「アサ」といい、暗くなったときを「ヨル」というコトバ(パロール)で表わすなら、「朝のあと(ある時間がたつと)夜になる」という因果関係に気がつく。「こうすればこうなる」「ああだからこうだ」というのは、このような「時の流れ」という概念の上に立つ論理であって、これはつまり「帰納」という他ならない。
(引用おわり)
もともとのイメージ記憶〔I・S〕やコトバ記憶〔W・S〕にはなかった「時間」や「法則」や「論理」が出現してきたのである。これらは感覚(視覚や聴覚や触覚)では直接、とらえられないものであった。「時の流れ」の意識が基礎に置かれている。

中山正和はこれらのイメージに直結しない抽象的なコトバを「メタ・ラング」と呼んでいる。メタ・ラングはイメージ記憶I・Sと結ばれていないが、コトバ記憶W・Sに記録されると想定されている。
(引用はじめ)
メタ・ラングはコトバとしてやはり〔W・S〕の上に記録されるのであろうが、これは直接は〔I・S〕上のイメージには結ばれていない。図の細かい線につながってはいない。だから他人にこの概念を分からせるためには、いろいろのパロールを「探し」て、これを「組み合わせて」その人のイメージを描かせなくてはならないのである。これは一つの「言語検索」という作業である。パロールを探して、これを既知の法則によって組み立てることで、ここではじめて「論理」または「計算」ということができる。
(引用おわり)
こうして、最上位に(前頭葉)に、言語検索〔W・R〕が付け加わって、HBCモデルが完成する。

コトバ記憶〔W・S〕から言語検索〔W・R〕へ伸びている矢印↑は「いろいろな出来事からある法則性を見つける」という帰納法、反対に言語検索からコトバ記憶へと伸びる矢印↓は「ある法則によって現在の出来事を理解する」という演繹法である。これらは出来事の関連に注意することによって、必然的に身についた「法」であり、「自動的に起こる」ものとして想定されている。

新たに付け加わった言語検索〔W・R〕とコトバ記憶〔W・S〕との関連はもともと「問題への対処」として想定されていた図式であった。これが脳の構造と連結されたのである。

イロハモミジの雄花を見る

2024-04-22 | 庭の草木
庭に出ていて、イロハモミジをみると、花が咲いている。この時期だったかと思う。

前調べたところによると、イロハモミジの花には雄花と両性花がある。ここに見えるのは雄花だけである(真ん中に伸びた雌しべがない)。赤いのは萼(がく)、白っぽく見えるのが花弁、それぞれ5枚ある。長く伸びているのが雄しべで、8本ある。下の方の花に黒い虫がいる。

「さくら」2(古川祭、起し太鼓)

2024-04-19 | 飛騨
昨年の秋、「さくら」の再放送をやっていることに気づいた。国会中継と重なって変則的な放送になっていたが、今年になって終わった。ときどき見ていた。

最終回には、ハワイから帰ってきたさくら(高野志穂)が桂木(小澤征悦)と会う場面があった。そのときは古川祭の夜、「起し太鼓」が進行している最中、場所は瀬戸川沿いの大銀杏の下である。とてもいい感じの再会であった。起し太鼓の映像も流れていた。

古川祭は4月19日・20日、高山祭の5日後である。今日19日は起し太鼓、明日20日は屋台巡行である。「動」の起し太鼓、「静」の屋台と形容される。

起し太鼓の櫓の上に乗ったことはないが、その櫓の担ぎ手には何度か出たことはある。また、付け太鼓で町中を巡ったこともある。屋台は、中学生のとき「龍笛台」で太鼓をたたいていた。そのころ屋台は女性禁制だったが、いまは解禁されている(担い手不足なのだろう)。

今日と明日が古川祭である。天気は良さそうである。

中山正和のHBCモデル2

2024-04-18 | ノート
HBCモデルの下半分だけを取り出した図を示せば次のようになる。

これは言葉のない状態を表す。動物の行動のモデルだが、人間でいえば、言語を発する前の人類とか、生まれてまもない赤ちゃんの状態である。

ここで、海を前にした人類なら「う」という自発的に有節音が発声されて、新しい局面になる。赤ちゃんなら「あーあー」だろう。
ここに自己表出を想定したのである。このとき、コトバ記憶W・Sと言語検索W・Rは空白で枠だけがある。イメージ記憶I・Sとコトバ記憶W・Sを結ぶ多数の線はなく、I・Sから1本の線が空白のW・S、空白のW・Rを伝わって、→計画と表示されているところ「う」や「あーあー」は出現する(と想定できる)。これを端緒として、コトバ記憶W・Sがイメージ記憶I・Sに対応して形成され、I・SとW・Sの対応が密になっていく。

中山正和のHBCモデル1

2024-04-17 | ノート
こんど中山正和『演繹・帰納 仮説設定」(1979年)を読み直していて、HBCモデル(Human Brain Computer)に着目した。自己表出の出現の背景に脳髄や神経系の発達があるからである。HBCはヒトの脳のモデルである。脳の働きを分類・整理したものである。これは大脳生理学や子どもの成長の過程との対応も考えられている。モデルの下部構造は動物と共通している。
それは次のようなものである。


記号の説明  脳との対応
S→O(Stimulus→Output、刺激→反応)  脳幹・延髄系 
I→O(Image→Output、イメージ→反応) 大脳辺縁系  
I・S(Image-Storage、イメージ記憶)   新皮質系(右半球)
W・S(Word-Storage、コトバ記憶)    新皮質系(左半球)
W・R(Word-Retrieval、言語検索)    前頭連合野系

S→Oは「いのち」と名付けられている。S→Oは自然システムに組み込まれたいのちの働きを表わす。I→Oは「肉体の学習・刷り込み」である。例えば、灯を見るという視覚的刺激が行動に結びついていくこと。そして、過去の経験を新しい事態に適応させるために記憶装置I・Sが出現して、刺激→出力に幅が出る。
(引用はじめ)
動物は刺激を受けると〔S→O〕(いのち)の働きによって、自動的に〔I・S〕の中を探し、過去の経験をイメージとして引き出し、その中に現在の状態改善に役立つものがあれば、これを〔S→O〕に返して行動に移す。
(引用おわり)
動物は、「生きていること」に「たくましく生きていくこと」が加わり、さらに「うまく生きていくこと」ができるようになる。
モデル図の下半分である。