対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

「楕円幻想」の準備

2018-06-29 | 日記
次のような目次で、「楕円幻想――ケプラーの楕円発見について」(HTML)をまとめていた。今日中にホームページ「対話とアウフヘーベン」にアップしリンクを貼るつもりでいたが、むつかしくなってしまった。
「楕円幻想――ケプラーの楕円発見について」new
目次
はじめに ケプラーの推論との不整合
      1 ケプラーの「目覚め」
      2 ケプラーの推論との不整合
第1章  発見の端緒と一般化
      1 ケストラーの直角三角形
      2 ケプラーの推論
      3 「目覚め」の3段階論
      4 発見の端緒と一般化
第2章  「目覚め」の数学的背景
      1 太陽から惑星までの距離
      2 100429の数学的背景
      3 「目覚め」の数学的背景
第3章  プトレマイオスのエカント
      1 金星のプトレマイオス・モデル
      2 エカントと離心距離の2等分
      3 プトレマイオスのエカント
第4章  Zを捨てMを選んだ理由
      1 物理的仮説としての楕円へ
      2 意識的な選択の理由
      3 無意識的な選択の理由
第5章  楕円軌道の証明
      1 ケプラー『新天文学』の証明
      2 距離の和が一定と「焦点」(幾何)
      3 距離の和が一定と「焦点」(代数)
第6章  エカントと楕円軌道の発見
      1 楕円軌道の「合理的核心」
      2 楕円軌道発見の補助円と補助線
参考文献

離酒130日

2018-06-28 | 日記
禁じている、断っている、といよりは離れている感じだろうか。何の決意もなく始まったが4か月、酒とは無縁の生活が続いている。続けられているアイテムがあるとすれば、A社の洗口液とS社の炭酸水だろうか。
酒を飲まないのが普通になっている。酒は必需品ではない。飲酒は生活習慣だと思う。
スーパーでお酒コーナーを歩く。必要としていない自分を感じる。テレビのCMを見る。煽っているなと思う。

ジャノヒゲの花

2018-06-27 | 庭の草木
ジャノヒゲ(蛇の髭)の青い実は美しいと思う。その実のはじめは緑色であることは知っている。しかし、そもそもジャノヒゲの花を見たことがなかった。あえて見ようとはしてこなかったように思う。
今日、草むしりをしていて、ジャノヒゲの近くのドクダミを引き抜いたとき、ジャノヒゲの葉の間に白いものが点々と連なっているのが見えた。ジャノヒゲの花なのか、それとも違う植物の白い花がジャノヒゲの葉の間から出ているのか、わからなかった。その近くの別の葉の間をかき分けてみると、白い花が見えた。また、まったく別の場所のジャノヒゲの葉をかき分けてみても、同じような白い花があった。最初に見たのはジャノヒゲの花だった。たんに上からでは葉に覆われていて、白い花はわからない。花はまだほとんどが蕾で、咲いている花は下向きである。地表に近い高さで下向きなのである。

花の時期は7~8月とある。この花が青い実になっていくのである。これまでは葉に覆われて隠れて咲いていたジャノヒゲの花。

眼鏡を外す

2018-06-26 | 日記
しばらく、眼鏡が合っていないのではないかと思っていた。1週間ほど前、眼がたいへん疲れていて、翌日、眼科に行く予定をしていた。瞼がとても重い感じだった。ところが、その晩、よく眠れて、眼は回復していた。その日から、裸眼で生活してみようと思い立った。これまでも部屋にいるときは裸眼が多かったが、外出するときは眼鏡をかけていた。体操、ウォーキング、洗濯、庭仕事、自転車での買い物、裸眼で何の支障もない。大きな声では言えないが、今日は、G県図書館へ車で行って来た。こちらも何の支障もない。視力不足で運転に危険を感じることは何もなかった(メガネは使わなかったが携帯した)。
眼鏡の新調を見合わせ、しばらく裸眼で暮らしてみようと思う。視力が回復しているのかもしれない。

