自分の書きたいことを自由に書いた子どもの作文は、実に面白くて可愛いです。
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ぼくがにんじゃだったら
あらた(一年)
ぼくがにんじゃになりたいのは、ぶんしんしたいから。もし、ぶんしんできたら、ひとりめのあらたは、がっこうにいかせて、ふたりめのあらたは、ピアノにいかせて、ほんもののあらたは、ゲームをしとく。それで、ぶんしんのじゅつ。
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あっちゃんとおねしょのかみさま 貴子(一年)
きのう、あっちゃんのおかあさんが、おねしょのふとんをほしていたから、わたしが「どうしたの」といったら、あっちゃんのおかあさんがいった。「あっちゃんがおねしょしたのよ」ていった。そして、あっちゃんが、いった。「ぼくしてないよ、おねしょのかみさまが、あっちゃんのおふとんにはいってきておねをしたの」
わたしは、あっちゃんのこのはなしをしんじています。
子どもたちは、この時代を生きづらさで悲鳴もあげながらも、子ども心を失わず健気に生きています。
日頃、目の前の言動にイライラしたり、腹立たしく思っていても、こんな子どもの文章を読むと、やっぱり子どもって可愛いよと思わずほほがゆるむでしょう。
こんな楽しい子どもの作文がいっぱい掲載された作文集が、この度なにわ作文の会から発行されたのです。
先生方が教室で楽しく読んでくださると子どもたちは「ぼくもそんな話あるある、聞いて」と思わず話し始めます。こんな日々を重ねていくうちに、「先生ぼくらも作文書きたい」と言いだし、作文のある教室が生まれてきます。家庭でも、本を読みきかせるように、この作文集から、子どもの興味のありそうな作文を読んであげるときっと喜ぶことまちがいありません。「もっと読んで」と言い、そのうちに自ら手に取って読み始めたりすることでしょう。
作文の楽しさや面白さを知らせずして、文章の書かせ方ばかり指導するので、作文嫌いになってしまったのです。
■今こそ自由に綴ろう
私は、この本の前書きで次のように書きました。
「文章を書くという行為は、人間発達の根幹です。生きて働く本物の学力をも我がものにします。書くことを通し、人間、自然、社会をみつめ、思考し、認識を深め、自己形成をしていくのです。
私たちは、子どもの書きたいことを自分のことばで綴ることを何より大切にしてきました。その活動は、自由で実に主体的な行為だからこそ、自己への肯定感を育み、自分を確立していくのです。とりわけ今日、自己否定感が強まり、生きていく自信や希望が持ちにくい中で、書き綴る活動を通して、自分を取り戻し抑圧から解放されるといういとなみが大切になっています。
人間は、だれしも自分を表現したいという願いを持っています。そして、同時にその自己表現を共感して受け止めて欲しいと願っています。
コロナ禍でコミュニケーションに困難を抱えている中で、人は人を求め、人とつながることの値打ちが心に染みています。だからこそ今、作文教育の出番だと言われているのです。
(一部略)
『書くのが嫌いな子が好きになる方法は?』と聞かれます。あります。それが、この魔法の本なのです。この本には、本当の子どもの姿が子どもらしい文章で書かれた作文がたくさん載っています。自分の書きたいことを書きたいように書きたいだけ思いをためて自分の言葉で自由に書いた作文だからこそ、子どもの真実が見えるのです。そして、大人と違う子どもらしい表現が光っているのです。ともかく読んでみてください。子どもを再発見されることでしょう。『こんなふうに書くと上手になるよ』それは禁句です。大切なことは、作文って面白いなあということを楽しく読んで届けてあげることなのです」
あなたの手元にもぜひ一冊!本の注文は土佐まで(090・1952・0671)。
(とさ・いくこ和歌山大学講師)