昨日は天六で行われた表記の集いに参加。12時半から8時近くまでの延々3回のシンポジウムなので、ずっと座り続けてお尻は痛くなり、腰もさらに痛くなるわという状況でしたが、デジタル時代を迎えての、特に独立系ジャーナリストの方たちの発言に刺激を受けてきました。
以下は、第1部の「ジャーナリズムはどこにいるのか?」と題するシンポ内容の発言の印象的部分を私的にメモしたものです。シンポジストはジャーナリズム研究者、ブロガー、ポータルサイトのニュース担当者、映像ジャーナリストの各氏でした。
・マスコミという日本語は日本だけで通じている言葉。会社とジャーナリズムの癒着に過ぎない。
・ヤフーニュースは毎日46億ビュー、1日当たり数千万人が見ている。報道機関からの配信ニュースを選択して掲載、関連するHPを探しにいけるように、読者の知りたいこと案内していく。現在25人が所属、ほとんどの人が元新聞記者。
・マスメディアにいい記者は沢山いるが、しかし、今のマスメディアは衰退中で、企業の生き残りは考えているが、ジャーナリズムとしてどうするのかが、見えてこない。我々はマスメディアに従属する仕事の仕方しか無かった。影響力を持たないといけないと。一方で、今、デジタルメディアがひとがっている。そこに希望を見出そうとしている。
・会社ジャーナリズム=マスコミの世界からフリーランスが排除されている日本は、世界的にも異常なこと。個人、フリーランスを最初から考慮していない。支払われ方も合わせて。日本では認められていない。
・ネットの登場は新しい問題。そこで何が起きているか。これまでのメディアが根本としていた技術とは違ったデジタルという技術。誰がどのように使うのかが問われている。しかし日本のメディア状況にはそれ以前の未解決の問題がある。
・今は個人の発信した情報が世界に広がる時代。ヤフーニュースは150余りの新聞と契約している。小さなエリアのニュースも取り上げて来た。個人のブログも。これからからの時代、発信する会社の規模や地域は関係なくなっている。
・マスコミを論じるとき、会社ジャーナリズムと産業論をごっちゃにしてきた。私は新聞社をやめたときは新聞の仕事は全てやり尽くしていた。これからも新聞の役割はなくならないが、しかしパッケージを変えないとダメではないかと。休職制度が無かったから、辞めた。ブログがあったから。新聞の読者がいなくても、マイメディア、自分の言いたいことが言えるブログがあったから。デジタルは個人としてのジャーナリズムにはいいことだと思う。
・テレビドキュメンタリーを作っても放送は深夜。ニュース番組も少なくなっている。ある面仕方がないこと。。売れることが大事。NHKなどとも仕事をしてきた。そこには素晴らしい人もいっぱいいるが、テレビの現場は専門職を作らないようにできている。朝鮮問題をやった後に相撲担当とか、芸能担当とかやらされる。とにかく会社を維持するために人が異動する。記者が営業になたりとか。そこではテレビというビジネスモデルが崩れてきている。予算は半減以下。私の知るある日曜日の報道番組は予算削減で無くなった。でもその一方で、社員の給料は減らさない。しわ寄せは下請けに値切りでくる。マスメディアの高給のために、なぜわれわが赤字の取材を続けないといけないのか。こういう会社ジャーナリズムをいつまで続けるのか。こっちも生活がかかっているが。以前は、アエラにグラビアページをの載せるのがステータスだったが、今のアエラは女性誌のような方向にいっている。今はアエラでやりたいとは思わない。自分でやったほうが自由にできる。ウェブ上で朝鮮について書く。ネットならば同じリングで闘える。少なくともネットでは。
・アエラは僕も頼まれても今は書かない。新聞記者にはブロガーに負けるような記事を書かないでほしい。いいものを書かないと売れない。給料を下げてハングリーにならないと。
・ネットニュースの信頼性という点では、発信している会社の大小は関係ない。そこが取材力のある会社なのかどうかが大事。
・日本のメディアは視聴者が欲しいニュースを出すことが仕事だとおもってる。それはジャーナリズムの姿とは違う。
・アナログ技術時代のメディアは1つの組織内で完結する形でやってきた。ネットメディアは、はじめからハードとソフトの分離で始まっている。細分化されいろいろな人が登場する。問題はそこに危険性、可能性はどうか。危険性は、経済構造。アナログ時代は組織の中で回収できていた。ハードとソフトの分離の中でどのように資金回収ができるのかどうか。それができなければ搾取がはじまる。
・ヤフーニュースが既存メディアの評価機関になってくるようなかんじか。そのときに、評価基準を持ってるかどうか?
