対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

もうすぐ春(ハール)ですねェ

2021-02-26 | 庭の草木
つくし(土筆)は、もう出ているはずだと思い探してみたが、見つからない。身体をかがめて探すがわからない。まだ出ていないように思えた。さらにさがしていると1か所あった。

さらにさがしていると、あと2か所にあった。まだあるのかもしれない。庭が春を告げている。

荒波でもパダガジャは濁る

2021-02-25 | ハングル
ㅂ、ㄷ、ㄱ、ㅈが母音と母音の間にあるとき、濁ることは知っていた(覚えていた)。
 ㅂ p→b
 ㄷ t→d
 ㄱ k→g
 ㅈ ʧ→ʤ
例えば、바다(海)はpataではなくpadaと発音する。
漢字語の発音を確認していて、母音に囲まれていなくても濁っている場合があることに気づいた。例えば、심장(心臓)はシムチャンではなく、シムヂャン(シムジャン)である。調べてみると、パッチムがㅇ、ㄹ、ㄴ、ㅁのときにも濁るとあった。流音ㄹや鼻音ㅇㄴㅁのとき、いいかえれば平音(k,t,pの音)ではないときにも濁るのである。안경は知っている単語で意味はメガネ(眼鏡、ガンキョウ)だが、たしかにアンキョンではなくアンギョンと発音している。

濁る子音はㅂㄷㄱㅈで、これは바다 가자(海へ行こう)と覚えることになっている。以前YouTubeにあったNHKのハングル講座で紹介されていた。そのとき「荒波でもパダガジャは濁る」とも紹介されていて、今もときどき見るテキストの欄外に書いていたのだが、最近は「荒波」の意味が解らず、何だろうと思っていた。流音ㄹや鼻音ㅇㄴㅁのときも濁ることを、さっぱり忘れていたのである。
「荒波」は、ㅇ・ㄹ・ㄴ・ㅁを「아라나미」(日本語)と表記して、濁るときのパッチム子音を覚えやすくしたものである。

「荒波でもパダガジャは濁る」は、「ㅂㄷㄱㅈ」は母音の間にあるときだけでなく、前のパッチムが「ㅇㄹㄴㅁ」のときでも濁るという意味である。

花は咲くのだが、近づくと、

2021-02-24 | 庭の草木
花弁の周囲が縮れて変色している。溶けている感じである。つぼみを見てもすでに先端は変色している。

ここ数年このような状態が続いている。このツバキはチャドクガにやられた。まったく咲かない年もあったが、体力を回復して以前より、葉も花も豊かになってきている。しかし、病の花が遺伝するようになってしまった。手当をすれば病から回復するのだろうか。

導来関数

2021-02-23 | ノート
遠山啓著『微分と積分』(1970)を読んでいて「導来関数」という表現に目が留まった。これは導関数(derived function)の、むかしの呼び方だった。導来はderivedの音訳でもあったという。粋だね。いつ頃の言い方なのだろう。遠山啓は1907年生まれ。大正から昭和の初期頃ではないだろうか。

積分と和分の類似

2021-02-22 | ノート
「微分と差分の類似」(2020.12.18)は『微積分の意味』(森毅著)6章整式の基礎事項である。そこには「積分と和分の類似」も指摘されている。しかし、以前、後者までやるつもりだったが、和をとるときの範囲n-1とnの違いに戸惑い、前者だけで終わってしまった。
微分     (1)
差分    (2)

(1)で、nの代わりにn+1とおくと、
 
 
積分すると、
  (3)
これと同じように(2)でnの代わりにn+1とおくと、


和をとると(和文すると)、
 (4)
(3)と(4)は対応する。

これでいいのではないか。ところが、森先生はΣの上限をm-1としている。積分と同じようmではないのか。


『微積分の意味』の表示は次のようです。
 
 




オイラーの微分論について

2021-02-19 | 微分
しばらく前に高瀬正仁の本からオイラーの微分論の特徴を知った。無限小は0そのものであること、0/0の比は有限の値をもつことがあり、オイラーの関心はその有限値であったことなどである(この指摘に不定形のロピタルの定理が思い出されて感心した)。

オイラーの微分論に対してヘーゲルが次のように評価していることを最近知った。
(引用はじめ)『近代数学の発酵とヘーゲル弁証法』(本多修郎著、現代数学社、1989)
「オイラーはニュートンの一般的な定義を基礎にして微分計算が1つの大きさの増量の比例関係を考察したこと、しかし無限小の微差そのものは零とみなされるべきであることを要求した」。オイラーの方法では、関数y=f(x)におけるxの増分をhとし、後にh=0とおくのである。
 
 
 
ヘーゲルは、オイラーがこの方法において増量の量的側面を零として無視し、その比だけを注目する態度を高く評価している。
(引用おわり)

