まいど、日本機関紙出版です。

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息子のライブ初見学へ。

2008年03月08日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル


 夕方、次男と三男がそれぞれの高校軽音部で組んでいるバンドのライブがあるというので、茨木のJACK LIONというライブハウスへ行った。チケットの地図を見ると阪急南茨木駅からすぐのところのように見えたので、これならすぐわかるだろうと歩き始めたが、行けども行けども見つからない。そのうちモノレールの沢良宜駅に着いてしまい、改札口に張ってあった地図で確認するとさらにもう一駅南二に行かねばならないと分かる。結局駅2つ分歩いてようやく到着した。


 入り口で1ドリンク500円のチケットを購入し中に入る。長男の岳大が友人と来ていたので近くに陣取る。しばらくすると「猫の手」というバンドの演奏が始まった。ものすごい大音響に圧倒される。ドラムがやたらと大きい音なのだが、長男に聞くとこんなものだという。1曲目が終わるとキーンいう耳鳴りがする。そのうち何曲か演奏が進むにつれて耳も慣れてきたみたいである。女性ボーカルのバンドであったがなかなかよくまとまっていた演奏であった。   

 観客はほとんど出演者の友人やクラスメートのようで、ドリンクは高校生試用でアルコール類の販売は今日はなし。ジンジャエールを注文し元の場所に戻る。このバンドの次が次男のバンドで「BLACK&BROWN」という名前。次男が2年生でギター、あとボーカル、べース、ドラム、リズムギターの4人は3年生という編成である。今日はこのバンドの演奏がラストになるそうだ。三男のバンドは一番早い出演時間だったようで今回は間に合わず見ることができなかった。


 「猫の手」の演奏の後、準備に結構時間がかかるようで15分ぐらいの休憩を終えて「BLACK&BROWN]の演奏が始まった。CDでは聞いていたが生で見るのは初めてである。思ったよりはうまい。曲の合間のMCでメンバーの1人のおかあさんが今日6人目の子どもの出産だという紹介があり会場から拍手が沸き起こった。3月26日には難波のBIG CATというその世界では知られたライブハウスに出演することになっている。これは吹田と茨木のライブハウス主催のコンテストで選ばれたバンドが出れるものらしく、よくわからんが本人たちにとっては栄誉あることのようで、そっちのライブも見に来いと盛んに言われているところだ。


BLACK&BROWNのライブ



 中1のときギターを始めたころはFのコードはおろかEmさえも弾けなかったのにそれが今では人前で演奏をするという上達ぶりである。ギター暦35年の私は完全に追い越されてしまった観がある。うーむ、恐るべし、少年の伸びる力である。

演奏する次男です

 

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先日に続いてお2人のハルモニの訃報が届いた。

2008年03月07日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 「ナヌムの家」の日本人スタッフの村山さんから、先日に続いてまたお2人のハルモニが亡くなられたという訃報が届いた。

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 村山一兵様
 

 お二人のハルモニの悲しいお知らせに心が沈んでいます。
 さぞや無念のご心境でおられたのではないかと思います。ご家族の皆さん、さらに村山さんをはじめとするナヌムの家のスタッフの皆さんの心中、お察しし、お悔やみ申し上げます。
 
 一刻も早い問題の解決が図られるよう、声をあげていかなくてはと思います。先日大阪ではAALA連帯が吉川春子元参議院議員を招いて映画と講演の集いを開き、私も参加してきました。「今なら、参議院では法案を可決することができる。今がチャンスだ」といわれてました。衆議院では難しいが、少しでも前につながる今できることを行っていくこと、その結果を早くハルモニたちに示すことが大事だと思いました。
 石川ゼミでは、昨年ナヌムの家に行った学生たちが「日本の中高生たちに語りかけるような内容の本」を出したいと今準備中です。世論をさらに一周り、二周り広げていくものにつながると思い、協力していきます。
 とにかく、日本政府を追い込み、「慰安婦」問題を解決させていくための世論作りを今まで以上に早く、強く進めていかないといけないと強く感じています。
 
 いつもメールマガジンありがとうございます。
 まだまだ寒さが厳しいでしょうが、どうかご自愛の上、過ごされること切にお願いする次第です。
 

 お二人のハルモニの訃報に接して

                              3月6日 日本機関紙出版 丸尾
 

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戦前の社会はやはり驚きの社会であった。

2008年03月06日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 近現代史についての学習会を職場内で月2回のペースで始めることにし、この間2回分が終わった。自分が報告した部分だけでもいろいろ改めて「そうだったのか」と気がついたことが多くあった。戦前が天皇専制体制だったことはその通りだと一般的に思っていたのだが、もう一歩突っ込んで学習してみるとそれは相当すごい時代であったのだと、旧憲法を読んでいて次の点が勉強になった。


