対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

ロドスはマルクスの薔薇について

2025-02-13 | 跳ぶのか、踊るのか。
「跳ぶのか、踊るのか」の副題、「ロドスはマルクスの薔薇」は、イソップのHic Rhodus, hic saltus.(ここがロドスだ、ここで跳べ。)に対して、ヘーゲルがHier ist die Rose, hier tanze!( ここに薔薇がある、ここで踊れ!)と言い換えたこと(『法の哲学』の序文)を背景にしている。

「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」に対するラテン語は「Hic rodon, hic salta! 」である。マルクスは、伝承のロドス島とヘーゲルが言い換えた薔薇の表現から、Hic Rhodus, hic salta! と表現した。マルクスがいっているHic Rhodus, hic salta! は「ここがロドスだ、ここで跳べ」と訳されているが、ラテン語に忠実な訳は「ここがロドスだ、ここで踊れ」である。これは堀江忠男が指摘していたことである。私は「踊れ」と「跳べ」に異なった位置づけをしていて、違和感を持った。

しかし、saltaが「跳べ」ではなく「踊れ」以外にあり得ないことを知ると、「踊れ」と「跳べ」の意味の変容が起こり、違うものから同じものの両面として、捉えることになった。このとき、ロドス島Rhodusの意味も変容した。ロドスを、ヘーゲルが言い換えた薔薇を指すものとして捉えることになった。「ロドスはヘーゲルの薔薇」なのだが、マルクスが「ロドス」で思い浮かべているのはヘーゲルが言い換えた表現の「薔薇」のことである。強調すれば、マルクスはイソップの「ロドス」を考えていない。「ロドス」Rhodusを「薔薇」Rodonのつもりで表記している。ロドスはマルクスが影響を受けたヘーゲルの「薔薇」を継承したものである。これが副題の「ロドスはマルクスの薔薇」の意図するところである。

「踊る」と「跳ぶ」を振り返る

2025-02-11 | 跳ぶのか、踊るのか。
「踊るのか、跳ぶのか。」(2007年)では、「踊る」のではなく「跳ぶ」を選んでいる。「跳ぶのか、踊るのか。」(2014年)では、「跳ぶ」のではなく「踊る」を選んでいる。2007年では、「踊る」と「跳ぶ」は異なった意味(「踊る」は肯定的理性、「跳ぶ」は否定的理性)を持っていた。2014年でも、それは変わらないが、「跳ぶ」は「踊る」に吸収され、肯定的理性と否定的理性は過程的・継起的ではなく場所的・同時的に連結している。

「ロドスとポールとバラ」改訂版

2025-02-05 | 跳ぶのか、踊るのか。
これは2007年の「ロドスとポールとバラ」(カテゴリー「跳ぶのか、踊るのか。」の3番目の記事) の改訂版である。改訂といっても内容は全く同じで、余白を削って、読みやすくしたものである。

「ロドスとポールとバラ」

Rodos なのか Rhodos なのか、また、rodon なのか rhodon なのか。h は、いるのかいらないのかを調べていたら、一つの記事が目にとまった。その記事は、“Hic Rhodus, hic saltus”は誤訳から生まれた警句であると指摘していた。イソップが「法螺吹」で伝えていた「ロドス」は、島の名前ではなく、棒高跳びで使うポールだったというのである。

“Hic rodos, hic saltus” が原形である(正確にいえば、これの古代ギリシア語の大文字)。「法螺吹」の話は、「事実による証明が手近にある時は、言葉は要らない」という教訓話であるが、ロドス島で跳んだのではなく、ポールを使って跳んだと考えてみても、話はたしかに通じるように思える。(ここにポールがある、ここで跳んでみよ。)

またこの記事は、ポールがロドス島と誤解されたあとで、バラ rhodon と島の名前 Rhodos は結びつくようになったと指摘している。わたしが目にした記事の一部を引用しておこう。
The first mistranslation occurs in the translation from the ancient Greek to Latin. The name of the Greek Island is Ροδος (Rodos), but classical greek only had capital letters. Common Greek, with separate capital and lowercase letters was developed as a result of the conquests of Alexander, in order to make the language easier to learn among non-native speakers (which is when they started using accents in writing, to allow non-native speakers to pronounce words correctly). The quote comes from before Alexander's time, and the word was ΡΟΔΟΣ (RODOS), hence the confusion, because the Greek word ροδος means “rod”, or in Latin “rodus,” which was used to refer to the long stick that athletes uses for pole-vaulting. Some ancient translator haphazardly capitalised the "R" of Rhodos, so people thought it was a reference to the island, but in fact it referred to the rod the boastful athlete used to make his jump. And the Greek word for rose is ροδον, which despite claims to the contrary, cannot be associated with the name of the island, although rhododendrons get their name from this root.

この前後を含めて、くわしく知りたい方は、次を見てください。
   Hic Rhodus, hic salta!



追記 上記の引用部分の拙訳。

最初の誤訳は、古代ギリシャ語からラテン語への翻訳で生じた。ギリシャの島の名前は Ροδοςロドスだが、古典ギリシャ語には大文字しかなかった。小文字と大文字が区別される共通ギリシャ語は、アレクサンダー大王の征服の結果として発展した。これは、非母語話者が言語を学びやすくするためのものだった(この時期にアクセントが書き言葉に使われるようになり、非母語話者が正しく発音できるようになった)。この引用はアレクサンダーの時代以前のもので、その単語はΡΟΔΟΣ(RODOS)だった。そのため、混乱が生じた。なぜなら、ギリシャ語の「ροδος」は「棒」を意味し、ラテン語で「rodus」となり、これは棒高跳びに使う長い棒を指す言葉だったからである。ある古代の翻訳者が「ロドス」の「R」を不注意に大文字にしたため、人々はそれを島を指すものだと誤解したが、実際にはそれは誇り高きアスリートがジャンプをするために使う棒のことを指していた。そして、ギリシャ語で「バラ」を意味するのは「ροδον」で、島の名前とは関係がないはずである(これには反対の主張があるにもかかわらず)。ただし、ツツジ(Rhododendron)の名前はこの語源に由来している。

 

「ロドスと薔薇」改訂版

2025-02-04 | 跳ぶのか、踊るのか。
はじめに

これは2007年の「ロドスと薔薇」(カテゴリー「跳ぶのか、踊るのか。」の2番目の記事) の改訂版である。改訂といっても内容は全く同じで、読みやすくしたものである。この記事の最初はブログではなく、ホームページ(OCN)にHTMLで書いたものである。gooのブログに移行したとき、HTMLのタグが仇となって途中に空白ができ、そのままになっていた。タグを取り余分な空白を削った。

そのころは、弁証法の新しい理論を、堀江忠男の本(『マルクス経済学と現実』学文社)を参考にして深めようとしていた。堀江忠男は、Hic Rhodus, hic salta! を、「ここがロードス島だ、ここで跳べ!」ではなく、「ここがロードス島だ、ここで踊れ!」と訳していた。違和感を持った。「踊るのか、跳ぶのか」や「ロドスと薔薇」で新しい弁証法の理論を展開しようとしていた。

「ロドスと薔薇」

マルクスが、Hic Rhodus, hic salta! をとりあげたのは、『資本論』がはじめてではない。『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』(伊藤新一・北条元一訳 岩波文庫 1954年)でも使っている。このときは、ロドスと薔薇を並記している。
プロレタリア革命は、たとえば十九世紀のそれのように、たえまなく、自分じしんを批判し、自分のみちをすすみながらたえず立ちどまる。そしてふたたびあらたにやりなおすために、一見成就したものにたちもどる。自分の最初の試みの中途半ぱさ、よわさ、くだらなさを、残酷なほど徹底的にあざける。自分の相手をうちたおす、だがそれをするのは、ただ相手をして大地から新しい力をすいとらせ一そう巨大となって自分にふたたびたちむかわせるためにすぎないかのようである。自分の目的のばく然たる巨大さをまえにして、たえずあらたなたじろぎをおぼえる。こうしてついに一切のあともどりが不可能となり、事情そのものがこうさけぶ情勢がつくりだされる。――
   Hic Rhodus, hic salta!(ここがロドスだ、ここでとべ!)
   Hier ist die Rose, hier tanze!(ここにバラがある、ここでおどれ!)

この並記は興味深い。マルクスは、ロドスも薔薇も、跳ぶも踊るも、同じ意味で使っているからである。

わたしは、ヘーゲルの弁証法を薔薇( Hier ist die Rose, hier tanze!)で、マルクスの弁証法をロドス( Hic Rhodus, hic salta!)で理解してきた。わたしの立場をはっきりさせておきたい。まず、マルクス主義の内部でいえば、このときは、マルクスの弁証法観は、まだ、ロドス(跳ぶ)と薔薇(踊る)を分離できるまでには成熟しておらず、形成過程にあったといえるのではないかと思う。マルクスは思索を深めることによって、ロドスと薔薇を区別し、『資本論』ではロドスだけを使った。これはロドスと薔薇の並記を分離していく立場で、実際にマルクスがたどった過程である。
これに対して、結合していく立場があるだろう。わたしが弁証法を探究している立場である。ロドス(否定的理性)と薔薇(肯定的理性)は、複合できるのではないだろうか。わたしはヘーゲルがロドスを薔薇と言い換えたのは、単なるしゃれだと思っていた。しかし、どうやら薔薇(rodon)の語源はロドス島(Rodos)にあるようなのだ。

いま、薔薇の咲いているロドス島を Rhodos( Rhodus ではない)と表記することにしよう。
    Hic Rhodos, hic salta!
薔薇の咲いたロドスで、「salto」すると、踊ることになるのだろうか、それとも跳ぶことになるのだろうか。どちらでもいいことになるだろう。また、もし、ここで「cogito」するなら、否定的理性と肯定的理性の結びつきを直列から並列にならびかえ、矛盾ではなく対話によって進行する弁証法を考える場合を想定できるのではないだろうか。
    Hic Rhodos, hic cogita!
これは「論理的なものの三側面」を解体して、新しい弁証法をめざすわたしの姿勢を表わしているのである。