アブダクション異聞4

2018-06-25 | アブダクション
パースのアブダクションは規則Ruleを大前提として推論が開始される。ここに着目してパースのアブダクションをアブダクションの演繹モデルと呼んでみよう。これに対して、わたしが想定するアブダクションは規則Ruleを結論とする推論だから、アブダクションの帰納モデルとしよう。
EJA過程は「アブダクション」である。通常は演繹モデルのアブダクションが行われる。これがうまくいかなくなると、演繹モデルは捨てられる。異常なアブダクションに対応できるように帰納モデルが立ち上がる。

イチジクの実

2018-06-22 | 庭の草木
数年前は、おいしい実がなっていた。収穫が楽しみだったが、2年ほど前から、数が少ないし、味も落ちた。昨年は収穫できなかった。カミキリムシが原因だったろう。今年はどうなるだろう。1個だけ、突出して、実が成熟している。

ギボウシの花とつぼみ

2018-06-21 | 庭の草木
先週はまだ咲いていなかった。大きな葉のあいだから茎が伸びてきているだけだった。今日、昼のラジオ体操のあと見に行くと、かなりの数の花が咲いていた。淡いむらさき色の花は一日花だという。

世界中でみられるが、きっかけは、江戸時代にシーボルトによって欧米に紹介されたことだという。ギボウシ(擬宝珠)の大きな葉にも観賞用として人気があるのだという。こんどは葉に焦点をあててみよう。

アブダクション異聞3

2018-06-20 | アブダクション
パースと違ったアブダクションの可能性とは、パースの順序と逆の推論である。テーブルの白い豆が、多数の袋の中のある1つの袋からとり出されたことに最初に気づくという想定である。つまり、2「白い豆が1つの袋からとり出されたこと」に気づき、これを前提に組み入れ(テーブルの白い豆は大前提、2は小前提とする)、1「白い豆だけが入った袋があること」を結論として推論する。
パースの説明に重ねてみよう。
「わたしがある部屋に入ってみると、そこにいろいろな違う種類の豆の入った多数の袋があったとする。テーブルの上には手一杯の白い豆がある。そこでちょっと注意してみると、それらの多数の袋のなかの1つの袋から手一杯の白い豆がとり出されたことに気づく。わたしはただちに、ありそうなこととして、あるいはおおよその見当として、その袋のなかの豆はすべて白いだろうと推論する。この種の推論も仮説をつくること(making a hypothesis)と呼ばれる。」
(1)これらの豆は白い(結論・結果Result)、
(2)これらの豆はこの袋の豆である(小前提・事例Case)、
(3)ゆえに、この袋の豆はすべて白い(大前提・規則Rule)。

下線の上が推論の前提(大前提と小前提)、下が結論である。命題の後の( )内は演繹での位置づけである。このアブダクションは演繹での結論(結果)と小前提(事例)から大前提(規則)を導きだす推論になっている。

この推論は「帰納」と同じ第3格(注1)になっている。媒名辞Mと小名辞S(結論の主語)と大名辞P(結論の述語)は次のように並ぶ。M(これらの豆)、S(この袋の豆)、P(白い)。
 M――P
 M――S
∴ S――P
ただし、帰納では2つの前提(大と小)はいずれも確実だが、ここ(アブダクション)では大前提だけが確実で、小前提は不確実な想像された前提である。
2つの前提(大と小)の前後はパースの帰納(注2)と逆になっている。ここで「これらの豆は白い」(テーブルの上の白い豆)を大前提とするのは、インダクションとしての帰納とアブダクションとしての帰納を区別するためである。また出発点としてのE「経験的に見出された自然過程の一般的性質」との対応を想定していることもある。

(注1)
パースのアブダクションは第2格である。
(1)この袋の豆はすべて白い(大前提・規則Rule)、
(2)これらの豆は白い(結論・結果Result)、
(3)ゆえに、これらの豆はこの袋の豆である(小前提・事例Case)。
媒名辞Mと小名辞S(結論の主語)と大名辞P(結論の述語)が、次のように並んでいる。M(白い)、S(これらの豆)、P(この袋の豆)。
 P――M
 S――M
∴ S――P

