2014/06/16日、15日菜園でラジオを聞いていたら
17日から雨が数日続くとの予報が流れたので菜園の雨対
策を急遽済ませた
16日は妻のアッシーをする約束があったので一日菜園は
休みます きゅうりの芽欠きナスビ、トマトの支柱への誘引
南瓜、メロン、すいか、枝豆等の手入れを暗くなるまでかか
りなんとか終わらせた
さて
16日の今日は車で1時間くらいののどかな田舎にある
無限郷・向花坊という私設で、山を散策出来るように18年
かけて手入れされ特に紫陽花と自生の木を融合させ調和
が取られています
美術館は
経営者の方が小さい頃から集められたという郷土玩具や
陶磁器等小さな美術館感覚で見られる展示場を作られて
いました
普段、車で走り去る国道から横道に入ると景色が一変し
葡萄畑、田んぼが広がるのどかな風景に癒されました
無限郷の入口近くには木村式自然農法実験田と書かれた
看板のある田には植付けられたばかりの苗が心地よい風
にそよそよと揺れていました
無限郷は入口から山中全体に もう終わりを告げそうな
紫陽花を中心に植栽の草花木が来訪者を心待ちにして
いるかの様に精一杯頑張っていましたよ
場所は長崎県西海市西彼町平原郷の丘陵にあります
国道206号、長崎市中心部から車で一時間位のさいかい
交通、白似田バス停の信号機を左に曲がり100m位の
左側に酒店の資材置き場の裏に無限郷の無料駐車場が
あり駐車場入口左側に案内板があり徒歩で5分位です
機会があられましたら一度訪問されてみませんか
開館は土、日、月曜日 AM10~PM5:00
では数点の画像ですが見て下さい
下図は入口です
入口の左側
下図は山あじさいです
下図はやまあじさい
下図は浜あじさい花火
下図は花びらにギザギザがある
下図はウィンドミルピンクあじさい
下図は多良山系あじさい
下図は散歩道
下図は散歩道
下図は鹿威し(ししおどし)竹の筒に水が流れ落ち筒が
重くなると筒が傾き中の水を出し「カコン」と音がする
下図はあじさいの花
下図はアメリカあじさい
2013/09/18日、台風一過、爽やかな風を受けながら
久しぶりに山頂から夕日を撮影しました
場所は長崎市にある鍋冠山公園です
観光名所のグラバー園裏手に位置する山です
グラバー園から徒歩で高台住宅地の細い道を登り
約10~15分位です
山頂に円形の展望台(所)があり長崎市街地、長崎港
がパノラマで望めます
長崎市鍋冠山で検索すると素晴らしい夜景の画像が紹介
されている頁が沢山ヒットしますよ
無料駐車場(13台)、トイレもありますが観光船が入港
の時は車は駐車出来ない位の混雑になります
下図は展望台の様子
展望台敷地周りの柵の外1m位の所に三角点という石柱
があった 初めて見たので帰宅後ネット検索で分かった
三角点を用いて測量をするときに使ったらしい
三角点の拡大画像
下図は説明板も無いので何か分かりませんが撮影した
夕日が沈む10分位前の長崎港 左手に平成17年12月
供用開始された女神大橋が見えます
夕日らしくなってきた
夕日 沈み始めるのが速くなったようだ
夕日に映える三菱重工業のクレーン
夕日が沈んだ18時22分
下図は長崎市街中心部
中央に稲佐山が見えます
稲佐山が右端に見えます 正面に三菱重工業
長崎港入口方向の画像
まだ明るいが後ろを振り向くと満月が出ています
整備されたトイレ
2013/03/09日、例年のごとく長崎の街にも黄砂が飛来
して来ました、花粉やPM2.5等自然の驚異から身体
を守るべく今年は特に対策をしないと苦しい思いをする
事になりそうです
黄砂が飛来して来ましたとの情報で私の菜園近くの山頂
大砲のあるドンの山(カテゴリのまち歩きをクリックで
大砲の写真や説明を見る事が出来ます)から長崎港方面
を撮りました
正面の高い山が稲佐山で頂上のテレビ塔は見えません
下図は最近の風景ですテレビ塔が見えますね
画像をクリックしましたら拡大画像が出ます
下図は長崎市街最近の風景
下図は長崎市街最近の風景