跳ぶのか、踊るのか。ーーロドスはマルクスの薔薇(全)

2022-08-18 | 跳ぶのか、踊るのか。

目次
  1 saltaは「踊れ」
  2 Hic Rhodus, hic saltus!」の翻訳と注釈
  3 ヘーゲルの薔薇
  4 マルクスのロドス
  5 ロドスの下向と上向

1 saltaは「踊れ」

 「踊るのか、跳ぶのか。」を書いたあと、ある記事が気になった。その記事は、MIA: Encyclopedia of Marxism: Glossary of Terms にあったものである。イソップが「法螺吹」で伝えていた「ロドス」は、島の名前ではなく、棒高跳びで使うポールだったというのである。ギリシア語のrodosやラテン語のrodusはもともと棒を意味していたが、ある古代の翻訳者が偶然にRhodosと大文字で綴りはじめたため、人々は島の名前を指すと考えるようになったというのである。わたしは「ロドスとポールとバラ」で誤訳が発生した理由を述べた箇所を引用して、その記事へのリンクを張った。

 興味がわき真偽のほどを確かめようと図書館で辞書や関連するような文献をみたが、記事が指摘していた単語は見当たらなかった。もしあるとすれば、もっと専門的なギリシア語やラテン語の語源を研究するような文献だろうと思ったが、行き止まりであった。これが2007年である。
 2011年に、「ロドスとポールとバラ」のリンクをたどってみたら、記事は違っていた。まずタイトルが、Hic Rhodus , hic salta! から、Hic Rhodus, hic saltus!に 変わっていた。つぎに、ロドスはもともと島ではなく棒だとする箇所がすべて削除されていた。
 記事には、saltus = jump [noun], salta = dance [imperative]と明記されていた(saltus = 跳躍 [名詞], salta = 踊れ [命令形])。Hic Rhodus, hic salta! は、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」なのであった。

 しかし、私は、saltus が「跳ぶ」、salta が「踊る」ではなく、「跳ぶ・踊る」の意味をもつsalto が原形で、その名詞の対格が saltus 、その動詞の命令形が salta と考えていたので、salta は「踊る」ではなく「跳ぶ」と訳すのが妥当なのだとこれまでの考え方に疑いをもたなかった。そして、この記事もタイトルを変えることによって、ロドスでは「跳ぶ」ことを選んでいると思った。むしろ、ロドスはもともと島でなく棒であるという説の方が気になってきた。ありえないのか。このときも調べたが結果は同じだった。そんななか、「タ メタ タ ポーネーティカ」というサイトを見つけた。これは、古典ギリシア語と日本語を中心に置き、さまざまな言語について考察しているサイトである。それを運営されているユミヤらくと氏に、思いきって、疑問を述べ、教えを請うた。
 返事をいただいたが、うろたえてしまった。

 小文字が成立したのはアレクサンドロスと無関係であること、「棒」という意味をもつ ΡΟΔΟΣ というギリシア語はないこと、ラテン語の rodus (= raudus)にも棒という意味はないこと、英語の rodから連想された作り話ではないか、ようするに、ロドスを「島」でなく「棒」とみる根拠はまったくないことが指摘されていた。
 もしかしたら、という気持ちがあったが、作り話だったのである。しかし、本当にうろたえたのは、これではなかった。

 『世界の名著 44 ヘーゲル』の注は正確であると指摘されたのである。つまり、saltus は「跳ぶこと」で、salta は「踊れ」である。saltus は salto の名詞ではなくて、salio (跳ぶ)の名詞である。salta の訳は「踊れ」が正しく、「跳べ」の方が間違っている。

 アイソーポスの物語(ここがロドスだ、ここで跳べ)とあわないのは、「salta」ということばが使われているからである。アイソーポスの原文は、「 ΠΗΔΗΜΑ (跳ぶこと)」という名詞が使われていて、原文に忠実な訳は、Hic Rhodus, hic saltus!である。また、エラスムスの『格言集』(Adagia 3.3.28)でも Hic Rhodus, hic saltus!である。

  saltusが salta に変わったのは、いつの間にか salta に変化したか、マルクスがヘーゲルの tanze と対応させ 、一瞬でsalta に変えたのか、二つの可能性がある。
 Hic Rhodus, hic salta! の訳は「ここがロドスだ、ここで踊れ」が適切なのである。
 また、saltus はギリシア語の原文とおなじように単数・主格の「サルトゥス」が適切で、複数・対格の「サルトゥース」と考える必要はない。Hic..., hic... という対句で、どちらにも主格の名詞が使われた考える方が素直な読み方である。
 ようするに、「踊るのか、跳ぶのか。」を書いた私の語学的な根拠は真っ向から否定されたのである。

 ユミヤらくと氏は、その後、Hic Rhodus, hic salta! はマルクスの作文であることを確信された。氏とは違った見解を示している辞書やサイト、また私自身の推測を提示し見ていただいたが、ことごとく反駁された。「踊るのか、跳ぶのか。」の語学的な根拠はまったくなくなってしまったのである。
 しばらくして、「タ メタ タ ポーネーティカ」に「ムーンサルト、サルトプス」という記事が出た。おそらく、私とのやり取りからお考えになったことをまとめられたのだと思う。
 Hic Rhodus, hic saltus! に関係するところを、引用しておこう。

イタリア語の salto [サルト]は「とびはねること、ジャンプ、飛躍、急激な変化」っていう意味があって、ラテン語の saltus [サルトゥス](とびはねること、急激な変化)が変化してこれになった(厳密にいうと対格の saltum が salto になったっていわなきゃいけないんだろうけど)。

エラスムスの『格言集』(Adagia III, 3, 28)に Hic Rhodus, hic saltus! [ヒーク ロドス、ヒーク サルトゥス](ここがロドスだ、ここで とんでみろ)っていうのがあるけど、ここに saltus がでてくる。これはアイソーポス(イソップ)の「ほらふき」にでてくることばをラテン語に訳したものなんだけど、この格言はヘーゲルが引用して、さらにそれをうけてマルクスが引用したことで有名になったらしい。ただしマルクスの引用だと最後のことばは salta [サルター](おどれ)になってる。

saltus は salio [サリオー](とびはねる)っていう動詞の動作名詞なんだけど、salto [サルトー](おどる)っていう動詞からつくられた名詞だってまちがえられやすい。マルクスの引用にある salta はこの salto の命令形だ。saltus は動詞の語幹からつくられる第4変化の抽象名詞で、完了受動分詞とか目的分詞(supinum)とおんなじ語幹になる(っていうかこの抽象名詞の対格形が目的分詞になったんだけど)。salio の目的分詞は saltum だから、saltus とおんなじ語幹なのはすぐわかるだろう。ところが salio の反復をあらわす強調形 salito [サリトー](「とびはねる」の反復が「おどる」になるんだろう)が salto になったもんだから、まぎらわしくなった。

 salio(サリオー)跳ぶ、 salto (サルトー)踊る、Hic Rhodus, hic saltus! (ヒーク ロドス、ヒーク サルトゥス)ここがロドスだ、ここで跳べ。ラテン語の読みがついているのがうれしい。
 「踊るのか、跳ぶのか。」を読み直してみると、私の間違いの原因がわかる。

 フォイエルバッハの「ここがアテナイだ、ここで考えろ!」という表現をラテン語に翻訳するとき、Hic Rhodus,hic salta!を参考にした。そのとき「salta」が「salto」の命令形であること知った。このときの学習がそもそも間違いだった。「cogita」は、奇跡的に、考える「cogito」の命令形であった。
 次に、saltus" と "salta" の違いについて説明する森田信也(東洋大教授)の見解を見つけたことである。これは「salta」が「salto」の命令形という私の記憶を支持していたのである。この森田氏の見解は私の最初の間違いを覆い隠したのである。

 堀江忠男は、Hic Rhodus, hic salta! を、「ここがロドスだ、ここで跳べ!」ではなく、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」と主張していた。私は違和感を覚えるのであった。「踊る」と「跳ぶ」の違いは、ヘーゲルとマルクスの違いと思っていたからである。いったい、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」などという訳はありえるのだろうか。これが「踊るのか、跳ぶのか。」のモチーフだった。調べていくと、踊れと訳しているのは、堀江忠男だけではなかったのである。

 『唯心論と唯物論』(フォイエルバッハ)の二人の訳者も「ここがロドスだ、ここで踊れ!」だったのである。私は次のように述べている。

 いったい、船山信一も桝田啓三郎も、どんな理由で「跳ぶ」ではなく、「踊る」と訳したのだろう。堀江忠男と同じなのだろうか。違う理由があるのだろうか。岩波文庫の初版は1955年である。角川文庫の初版も1955年である。そのころは、「踊る」が主流だったのだろうか。
 恥ずかしいかぎりだ。ラテン語に忠実ならば、「踊る」でよかったのである。「跳ぶ」ではないのである。

 私は、「踊る」を「老いたるもの」の立場、「跳ぶ」を「若者」の立場と対応させて理解してきた。いいかえば、「踊る」は肯定的理性、「跳ぶ」は否定的理性と関連させ、ハムレットの表現をかりれば、「踊る」は「to be」(このままでいい)、「跳ぶ」は「not to be」(このままではいけない)と対応すると考えてきた。saltaが「跳べ」ではなく「踊れ」なら、この考えは修正する必要があるだろう。

 しかし、やはり、ロドスでは踊らないのである。ロドスでは跳ぶのである。「踊る」のは薔薇、「跳ぶ」のはロドスである。saltaに「跳ぶ」の可能性がまったくないという条件のもとで、私は自分の考えをつらぬくことができるのだろうか。

   Hic Athenae, hic cogita! (ここがアテナイだ、ここで考えろ!)

