蝦夷(カイ・えぞ)=毛人=モウジン=盲人
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蝦夷(カイ=X・えぞ)=毛人=モウジン=盲人・・・「塙 己保一」
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北海道
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12支+1支=13支→・・・
+=十三シ=壱拾参詞(史・肆)
シ
肆=镸+聿
丨+一+厶+肀+二
シ
つらねる
ならべる
・・・「奈良・奈羅・楢」部留?
ほしいまま
・・・「干飯・糒・星居・星井」
みせ
つらねる・ならべる
つらなる・ならび
列・陳列
店・市場・品物を並べる
ほしいまま
気まま・ほしいままにする
罪人をさらす
さらしものにする
ゆえに・だから・まことに
尽くす・力を尽くす
努力する・努める
広げる・のばす
とうとう・遂に
極める・極まる
大きい・長い・はなはだ
はやい・はやく
契約書などの文書で
書き換えを防止に
「四」
の代わりに用いる
「大字」
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・・・「十三支庁」内の
市町村の「名前の漢字」は
「音」のみを
「当て字」としたのか・・・?
難読で地名の音名が
ボクがヨンだら
重複してしまう・・・
アイヌ語の
意音を採ったとしても
「古事記」
や
「日本書紀」
の古代史の謎解きを意識した
明治官吏の
「漢字」地名の
命名ではないかと
妄想してしまう・・・
石狩支庁・・・当別(トウベツ)⇔別当・別頭
渡島支庁・・・知内(シリウチ)⇔知名意
木古内(キコナイ)⇔北拠名意
七飯(ナナエ)⇔死地叛
鹿部(シカベ)⇔録部
八雲(ヤクモ)⇔
長万部
(オシャマンベ)⇔訳語田の万分
檜山支庁・・・乙部(オトベ)⇔音部
奥尻(オクシリ)⇔緒句詞理
今金(イマカネ)⇔今兼?
後志支庁・・・蘭越(ランコシ)⇔藍子氏
覧古詞
阿蘭陀古詞
ニセコ(アイヌ語の
ニセイ・コ・アン・ペッ
nisey -ko -an -pet
峡谷・に・ある・川)
偽・贋・二世
僞・贗
真狩(マッカリ)⇔真っ赤理
留寿都(ルスツ)⇔瑠素通
喜茂別(キモベツ)⇔
倶知安(クッチャン)⇔
共和(キョウワ)⇔
岩内(イワナイ)⇔
神恵内(カモエナイ)⇔
積丹(シャコタン)⇔
古宇(フルウ)⇔
古平(フルビラ)⇔
仁木(ニキ)⇔
余市(ヨイチ)⇔
空知支庁・・・夕張(ユウバリ)⇔
岩見沢(イワミザワ)⇔
美唄(ビバイ)⇔
芦別(アシベツ)⇔
赤平(アカビラ)⇔
茂尻(モジり)⇔
三笠(ミカサ)⇔
歌志内(ウタシナイ)⇔
奈井江(ナイエ)⇔
由仁(ユニ)⇔
月形(ツキガタ)⇔
浦臼(ウラウス)⇔
妹背牛(モセウシ)⇔
雨竜(ウリュウ)⇔
幌加内(ホロカナイ)⇔
上川支庁・・・士別(シベツ)⇔
名寄(ナヨロ)⇔
富良野(フラノ)⇔
鷹栖(タカス)⇔高須・高州
当麻(トウマ)⇔
當麻・当摩・當摩
たいま・たぎま・たえま
神奈川県相模原市南区
比布(ピップ)⇔
愛別(アイベツ)⇔
占冠(シムカップ)⇔
和寒(ワッサム)⇔
剣淵(ケンブチ)⇔
美深(ビフカ)⇔
音威子府(オトイネップ)⇔
留萌支庁・・・留萌(ルモイ)⇔
増毛(マシケ)⇔
苫前(トママエ)⇔
羽幌(ハボロ)⇔
初山別(ショサンベツ)⇔
