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コジキジゲン

数えるな、調べるな、国民番号・・・

2015-04-28 01:17:05 | 古事記字源

 ・・・突然の「夏」・・・何だこの暑さ。昨夜は灯油ストーブに炎を燃えさせていたのに・・・暑い・・・庭に出ると桜の木に桜の花・・・ニャんコの「モモ」もぐったり・・・
ーーーーー
 旧約聖書
 舊約(旧約)
 ↓
 民數記=民数記(みんすうき)
 聖書の
 四番目の記録
 出エジプトから
 二年二ヶ月後に始まり、
 ヨルダン川にたどりつく40年目までの記録
 ↓
 イスラエルの民の人口の「数」の調査
 七十人訳聖書
 「アリスモイ=数」
 「戸籍調査」はナゼ必要なのか・・・「税金徴収」と「徴兵」だろう・・・
 ↓
 ナジル人など種々の規定(1章~10章10節)
 シナイ山からモアブにいたる道中の記述(10章11節~21章20節)
 カナンの民との戦い、ヨルダン川到着まで(21章21節~36章)
  ↓
 1章 シナイの荒野における人口調査、レビ人の務め
 2章 幕屋と宿営地に関する神の指示
 3章 レビ人の祭司としての職務
 4章~6章 レビ人の氏族の調査、汚れやナジル人に関する規定
 7章~9章 祭壇の奉献と聖所の祝別
 10章~12章 イスラエルの民の荒れ野の旅と不満、
       モーセを蔑ろにしたアロンとミリアムへの罰
 13章~14章 カナンを偵察した斥候の報告と民の嘆き
 15章~17章 コラの反逆、アロンの杖
 18章~19章 アロンの子孫とレビ人の祭司としての役割
 20章~21章 メリバの出来事、
       ミリアムとアロンの死、
       カナン人アラドの王の死、
       青銅の蛇による罰、
       アモリの王シホンとオグとの戦い
 22章~24章 バラクとバラムの物語、バラムとろば
 25章~27章 カナン入りを前にした人口調査
       後継者ヨシュアの任命
 28章~29章 献げ物に関する規定
 30章~32章 ミディアンへの勝利
       逃れの街の規定
 33章~36章 エジプトを出てからの旅程
       イスラエルの嗣業の土地、
       レビ人の町、
       相続人が女性である場合の規定
  ↓
ーーーーー
 旧約聖書
 舊約(旧約)
第1章
1:1
エジプトの国を出た
次の年の二月一日に、
主はシナイの荒野において、
会見の幕屋で、モーセに言われた、
1:2
「あなたがたは、
 イスラエルの人々の全会衆を、
 その氏族により、
 その父祖の家によって調査し、
 その
 すべての
 男子の名の数を、
 ひとりびとり数えて、
 その総数を得なさい。
1:3
 イスラエルのうちで、
 すべて戦争に出ることのできる
 二十歳以上の者を、
 あなたとアロンとは、
 その部隊にしたがって
 数えなければならない。
1:4
 また、
 すべての部族は、
 おのおの
 父祖の家の長たるものを、
 ひとりずつ出して、
 あなたがたと協力させなければならない。
  ↓
1:16
これらは会衆のうちから選び出された人々で、
その父祖の部族のつかさたち、
またイスラエルの氏族のかしらたちである。
1:17
こうして、モーセとアロンが、
ここに名を掲げた人々を引き連れて、
1:18
二月一日に会衆をことごとく集めたので、
彼らはその氏族により、
その父祖の家により、
その名の数にしたがって
二十歳以上のものが、
ひとりびとり登録した。
1:19
主が命じられたように、
モーセはシナイの荒野で彼らを数えた。
1:20
すなわち、
イスラエルの長子
ルベンの子たちから生れたものを、
その氏族により、
その父祖の家によって調べ、
すべて戦争に出ることのできる
二十歳以上の男子の名の数を、
ひとりびとり得たが、
1:21
ルベンの部族のうちで、
数えられたものは
四万六千五百人であった。
1:22
また
シメオンの子たちから生れたものを、
その氏族により、
その父祖の家によって調べ、
すべて戦争に出ることのできる
二十歳以上の男子の名の数を、
ひとりびとり得たが、
1:23
シメオンの部族のうちで、
数えられたものは
五万九千三百人であった。
1:25
ガドの部族のうちで、
数えられたものは
四万五千六百五十人であった。
1:27
ユダの部族のうちで、
数えられたものは
七万四千六百人であった。
1:29
イッサカルの部族のうちで、
数えられたものは
五万四千四百人であった。
1:31
ゼブルンの部族のうちで、
数えられたものは
五万七千四百人であった。
1:33
エフライムの部族のうちで、
数えられたものは
四万五百人であった。
1:35
マナセの部族のうちで、
数えられたものは
三万二千二百人であった。
1:37
ベニヤミンの部族のうちで、
数えられたものは
三万五千四百人であった。
1:39
ダンの部族のうちで、
数えられたものは
六万二千七百人であった。
1:41
アセルの部族のうちで、
数えられたものは
四万一千五百人であった。
1:43
ナフタリの部族のうちで、
数えられたものは、
五万三千四百人であった。
1:44
これらが数えられた人々であって、
モーセとアロンと
イスラエルのつかさたちとが数えた人々である。