 /  /  /  /  / 目次

 

2 「Hic Rhodus, hic saltus!」の翻訳と注釈

  今年(2014年)になって、「ロドスとポールとバラ」のリンクをクリックしてみて、ふたたび、驚いた。そこには、Hic Rhodus, hic salta! はマルクスの作文であることを示すような英文が載っていたのである。2011年とは違った記事なのだろうか。それとも同じ記事なのだろうか。2011年に見たときも、『法の哲学』、『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』、『経済学批判』、『資本論』への言及があり、saltus = jump [noun], salta = dance [imperative]と記述してあったからである。
 しばらくして、A4のコピー用紙がでてきた。記事をコピーしたもので、訳そうと試みた形跡が見て取れた。まったく同じものであった。2011年のときは読み取れなかったのである。
 理由はいくつかある。興味をもっていた説が削除されていることに目を奪われていた。またsaltaは「跳べ」であって「踊れ」とはまったく考えていなかったので、記事がsaltaを「跳べ」から「踊れ」に修正していることが不可解で、内容をくわしく検討する気が起こらなかった。そして、何よりも英語の読解力が不足していた。
 しかし、いまは私もsaltaを「踊れ」と考えざるを得ないのである。
 Hic Rhodus, hic saltus! の全文をまず読んでみる。だいたい段落ごとに、英文を引用し、そのあとに拙訳を付ける。そして注釈をする場合もある。読み終わったあと、私の考えを述べていくことにする。

Hic Rhodus, hic saltus!
 Latin, usually translated: “Rhodes is here, here is where you jump!”
 The well-known but little understood maxim originates from the traditional Latin translation of the punchline from Aesop’s fable The Boastful Athlete which has been the subject of some mistranslations.

Hic Rhodus, hic saltus!
 ラテン語、ふつう、「ここがロドスだ、ここで跳べ」と訳される。
 このよく知られた、しかしほとんど理解されていない箴言は、伝承されてきたイソップの物語「ほら吹きのアスリート」のコピー(punchline)のラテン語訳に由来している。それはいくつかの誤訳の種(subject)となってきた。

In Greek, the maxim reads:
   "ιδού η ρόδος,
   ιδού καὶ τὸ πήδημα"
The story is that an athlete boasts that when in Rhodes, he performed a stupendous jump, and that there were witnesses who could back up his story. A bystander then remarked, ‘Alright! Let’s say this is Rhodes, demonstrate the jump here and now.’ The fable shows that people must be known by their deeds, not by their own claims for themselves.
ギリシャ語では箴言は次のようである。
   "ιδού η ρόδος,
   ιδού καὶ τὸ πήδημα"
物語はこうだ。一人のアスリートが「ロドスにいたとき、素晴らしい跳躍をした。それを証明する証人もいる」と自慢した。すると、傍にいた人が、「わかった、ここがロドスだ、いま、ここでその跳躍を見せよ」と言った。物語が示しているのは、人はその人自身の主張(claims)によってではなく、その行い(deeds)によって知られなければならないということだ。

In the context in which Hegel uses it, this could be taken to mean that the philosophy of right must have to do with the actuality of modern society (“What is rational is real; what is real is rational”), not the theories and ideals that societies create for themselves, or some ideal counterposed to existing conditions: “To apprehend what is is the task of philosophy,” as Hegel goes on to say, rather than to “teach the world what it ought to be.”
ヘーゲルがその箴言を使った文脈のなかでは、次のことを意味していると捉えられるだろう。法の哲学は、社会がみずからのために作りだす理論や理念、すなわち現存する状況に対置する何らかの理想ではなく、現代社会の現実性(理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である)と関わらなければならない。すなわち、ヘーゲルが続けていうように、世界が何であるべきか(what it ought to be)を教えるよりも、世界が何であるか(what is)を把握するのが哲学の課題である。

The epigram is given by Hegel first in Greek, then in Latin (in the form “Hic Rhodus, hic saltus”), in the Preface to the Philosophy of Right, and he then says: “With little change, the above saying would read (in German): “Hier ist die Rose, hier tanze”:
     “Here is the rose, dance here”
箴言は『法哲学』序文のなかで、ヘーゲルによって、まずギリシャ語、次にラテン語(Hic Rhodus, hic saltus!の形で)で示された。そしてヘーゲルは言う、少し変えれば、上の箴言はこう読まれるだろう(ドイツ語で)。Hier ist die Rose, hier tanze.
        ここに薔薇がある、ここで踊れ。

This is taken to be an allusion to the ‘rose in the cross’ of the Rosicrucians (who claimed to possess esoteric knowledge with which they could transform social life), implying that the material for understanding and changing society is given in society itself, not in some other-worldly theory, punning first on the Greek (Rhodos = Rhodes, rhodon = rose), then on the Latin (saltus = jump [noun], salta = dance [imperative]).
これは、まずギリシャ語でロドスを薔薇(Rhodos=ロドス、rhodon=薔薇)にもじり、次にラテン語で跳躍を踊れ( saltus=跳躍[名詞] salta=踊れ[命令形])に言い替えたものである。そしてそれは薔薇十字団(社会生活を変えることができる深遠な知識を所有していると主張した)の「十字架の薔薇」を暗示していると考えられ、社会を理解し変革する材料は、何か空想の(other-worldly)理論のなかではなく、社会それ自身のなかに与えられていることを意味している。

 注 この説明のなかで、「薔薇」を薔薇十字団と関連づけているのは誤った見方である。薔薇はルターの紋章「薔薇と十字架」の薔薇である。ルターの想起が、ヘーゲルの言い替えの動機である。
 また、「社会を理解し変革する材料は、何か空想の(other-worldly)理論のなかではなく、社会それ自身のなかに与えられていること」に限定しているのも、誤っている。哲学の課題について述べた内容を意味していると見るべきだろう。すなわち、「世界が何であるべきか(what it ought to be)を教えるよりも、世界が何であるか(what is)を把握する」ことを意味している。
 この段落では、言葉の言い替えの指摘だけが読むに値していて、あとは間違っている。それが先に書いてあるので、とても疲れる英文になっている。 
 ここまでが記事の前半である。後半は次のように始まる。

In 18th Brumaire of Louis Bonaparte, Marx quotes the maxim, first giving the Latin, in the form:
     “Hic Rhodus, hic salta!”,
 ―― a garbled mixture of Hegel’s two versions (salta = dance! instead of saltus = jump), and then immediately adds: “Hier ist die Rose, hier tanze!”, as if it were a translation, which it cannot be, since Greek Rhodos, let alone Latin Rhodus, does not mean “rose”. But Marx does seem to have retained Hegel’s meaning, as it is used in the observation that, overawed by the enormity of their task, people do not act until:
      “a situation is created which makes all turning back impossible,
       and the conditions themselves call out: Here is the rose, here dance!.”
『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』で、マルクスはその箴言を引用している。最初にラテン語で、次のように
       Hic Rhodus, hic salta!
   ――ヘーゲルの二つの言い替え(versions)の歪んだ混合物( saltus跳躍の代わりにsalta踊れ)、そしてそれからすぐに続けている。Hier ist die Rose, hier tanze! まるで、翻訳であるかのように。しかしそれはあり得ないのである、なぜなら、ギリシャ語のRhodos、ましてやラテン語のRhodusは薔薇を意味しないからである。しかし、マルクスはヘーゲルの真意(meaning)を引き継いでいるように見える。というのは、その箴言は次のような見解(observation)のなかで使われているからである。課せられた課題の巨大さに威圧されて、人々は動くことができない、そしてついに(until)、
 もどることがまったく不可能となり、状況そのものが次のように叫ぶ情勢が作られる。
    「ここに薔薇がある、ここで踊れ」

 注 この指摘は『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』でマルクスがラテン語とドイツ語を併記していることを分析したものである。garbleには、伝言などを混乱して伝えるという意味がある。そこから、ごっちゃにする、歪曲するという意味も生じてくる。a garbled mixtureというのは、ヘーゲルが、ロドスを薔薇に、跳躍を踊れに、二つの言い替えをしたが、マルクスは、一方しか翻訳していないことを指したものである。
 a garbled mixture of Hegel’s two versionsが跳躍点となったとだけ述べて、記事の続きを読んでおこう。

and one is reminded of Marx’s maxim in the Preface to the Critique of Political Economy:
“Mankind thus inevitably sets itself only such tasks as it is able to solve, since closer examination will always show that the problem itself arises only when the material conditions for its solution are already present or at least in the course of formation!.”
そして、『経済学批判』序文のマルクスの定式の一つが思い出される。すなわち
人はつねに、解決できる課題だけを提起する。というのは、くわしく考察してみると、課題そのものは、その解決の物質的な条件が、すでに存在しているか、少なくとも形成の過程にあるときにだけ、生じることをつねに示すからである。

So Marx evidently supports Hegel's advice that we should not “teach the world what it ought to be”, but he is giving a more active spin than Hegel would when he closes the Preface observing:
“For such a purpose philosophy at least always comes too late. ...
The owl of Minerva, takes its flight only when the shades of night are gathering.”
マルクスは明らかにヘーゲルの「われわれは世界が何であるべきかを教えるべきでない」という忠告を受け継いでいる。だがマルクスは、ヘーゲルが『法の哲学』の序文を次のように述べて閉じるときに示していた解釈より、もっと積極的な解釈(spin)を示している。
そのような目的のためには、哲学はいつも来るのが遅すぎるのである。……ミネルバの梟は、夜の影が集まってくるときにはじめて飛ぶのである。

Marx also uses the phrase, but with salta instead of saltus, but with more or less the meaning intended by Aesop in Chapter 5 of Capital.
 マルクスはまた『資本論』第5章で、およそイソップによって意図された意味で、その箴言(saltusの代わりにsaltaを用いたもの)を使っている。
 注 私の考えでは、マルクスは使っていない。
 以上が、Hic Rhodus, hic saltus!の全文である。これから、私の考えを述べていくことにしよう。

