人と人とが気楽に会えないコロナ禍だからか、人恋しくてメールや電話、手紙が頻繁に届く。夕べも30年前の教え子の親子からの電話だ。立派に仕事をし母親を引き取って同居することになったと言うではないか。
■波乱万丈の親子
修学旅行の朝、まさみがまだ来ていない。担任を外れてはいたが、朝から親子で大喧嘩と言うので、私が自転車で飛んで行く。修学旅行には行かせないと大声で怒鳴る。ずいぶん押し問答したが、決着がつかず、えーい、仕方ない。「私が責任持って連れていくからね。まさみ、先生といっしょに行くで」と連れ出す。現地に着いてすぐに昼食。まさみは隣のクラスにいるのだが、お菓子の袋を下げて私の所にやって来て「これ母さんが土佐先生にあげろって」。夕べもこの話で大笑い。波乱万丈の親子の人生だ。
初めて担任したのは、三年生の時だった。初めての図工の時間、外へ出て花のスケッチをした。その時、まさみはみんなから離れて一人、土の上をはうような格好で、お尻だけ上げて、たんぽぽの花を30分近くも集中して描いていた。言葉遣いが荒く、すぐに手が出る足が出る、授業中に居眠りはするし、兄の万引きにはついて行く、あのまさみの本当の姿を見たと思った。この子は育つと実感。
家庭訪問は来るなと言うが、何度も足を運び「お母さん、話したいことがあるんです。まさみ、この頃がんばっているから、その話ぜひ聞いてほしいから、明日5時半に来ます」。翌日、またすっぽかされるかと思いきや「家の中は汚いから入るな」と軒下での訪問。
「この子はいらん子や。男だったら産んでもよかった」とまさみの目の前で平気で言う。「お母さん、この子産んで良かったと思う日が必ず来ますよ」と言った通り、この子の世話になるようになって同居。「先生の言うてた通りやなあ」と夕べも二人で大笑い。
まさみは生活に足をつけて生きている。新しく習った漢字で文を作る時、「わたしはこの間、電球が切れたから、つけ変えました」(球を習ったので)。「根」を習うと「この前、きゅう根が出ていたからもとの土の中へうめてあげました」。「皮」を習うと「二年のとき、姉ちゃんと玉ねぎの皮をむいていて、目にしみました」。命あるものに心寄せ、生活者として実にたくましく生きているではないか。クラスの仲間のまさみを見る目が変わってきた。
私が出張で学校を休むと言うと、走ってきて「休むんか、休んだらあかん」と服を引っぱって甘えてくるようになったのが嬉しかった。
そんな矢先の万引き事件。体を引き寄せて「まさみ、先生がまさみのこと大好きって知ってるやろ、その先生をこんな悲しいめにさせて、まさみはあかん」とそれだけ言うと、めったに涙など見せぬ子が大粒の涙をポタポタ落として泣き続けた。この子は大丈夫と思ったあの日が昨日のことのようだ。
二学期の個人懇談会。また親は来ないと言う。学校には兄たちが悪いことした時だけ呼ばれるから学校は嫌いという。手紙を書き電話をかけ、必死に誘ったが、一番来て来てと言ったのはまさみ本人だった。約束の時間を1時間も過ぎた頃、つっかけの音がして、教室に入るなり「遅くなりすみません」ではなく「先生、うちの子、賢いやろ」だった。あんな子いらんと言いながらも、わが子が目の前で賢くなっていく姿を見れば、やっぱり母ちゃん嬉しくて学校に来るんだ。
しかし、波乱万丈はまだまだ続く。母親が家政婦をすることになり夜、家を空ける日が度々あり大騒動。まさみがご飯を炊き、洗濯もし、布団もあげて、実にけなげに家事をやっている。しかし、冷蔵庫は空っぽ。一緒に買い物に行くと「先生とまさみ、ほんまに親子みたいやなあ」と言う。持って行った肉じゃがだけ渡して、あとは自分たちでやるんだよと言って帰った。
一生面倒みれるわけではないので、どこまで援助したらいいかと心が揺れる。9時頃、戸締りをして布団もちゃんと敷いて寝るんやでと電話すると、「先生、あのじゃがいもおいしかったわ。残ってるやつ朝も食べるわ。先生、風邪なおったか」と優しい女の子の声がした。
今、まさみは、地に足をつけ働き、家庭を持ち、母親も引きとってたくましく生きている。
(とさ・いくこ和歌山大学講師)