 ・日本は国の統治権を天皇が「神」から与えられている国だった。
  現人神とはよく言ったものだが、つくづくすごい考えの社会だったのだと思う。

 
 ・議会や政府は天皇を助けるための補助機関にすぎなかった。
  完全に天皇が唯一の権力者であったのだ。天皇の好きなように出来た社会だった。


 ・国民は存在せず、いたのは天皇の家来だった。
  これもすごいことだと思う。国民ではないのだ。国はあったが、国民はいなかった。それが戦前の社会だった。家来だから絶対服従の世界である。


 ・政府は存在していなかった。
  初代内閣総理大臣といえば伊藤博文というくらい「内閣総理大臣」というものが一般的に認識されているが、実はあの時代には「内閣」も「政府」という機関や権限を定めた規定がなかったのだ。「総理大臣」や「首相」という規定もなかった。あるのは1人ひとりの大臣がそれぞれに天皇を輔弼するという規定だけで「内閣」はその大臣たちがただ集まった任意の集団のようなもので、「総理大臣」とはその、まあ取りまとめ役?のようなものにすぎなかったらしいのだ。なんら権限はなかった人のようである。なぜなら今でいう立法、司法、行政の三権がすべて天皇の権限だったのだから、当然そういうことになるのだが、やはりこれも相当すごいことだったのではなかろうか。


 ・軍隊と戦争の問題(権限)は、天皇以外に口を出すことはできなかった。
  戦争を始めるのも、そのために軍隊を動かすのも、すべて天皇の専権事項だったのだ。他のものは口を出すことはできなかった。あれこれいろんなことが言われているが、やはり原点はこの部分だと思う。そこから考えないと現代も分からないような気がする。

    

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パワーアップした透明感あふれるボーカル~土佐拓也コンサートへ行った

2008年03月03日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 先日、堺市北野田駅前の堺市立東文化会館へ土佐拓也さんのコンサートを聴きに行った。前に聴いたときから2年ぶりである。時々大阪にも帰っていくるらしいが普段は東京を拠点にライブ活動を行っている。今回は2枚目になるアルバムを引っさげての地元凱旋であった。


 この2年間の大きな成長ぶりがググッと伝わってくる、なかなか楽しく、そして心に訴えてくるものがあるコンサートであった。テナーの透明感ある優しい歌声はより安定感を増し、アコースティックギターの演奏は一段とレベルアップ、さらに今回は曲のイントロ部分で口ずさむボーカルパーカッションを披露し、これがなかなかいい。


 バックを支えるパーカッション2人、ピアノ、バイオリン、ビオラ、チェロ、ベースというプロミュージシャンたちの重厚な演奏にあって、紡がれた詩が実に繊細なボーカルによって会場いっぱいに広がるのだ。その心地よさはさすがに生の魅力だろう。


 東京でのミュージシャン生活は決して楽とはいえないだろうが、この2年間の様々な体験のエッセンスを注ぎ込み作り上げた1つひとつの曲に、大いなる確信を持って活躍してほしいと思う。

CDなど詳しいことはこちら

 

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「慰安婦」問題の映画と講演会に参加

2008年03月02日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 昨日は午後から阿倍野市民学習センターで行われた「慰安婦」問題に関する映画と講演の集い(大阪AALA主催)に参加した。


 映画は『ガイサンシー(蓋山西)とその姉妹たち』(班忠義監督)。日本軍が中国山西省の進圭村という貧しい村で地元の1人の若き女性と幾人かの幼き少女たちに対して行った性暴力について、取材し告発したドキュメントである。


 「ガイサンシー」とは山西省一の美人を意味する言葉で彼女の本名は侯冬娥(コウトウガ)という。「ガイサンシー」は日本兵たちの要求に対して幾度となく年下の少女たちを身を挺して守ろうとした。そして後に村人たちは容姿だけではない彼女の生きざまをそう呼ぶようになったという。監督は10年間にわたって取材を行い、今なお苦しみ続ける被害者たちに、日本兵たちに強いられた恐怖の体験を語ってもらった。 


 戦後半世紀以上にわたって差別や貧困、病気に苦しみ続け、誰にも語ることのなかった過去と初めて向き合い語るその言葉はずっしりと重い問いかけである。一方、いまは好好爺となった加害者のはずの元日本兵がインタビューに答えるその内容のなんと軽いことであったか。