 /  /  /  /  / 目次

 

3 ヘーゲルの薔薇

 あるのは次の三つの箴言である。この関係をどのように捉えるかである。
     Hic Rhodus, hic saltus!(イソップ)
     Hier ist die Rose, hier tanze!(ヘーゲル)
     Hic Rhodus, hic salta!(マルクス)
 まず、Hic Rhodus, hic saltus!(イソップ)とHier ist die Rose, hier tanze!(ヘーゲル)の関係をみておこう。

 ヘーゲルは『法の哲学』(藤野渉訳)の序文で、次のように述べている。

   Ἰδοὺ Ρόδος, ἰδοὺ χαὶ τὸ πήδημα.
   Hic Rhodus, hic saltus.
   〔ここがロドスだ、ここで跳べ〕
 存在するところのものを概念において把握するのが、哲学の課題である。というのは、存在するところのものは理性だからである。個人にかんしていえば、誰でももともとその時代の息子であるが、哲学もまた、その時代を思想のうちにとらえたものである。なんらかの哲学がその現在の世界を越え出るのだと思うのは、ある個人がその時代を跳び越し、ロドス島を跳び越えて外へ出るのだと妄想するのとまったく同様におろかである。その個人の理論が実際にその時代を越え出るとすれば、そして彼が一つのあるべき世界をしつらえるとすれば、このあるべき世界はなるほど存在しているけれども、たんに彼が思うことのなかにでしかない。つまりそれは、どんな好き勝手なことでも想像できる柔軟で軟弱な領域のうちにしか、存在していない。
 さっきの慣用句は少し変えればこう聞こえるであろう――
   ここにローズ(薔薇)がある、ここで踊れ。
 自覚した精神としての理性と、現に存在している現実としての理性との間にあるもの――まえのほうの理性をあとのほうの理性とわかち、後者のうちに満足を見いだせないものは、まだ概念にまで解放されていない抽象的なものの枷である。
 理性を現在の十字架における薔薇として認識し、それによって現在をよろこぶこと。この理性的な洞察こそ、哲学が人々に得させる現実との和解である、―― いったん彼らに、概念において把握しようとする内的な要求が生じたならば。

 ヘーゲルは「ここがロドスだ、ここで跳べ」の直後に、「存在するところのものを概念において把握するのが、哲学の課題である。」と続けている。このことから、ヘーゲルがこの箴言に読み込んでいるのは「哲学の課題」であり、「存在するものを概念において把握する」(to apprehend what is) ことであると捉えるのが妥当だろう。

 ヘーゲルはイソップの物語を知らなかったわけではないだろう。しかし、ここではその物語は捨象され、Hic Rhodus, hic saltus!だけがとり出されていることに注意しなければならない。そしてヘーゲルは「ロドス」と「跳ぶ」に特異な解釈をしている。イソップでは、ロドス島のなかの運動場とそこでおこなわれた走り幅跳びの「跳ぶ」が問題になっている。これに対して、ヘーゲルは、まずロドス島全体とその「跳ぶ」(「跳び越え」)を問題にしている。そして、その「跳び越えて外へ出る」ことが不可能なことをイメージさせることによって、哲学が時代を越え現在の世界を越え出ると考えるのは、妄想であり愚かであると指摘する。そしてそのような考え方を排除すると同時に、「跳ぶ」をロドスの内部に制限するのである。このように、ヘーゲルは、「存在するものを概念において把握する」(to apprehend what is) ことを表現するものとしてHic Rhodus, hic saltus! (ここがロドスだ、ここで跳べ!)を取り上げているのである。

 ヘーゲルのHic Rhodus, hic saltus!は、端的にいえば、現実(ロドス)で、哲学せよ(跳べ)という意味である。そしてこのように変位された「ロドス」と「跳べ」に対して、言い替えが行われる。
     Rhodus ――  Rose
     saltus  ―― tanze
 言い替えをしたのは、哲学の課題の端的な表現としてHic Rhodus, hic saltus!を取り上げたが、それはあまりにもイソップの物語と違っている。そのために同じ内容をヘーゲル独自の表象で表わす必要を感じたからだろう。
     「ここにローズ(薔薇)がある、ここで踊れ。」
 これには次のような注が付いている。 「ギリシア語のロドス(島の名)をロドン(ばらの花)、ラテン語の saltus(跳べ)をsalta(踊れ)に「すこし変え」たしゃれ。ヘーゲルはここにギリシア語もラテン語も記してはいないが。」

 いま改めてこの注を見ていると、おかしなことに気づく。ヘーゲルはラテン語の saltus(跳べ)をドイツ語の tanze(踊れ)に変えたのであって、salta(踊れ)に変えたのではない。ヘーゲルはギリシア語もラテン語も記してはいないのである。さかのぼって言えば、英文の記事(punning first on the Greek (Rhodos = Rhodes, rhodon = rose), then on the Latin (saltus = jump [noun], salta = dance [imperative].)も厳密にいえば正しくないのである。
 ちなみに、ギリシア語で、ロドス(島の名)はΡοδοςである。これをローマ字表記したのがRhodosである。また、ロドン(ばらの花)はροδονで、ローマ字表記がrhodonである。
 「十字架における薔薇」には次のような注が付いている。

 十字架は苦しみ、ばらは喜びのしるし。『宗教哲学』でも「現在の十字架のうちにばらをつむためには、おのれ自身に十字架を負わなくてはならない」と述べている。別のところでヘーゲルは「ばら十字架会の周知のシンボル」と記しているから、十七、八世紀ごろの神秘主義的な秘密結社「ロ-ゼンクロイツァー」Rosenkreuzerのシンボルからの示唆かと思われるが、メッツケによると、ルターの楯紋様が白いばらで取り囲まれた一つの心臓のまんなかに黒い十字架を描き、題銘に「キリスト者の心は十字架のまなかにあるときばらの花に向かう」とあるのを連想し、ルターにおいてはキリスト信仰の純粋な表現であったものがヘーゲルでは理性信仰になり、現実のもろもろの対立分裂のなかにおける和解の力としての理性のシンボルになるという。

 メッツケの解釈が正しいと思う。ロドス(島の名)をロドン(ばらの花)に変えるとき、ルター(の紋章「薔薇と十字架」)への同調があったのである。これはもっと強調されてよいと思う。
 「現に存在している現実としての理性」は「十字架における薔薇」といいかえられる。
 十字架は現実、薔薇は理性と対応している。「十字架における薔薇」は、「理性的であるものこそ現実的であり、現実的であるものこそ理性的である。」(What is rational is real; what is real is rational.)というヘーゲルの基本的な思想を象徴しているのである。
 「ここに薔薇がある、ここで踊れ」を省略しないで表現すると「ここに十字架における薔薇がある、ここで踊れ」である。ヘーゲルの薔薇は十字架における薔薇である。そして、理性を現在の十字架における薔薇として認識するとは、理性的なものを現実的なもののうちにおいてのみ把握するということである。

 ヘーゲルはイソップのHic Rhodus, hic saltus! (ここがロドスだ、ここで跳べ!)を解釈して、次のように要約した。
     ロドス(現実)で、跳べ(哲学せよ)。
 Hier ist die Rose, hier tanze!も同じように、
     薔薇(現実)がある、踊れ(哲学せよ)。 である。
 しかし、薔薇の方が、内に秘められている理性と現実の関係が見やすくなっていて、美しく深みのある箴言になっているように思える。

 /  /  /  /  / 目次

 

4 マルクスのロドス

 こんどは、Hier ist die Rose, hier tanze!(ヘーゲル)とHic Rhodus, hic salta!(マルクス)の関係についてみていこう。
 マルクスは『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』(伊藤新一・北条元一訳)で次のように述べている。

自分の目的のばく然たる巨大さをまえにして、たえずあらたなたじろぎをおぼえる。こうしてついに一切のあともどりが不可能となり、事情そのものがこうさけぶ情勢がつくりだされる。――
   Hic Rhodus, hic salta!
   Hier ist die Rose, hier tanze!

 記事は、マルクスがラテン語とドイツ語を併記しているのを、ありえないが、まるで翻訳のようだと述べていた。私は次のように読み替える。

   as if it were a translation(まるで翻訳)を it was a translation(翻訳)に、
   it cannot be (ありえない)をit can be(ありえる)に。

 ヘーゲルのHier ist die Rose, hier tanze!を翻訳したものとして、Hic Rhodus, hic salta!を捉える。つまり、saltaはtanzeの訳で「踊れ」である。そしてRhodusはギリシア語でもラテン語でもあり得ないが、Roseの訳で「薔薇」である。ありえないはずの翻訳がありえたと想定する。Rhodusは、当時でも現代でも「ロドス」という島を指すが、saltaと初めて結びついたRhodusは、島の名前ではなく、薔薇なのである。マルクスはラテン語とドイツ語で、同じ一つのことを言ったのである。「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」と。マルクスの頭の中では、RhodusはRoseなのである。マルクスはrhodonのつもりでRhodusと書いているのである。

 rhodonはギリシア語の薔薇ροδονのローマ字表記である。ドイツ語では名詞を大文字で始める。それゆえrhodonではなく、Rhodon。ロドスの古名Rhodosなら一字違い、Rhodusなら二字違いである。it can be(ありえる)である。
 マルクスは Hier ist die Rose, hier tanze!(ここに薔薇がある、ここで踊れ!)をラテン語に翻訳しただけである。ラテン語の表現もドイツ語の表現も、英語の表現でいえば、Here is the rose, here dance!と言っているだけなのである。Hic Rhodus, hic salta!は、『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』を書いているマルクスの頭の中では、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」とか、「ここがロドスだ、ここで跳べ!」という意味をもっていない。「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」なのである。