下図は2009年12月の風景です、最近の風景と
比べると大気が綺麗な気がします
数年前散歩中に貴重な建築物ではないかと
気に留めていたのが江戸期から伝わる建物
であることを知ることになりましたので紹介し
ます、
[増田さんが心田菴を長崎市に寄贈]
貴重な文化遺産として活用が期待される心田菴
長崎新聞掲載とNIB長崎国際TVのnews every
で知ることとなりました。
長崎市片渕2丁目に江戸期から伝わる日本庭園
心田菴(しんでんあん)を増田水産(元船町)
増田脩二社長が長崎市に寄贈されました
茶室を備えた、かやぶきの木造平屋などもあり
長崎市は貴重な文化遺産として一般開放に向けて
調査着手に入りました、心田菴は1680年頃唐通事
の何兆晋(がちょうしん)が建設したとされる別荘で
19世紀には唐通事で著名な茶人でもあった神代松
隠(くましろしょういん)が茶事に利用したことで
心田菴の名が広く知られるようになったといわれて
います、
かやぶきの母屋、土蔵、庭園厠のほか寄贈品の中
には巻物や黒檀座卓、びょうぶなども含まれており
庭園には古い石灯篭もあり昔の雰囲気が随所に
漂っている
増田さんは1600年代から続く歴史ある庭園、茶会
だけでなく市民のために広く役立ててもらうと有難い
と話されています
下図は一般開放が待ちどうしい心田菴の入口です
長崎市の中心浜の町アーケード街と観光通りアーケード
の四つ角にある博多大丸長崎店がまもなく7月末日に閉
になります、子供の頃から親しんでいたデパートの閉店は
一抹の寂しさを覚えます
当デパートは安政元年(1854)異国貿易商(徳島屋)とし
て創業し昭和9年長崎最初の百貨店(岡政百貨店)として
当時市内で最高の建物として開店されました
昭和57年7月長崎大水害で甚大な被害から経営が圧迫
され昭和63年営業権を全て大丸に譲渡、長崎大丸として
再出発、平成15年大丸グループ企業再編で博多大丸長崎店
になり現在に至っていましたが本年7月末日を以って閉店する
旨発表されました
跡地は博多大丸の自社開発で商業系ビルが建設される方針
下図は創業者の子供、岡部政太郎をモデルにした行商の丁
稚の姿を形どったイメージキャラクター「政どん」です
閉店後は近隣にある老舗菓子店(梅月堂)本店に丁稚奉公
という形で姿を見せるそうです。
坂本龍馬ゆかりの亀山社中跡がある私が住んで
いる町の川向こうに日本初の営業写真館を開
業し、坂本龍馬、高杉晋作など幕末の志士の
写真を撮った上野彦馬をテーマにしたモニュメント
が出来ました、肘置き台(白い壁際にある)の
そばに立つ人を手前にある写真機の上にカメラ
を置いて撮影すると、かつて龍馬が撮った龍馬
の写真と同じ構図になる仕組みになっています
上野彦馬宅跡(上野撮影局跡)
設置されている説明板には次のような記事が
書かれていますので参考にしてみてはいかが
文久2年(1862)上野彦馬はこの地に接する
道路を隔てた北側の地(写真参照)に撮影局
を開業した、わが国最初の営業写真館だった
上野家は代々絵師の家系であったが彦馬は
日本で初めて銀板写真機を輸入した父、俊之
丞と同様に写真に興味を持ち、オランダ人医師
ポンペやフランス人ロシェから写真術等を学び
研究を重ねた、初期の頃のカメラは旧式の箱形
(湿板写真)で露出時間は約10秒その為首押さ
えや胴押さえが利用された、当初は写場もなく
屋根のない小屋が利用された、後にガラス張り
の写場が完成、長崎名所のひとつとなった。
坂本龍馬、高杉晋作、グラバーなど長崎を訪れ
た人たちはこの撮影局で写真を撮ってもらった
彦馬は西南戦争の従軍写真師を務め報道写真
家の先駆けとして評価され日本語の化学の教科
書である(舎密局必携)を著わすなど多大な功績
を残している、この画像のモニュメントは日本写真
の開祖・上野彦馬の功績を顕彰し、上野撮影局で
撮られた龍馬の写真と同じ構図で記念撮影ができ
るように同撮影局の写真機と肘置き台を再現した
ものである。