やるやるといって練り練りしていた「矢田丘陵を歩く会」
無事に6月27日(日)に敢行してきました。
当日の参加者は、独楽さん、ショータさん、なぎさん、ひろこさん、
punipuniさん、ゆずさん、yumekoさん、そしてアタクシ。
総勢8名の大所帯です。
一番心配していた天気も、朝の京都では雨降っていたものの、
何故か郡山に着いた時点では晴れている…。
もしかして「快晴」っていっていいくらいの晴れ。
実はわたくし晴れ女なので、主だった外行事の日には、降水確率が60%以上でも
「晴れてはいないが降ってもいない」程度の気候になることがしばしばで。
今回も念力パワー発揮してしまったようです。
そんなわけで駅前のコンビニでしこたま水分を買い込み、
集合時間にまでまだ時間があるので、いざ大納言塚へ。
前回桜の頃に来た頃にはついでだったのでここに立ち寄ることができず、
今回もツアー終了後には訪問できなさそうだったので。
では先立ってということで。
地図に従って歩けばものの5分ほどでつきました。
大納言塚は豊臣秀長が亡くなった時にこの地で葬られたという場所。
現在の墓石は豊臣滅亡後、江戸になってから移転させられた墓所が荒廃したため、
町の人々の努力により、元場所に現在の五輪塔が建立されたとのこと。
死後200年近くたってからの五輪塔の建立とは。
この人、民百姓に愛されていたのか。
墓の前には「お願いの砂」なるものが、蓋かぶせて置かれていました。
『今日お参りできたお礼を申し上げた後、自分の名前と、願いごとをいいながら
門前の石の箱へ、三回お砂を通しますと、きっと願い事を聞いてくださいます』
とのこと。
もちろん「今日は無事に全行程歩けますように」とお願いしておきましたよ。
そこから駅へ向かうと本日の参加者の皆様がゾクゾクと集合中でした。
「晴れたねー」
「晴れすぎだよねー」
すんません、それ、あたしのせいです(おかげではない)。
実はこの日は物凄く暑かったのだ。
歩くなんて無謀なのであった。
それは後で知った。
そんなもんさ。
ふん。
とりあえず、推奨ルートにのってウロウロ開始。
まずは体力温存のため、バスに乗って奈良高専近くの山際まで行き、
最初の目的地、奈良県立民俗博物館へ。
バス停からここに歩いてくるだけで既に汗噴出。
ゆるーい冷房がかかった館内はすでに夕涼みスポットと化します(謎)
ここに来るのは実は初めてなのです。
地元に住んでてもなかなか入りませんな、この手の類は。
館内では稲作や茶業・林業などの仕事の道具とその仕事ぶりが展示されていました。
この館を出ると敷地内は、昔の日本家屋が移築されてきている一画へ。
例年奈良大学の博物館実習が行われている、民家博物館の雰囲気にも似ています。
日本家屋は入ってしまえば風が抜ける構造になっているので涼しい。
しかし、出ると暑い。
蔵や家を覗きつつ、道を進めます。
道すがらの紫陽花もいい色をつけていて、矢田寺もさぞかしキレイだろうと予想。
次なる目的地は矢田坐久志玉比古神社。
「やたにいますくしたまひこじんじゃ!」
「ヤタニイマスクシタマヒコジンジャ!」
怪しい宗教団体の呪文かいな。
みんなで連呼して、その名前をこの身に刻み込みます。
この神社のウリは、山門にかけられたプロペラの羽。
饒速日命(にぎはやひのみこと)が降臨するに先立って、三本の矢を射た。
それが落ちた場所を住まいに定めるとしたところ、
二の矢が落ちたところがこの地だったという。
その際には、天磐船(あめのいわふね)に乗って、降臨したとの伝承が。
そこで、航空関係のひとの信心を集めるようになったってのは判るんだけど、
その頃の「船」って、プロペラついていたのか?(つっこむなよ)
一の鳥居、山門、二の鳥居と進んでいくと、どんどん雰囲気が変わって
神域な感じがしてきます。
「しーん」とした感じがして、よい神社でした。
さて、次はいよいよ寺三部作ですよ。
まずは東明寺。
とりあえず一本道で、上り坂ではありますが、なんとか進みます。
最初は単なる坂道でしたが、途中からはまさに山道。
先頭に向かって「ま~だ~?」「もうすぐー」とか
騙し騙しがんばります(謎)。
そうこうしているうちに東明寺です。
よかった…この山道がどんなモンかを知らない素人幹事としては
ここのキツサがどんなものか判らんかったのですが。まずは落伍者なしで。
しっかし、ここについた時点ですでに玉の汗。
道に出た看板からさらに坂を登って、さらに山門、階段、ときてようやく本殿。
流れる汗もダクダクのまま薬師如来さまにご対面。
ここは舎人親王が持統天皇の眼病平癒を願って建てたお寺とのこと。
天武天皇の皇子である舎人親王は、持統天皇の目の病が治る方法はないかと祈っていた。
すると舎人親王のもとに金の鍋が出現し、
これを持って、これこれこういう場所にいってみそ!