 なぜドイツ語の提示だけでなくラテン語に訳しそれを先に提示したのかといえば、それはヘーゲルの「法哲学」ではなく、「ヘーゲル法哲学批判」の立場を鮮明にしたかったからである。いいかえれば「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」の精神を、ミネルバの梟ではなくガリヤの雄鶏に、夕暮れではなく明け方に、和解ではなく挑戦において継承しようとする意志を表していると考えられるのである。ヘーゲルを継承しその先へ行くという姿勢を表しているのである。記事がいうa more active spin(もっと積極的な解釈)である。
 ヘーゲルが「存在するところのものは理性である」と見たのに対して、マルクスは「存在するところのものは理性を実現していない」と見たのである。マルクスは「世界が何であるか(what is)」を把握するだけでなく、「世界が何であるべきか(what it ought to be)」を展開しようとしたのである。

 Hic Rhodus, hic salta!というラテン語を正確に訳せば、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」である。しかし、マルクスはその意味の表現を意図したのではなく、あくまでも、Hier ist die Rose, hier tanze!の翻訳として提起したのである。もちろん、それはマルクスの内部においてだけ成立する。そしてマルクスは生涯にわたって、この間違いに気づかないのである。Hic Rhodus, hic salta!は、マルクスにとって、「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」なのである。ロドスはマルクスの薔薇なのである。

 しかし、マルクスの表現したHic Rhodus, hic salta!を他の人が読むと、薔薇の花はたちまちロドス島に変わることになる。薔薇がロドスに変わったあと、二つの読まれ方をすることになる。「ここがロドスだ、ここで踊れ!」と「ここがロドスだ、ここで跳べ!」である。

 最初は「ここがロドスだ、ここで踊れ!」の方だったろう。フォイエルバッハの『唯心論と唯物論』(桝田啓三郎訳)には次のようなところがある。

すなわち私とは、ここで考えるこの個人、ここでこの肉体のなかで、とりわけ汝の頭の外にあるこの頭の中で考えるこの個人のことなのである。単に「ここがロドスだ、さあ踊ってみろ」といわれるばかりでなく、また、ここがアテナイだ、さあ考えてみろ、ともいわれるのである。
 「ここがロドスだ、さあ踊ってみろ」を正確にラテン語に翻訳すると、Hic Rhodus, hic salta!である。フォイエルバッハはマルクスの作ったラテン語の箴言を引用していると思われる。

 「ここがロドスだ、さあ踊ってみろ」には訳注がついていて、Hic Rhodus, hic salta!への言及がある。

 アイソポスの寓話、いわゆるイソップ物語にある寓話に由来する言葉。ロドス島ではオリンピック選手の誰にもまけないほど巧みな跳躍をしたといってホラを吹く競技者に向かって、市民の一人が、それならここがロドスだと思って跳んでみせろ、といった話から、hic Rhodus,hic salta(ここがロドスだ、ここで踊れ)という言葉が、なにごとでもひとに信じてもらいたければ人の目の前で事実を示して証明しなくてはならぬ、という意味の格言になって伝えられた。ここではこの格言的な意味ではなく、ヘーゲルが『法の哲学』の序で、個人が時代の子であるように、哲学も時代の子であって現在の世界を越えることはできないとして、ここでこのロドスで哲学しなくてはならぬと語ったのをもじって、ここにいるこの個人に結びつけているのである。(最初が大文字ではなく小文字になっているのは訳注にある通りで、引用の間違いではない。)
 この訳注には「跳ぶ」と「踊る」が混在している。「ここがロドスだと思って跳んでみせろ」の直後に、「ここがロドスだ、ここで踊れ」である。Hic Rhodus, hic salta!が掻き乱しているのである。

 桝田啓三郎はHic Rhodus, hic salta!(ここがロドスだ、ここで踊れ!)が格言として伝えられたと述べているが、これは誤解である。格言として伝承されてきたのは、Hic Rhodus, hic saltus!の方である。そして、Hic Rhodus, hic salta!は1852年に、マルクスによって作られたばかりの表現なのである。

 注の後半に、「ここでこのロドスで哲学しなくてはならぬと語ったのをもじって、ここにいるこの個人に結びつけているのである」(二つの「ここ」・「この」には強調の傍点がある)とある。この指摘は正しいが、背景がまったく違っている。ヘーゲルのロドスは、Hic Rhodus,hic salta(ここがロドスだ、ここで踊れ)ではなく、Hic Rhodus, hic saltus!(ここがロドスだ、ここで跳べ!)である。

 ちなみに、フォイエルバッハは『唯心論と唯物論』を書いていたのは1863年から1866年のあいだと解説にある。ここの引用は、『資本論』(1867年)ではなく『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』(1852年)からのものであることがわかる。 

 このように、マルクスのHic Rhodus, hic salta!は、マルクスの頭の外にある個人の頭の中では、違った意味に捉えられるのである。「ここがロドスだ、ここで踊れ!」が最初に現れた例である。
 「ここがロドスだ、ここで踊れ!」は、ラテン語の意味としては正しい翻訳である。しかし、伝承されてきたイソップの物語とはまったく切断されていて、歴史的にも文化的にも孤立した表現であるというべきだろう。

 /  /  /  /  / 目次

 

5 ロドスの下向と上向

 最後に、Hic Rhodus, hic salta!(マルクス)とHic Rhodus, hic saltus!(イソップ)の関係をみることにする。
 『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』にもどって、確認しておこう。先の引用はあえて、ラテン語の表現とドイツ語の表現に注釈を付けなかった。実際は、次のようになっているのである。

自分の目的のばく然たる巨大さをまえにして、たえずあらたなたじろぎをおぼえる。こうしてついに一切のあともどりが不可能となり、事情そのものがこうさけぶ情勢がつくりだされる。――
   Hic Rhodus, hic salta!(ここがロドスだ、ここでとべ!)
   Hier ist die Rose, hier tanze!(ここにバラがある、ここでおどれ!)
 このように、19世紀のドイツで表現されたものが、時代を越え、国を越えて、20世紀の日本にまで来ると、マルクスが同じ一つのことを言っているのではなく、イソップとヘーゲルの二つを併置していると捉えられるようになるのである。

 確認しよう。ここには、次のような注が付いている。

 はじめの行のラテン語、ここがロドスだ、ここでとべ、はイソップ寓話の一つ(岩波文痺『アイソーボス寓話』第五一話)に由来する。「ロドス島のとびくらべでものすごくとんだ、ちゃんと証人がいる」といってほらを吹く人に、「証人なんかいりゃしない、ここがロドス島だ、ここでとんでみろ」という話である。すなわち、ここで実践してみせろの意。ところでつぎのドイツ語、ここにバラがある、ここでおどれは、ロドス島がロドンすなわちバラに由来した名でバラの花で有名な島であることから、ロドスにバラをひっかけたしゃれであって、ヘーゲルは『法律哲学』の序文で「ここがロドスだ、ここでとべ」をこう言いかえることができるといっている。マルクスはここでこのヘーゲルの文章を思い出して、前の句にこれをつけたのである。
 Hic Rhodus, hic salta! の「salta」が「跳べ」と読まれるようになったのは、『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』ではなく、『資本論』だっただろう。そもそも『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』は当時、マルクスの周辺の人が読んだだけで、ほとんど読まれていないと言っていい。しかし、『資本論』は多くの人に読まれたのである。

 『資本論』には、Hic Rhodus, hic salta!だけが書いてある。そして、次のような注釈がついている。「ここがロドスだ、さあ跳べ!」(向坂逸郎、岩波文庫)、「ここがロドスだ、さあ跳んでみろ!」(大内兵衛・細川嘉六、大月書店)。ここに初めて、二番目の読み方が登場したのである。
 『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』では無理だったろう。そこには二本の薔薇が並んでいた。『資本論』において、ヘーゲルの薔薇Roseと切り離され、単独でマルクスの薔薇Rhodusとして提起されて初めて、saltaは「跳ぶ」可能性をもったのである。『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』ではsaltaは「踊る」のままで、「跳ぶ」兆候はないのである。

 『資本論』のHic Rhodus, hic salta!も『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』と同じである。これはマルクスの頭の中では、「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」である。マルクスの内部では、これは積極的になったHier ist die Rose, hier tanze! である。Rhodusはマルクスの薔薇なのである。しかし、いったんマルクスから離れ、多くの人に読まれ始めると、Rhodusはロドス島とみえ、Hic Rhodus, hic saltus!と結びつく可能性が生まれたのである。そして、実際、saltaは、命がけの跳躍(salto mortale)をして、saltusになったのである。いいかえれば、saltaは「跳ぶ」に変わったのである。

 「ここがロドスだ、ここで跳べ!」はマルクスが作ったのではない。マルクスの頭の外で作られたのである。命がけの跳躍(salto mortale)はマルクスの頭の外で起こったのである。いいかえれば、マルクス主義の運動が作り出したのである。ラテン語には精通していないが、イソップの物語はよく知っている人たちが多くいたのである。
 それはマルクスの精神を否定するものではなく、マルクスの精神をより積極的に表現したのである。マルクスが、ヘーゲルのHier ist die Rose, hier tanze!をラテン語に翻訳したのは、ヘーゲルの精神を積極的にとらえ直すことにあった。このときマルクスは誤ってHic Rhodus, hic salta!と書いた。こんどは、正しい「踊る」saltaが「跳ぶ」saltusと誤って読まれ、Hic Rhodus, hic saltus!と重なることによって、このマルクスの精神は、さらに積極的に捉えられるようになったのである。
 マルクスの精神はマルクスの頭の外で補完され実現されたのである。
     Hic Rhodus, hic salta!(ここがロドスだ、ここで跳べ!) 

