人と人とのかかわりに気を使い、そのことで心を病んで苦しんでいる人が多くなっています。最近そんな相談がぐっと増えました。管理職とのこと、同僚とのことなどです。増えているのは、なぜでしょうね。やはり、現場の多忙化が一番でしょう。
そして、成績主義、評価主義で、とりわけ管理職などはその圧力に苦しんでいます。いじめ、不登校が増えている、若い教師のクラスが崩壊状態にあり、親から不満が出ているとなると、校長の評価にかかわります。
まだあります。学力テストのランクづけがされ、テスト結果の成果を出せと迫られています。まだあります。コロナをきっかけに一気に導入された「ギガスクール構想」(1人1台タブレット)の中で、機械操作にばかり目がいって、子どもたちの姿が見えにくくなっています。
管理職も、一人ひとりの先生方の苦労や悩み、がんばりすら見えなくなって、うまく仕事が進んでいない様子ばかりが気になって、きつい言葉で叱責する事態が増えています。
職員室崩壊かと思う学校で
私も小学校に勤務していた頃、かなりの困難校に配属されていました。職員室崩壊かと思うくらい「この学校に1分もいたくない」という職場もありました。組合の幹部が来た、と構えていた管理職が「先生、なんとか職員が仲良くなるために力貸してください」と言うほどでした。
転勤して荷物を運び入れたその日、余りの荷物の重さに作業員さんが手伝ってくださったのです。お礼にカバンに入っていたみやげの菓子を差し上げたら「来たとたんに菓子を配って自分だけいい子してる」と、早速攻撃の声。ヒャー、これかと思ったが、他人のすること為すことに関心があるのです。そうか無視するよりいいじゃないか。でも、他者を悪く言うのは、ご自分が充たされていないんだなと思いました。
子どもの「荒れ」が叫ばれていた頃で、確かに先生方も苦労なさってきたのです。私はその話を聴かせていただこうと思いました。「先生、そりゃあ大変でしたね」と声をかけると、聴いて聴いてと寄ってきます。「でもその中で、あの児童祭をやりあげたってすごいですね」と、先生方のこれまでのがんばりにエールを送りました。
廊下を通っていると、いい絵が掲示されています。「先生、子どもら、よう描いてますね、どんなふうに指導なさったんですか」と聞きます。全校朝会で子どもに話をなさった先生には「今日、子どもらいい顔して聞いてましたね、ええ話やったわ」と声をかけます。
充たされずギスギスしていた先生方の表情が変わり始めました。PTAの会長さんが「職員室から笑い声が聞こえるようになりましたね」と言ってくれたのです。
顔面神経痛の教頭先生の顔からこれまでのご苦労が見えます。子どもの詩や作文を読むのに関心があるようで、私は教室からそれらを持って職員室の教頭先生に見ていただくのです。ほっと笑顔が出て、子どもの話ができるのです。
先生が集まって来れて、子どもの話ができる職員室にしたいと願っていました。読み聞かせてよかった本を持って行くと「貸して」という先生も出てきて、子どもの話が出るようになったのです。いろんな研究会に出かけていたので役立つ資料はコピーして皆さんに差し上げ、学級通信を読んでくれる先生も増えていきました。
なによりも職場のどの人からも学ぶものがあると発見し、西下先生に絵の指導について教えていただこうと何人かで学ぶ場ができたりもしました。
それでも気の合わない人、あの先生の指導はよくないと思う人もいます。
娘の自慢話ばかりするコワーイ松山先生と初めて昼食を一緒にしたのです。やっぱりなあ、娘の話ばかり…きっと何かあると思っていたら、もう一人高校生の息子さんがいて、長い間不登校だと。そうか、毎朝息子さんと格闘しながら仕事場に来てイライラ、そりゃあコワイ先生にもなるのでしょう。そう思えると、私は松山先生とつき合えました。困った子どもも嫌いな先生もみんなわけがあるのです。
自由であたたかい職場から人間を育む教育は生まれるのです。
(とさ・いくこ和歌山大学講師)