「跳ぶのか、踊るのか」の副題、「ロドスはマルクスの薔薇」は、イソップのHic Rhodus, hic saltus.(ここがロドスだ、ここで跳べ。)に対して、ヘーゲルがHier ist die Rose, hier tanze!( ここに薔薇がある、ここで踊れ!)と言い換えたこと(『法の哲学』の序文)を背景にしている。
「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」に対するラテン語は「Hic rodon, hic salta! 」である。マルクスは、伝承のロドス島とヘーゲルが言い換えた薔薇の表現から、Hic Rhodus, hic salta! と表現した。マルクスがいっているHic Rhodus, hic salta! は「ここがロドスだ、ここで跳べ」と訳されているが、ラテン語に忠実な訳は「ここがロドスだ、ここで踊れ」である。これは堀江忠男が指摘していたことである。私は「踊れ」と「跳べ」に異なった位置づけをしていて、違和感を持った。
しかし、saltaが「跳べ」ではなく「踊れ」以外にあり得ないことを知ると、「踊れ」と「跳べ」の意味の変容が起こり、違うものから同じものの両面として、捉えることになった。このとき、ロドス島Rhodusの意味も変容した。ロドスを、ヘーゲルが言い換えた薔薇を指すものとして捉えることになった。「ロドスはヘーゲルの薔薇」なのだが、マルクスが「ロドス」で思い浮かべているのはヘーゲルが言い換えた表現の「薔薇」のことである。強調すれば、マルクスはイソップの「ロドス」を考えていない。「ロドス」Rhodusを「薔薇」Rodonのつもりで表記している。ロドスはマルクスが影響を受けたヘーゲルの「薔薇」を継承したものである。これが副題の「ロドスはマルクスの薔薇」の意図するところである。
「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」に対するラテン語は「Hic rodon, hic salta! 」である。マルクスは、伝承のロドス島とヘーゲルが言い換えた薔薇の表現から、Hic Rhodus, hic salta! と表現した。マルクスがいっているHic Rhodus, hic salta! は「ここがロドスだ、ここで跳べ」と訳されているが、ラテン語に忠実な訳は「ここがロドスだ、ここで踊れ」である。これは堀江忠男が指摘していたことである。私は「踊れ」と「跳べ」に異なった位置づけをしていて、違和感を持った。
しかし、saltaが「跳べ」ではなく「踊れ」以外にあり得ないことを知ると、「踊れ」と「跳べ」の意味の変容が起こり、違うものから同じものの両面として、捉えることになった。このとき、ロドス島Rhodusの意味も変容した。ロドスを、ヘーゲルが言い換えた薔薇を指すものとして捉えることになった。「ロドスはヘーゲルの薔薇」なのだが、マルクスが「ロドス」で思い浮かべているのはヘーゲルが言い換えた表現の「薔薇」のことである。強調すれば、マルクスはイソップの「ロドス」を考えていない。「ロドス」Rhodusを「薔薇」Rodonのつもりで表記している。ロドスはマルクスが影響を受けたヘーゲルの「薔薇」を継承したものである。これが副題の「ロドスはマルクスの薔薇」の意図するところである。
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