つづく

鼻音化の3パターン

2021-02-18 | ハングル
1
k,t,pの音(文字では、ㄱ,ㄷ,ㅂなど)は、次の子音(ㄱ,ㄷ,ㅂ,ㅅ,ㅈ)を変化させた(濃音化)が、次に鼻音ㄴ(ナ行),ㅁ(マ行)がくると、相手はそのままで自分の方が鼻音に変化する。
ㄱ→ㅇ  박물관(博物館)→방물관
ㄷ→ㄴ  믿는(信じる)→민는
ㅂ→ㅁ  감사합니다 (ありがとう)→감사함니다
次に来る鼻音によって、平音が鼻音に変わる。
2
k,t,pの音(文字では、ㄱ,ㄷ,ㅂなど)の次に流音ㄹ(ラ行)がくると、自分も相手も変わる。
ㄱ,ㄷ,ㅂの変化は上と同じである。ㄹはㄴに変わる。どちらも鼻音化する。
학력 (学歴)→항녁
합리적 (合理的)→함니적
3
もうひとつ鼻音化のパターンがある。ㅁ,ㅇ後にㄹの子音が続く場合である。ㅁ,ㅇは鼻音なので、こちらはそのままで、ㄹがㄴになる。
심리학(心理学)→심니학
종류 (種類)→종뉴

鼻音同士つなぐと発音しやすいのである。

まっかな嘘を言ったが、やっぱり…

2021-02-17 | ハングル
つづけると、「まっかな嘘を言ったが、やっぱりバレれた。あっさり詫びを言っちゃえ。」

ハングルの子音(口音 )は平音、激音、濃音の3種類ある(音の出し方が違う)。そのうち濃音は5種類ある。上の表記(濃音のゴロ)は、濃音とよく似た日本語の音をあてたものである。
まっかㄲ
言ったㄸ
やっぱㅃ
あっさㅆ
言っちゃㅉ
ハングルの発音の変化に「濃音化」がある。これはk,t,pの音(文字では、ㄱ,ㄷ,ㅂなど)の後に、ㄱ,ㄷ,ㅂ,ㅅ,ㅈの子音がくると、濃音に変わるというものである。例えば、학교(学校)は학꾜と発音する。変化のルールは面倒だと思っていたが、よく考えてみれば、平音「ㄱ,ㄷ,ㅂ,ㅅ,ㅈ」の5つだけが濃音をもっているのだから、ごく当たり前のように思えてきた。

これがきっかけとなった。このごろやっと興味をもって発音変化のルールを見ている。といっても正確に発音できるわけではないのだが。

シジュウカラを追う

2021-02-16 | 庭に来る鳥
洗濯物を取り込んだ後、庭に出ていた。風は冷たいが、日差しはある。花桃の方から鳥の鳴き声が聞こえてきた。見上げると、シジュウカラ(四十雀)だった。近づいて行っても恐れない。枝を移動しながら鳴いている。

そのうち、柿の木に飛んでいった。

梟雄(きょうゆう)の実像と虚像

2021-02-15 | ノート
図書館から「天声人語」(2020.1~6)を借りてきてパラパラ見ていた。「美濃のマムシの実像」(5.4)を読んでいて、辞書をひくことになった。「それでも長年の梟雄(きょうゆう、ルビ)イメージが払拭されていく手応えがあった」の「梟雄」がわからなかったのである。
手元にある辞書「新明解国語辞典」には次のようにあった。

 梟雄 〔「梟」も「雄」も、すぐれる意〕武勇戦略にすぐれた英雄。

違和感があった。これは払拭するイメージではないのではないか。ネットで調べると、「残忍で強く荒々しいこと。また、その人。悪者などの首領にいう。」とある。これなら払拭である。また、梟雄の例として斎藤道三(本木雅弘、「麒麟がくる」では)、松永久秀(吉田鋼太郎、同)などが挙げてあった。
本棚の「広辞苑」には次のようにあった。

 残忍でたけだけしい人。

こちらを先に引けば何ごともなかった。
「角川新字源」で「梟」を調べると、1ふくろう、2さらす、3たけだけしい、4すぐれたものとあり、たしかに「すぐれる」の意がある。そして、「梟雄」に「勇猛な英雄」と説明し、「劉備天下梟雄」の例文が載っている。また、「雄」には、1おす、2つよい、3さかんなさま、4ひいでる、5かしらとある。

どうやら「梟雄」は、「梟」「雄」の字義だけではなく、梟(フクロウ)の生態と関係しているようだ。日本と中国では、梟は母親を食べて成長すると考えられていたという。下克上を親殺しと見立てたのが梟雄の由来らしい。「英雄」を「残忍」のイメージが蔽ったのである。