 初めに『資本論』である。そこでsaltaが「跳ぶ」に変わった。次に『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』が読まれるようになって、二本の薔薇が、ロドスと薔薇に分かれる。「ここがロドスだ、ここで跳べ!」(イソップ)と「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」(ヘーゲル)が併置されていると解釈されるようになったのである。

 私の学生時代は1970年代前半だが、Hic Rhodus, hic salta!は、もっぱら「ここがロドスだ、ここで跳べ!」であった。『唯心論と唯物論』も読んだが、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」は目に入らなかった。「ここがロドスだ、ここで踊れ!」という訳があることは、堀江忠男を読むまでまったく自覚することはなかったのである。
 堀江忠男はHic Rhodus, hic salta!の成立過程を次のように捉えていた。(『弁証法経済学批判』参照)

 「Hic Rhodus, hic saltus!」(ここがロドスだ、ここで跳べ!)。Hier ist die Rose, hier tanze!(これが薔薇だ、ここで踊れ!)をラテン語に直した「Hic rodon, hic salta! 」。マルクスはこの二つを知っていて、前半Hic Rhodusと後半hic salta!を結びつけて、Hic Rhodus, hic salta!と書いた。それゆえ、これは「ここがロドスだ、ここで跳べ!」ではなく「ここがロドスだ、ここで踊れ!」

 そして、その考えを自然なものにするために、古代ギリシアまでさかのぼって、イソップの話を書き替えたのである。

 余談だが、ロードス島というのは、ギリシアの東南方の海上、トルコ半島の西南端に近い島で、紀元前から地中海貿易の要衝だったところである。したがって、芝居、奇術、踊りなどの興業が盛んだったらしい。アイソフォスの寓話のなかに、ロードス島で他人が真似のできないほどすばらしく踊ったという人にむかって「ここでロードス島だと思ってもう一度踊ってみよ」といった話がある。
 しかし、ロドスでは踊らないのである。ロドスでは跳ぶのである。踊るのは、薔薇。跳ぶのはロドスである。しかしマルクスの書いているラテン語は、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」である。堀江とは違った成立過程を提示しなければならないと思った。

 イソップのHic Rhodus, hic saltus!が、ヘーゲルによって独特な解釈をされ、Hier ist die Rose, hier tanze!なった過程をRhodusの下向ということにしよう。そして、ヘーゲルの薔薇が誤って翻訳され、ふたたびRhodusになり、Hic Rhodus, hic salta!になった過程を、Rhodusの上向としよう。

 ヘーゲルによる下向。イソップのロドスRhodusは、現実と置き換えられ、薔薇Roseとなる。他方、跳躍saltusは、存在するものを把握する(「to apprehend what is 」)行為として、踊れ tanzeになった。

 マルクスによる上向。ヘーゲルの薔薇は誤ってラテン語に翻訳されロドスRhodusとなる。他方、踊るtanzeは正確に翻訳されてsaltaとなったが、このとき踊るsaltaは、「和解」ではなく「挑戦」の色彩を帯びるようになった。

 そしてHic Rhodus, hic salta!はロドスRhodusを支点にして、Hic Rhodus, hic saltus!と関連するようになった。そして、Rhodusは、「薔薇」から「ロドス」に変わり、saltaは「踊れ」から「跳べ」に変わったのである。

 「ここがロドスだ、ここで跳べ!」は、一つの与えられた課題(task)に挑戦する人(自分でも他人でも)を鼓舞する箴言として把握されるようになっている。 

 これはイソップのHic Rhodus, hic saltus!(主張と行為)ともヘーゲルのHier ist die Rose, hier tanze!(現実と哲学)とも違っている。しかし、「踊る」saltaが「跳べ」と解釈されることによって、両者を複合した意味をもつようになったのである。

 「主張と行為」の関係の中に「現実と哲学」の関係が入り込み、また「現実と哲学」の中に「主張と行為」が入り込んで、両者が「課題と挑戦」を構成している。
     Hic Rhodus, hic salta!(ここがロドスだ、ここで跳べ!)
 「ここがロドスだ、ここで跳べ!」は、ラテン語の意味としては誤った翻訳である。しかし、伝承されてきたイソップのHic Rhodus, hic saltus!とヘーゲルのHier ist die Rose, hier tanze!を止揚していて、歴史的にも文化的にも連帯している表現なのである。

 踊るのか、跳ぶのか。跳ぶのか、踊るのか。saltaの意味が振れる原因を、Rhodusと saltaの奇妙な結合に見出し、ロドスの下向と上向という過程が19世紀に起きたと想定することによって、Rhodusと saltaの謎を解こうとしたのである。

 以前(「踊るのか、跳ぶのか。」)は、肯定的理性・「to be」(このままでいい)と否定的理性・「not to be」(このままではいけない)を「踊る」と「跳ぶ」で区別していた。
    「踊る」 ―― 肯定的理性・「to be」(このままでいい)
    「跳ぶ」 ―― 否定的理性・「not to be」(このままではいけない)
 いまは、「踊る」で区別できる。「踊る」のドイツ語表記tanzeとラテン語表記saltaである。
    「踊る」tanze(和解) ―― 肯定的理性・「to be」(このままでいい)
    「踊る」salta(挑戦) ―― 否定的理性・「not to be」(このままではいけない)

 日本語の「踊る」に着目すれば、「踊るのか、跳ぶのか。」では、肯定的理性・「to be」だけに限定されていた「踊る」は、いまはすべて(肯定的理性・「to be」と否定的理性・「not to be」)を含むようになっている。「踊る」の拡張が、以前との大きな違いである。
 ロドスでは踊らない。なぜならマルクスのHic Rhodus, hic salta!は、積極的になったHier ist die Rose, hier tanze!だからである。ロドスとは関係ないのである。
 踊るのは薔薇。これはヘーゲルとマルクスが共有する認識である。Hier ist die Rose, hier tanze!とHic rhodon, hic salta! 。これはHic Rhodus, hic salta!の基礎である。

 跳ぶのはロドス。Hic Rhodus, hic salta!が多くの人に読まれはじめると、Rhodusを支点にHic Rhodus, hic saltus!と関連して、saltaは踊るから跳ぶに変わったのである。
    「踊る」tanze ―― 肯定的理性・「to be」(このままでいい)
    「跳ぶ」salta ―― 否定的理性・「not to be」(このままではいけない)
 踊るのか、跳ぶのか。跳ぶのか、踊るのか。揺れるのは、 Rhodusとsaltaの奇妙な結合に由来している。a garbled mixture of Hegel’s two versions ―― Hic Rhodus, hic salta!。

 あと一つ指摘して終わろう。
 マルクスが『資本論』の第1巻を仕上げようとしていたころ、ドイツの知識人たちは、ヘーゲルを「死せる犬」として取り扱っていた。これに対して、マルクスは、次のように述べている。
「それだからこそ、私は自分があの偉大な思想家の弟子であることを率直に認め、また価値論に関する章のあちこちでは彼に特有な表現様式に媚を呈しさえしたのである。」
 これを集約した表現が Hic Rhodus, hic salta! である。いまでは世界中で、「ここがロドスだ、ここで跳べ!」と読まれているが、マルクスが書いているのは、「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」なのである。ロドスはマルクスの薔薇なのである。

(了)
 /  /  /  /  / 目次





「踊るのか、跳ぶのか。」改訂

2022-08-16 | 跳ぶのか、踊るのか。
はじめに

 これは2007年の「踊るのか、跳ぶのか。」(カテゴリー「跳ぶのか、踊るのか。」の最初の記事) の改訂版である。改訂といっても内容は全く同じで、読みやすくしたものである。この記事の最初はブログではなく、ホームページ(OCN)にHTMLで書いたものである。gooのブログに移行したとき、HTMLのタグが仇となって、途中に空白ができ、読みにくくなった。またリンクはどれもたどれなくなっている。

 ときどき「跳ぶのか、踊るのか。ーーーロドスはマルクスの薔薇」の記事が読まれている。こちらは2014年のものである。「踊るのか、跳ぶのか。」(2007)に疑問を持ち、克服しようとまとめたのが、「跳ぶのか、踊るのか。」(2014)である。

 わたしも振り返って読んでみたいと思った。

踊るのか、跳ぶのか。

 堀江忠男は、Hic Rhodus, hic salta! を、「ここがロードス島だ、ここで跳べ!」ではなく、「ここがロードス島だ、ここで踊れ!」と訳している(『マルクス経済学と現実』学文社)。わたしには、踊ると跳ぶの違いは、肯定と否定の違いに等しく、違和感を覚えるのであった。「踊る」のイメージは、現実に対する肯定的認識、現実との和解、観想の立場と結びついていて、「跳ぶ」のイメージとは、かけ離れていたのである。わたしのこのイメージは、許萬元の『弁証法の理論』から来ている。
「哲学がその灰色を灰色にえがく時には、生命の姿は老いている。そして、灰色を灰色にえがいたところで、生命の姿は若返らせられるのではなく、ただ認識されるだけなのである。」 すでに見られたように、一般に歴史的、実践的な立場は「青年」の立場であるが、反歴史的、非実践的な観想の立場は「老いたるもの」の立場であり、ここにいう「認識」の立場なのである。現実を実践的当為にもとづいて根こそぎ改革しようとする若者とは異なって、老いたるものは、むしろ現実に対する肯定的認識によって現実そのものと融和することをめざすのである。完成した現実は存在する理性そのものである。だからヘーゲルは、「ここにバラがある。ここで踊れ」という。「バラとしての理性( die Vernunft als die Rose )を現在の十字架のうちに認識し、よってもってこれを楽しむためには、この理性的洞察は、現実との和解( die Versohnung mit der Wirklichkeit )を概念的に把握( begreifen )しなければならないのである。」
 わたしは、踊るを「老いたるもの」の立場、跳ぶを「若者」の立場と対応させて理解してきた。いいかえば、踊るは肯定的理性、跳ぶは否定的理性と関連し、ハムレットの表現をかりれば、踊るは「to be」(このままでいい)、跳ぶは「 not to be」(このままではいけない)と対応すると考えてきたのである。
 いったい、「ここがロードス島だ、ここで踊れ!」などという訳はありえるのだろうか。

