マンゴーは枯れてしまった 2020-03-31 | マンゴーの栽培記録 小屋に入れていたマンゴーを3月の中旬に見ると枯れていた。すっかり忘れていた。暖かい日には外に出すような管理をすべきだったのだろう。葉は生気がなく土は乾燥していた。水分はあまり必要なかったと思うが、自然まかせでは、やはり日光や温度がやはり不足していたのだろう。 水をたっぷりあげて外に出しておいたが、回復することはなかった。
韓国版「麒麟がくる」 2020-03-30 | ノート 大河ドラマ「麒麟がくる」がおもしろい。何年か前の「龍馬伝」以来である。前半生がよくわかっていない明智光秀をうまく造形しているように思われる。麒麟は「仁のある政治をする為政者が現れると降り立つ」とされる伝説の聖獣で、戦乱の世が終わり平和になるときの標である。 麒麟は韓国ドラマ「イ・サン」にも出ていた。ソンヨン(図画署の茶母)が清国の大使の画題を「麒麟」と見抜き、宴の席で即興で描き、その伝説を説明する場面(7話)がある。これはのちにイ・サンが聖君になることの暗示となっていた。 どちらも同じ麒麟の伝説が背景になっている。
わかりにくいカタカナ用語もある 2020-03-27 | ノート 新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の「状況分析・提言」(2020年3月19日)には、カタカナ用語(英語の日本語表記)に注釈を付けている。 パンデミック(世界的な大流行)、クラスター(患者集団、集団)、メガクラスター(巨大な患者集団)はいいにしても、オーバーシュート(爆発的患者急増)はピンとこない。わたしにしてみればovershoot(行き過ぎる)に馴染みがなかったことが原因だが、ネイティブにも「爆発的患者急増」(an explosive surge in infections)とは直接結びつかないという。ふつうのイメージは、飛行機のオーバーランのようだ。 カタカナを漢字で表す一方で、漢字にカタカナの注釈を付けている。感染源(リンク)である。これはなるほどと思った。 少し読んでみよう。 (引用はじめ) クラスター(患者集団)の感染源(リンク)が分からない感染者が増加していくと、いつか、どこかで爆発的な感染拡大(オーバーシュート(爆発的患者急増))が生じ、ひいては重症者の増加を起こしかねません。 (引用おわり) 他方、都市封鎖として注釈される「ロックダウン」については漢字の表記を試みていない。これはlockdown(封鎖)そのままということだろう。 (引用はじめ) オーバーシュート(爆発的患者急増) が始まっていたとしても、事前にはその兆候を察知できず、気付いたときには制御できなくなってしまうというのが、この感染症対策の難しさです。/もしオーバーシュートが起きると、欧州でも見られるように、その地域では医療提供体制 が崩壊状態に陥り、この感染症のみならず、通常であれば救済できる生命を救済できなくなるという事態に至りかねません。このため、爆発的患者急増が起きたイタリアやスペイン、フランスといった国々(図5)では、数週間の間、都市を封鎖したり、強制的な外出禁止の 措置や生活必需品以外の店舗閉鎖などを行う、いわゆる「ロックダウン」と呼ばれる強硬な 措置を採らざるを得なくなる事態となっています。 (引用おわり) カタカナの多用は慎むべきだろう。感染源(リンク)、爆発的な感染拡大(オーバーシュート)のように、漢字を主にカタカナを従にした方が読みやすいように思われる。
五条川の桜 2020-03-26 | 日記 いつもは昼過ぎに行くスーパーに今日は午前中に出かけた。3分咲き程度の木もあったが、全体として、五条川の桜は咲きはじめといったところだった。堤には菜の花が咲いていて、その香りが漂っていた。ベンチに腰を下ろして、花見をしている人もいた。スーパーは客が多く、レジを待つ行列も普段の5倍ほどあって、何も買わず戻ってきた。 午後に再び出かけて買い物をした。帰りに橋の上から、桜の花に大きなカメラを向けている老人が目に留まった。今日は暖かく、散歩がてら出向いてきたように思えた。明日から天気が悪くなるという予報なので、わたしも五条川の桜を撮ってみようという気になった。カメラをもちに帰った。今日はS橋を3度往復することになった。 今年の桜まつりは新型コロナのために中止となっている。
「連翹」(レンギョウ)の由来 2020-03-25 | 庭の草木 ここ2週間、だんだん黄色が濃くなってきた。鳥を引き寄せている。今朝はヒヨドリが花びらを食べていた。高村光太郎が好きな花だったという。連翹(レンギョウ)の「翹」の意味は「鳥の尾の、長くつったった毛」だという。連翹(レンギョウ)の名前の由来は、連続する黄色い花びらを羽毛に見立てたものなのだろうか。
