■若い先生の嘆き
教師三年目の若い先生から電話がかかってきました。
「今日、懇談会で親にいっぱい言われて明日学校に行くのが怖いです。『うちの子が時計わからんで“算数がきらい”と言ってるのに、なんで先生は先、先へ進むのですか』と言われて…。私も必死にやってるんですよ。ていねいにやってたら『あんたのクラスは進度が遅れている』って主任に言われるし…。もうどうしたらいいかわかりません」と泣くのです。
そして、翌日また電話です。
「きのうの話、校長先生に相談しようと思って話したら…あんたの指導が悪いからだと叱られ、親にもう一度お詫びの電話をかけろと言われて…怖くてできません。私、教師に向いてないかなあと…」とまた泣くのです。
電話口で怒り心頭! 指導要領が変わって、二年生の新学期に難しい時計の学習をもってくることが第一まちがっている! それでも、子どもも先生も必死でやっているのに、親からも管理職からも叱られるとは、こんな矛盾があるでしょうか。
こんな時、管理職が「ほんとに苦労かけますねえ、二年生のこの時期の時計の学習は困難ですよねえ。わかりますよ。私の方から保護者の方によく話をしておきますから、元気出して、子どもたちのところへ行きなさい」と言ってくれたら、若い教師は“やめなきゃいけないのか”と泣いて、悩んで寝られぬ夜を過ごさなくてもよかったのに!
今日の教育現場で、管理職のありようも大きく問われています。困難だからこそ、チームワークで乗り越えなきゃいけない時なのに、教職員とちぐはぐに…。
■子どもらとプールで釣り
私もいろんな管理職とともに仕事をしてきました。管理者として上から目線で職員を管理するのではなく、最後まで人間教師を貫いた山本先生のことを思い出します。
「なあ土佐さん、ワシが朝礼で子どもらに話したらあんまり聞きよれへんなあ。あんたが話し出したら、なんでよう聞いとんやろなあ」と、なんと率直で謙虚な方なのでしょうね。私も素直に言いました。
「先生が話をなさる時、説教することが多いから聞かないのとちがいますか。今度、先生のお好きな釣り竿を持って行って、釣りの話をしてみはったら聞くと思いますよ」
ある月曜日の全校朝会でした。なんと、校長先生は釣り竿をさげて朝礼台へ。何も言わずとも、子どもたちの目線がさあっと集中しました。大好きな釣りの話ですから、生き生きと語られるのです。「校長先生、花丸ですよ」と言うと何とも嬉しそうな笑顔。
すばらしい校長でした。図工がお得意で、子どもたちの絵を見せると、一人ひとりにコメントを書いてくださり、川柳を作るとまた、子どもたちに批評を書いてくださるのです。学級通信が100号になった時は、励ましの手紙をくださったりもしました。
その校長が退職の年でした。
「なあ土佐さん、ワシ夢があってなあ、最後に子どもらと学校のプールに魚を放って一緒に釣りがやりたいなあ」と言われるのです。えー、それって無理や…と思ったのですが、釣りの好きな夫に話すと「やったらええやん。大阪市のど真ん中の学校で、そんなんできたら楽しい風物詩や」と言うのです。
なんだかその気になって、先生方に話を持ちかけると、えーっと言われるのですが、「先生方には負担はかけない。校長がみな用意するらしいし、いつどこの組が来てと言えば連れて行って、プールに落ちないように見てくれたらええだけや」と話すと、しゃあないなと同意してくれたのです。先生方も素敵ですよね。
「火曜日の二時間から始めます。まず三年一組がやります。三時間目は三年二組です」という具合に…。魚たちには大変申し訳ないことをしましたが、子どもたちが歓声を上げ、大喜びしたことは言うまでもありません。
そして、校長先生は、これを大切な思い出にして退職されていきました。人間の風が吹く職場であれ!
(とさ・いくこ 和歌山大学講師・大阪大学講師)