 しばらくして、堀江忠雄が『弁証法経済学批判』のなかで、意図的に「跳べ」ではなく「踊れ」を選択していることを知った。次のように説明していたのである。
 余談だが、ここのHic Rhodus, hic salta! は、「ここがロードス島だ、ここで跳べ」と訳されている場合が多いのに、「ここで踊れ」と訳したのは次の理由からだ。ヘーゲルの『法の哲学』の序文に Hic Rhodus, hic saltus. という言葉がある。これが「ここがロードスだ、ここで跳べ」である。これは『イソップ物語』に出てくる寓話の一節で、あるほら吹きがロードス島でものすごい飛躍をしたと自慢したので、聞いた人が「ほんとだったら、ここがロードス島だと思って、跳んで見せろ」といったら、参ってしまったという話だ。 さて、ヘーゲルはついで「さきの慣用句はすこし変えればこう聞こえるだろう。Hier ist die Rose, hier tanze!? これがローズ(ばら)だ、ここで踊れ!」(以上、両文とも Hegel, Grundlinien der Philosophie des Rechts, HW, 7, S. 26.にある。二章(8)の資料 『世界の名著――ヘーゲル』171~3ページ参照。)これをラテン語に書きなおせば Hic rodon, hic salta! である。マルクスはおそらくこの両方を知っていて、Hic Rhodus, hic salta! 「……踊れ」と書いたのであろう。
 Hic Rhodus,hic saltus. の「saltus」が「跳べ」、Hic rodon, hic salta! の「salta」は、「tanze」(ドイツ語の踊れ)のラテン語訳で「踊れ」である。それゆえに、Hic Rhodus, hic salta! の「salta」は「跳べ」ではなく「踊れ」である。このように堀江忠男は推測している。
 この推測は、まちがっていると思った。というのは、わたしは「salta」は、「 salto 」(跳ぶ)の命令形として存在しうることを知っていたからである。

 『世界の名著44ヘーゲル』を見てみると、 Hic Rhodus, hic saltus.(ここがロドスだ、ここで跳べ)には、次のような注が付いている。
 『イソップ物語』にあるほら吹きが、ロドス島でものすごい跳躍をやらかしたこと、おまけにそれを見ていた証人がいたことを自慢したので、聞いていた人が「お前さん、もしそれがほんとうなら、証人なんかいらない、ここがロドスだ、ここで跳べばいい」といった話がある。
 また、「ここにローズ(薔薇)がある、ここで踊れ。」(Hier ist die Rose, hier tanze!) には、次のような注が付いている。
 ギリシア語のロドス(島の名)をロドン(ばらの花)、ラテン語の saltus(跳べ)をsalta(踊れ)に「すこし変え」たしゃれ。ヘーゲルはここにギリシア語もラテン語も記してはいないが。
 この注は、まぎらわしい。 Rhodus と rodon、また saltus と salta が、韻を踏んでいることはよくわかる。しかし、ここには、saltus に「跳べ」、salta に「踊れ」と訳が付いている。おそらく、この訳が、堀江忠男の推測を歪めたのではないだろうか。
 おそらく、マルクスは、両方とも知っていた。両方を知っていて、Hic Rhodus, hic salta! 「……跳べ」と書いたのである。これが、わたしの推測である。
 salta を「踊れ」と訳すのは、マルクスをヘーゲルと間違えるのと同じことのように思える。許萬元のことばでいえば、「踊る」は「絶対的総体主義にもとづいた歴史主義」、「跳ぶ」は「絶対的歴史主義に立脚した総体主義」と対応するのである。

 堀江が「踊れ」を選択した理由を読んでいて、なじみがなかったのは、 Hic Rhodus, hic saltus. の表現である。調べてみることにした。"saltus" "salto" で検索すると、松原聡の「座右の銘」が出てきた。すべて解決した。
Hic Rhodus, hic saltus! 定訳は「ここが、ロードス島だ、ここで飛べ!」(「飛べ」ではなく、「跳べ」がいいのではないだろうか。――引用者注)。これでは、なんのことか、さっぱりわかりません。私が初めてこの語に出会ったのが、カール・マルクスの『資本論』でした。マルクスは、ヘーゲルの『法の哲学』からの引用です。 実は、『資本論』では、Hic Rhodus, hic salta! となっており、『法の哲学』では、Hic Rhodus, hic saltus! となっています。
 そして、"saltus" と "salta" の違いについて、森田信也(東洋大教授)の見解を紹介している。
 マルクスが資本論の中で使った salta は、salto「跳ねる、踊る」の命令形ですが、ヘーゲルが使った saltus は、「跳躍」という意味の名詞の対格(=直接目的格)で、おそらく ago「する」の命令形 age「~をしなさい」が省略されていると考えるのが、最も妥当かと思われます。どちらも正しいラテン語で、どちらも同じ意味です。 まとめると、salta は「跳ねる」という動詞の命令形、saltus age は「跳躍をする」というという動詞「する」+名詞「跳躍を」で、saltus は、名詞の対格です。 例えば、英語でも、We wish you a Merry Christmas! の代わりに、単に Merry Christmas と名詞だけで言うのに似ています。定型文で、慣用の度合いが高いほど、名詞だけで表現される例が多いようです。
 salto が原形で、「跳べ」でも「踊れ」でもどちらでもいいのである。saltus が「跳べ」、salta が「踊れ」ではなく、どちらも「跳ぶ・踊る」の意味を持っていて、saltus が名詞の対格、salta が動詞の命令形ということである。
 「salto」が、跳ぶになったり、踊るになったりするのは、文脈によるのである。イソップの寓話は「五種競技の選手」の話なのだから、跳ぶがいいのではないだろうか。

 ただし、わたしが手にした辞典(研究社 羅和辞典)では、salto に「踊る」の訳だけ、saltus に跳躍の訳だけが載っていた。Cassell's Latin Dictionary では、salto には、to dance,esp. with pantomimic geatures また、saltus には a spring, leap, bound とあった。salto 自体は、踊るの意味が優先するようである。 また、Hic Rhodus, hic salta! を「ここにロドス島あり、ここにて跳べ」、 Hic Rhodus, hic saltus! を、「ここにロドス島、ここに跳躍」と訳している辞典もあった。文法に忠実に動詞と名詞を訳し分けているのである(「ギリシア・ラテン引用語辭典」岩波書店)。

 わたしは、堀江忠男の「ここがロードス島だ、ここで踊れ!」の訳に違和感をもっただけではない。かれが紹介するイソップの寓話にも、とまどったのである。マルクスの引用の前後を含めてとりあげてみる。
この問題提起のところ(第四章第二節の終わり)で、マルクスは次のような気負った文章を書いている。
 「資本は流通から発生しえないのと同様に、流通において発生しえないのでもない。それは流通において発生しなければならぬと同様に、流通において発生してはならぬ。…… 貨幣の資本への転化は商品交換に内在する諸法則にもとづいて展開されるべきであり、したがって等価物同志(ママ)の交換が出発点たる意義をもつ。まだ資本家の幼虫として存在するにすぎぬわが貨幣所有者は、商品をその価値で買い、その価値で売り、しかも過程の終わりには、彼が投げ入れたよりも多くの価値を引き出さなければならぬ。幼虫から成虫への彼の発展は、流通部面で行われねばならず、しかも流通部面で行なわれてはならぬ。以上が問題の条件である。ここがロードス島だ、ここで踊れ!」

 余談だが、ロードス島というのは、ギリシアの東南方の海上、トルコ半島の西南端に近い島で、紀元前から地中海貿易の要衝だったところである。したがって、芝居、奇術、踊りなどの興業が盛んだったらしい。アイソフォスの寓話のなかに、ロードス島で他人が真似のできないほどすばらしく踊ったという人にむかって「ここでロードス島だと思ってもう一度踊ってみよ」といった話がある。
 「他人が真似のできないほどすばらしく踊った」? これでは、アイソフォスとイソップは別人ではないか。異説があるかもしれないから断言はできないが、「踊る」の訳を自然にするために、堀江忠男が捏造した寓話ではないだろうか。

 堀江忠男は「貨幣の資本への転化」の展開には、3つの誤りがあると指摘していた。この指摘のなかで、「踊り」は重要な役割を担っている。
 労働力が商品となるのを契機として剰余価値が発生し、貨幣が資本に転化するという考え方は、商品の内包する、使用価値と価値の対立を出発点として資本主義の発生・発展・死滅を論ずる『資本論』の弁証法的理論構造の、不可欠な一環を構成するものである。それが、言葉のアヤと踊りの主役の無断変更と、さらに舞台装置の間違いから生じた錯覚であったということになれば、『資本論』は弁証法の模範的な適用である、という一般の評価、『資本論』は弁証法の論理学であるというレーニンの有名な言葉も、根底から考えなおしてみる必要があろう。
 「踊りの主役の無断変更」、「舞台装置の間違い」は、「ここがロードス島だ、ここで踊れ!」に起因しているのである。それが、「虚偽」によるものだとしたら。わたしは堀江忠男を評価する記事を書いてきていた(〈幻視のなかの弁証法 〉 、〈濁りの引き継ぎ〉 、〈「濁り」と「論述あいまいの虚偽」〉)。見逃していたものがあったのではないか。『資本論』の弁証法とともに、堀江の指摘する3つの誤りも、根底から考えなおしてみる必要を感じるようになったのである。(「マルクスもうひとつの弁証法――「貨幣の資本への転化」について」)

