2 歌詞いろいろ
「農大無謡」の歌詞を掲げているサイトは、もう一つある。 「岐阜大学 各務同窓会」 である。「岐阜高農(農大)舞踊」と紹介している。「凛真寮OBの集い」の方は、歌詞を打ち込んだものだが、こちらは、何かの印刷物をそのままコピーしたものである。そのなかで「ぶよう」は、「無謡」でも「舞踊」でもなく、「舞謡」となっている。紹介は「舞踊」、歌詞は「舞謡」である。
4.岐阜高農(農大)舞踊
岐阜高農(農大)舞謡
作詞 鈴木栄太郎
一、飛騨の山雪や まだ解けぬ
信濃路長く 松古し
坊さんどこ行く 日が暮れる
鈴鹿の嶺に 陽は落ちた
泊めてあげよか 縁ぢや故二、諸国遍路の 旅なれば
人棲む里や 棲まぬ里
人の情けは 一ならず
元より悟道は 堅けれど
苦しき夜も 多からん三、もしも深山で 日暮れたら
樵夫の小屋を 叩かんせ
俺等の先輩が そこに居る
何の御馳走も ないけれど
占地山蕗 山女汁四、もしも田圃で 日暮れたら
野良の百姓どんに 声かけろ
俺等の先輩が そこに居る
何の御馳走も ないけれど
煮〆鰌汁 鉄火味噌五、もしも都で 日暮れたら
一番大きな 家さがせ
俺等の先輩が そこに居る
何の御馳走も ないけれど
豆腐般若湯 米の飯六、一処不住の 慣ひ故
今宵はこゝで 安らかに
行方定めぬ 旅とても
縁ありや又来て 下しやんせ
ここは美濃の国 岐阜の在
「嶺」には「やま」とルビがふってある。「どぜう」とルビがふってある文字はつぶれていて、はっきりしないが、「鰌」ではないかと思われる。「鱒」(ます)とは違っていると思われる。また、「般若湯」は、「はんにゃ・とう」ではなく、「はんにゃ・ゆ」とルビがふってある。
「一処不住」とあり、「一所不住」とも「一生不在」とも違っている。また、「美濃の門(と)」ではなく、「美濃の国(くに)」となっている。
この歌詞は1940年代から1950年代のものと思われる。少なくとも、1960年代以降のものではない。
手元に凛真寮の記念誌「炎」が2冊ある。「凛真寮40周年記念」1963年と「凛真寮50周年記念」1973年である。後者の「炎」は、ぼくが在寮中に発行されたもので、「寮生名簿」の作成を手伝った記憶がある。記念誌はこの2つだけではないだろうか。まだ他にあるのだろうか。
このなかに「農大無謡」が載っている。1963年と1973年のレイアウトは同じで、歌詞もまったく同じである。ただ、1973年には誤植が1か所あり、「元より悟道は堅けれど」が、「元よ〈る〉悟道は堅けれど」になっている。
農大無謡
一、飛騨の山雪ゃまだ解けぬ
信濃路長く松太し
坊さんどこ行く日が暮れる
鈴鹿の嶺に陽は落ちた
泊めてあげよか縁し故二、諸国遍路の旅ならば
人棲む里や棲まぬ里
人の情けは一ならず
元より悟道は堅けれど
苦しき夜も多からん三、若しも山路で日暮れたら
樵夫の小屋を叩たかんせ
俺等の先輩がそこにいる
何の御馳走もないけれど
占地山蕗山女汁四、もしも田圃で日暮れたら
野良の百姓どんに声かけろ
俺等の先輩がそこにいる
何の御馳走もないけれど
煮〆鰌汁鉄火味噌五、もしも都で日暮れたら
一番大きな家さがせ
俺等の先輩がそこにいる
何の御馳走もないけれど
豆腐般若湯米の飯六、一生不住の慣い故
今宵はここで安らかに
行方定めぬ旅とても
縁ありや又来て下しやんせ
ここは美濃の門岐阜の在
「松太し」「山路で」など、「岐阜大学 凛真寮OBの集い」の歌詞と同じとみてよいが、最も大きな違いは、「一生不在」ではなく、「一生不住」になっていることである。
「農大無謡」は、「岐阜大学 各務同窓会」にあるように鈴木栄太郎氏の作詞である。名前だけは以前から知っていた。(つづく)