そのつかさたちは
十二人であって、
おのおのその父祖の家のために出たものである。
1:45
そして
イスラエルの人々のうち、
その父祖の家にしたがって数えられた者は、
すべてイスラエルのうち、
戦争に出ることのできる
二十歳以上の者であって、
1:46
その数えられた者は合わせて
六十万三千五百五十人であった。
1:47
しかし、
レビびとは、
その父祖の部族にしたがって、
そのうちに数えられなかった。
1:48
すなわち、
主はモーセに言われた、
1:49
「あなたはレビの部族だけは
 数えてはならない。
 またその総数を
 イスラエルの人々のうちに
 数えあげてはならない。
1:50
 あなたは
 レビびとに、
 あかしの幕屋と、
 そのもろもろの器と、
 れに附属するもろもろの物を管理させなさい。
 彼らは幕屋と、
 そのもろもろの器とを持ち運び、
 またそこで務をし、
 幕屋のまわりに宿営しなければならない。
1:51
 幕屋が進む時は、
 レビびとがこれを取りくずし、
 幕屋を張る時は、
 レビびとが
 これを組み立てなければならない。
 ほかの人がこれに近づく時は
 殺されるであろう。
1:52
 イスラエルの人々は
 その部隊にしたがって、
 おのおのその宿営に、
 おのおのその旗のもとに
 その天幕を張らなければならない。
1:53
 しかし、
 レビびとは、
 あかしの幕屋の
 まわりに宿営しなければならない。
 そうすれば、
 主の怒りは
 イスラエルの人々の
 会衆の上に臨むことがないであろう。
 レビびとは、
 あかしの幕屋の務を守らなければならない」。
1:54
イスラエルの人々はこのようにして、
すべて
主がモーセに命じられたように行った。
ーーーーー
 ・・・「あかしの幕屋」と「幕屋の務」とは・・・「情報機関」・・・移動用の「ペンタゴン」・・・それとも、「明石」の標準時間・・・「赤石元二郎」大佐のロシア革命への加担工作か・・・「あかしの幕屋」とは「あかしそ」の「マクヤ」・・・梅干し工場・・・?
 禁止の終助詞「な」
 禁止の副詞「な」と呼応した「な」…「そ」
 「な、あかし-そ」・・・「レビびとは、な数えそ」・・・?
  ↓
 赤紫蘇
 日本では梅干しなどの色づけに使う
 葉を乾燥させ香辛料として
 七味唐辛子に配合
 カロテン、ビタミンB、カルシウム、
 食物繊維、カリウムなどの栄養素を含み、
 β-カロテンの含有量は多い
 香りの元
 ペリルアルデヒドは、
 臭覚神経を刺激し
 胃液の分泌を促し、
 健胃作用や食中毒に予防効果
 漢方医学
 赤紫蘇の葉を
 「蘇葉(ソヨ)
 「紫蘇葉(シソヨウ)」といい、
 理気薬(精神を安定効果)
 神秘湯、半夏厚朴湯、香蘇散などに配合
 チリメンジソの葉
 及び
 枝先を「蘇葉」としている
 熟した果実は
 「蘇子(ソシ)といい、
 咳、喘息、便秘などの治療に用いる
 シソの葉は
 ロズマリン酸、
 葉と実には
 ルテオリン(フラボノイド・酵素)を含み、
 アレルギー疾患に有用
  ↓
 明石
 明石市を通る
 東経135度の経度が
 日本標準時の
 子午線
 645年 - 大化の改新により
      明石国が
針間国に編入され
播磨国となる
  645年 - 如意寺が建立
  811年 - 空海が
楊柳寺を建立
  877年 - 覚証が
楊柳寺を
月照寺に改名
  901年 - 九州左遷の
      菅原道真が立ち寄り、
明石の駅に一泊
 1578年 - 別所長治が
魚住に魚住城を築城
 1580年 - 羽柴秀吉が
三木を攻め、
明石も巻き込む
 1585年 - 高山右近が領主
 1587年 - 高山右近追放
      羽柴秀吉の直轄領
 1617年 - 小笠原忠真が明石城主
 1619年 - 明石城の築城が始まる
 1622年 - 小笠原忠真、
明石城内にあった
人丸神社と
月照寺を現在の位置に移設
 1601年 - 明石港が作られる
 1680年頃 - 岩岡が開墾される
 1871年7月14日 - 廃藩置県により
明石藩から明石県
 1871年11月 - 明石県は姫路県に編入後、
飾磨県に名称変更
 1876年8月 - 府県大統合により
飾磨県は
兵庫県に併合
 1879年1月 - 郡区町村編制法により明石郡
 1888年11月1日 - 山陽鉄道が兵庫-明石間で開通
 1888年12月23日 - 山陽鉄道、明石-姫路間が開通
 1889年4月 - 明治二十二年
       市制町村制が敷かれ
1町11村
(明石町
伊川谷、岩岡、
魚住、大久保、
押部谷、神出、
玉津、垂水、
櫨谷、林崎、
平野の各村)が出来る
 1917年 - 兵庫電気軌道の兵庫-明石間が開通
 1919年11月1日 - 明石町が明石市となる
 1923年 - 神姫鉄道の明石-姫路間が開通
 1928年10月 - 垂水村が垂水町となる
 1938年4月1日 - 大久保村が大久保町となる
 1941年7月1日 - 垂水町が神戸市須磨区に編入
 1942年 - 林崎村が明石市に編入
 1943年 - 明石市は
玉津村を合併しようと
兵庫県に申請するが不成立
 1946年11月 - 旧垂水町が神戸市垂水区となる

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