 ところで、わたしは「salta」が「 salto 」(跳ぶ)の命令形であることを知っていたと述べたが、20年ほど前に、調べたことがあったのである。そのころ、わたしは、科学論に関心があった。わたしなりに科学哲学の問いを設定するときに、フォイエルバッハが、どこかで「ここがロドスだ、ここで跳べ」と対照して「ここがアテナイだ、ここで考えろ」という表現を提示していたことを思い出した。フォイエルバッハのいいかえは、わたしの問題意識を集約する表現のように思え、これをラテン語でどのようにいうのかを知りたかったのである。本には、ラテン語は並記してなかったので、『資本論』の Hic Rhodus,hic salta! を参考にして、作文しようと思ったのである。そのとき、「salta」が「 salto 」の命令形であること知り、これと対応させて、考える( cogito )の命令形を「 cogita 」と活用して、次のように作ったのである。
   Hic Athenae, hic cogita!(ここがアテナイだ、ここで考えろ)

そして、わたしは、これを『もうひとつのパスカルの原理』のなかで、次のように使ったのである。
 この過程は、バシュラールやケストラーが描くように、奇妙な過程なのだ。それは「自分自身の運動を支えとしている」し、また「あてにならない直感に頼っている」のだ。いま、まさに私たちがこの奇妙な過程に入っていくのである。一度でもこの過程の内部に立ち入ったことのある者なら、その難しさを知っていることだろう。しかし、困難が前途をさまたげてもけっしてへこたれないようにしよう。この過程の入口には、地獄の入口とおなじ次のような要求が掲げてあるのだから(マルクス『経済学批判』参照)。

 「ここでいっさいの優柔不断をすてなければならぬ
    臆病根性はいっさいここでいれかえねばならぬ」

 この過程に入っていくとき、かれ(科学者)は対象について未知であり、この過程から出てくるとき、かれは対象を把握している。この過程の初期において、対象は知の「さなぎ」として存在しているにすぎないが、この過程の終期において、対象は知の「蝶」として存在している。かれの対象がさなぎから蝶へと転化していく過程、つまり未知と知の関係は、さなぎの形姿(Form)が蝶の形姿とまったく異なるように異なっており、さなぎの構成(Gestalt)が蝶の構成と対応しているように対応している。この過程に入っていくまさにその瞬間、かれは、はるかかなたの恒星が光ったとひとり信じている。この過程のまんなかで、かれはその光がとどくのをじっと待っている。そしてこの過程から出てくるとき、かれはまさにその光が地球に降るさまをみている。これが着目している過程の条件である。Hic Athenae, hic cogita ! (ここがアテナイだ、ここで考えろ!)
 いくつか感想を述べさせてもらう。 バーネットという科学哲学者は、科学とはギリシア人のように考えることだという科学の定義をしていた。アテナイは、それを念頭に置いたものだったと思うが、いまは、ラファエロの「アテネの学園」と関連させたい気分である。

 「気負った文章」を書いたものだが、それでも、場所を限定し、探究していこうとする精神は表われているようなので、まずまずかなあと思う。
 下敷きにしたマルクスのロードス(「貨幣の資本への転化」の条件)と比べてみて、わたしのアテナイ(「知の形成過程」の条件)には、矛盾律に挑戦する姿勢が表われていないことに、安心する。似させて書いたつもりだったが、いま読むと、あまり似ていないのではないかと思う。
 初出は、「試行」№71(1992年5月)である。『もうひとつのパスカルの原理』は、ここまで(第4章)「試行」に、載せてもらった。

 さて、記憶はあてにならないものである。こんど、フォイエルバッハが、どこで、「ここがアテナイだ、ここで考えろ」といっていたかを探してみた。『将来の哲学の根本問題』にはなかった。『唯心論と唯物論』にあったのだが、信じられなかった。

 そこには、「跳べ」ではなく、「踊れ」とあったのである。
すなわち我は単に、ここで思惟し、ここにあるこの肉体のなかで思惟し、とくにあなたの頭の外にあるこの頭のなかで考えるこの個体の言語上の省略法にすぎない。ただ「ここがロドスだ、ここで踊れ!」といわれるだけではなくて、また「ここがアテナイだ、ここで考えよ!」ともいわれるのである。(船山信一訳 岩波文庫)
 角川文庫 桝田啓三郎訳 も見たが、同じように「踊れ」であった。 
単に「ここがロドスだ、さあ踊ってみろ」といわれるばかりでなく、また、ここがアテナイだ、さあ考えてみろ、ともいわれるのである。
 これには訳注がついていた。
 アイソポスの寓話、いわゆるイソップ物語にある寓話に由来する言葉。ロドス島ではオリンピック選手の誰にもまけないほど巧みな跳躍をしたといってホラを吹く競技者に向かって、市民の一人が、それならここがロドスだと思って跳んでみせろ、といった話から、hic Rhodus,hic salta(ここがロドスだ、ここで踊れ)という言葉が、なにごとでもひとに信じてもらいたければ人の目の前で事実を示して証明しなくてはならぬ、という意味の格言になって伝えられた。ここではこの格言的な意味ではなく、ヘーゲルが『法の哲学』の序で、個人が時代の子であるように、哲学も時代の子であって現在の世界を越えることはできないとして、ここでこのロドスで哲学しなくてはならぬと語ったのをもじって、ここにいるこの個人に結びつけているのである。
 この訳注では、「跳べ」と「踊る」が混在しているようである。 

 いったい、船山信一も桝田啓三郎も、どんな理由で「跳ぶ」ではなく、「踊る」と訳したのだろう。堀江忠男と同じなのだろうか。違う理由があるのだろうか。岩波文庫の初版は、1955年である。角川文庫の初版も、1955年である。そのころは、「踊る」が主流だったのだろうか。
 しかし、間違っている。ロードス島では踊らないのである。ロードス島では跳ぶのである。
 「踊る」のはバラ(薔薇)、「跳ぶ」のはロードス島、「考える」のはアテナイである。

 3人の哲学者のラテン語を読んで、終わりとしよう。
  ヘーゲル     Hic rosa, hic salta! (ここに薔薇がある、ここで踊れ!)
  マルクス     Hic Rhodus, hic salta! (ここがロードス島だ、ここで跳べ!)
  フォイエルバッハ Hic Athenae, hic cogita!(ここがアテナイだ、ここで考えろ!)


これだったのだろうか

2019-02-25 | 跳ぶのか、踊るのか。
2007年に見たMIAの記事Hic Rhodus , hic salta!は改訂され、読めなくなってしまっていた。2014年ごろ探したがわからなかった。今年(2019年)になって、「ロドスとポールとバラ」で引用した英文(誤訳が発生した理由を述べた箇所)で検索していると、Hic Rhodus , hic salta!と思われる記事がヒットした。不思議な気がする。引用した英文をすべて正確に含み、その前後にほぼ同じ量の英文がある。これだったのだろうか。

ロドスとポールとバラ
跳ぶのか、踊るのか。――ロドスはマルクスの薔薇1

Hic Rhodus, hic salta!の表層と深層

2015-01-08 | 跳ぶのか、踊るのか。
 Hic Rhodus, hic salta!

 表に見えるのは「ここがロドスだ、ここで跳べ!」である。その下には「ここがロドスだ、ここで踊れ!」がある。さらにその下には「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」がある。

 
  踊るのか、跳ぶのか。

  跳ぶのか、踊るのか。 ―― ロドスはマルクスの薔薇

梯明秀のロドス

2015-01-07 | 跳ぶのか、踊るのか。
 Hic Rhodus, hic salta!に対して、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」という訳があることは、堀江忠雄の『マルクス経済学と現実』で初めて知った。堀江だけだろうと思っていたが、フォイエルバッハ『唯心論と唯物論』の訳者、船山信一(岩波文庫)も桝田啓三郎(角川文庫)も、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」であった。

 最近、もう一人増えた。梯明秀である。かれは『ヘーゲル哲学と資本論』のなかで、次のように述べていた。
マルクスは、ヘーゲルの学問的態度に反して、「彼の理論が実際にその時代を内に超越し、世界をそれが有るべきように建築する」のであるが、しかし、このマルクスの理論は、『資本論』の著作をまつまでもなく、つとに「彼の臆念のうちにのみ実存する」ことを止めて、世界の大衆のものになっていたのであった。それだからこそマルクスは、<ここがロードスだ、ここで踊れ>という箴言を、ヘーゲルによって教えられ、これを肝に銘じて、ヘーゲルとともに、その時代の内に在ったというわけである。すなわち二人は、現実に彼らの時代に制約され、そこに内在し、そこを跳び越えはしなかったのであるが、一方は、現実に「有るところのものが理性的である」と信じ、他方は、現実に「有るところのものは理性を喪失している」と見たところにおいて、われわれは、彼らのあいだの学問的態度の差異を、発見すべきであろう。
 「<ここがロードスだ、ここで踊れ>という箴言を、ヘーゲルによって教えられ」とは一体どういうことなのだろうか。通常は踊るsaltaを「跳ぶ」と誤解するのに、梯は跳ぶsaltusを「踊る」と誤解したのだろうか。いいかえれば、ヘーゲルが引用したHic Rhodus, hic saltus!を「ここがロドスだ、ここで踊れ!」と捉えていたのだろうか。
 「ヘーゲルによって教えられ」とは、上のように直接的に教えられるとはかぎらない。間接的に教えられる場合もある。つまり、ヘーゲルは「跳ぶ」だが、マルクスは「踊る」と言い換えて継承した場合でも「教えられ」たことになる。

 いずれにしても、梯明秀はHic Rhodus, hic salta!を「ここがロドスだ、ここで踊れ!」と捉えている。


過渡期の箴言Hic Rhodus, hic salta!

2015-01-06 | 跳ぶのか、踊るのか。
 Hic Rhodus, hic salta!は普通には「ここがロドスだ、ここで跳べ!」と読まれている。これに対して、マルクスが書いているのは「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」ではないかと私は問題提起した。
 いずれも文字どおりでなく、前者は踊るsaltaを「跳ぶ」、後者はロドスRhodusを「薔薇」と考えている。

 ラテン語に忠実に読めば、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」である。Hic Rhodus, hic salta!は過渡的な箴言であると考えている。

     跳ぶのか、踊るのか。 ―― ロドスはマルクスの薔薇