ちなみに、ディダクション(演繹)は第1格である。
(1)この袋の豆はすべて白い(大前提・規則Rule)、
(2) これらの豆はこの袋の豆である(小前提・事例Case)、
(3)ゆえに、これらの豆は白い(結論・結果Result)。
媒名辞Mと小名辞S(結論の主語)と大名辞P(結論の述語)は次のように並ぶ。M(この袋の豆)、S(これらの豆)、P(白い)。
 M――P
 S――M
∴ S――P
これは確実な推論である。しかし、第1格だけでなく、第2格や第3格にも推論としての存在理由を認め、探究の論理学を提起するところにパースの試みがあった。(上山春平『弁証法の系譜』参照)

(注2)
パースの帰納は次のようである。
(1)これらの豆はこの袋の豆である(小前提・事例Case)、
(2)これらの豆は白い(結論・結果Result)、
(3)ゆえに、この袋の豆はすべて白い(大前提・規則Rule)。
これはアリストテレスの定義「帰納とは小前提と結論から大前提を導きだす推論である」に対応させたように思われる。(『世界の名著48』参照)

アブダクション異聞2

2018-06-19 | アブダクション
パースのアブダクションへの疑問は、構成的理論と原理的理論をアインシュタインの思考モデルに位置づけたことにまで遡る(「構成的努力と原理の発見」参照)。規則を大前提におく推論では構成的理論に対応できるが、原理的理論には対応できていないのではないか、という疑問である。アインシュタインによれば、構成的理論とは「仮説的な構成要素」を出発点にするものである。これに対して、原理的理論とは「経験的に見出された自然過程の一般的性質」を出発点にするものである。
アインシュタインの思考モデルでいえば、原理的理論では最初のE(経験的に見出された自然過程の一般的性質)から、EJASE過程のすべてが問題になる。これに対して、構成的理論では、EJASE過程のすべてが問題になるのではなく、ASE過程が問題になる。出発点とするA(「仮説的な構成要素」)がすでに先行者によって見いだされ存在しているからである。

トーマス・クーンの表現でいえば、構成的理論は「通常科学」(normal science)であり、パースのアブダクションは、「通常科学」の仮説に対応している。それは「パズル解き」としての仮説である。

ここで試みるのは、原理的理論や「異常科学」(extraordinary science)の仮説をつくること(making a hypothesis)である。それはパースとは違ったアブダクションである。

アブダクション異聞1

2018-06-18 | アブダクション
まず、アブダクションを定式化したときのパースの説明を読んでみよう。
(引用はじめ)『アブダクション』(米盛裕二)参照
わたくしがある部屋に入ってみると、そこにいろいろな違う種類の豆の入った多数の袋があったとする。テーブルの上には手一杯の白い豆がある。そこでちょっと注意してみると、それらの多数の袋のなかに白い豆だけが入った袋が一つあるのに気づく。わたくしはただちに、ありそうなこととして、あるいはおおよその見当として、この手一杯の白い豆はその袋からとり出されたものであろうと推論する。この種の推論は仮説をつくること(making a hypothesis)と呼ばれる。(CP:2.623)
(引用おわり)
部屋の中に、いろいろな違う種類の豆の入った多数の袋があり、テーブルの上には手一杯の白い豆がある。これが推論前にわかっていることである。しかし、袋の中身も、どの袋からとり出されたのかもわからない。不確定なことばかりだが、白い豆の由来を考えるために、パースは1「白い豆だけが入った袋があること」と2「白い豆が1つの袋からとり出されたこと」の2つに可能性を絞る。
パースは、白い豆だけが入った袋が1つあるのに気づき、テーブルの上の白い豆はその袋からとり出されたものだろうと推論する。
すなわち、パースはまず、1「白い豆だけが入った袋があること」に着目する。「多数の袋のなかに白い豆だけが入った袋が一つあるのに気づく」。そして、これを推論の前提として組み入れて(1は大前提とし、テーブル上の白い豆は小前提とする)、そして2「白い豆がその袋からとり出されたこと」を結論として推論する。

(1)この袋の豆はすべて白い(大前提・規則)、
(2)これらの豆は白い(結論・結果)、         
(3)ゆえに、これらの豆はこの袋の豆である(小前提・事例)。

下線の上が推論の前提(大前提と小前提)、下が結論である。命題の後の()内は演繹での位置づけである。パースのアブダクションは演繹での大前提(規則)と結論(結果)から小前提(事例)を導きだす推論になっている。

次に、このパースの設定している部屋の説明から、パースとは違ったアブダクションの可能性を探ってみよう。