・同じ記事でも見方によって違うから、できるだけ原本に近いものを使うようにしている。
・アジアプレスもヤフーと契約している。公平性とか、中立性とかでは無くて、編集しているのは事実。ヤフーとして考えないといけないことがあるのではないかと。権力は取り込もうとしてくる。だから責任は大きいのではないかと。
・ヤフーの影響力はある。最初はそんなことは考えてもいなかったが。社是とか、社論はない。取材もしない。
ヤフーの仕事は今、どういう事が議論されているんかを知らせるのが役割。公平性では、読まれないニュースについて、どういう風にしたいのかを、その声を取り上げる事が私たちの仕事ではないかと。権力からの影響は幸いなにもない。あるニュースを載せるか載せないかで、広告営業と喧嘩したことはあった。広告主に関する事件のニュースだったが。ニュースは、タイアップ広告とは違うということを、ずっといってきた。
・ヤフーニュースでは以前は600字以上のニュースは「続きを読む」としたが、まどろっこしいので止めてくれ言われて、今は全部表示している。コンパクトであればいいというものではない。長くても読んでくれる記事もある。
・民主党の言うの新聞代控除について。フランスでは18歳の人に1年間無料で新聞購読を保障するという動きがあったが…。コミュニケーションシステムに対する控除、支払う人に対して行われるのは1つのあり方ではないかと思うが、日本では時の政権の影響力が出てくる可能性が高い。
・ユーチューブの規制などは?
・みんなが情報を出せるのはいいことではないか。それはメディア側の問題では無くて、アップロードする側で考える事が大事ではないかと思う。簡単に規制してくれるという事ではない。みんなが考える事ではないか。
・日本のメディアはずっと不動産業はやってきた。朝日がジャーナリスティックだと言われるが、そもそも朝日はそんなにすごかったのか。私は知らない。
・ジャーナリストは観察者。私はそのジャーナリストたちの観察者。厳しい経済環境の中で、ジャーナリストという仕事、活動というイズムの活動。必ずしも職業としなくてもいいし、しなくてもいい。事実に限りなく接近していくという仕事そのものは必要不可欠の仕事。そにイズムの担手が再生産されていかないといけない。それがなくなるということは、国家と企業の意のままになってしまう。今、なにが起きているのかということを知らずして、自分の人生はナビゲーション出来ない。
・新聞社しか出来ない仕事がある。なぜ志したか、その初心を忘れないで欲しい。自分がやりたいことを忘れないでほしい。世の中をよくするのか、どうしたいのか。何か自分の思いを大切にしてほしい。自分の好きな時間もあり、パブリックな視点も欲しい。
・今は一人一人が作っていける時代。シニカルにマスメディアを見てもなにもならない。人の事を言っても仕方ない。
・今、慶應大学で教えてているが、私の講座でマスコミ志望は3人しかいなかった。構造不況業種だからと。10年前ならアジアプレスにも頻繁に採用の問い合わせがあった。今は年間でも数件しかない。これはジャーナリズム離れ。去年からこのイベントを始めたのもそのためという意味もある。ジャーナリストはとっても楽しい仕事、取材は楽しい。私はビデオジャーナリスト。今は誰でもが映像表現ができるようになって来た。誰でも出来る。問題はこれで食べていけることになること。