300日後に中止になる東京五輪 2020-03-24 | ノート 先々週の半ばあたりからオリンピックの延期が話題になってきた。それまでは延期は選択肢にないということであった。先週、今週は延期が妥当だということになっている。新型コロナウイルスの感染拡大の推移をみれば自然な流れといってよいだろう。 今年の秋、1年後、2年後、延期の期間を巡って議論されるが(4年延期はありなのだろうか)、今のところ、中止の選択肢はないことになっている。どうなのだろう。新型コロナウイルスは衰える気配を見せない。ヨーロッパやアメリカの状況は思っていたより過酷になっている。パンデミックは加速している。東京はこれから感染が拡大していくだろう。中止は大いにありうるのだ。 中止決定まであと300日。しばらく延期論を見守ることにしよう。
思いがけない吹雪 2020-03-23 | 日記 春分の日に飛騨古川へ行って来た。墓参りと親戚へのあいさつ。往復300キロ強。東海北陸道は清見までは二車線になっているので、以前ほど渋滞を危惧して早く出発する必要はなくなった。ありがたいことだ。尾張は一日中晴れの予報だったが、飛騨は、午前中は雨の予報だった。それでこれまでより2時間ほど遅く出発することになった。 たしかに雨が降って来た。驚いたことに、「ひるがの高原」辺りでは雨が雪に変わった。吹雪のようになった。車道は黒くてノーマルタイヤで走行できたが、周辺は白一色だった。100キロほど北上するだけでまったく違う風景になった。すごい、すごい、と家族で感動しながら通過した。雪は山中だけで、また雨になった。午後から雨はあがった。
音声ファイルをアップロードしたが 2020-03-19 | 日記 ブログは拡張子mp3のファイルを受け付けない。どうすれば音声を公開できるか。以前は音声だけでなく画像も含めてYouTubeにアップして、たとえば、ウグイスの鳴き声を聴いてもらえるようにした。 音声だけではどうすればよいか。ホームページならできそうな気がするが、やる気が起こらなかった。調べていると、Googleのサービスがあった。説明に従って、音声ファイルをアップロードした。ブログで、そのファイルにリンクを張った。プレビュー表示で確かめてみると、ドライブの大きな外枠のなかに音声の調節窓が出てきた。期待していたのは調節窓だけの表示である。たしかに音声は聞こえるのだが、これでは他も覗き見されるのではないかと心配になった。それで今日のところは、あきらめることになった。 今朝、今年はじめてウグイスが鳴いていたのである。ラジオ体操をやった後も鳴いていた。最初の方はおぼつかない鳴き声のように思えたが、途中、みごとな本来のさえずりが聞こえてきた。
「うむす」のイ音便化 2020-03-18 | 飛騨 「うむす」が通じなかった。朝、妻や子供と話していたときのことである。「蒸す」の意味の飛騨の方言である。尾張では使われていないようだ。飛騨では「むす」も「うむす」も使っている。 「うむす」は古語としてあったのだろうか。手元の古語辞典には載っていなかった。ネットで調べていて、「サ行イ音便」という問題があることを知った。これは「話した」が「話いた」とイ音便化するものである。しかし、中世から「サ行イ音便」は衰退しはじめ、近世江戸ではほとんど見られず、いまでは方言に残っているだけだという。 例えば、栗の皮を剥いた後に、これを蒸す動作を連続させるとき、 「クリをむいて、むして、」(栗を剥いて、蒸して、)は通じる。しかし、「蒸す」を「サ行イ音便化」すると、 「クリをむいて、むいて、」(栗を剥いて、蒸いて、)となって、通じにくくなる。「蒸す」はイ音便をともなわない。 しかし、「うむす」(「う蒸す」の書くのだろう)を使うと、 「クリをむいて、うむいて、」(栗を剥いて、う蒸いて、)となり、飛騨では十分通じる。「うむいて」は「むして」の意味で、「うむす」には「サ行イ音便」がしっかりと残っている。 「う蒸す」の「う」に漢字をあてるとどう書けばいいのだろうか。「うむす」は古語にあったのではないだろうか。 「大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 文法」参照
「恋つづ」のロケ地、今戸神社 2020-03-17 | 日記 今夜最終回をむかえるテレビ番組の告知を朝のテレビでやっていた。「恋はつづくよどこまでも」(「恋つづ」)の主演の2人が出ていた。そのとき橋とスカイツリーの場面も紹介されていて、それを見ていて、子供が「通った橋じゃねえ(ではないか)」といった。わたしもそんな気がした。 先日東京へ行ったとき、浅草寺からスカイツリーへ行くとき、寄り道をした。今戸神社である。ドラマに出ている聖地ということで、妻と子供のプランに付き合った。何のドラマかそのときは知らなかったが、今朝、「恋つづ」であったことがわかつた。 神社からスカイツリーまで行くとき橋を歩いて渡った(タクシーを期待したが、つかまらなかった)。この橋だったろうか。ネットで調べてみると、ドラマのロケ地が紹介されていた。橋は「吾妻橋」だった。地図でみると、わたしたちが通ったのは「言問橋」だった。一つ上流の橋だった。 今戸神社の場面はドラマの最初に出てくるとネットにあったので、妻が録画していたBRの初回の冒頭を見てみると、たしかに神社が出ていた。雷門も出てきた。訪れたというだけでとても印象深く思われるのだった。