遠別(エンベツ)⇔
天塩(テシオ)⇔
幌延(ホロノベ)⇔
宗谷支庁・・・稚内(ワッカナイ)⇔
猿払(サルフツ)⇔
浜頓別(ハマトンベツ)⇔
中頓別(ナカトンベツ)⇔
枝幸(エサシ)⇔江差
豊富(トヨトミ)⇔
礼文(レブン)⇔
利尻(リシリ)⇔
網走支庁・・・網走(アバシリ)⇔
紋別(モンベツ)⇔
斜里(シャリ)⇔
訓子府(クンネップ)⇔
置戸(オケト)⇔
佐呂間(サロマ)⇔
遠軽(エンガル)⇔
湧別(ユウベツ)⇔
興部(オコッペ)⇔
雄武(オウム)⇔鸚鵡・王蟲
大空(オオゾラ)⇔霄=雨+肖
女満別
(メマンベツ)⇔
町と
東藻琴
(ヒガシモコト)⇔
村
の合併
肖=似る・かたどる
胆振支庁・・・室蘭(ムロラン)⇔
苫小牧(トマコマイ)⇔
登別(ノボリベツ)⇔
伊達(ダテ)⇔
豊浦(トヨウラ)⇔
壮瞥(ソウベツ)⇔
白老(シラオイ)⇔
厚真(アツマ)⇔
洞爺湖(トウヤコ)⇔
安平(アビラ)⇔
むかわ(鵡川)⇔
日高支庁・・・日高(ヒダカ)⇔
平取(ビラトリ)⇔
新冠(ニイカップ)⇔
様似(サマニ)⇔
襟裳(エリモ)⇔
十勝支庁・・・帯広(オビヒロ)⇔
音更(オトフケ)⇔
士幌(シホロ)⇔
鹿追(シカオイ)⇔
新得(シントク)⇔
芽室(メムロ)⇔
中札内(ナカサツナイ)⇔
更別(サラベツ)⇔
幕別(マクベツ)⇔
豊頃(トヨコロ)⇔
本別(ホンベツ)⇔
足寄(アショロ)⇔
陸別(リクベツ)⇔
浦幌(ウラホロ)⇔
釧路支庁・・・釧路(クシロ)⇔
厚岸(アッケシ)⇔
浜中(ハマナカ)⇔
標茶(シベチャ)⇔
弟子屈(テシカガ)⇔
鶴居(ツルイ)⇔
白糠(シラヌカ)⇔知らぬか
根室支庁・・・根室(ネムロ)⇔
別海(ベツカイ)⇔
中標津(ナカシベツ)⇔
標津(シベツ)⇔篩別・死別
羅臼(ラウス)⇔
色丹(シコタン)⇔
国後(クナシリ)⇔
ただし
根室支庁
所管区域中
国後郡・色丹郡
択捉(エトロフ)郡
紗那(シャナ)郡
蘂取(シベトロ)郡
得撫(ウルップ)郡
新知(シムシル)郡
及び
占守(シュムシュ)郡
については当分の間
これを適用しない(条例附則)
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占守島の戦い
太平洋戦争終戦後
(終戦準備・戦闘停止 期間中)
1945年(昭和20年)8月18日~21日
千島列島東端の占守島で行われた
武装解除中の
大日本帝国陸軍
占守島守備隊
と
ソ連が
「日ソ中立条約」を
8月9日
一方的に破棄し
対日参戦し
8月18日未明
占守島を奇襲攻撃した
軍命により
8月21日
日本軍降伏停戦が成立
8月23日
日本軍武装解除
日本兵捕虜の大勢が
法的根拠無く拉致され
シベリアへ抑留された
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ソ連側の情報
日本軍死傷者1000名
ソ連軍の死傷者1567名
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日本軍による推定
日本軍の死傷者は600名程度
ソ連軍の死傷者は3000名程度
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by 「ウィキペディア(Wikipedia)」
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