唯物弁証法の三法則の内的連関を断ち切り、「対立物の相互浸透」だけを引き継ぐ。そのとき、弁証法を表わす幾何学的図形は螺旋ではなく、楕円になる。これが、わたしの考えである。
「対立物の相互浸透」のゆくえ
螺旋と楕円
楕円とは二つの焦点をもつ図形である。そこに二つの論理的なものを位置づけ、複合する。これが楕円を弁証法の幾何学的図形と考える理由である。弁証法の共時的構造と通時的な構造と対応しているのである。
二つのつながりに関する技術としての弁証法。主法則は、対立物の相互浸透――対話による展開あるいは否定と肯定――展開の楕円的な形式。
展開の楕円的形式を整理しておこう。
1 論理的なものを選択する主体は、図の中心に位置する。
2 二つの論理的なものは、二つの焦点に位置する。
3 二つの焦点から、混成モメントが形成される。
4 混成の軌跡は統一され楕円を描く。
例えば、ニュートンの楕円。
ニュートンは、ケプラーの惑星の法則とガリレイの落体の法則 を選択して、この二つを焦点に位置づける。順序正しくいえば、二つの法則を選択し、それぞれピンで留めた点が、焦点となる。ニュートンは、ケプラーの法則とガリレイの法則を混成する。これは楕円の作図でいえば、固有の長さの糸を用意して、その両端をピン(焦点)に固定することに対応する。固有の長さを決定することが、混成モメントの形成にあたる。ニュートンの場合、運動法則の定式と万有引力の構想である。そして鉛筆で、糸がたるまないように、また切れないように、張りつめたまま、回転していくこと、これが、天上の法則と地上の法則の統一に対応する。
ニュートン力学の形成と弁証法
わたしは螺旋と対照させて楕円をとりあげている。円と対照して楕円をとりあげたのが花田清輝だった。(「楕円幻想 ─ ヴィヨン」『復興期の精神』)
円は完全な図形であり、それ故に、天体は円を描いて回転するというプラトンの教義に反し、最初に、惑星の軌道は楕円を描くと予言したのは、デンマークの天文学者ティコ・ブラーエであったが、それはかれが、スコラ哲学風の思弁と手を切り、単に実証的であり、科学的であったためではなかった。プラトンの円と同じく、ティコの楕円もまた、やはり、それがみいだされたのは、頭上にひろがる望遠レンズのなかの宇宙においてではなく、眼にはみえない、頭のなかの宇宙においてであった。それにも拘わらず、特にティコが、円を排し、楕円をとりあげたのは、かれの眺めいった、その宇宙に、二つの焦点があったためであった。すくなくとも私は、ティコの予言の根拠を、かれの設計したウラニエンボルクの天文台にではなく、二つの焦点のある、かれの分裂した心に求める。転形期に生きたかれの心のなかでは、中世と近世とが、歴然と、二つの焦点としての役割をはたしており、空前の精密さをもって観測にしたがい、後にケプラーによって感謝されるほどの業績をのこしたかれは、また同時に、熱心な占星術の支持者でもあった。
惑星の軌道と楕円を最初に結びつけたのがティコ・ブラーエとは、意外に思われた。わたしはケプラーだと思っていたからである。ケプラーの楕円の前にあったティコの楕円。そしてケプラーの楕円の後にあるニュートンの楕円。共通するのは「二つの焦点のある、かれの分裂した心」である。
焦点こそ二つあるが、楕円は、円とおなじく、一つの中心と、明確な輪郭をもつ堂々たる図形であり、円は、むしろ、楕円のなかのきわめて特殊なばあい、── すなわち、その短径と長径とがひとしいばあいにすぎず、楕円のほうが、円よりも、はるかに一般的な存在であるともいえる。ギリシア人は単純な調和を愛したから、円をうつくしいと感じたでもあろうが、矛盾しているにも拘わらず調和している、楕円の複雑な調和のほうが、我々にとっては、いっそう、うつくしい筈ではなかろうか。
たしかに楕円のほうが円よりも一般的な存在である。さらに、円は単純な調和で、楕円は複雑な調和であるともいえるだろう。しかし、楕円は矛盾と関係があるのだろうか。「矛盾しているにも拘わらず調和している、楕円の複雑な調和」。これはレトリックだと思う。それともマルクス主義の制約というべきなのだろうか。いったい、楕円のどこが、なにが、「矛盾」しているというのだろう。「矛盾」の上に描かれている花田清輝の楕円。
エンゲルスの螺旋には、「否定の否定」の矛盾があった。花田清輝の楕円には、「レトリック」の矛盾があるといえるだろう。「矛盾」を排除して「対話」の上に描くのが、わたしの楕円である。二つの焦点に位置する「論理的なもの」、その「対話」によって描かれる楕円。これが、わたしの「楕円幻想」である。
『復興期の精神』を最初に読んだのは、「周期律の形成について」をやり直していたころである。30年ほど前である。1970年代、弁証法といえば武谷三段階論(『弁証法の諸問題』)であった。なつかしく思いだす。そのころ、わたしが見ていた弁証法は螺旋だったのである。
さあれ
20世紀の弁証法いまいずこ