 映画について詳しいことはコチラから


 講演は、長年国会の場で「慰安婦」問題を追及してきた元参議院議員も吉川春子さんが「『慰安婦』問題を通して戦争責任を問う」と題して講演された。


 冒頭、「今回の沖縄の少女の事件は一般には暴行事件と言われているがあれは正確には強姦事件なんです。国家公安委員長もそう明言している。強姦事件は親告罪になっているので米兵は釈放されたが、でもなぜ明確な犯罪にならないのか。これは明らかに女性への差別です」との指摘に、なるほどと深くうなずく。


 講演は、①「慰安婦」問題がなぜ広範な世論にならないのか、②「慰安婦」制度に関する日本政府の責任と対応、③日本共産党の取り組み、④野党共同の取り組み、⑤日本は国際機関、外国からどう見られているか、そして最後に、⑥このまま放置すればこれからも平和と人権が犯され続けていく、との内容で最近出版された本の中身も紹介しながら進められた。


 講演の中で特に印象に残ったこと――。
 ①については、
 ・民主的陣営の男性の中に依然として「男の性の問題だから」という思いがある。
 ・死んでゆく兵士や父、祖父の恥をさらすのかという意見がある。
 ・加害責任と向き合うことのむずかしさ。
 ・天皇が戦争責任をとらないのになぜ我々に責任があるのか、という中で戦後が過ぎてきた。


 ②については、
 ・日本は戦前から強制労働禁止条約(1930年)を批准しているのに…。
 ・日本では「慰安婦」といっているが国連では「性奴隷」、慰安所は「レイプセンター」と表現している。これが世界標準だ。
 ・アジア女性基金のお粗末な結果。
 ・度重なる国連人権委員会の勧告無視をする日本。  
 ・「拉致問題」も大事だが、こっちの拉致問題はどうなるのか。
 ・「慰安婦」たちの要求はお金ではない。何よりも日本の謝罪である。


 ③については、
 ・「慰安婦問題解決促進法」を野党共同でこれまで7回国会に提出した。審議にこぎつけたのが2回で、あとはすべて拒否された。
 ・いまこそチャンス。民主党にも〝靖国派〟がいるが、参議院では可決が可能な状態にある。国民の声でこれを後押しを。


 ④については、
 ・欧米諸国から次々と日本政府に対して決議があげられており、このままでは日本は信頼されなくなるし、孤立していく。


 ⑤については、
 ・戦争のあるところ、女性に対する性犯罪がある。
 ・いまこそ、憲法9条、そして18条の力を発揮するとき。

講演の中で突然、小社刊の写真集『私の従軍中国戦線』(村瀬守保著)を手に「ここに写っている慰安婦たちの写真を使って国会で追及してきました」と話されたので、あわてて写真を撮った。 

 

 吉川春子さんの最新刊。「慰安婦」問題を追及してきた歩みが綴られている。(かもがわ出版刊)


 

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『鶴彬』が映画になります!

2008年03月01日 | 行事のご案内&報告

 『反戦川柳作家・鶴彬』の映画が作られることになりました。第1報は昨年末、著者の深井一郎先生から「2009年の生誕100年を記念して映画が作られるので、それに向けて本の重版をお願いしたい」との電話で寄せられました。
 そして昨日、大阪城内の一角に鶴彬の顕彰碑を建立する運動を進めている「あかつき川柳会」の植樹祭に出席された岐阜教育映画センター、ここが映画製作の中心を担うところになるようで、その代表のH野さんの訪問を受け、より具体的なことを教えていただきました。


 監督はあの『北辰斜に射すところ』の神山征二郎氏。再現シーンを入れたドキュメンタリー映画として作られる予定で、現在撮影中の別の映画が終わり次第、準備に取り掛かり今秋9月ごろから撮影が始まるそうです。公開は2009年春予定です。
 今年が没後70年、来年が生誕100年の鶴彬。出身地石川県かほく市をはじめ、大阪や岩手ほか各地で、反戦の意思を川柳に託して表現したため治安維持法違反で投獄され29歳で病死した若き川柳作家の意志を引き継ぐ人たちの創作活動が広がる中、注目される映画となりそうです。

鶴彬は『北國新聞』の「北國柳壇」に川柳を投稿して発表、才能が開花した。写真は映画製作予定を報じた『北國新聞』2008年2月11日号。


反戦川柳作家・鶴彬』の本についてはこちら

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