とのお告げがあった。
目が覚めると本当に鍋がその場にあったので、云われたとおりの場所に行ったら、
キレイな水がわいていたのでその水を鍋で汲んで持って帰り、持統天皇に差し上げた。
すると、なんということでしょう。
その水で眼を洗ったところ、眼病がたちどころに治ってしまったではないですか。
ということで、鍋蔵山という山号がついているんだとか。
本堂では、左・吉祥天立像、中央・薬師如来坐像、左・毘沙門天立像の揃い踏み。
この薬師さんは左右対称ではなく、中心線から少し左に傾いているのだとか。
説明をしてくれた坊様の受付机の前には「雷さまのへそ」が置かれていました。
ここに雷の子供が落ちてきて、いつも雷に悩まされていた和尚さんが今だ!
とばかりに雷の子供のへそをとってしまったので、ここには雷が落ちないんだそうな。
それゆえ、電気工事関係の人がお参りに来るんだとか。
しかし、雷とはいえ、子供のへそを取るなんて…和尚も大人気ない(笑)
お堂を出たところで、みなさんが縁側に座っていたので、しばし休憩。
山の風を浴びながらボーっとしていると本当に心地良い。
しばらくぽーっとしていたら、お寺の方が
お堂のおしょさんに水分補給のポットを届けにこられて。
帰り際にしばし立ち話を。
「普段は誰もこないんですけどね。この6月は人一杯でしたわ」
境内は自由散策ですが、普段からも事前申し込みしておけば本堂内は拝観可能です。
今年は遷都1300年で、6月中は申し込みなしで見せていただけましたが。
とりあえずここで少し休憩して次なる目的地への英気を養います。
次は矢田寺へ。
さて、問題はここから。
矢田寺には行ったことがある私も、歩いて行ったことはない。
ましてや、山道を歩いていったことなぞかつてない。
どんな道中なのか皆目見当つかないので「自己責任で!」と責任逃れして出発です。
ここから矢田寺までは山の中を歩くのですが、まあここは大した山道ではないとのこと。
一旦歩き出せば、山の中なので、日差しもさえぎられて、風が吹けば心地良い程度。
それでも歩くだけで汗が流れるような日なので、結構ドクドクしましたけどね(謎)
30分ほど歩いたら、人家が見えてきて「助かった~」とは大袈裟だけど、
そこからすぐにアジサイ時期だけ入山料が要る入山ゲートがすぐでした。
(普段は境内無料ですが、この時期だけはお布施がいるのだ)
さすがアジサイの魅力というか、境内は人で一杯。
よきかなよきかな。
寺はひっそりしていてもよし、ワイワイしててもよし。
本堂にあがると、赤いベストを着込んだボランティアの方々が一生懸命案内されてました。
うちの集団のソムリエさんたちも興味津々ってとこでしたでしょうか。
ここのご本尊は、もともとは十一面観音さん。
それがいつの間にか、ボス猿交代劇のように、
矢田地蔵縁起で有名になった地蔵菩薩さんに取って代わられました。
ここの地蔵さんは右手の親指と人差し指でわっかを作った形をしてます。
「OKサイン」もしくは「ゼニ」って感じの指文字といえばわかりがよいかと(をい)。
これは阿弥陀さまの「来迎印」に似ているってことで、
地蔵と阿弥陀の両方のご利益があるんだとか。
(長谷型観音さんは、地蔵と十一面観音さんのダブルご利益ってハナシだった)
で。
矢田寺ですから紫陽花を見ますよ。
もともとは山岳地帯に建つお寺ですから、その境内も起伏に富んでいて、
紫陽花の咲いている一画を歩くと、自然と上へ下への坂登り&階段下りとなってました。
「うげー。さっきの山道よりしんどいかも」
しかもさっきよりも道が狭くて混んでいますし、先も詰まっていれば、
途中記念撮影をされる方がいると、そこから先は当然渋滞。
無料になった日の沖縄の高速道路のような有様です。
人を見たんだか、紫陽花を見たんだかわかりませんが、
とりあえず見たぞって感じで一周した紫陽花の崖を離れて、
一路「矢田山ふるさと工房」へ。
ここは喫茶室兼木工工房ということで、お弁当の持込をしてもよいという太っ腹な喫茶室。
ここで昼ごはんをいただこうという算段です。
そこへ移動中にパラリと雨に降られましたが、
着いたら丁度止んだのでテラスにてお昼ご飯をいただくことに。
注文品は、全員一致で「レーコー!!」
企画した時点ではホットコーヒー飲めるじゃんとか思っていましたが、
もう出されたミント入りのお水もガブガブ、アイスコーヒーもストロー無しでグビグビ。
「これがビールだったらねえ~」
「ビールだったら、ここから先歩けないよ」
はは、確かに。お楽しみは先にとっておきましょう。
昼ごはんを食べている間は山の風に吹かれていい気分でしたが、
食べ終わる頃にはまたパラリと通り雨。
慌てて屋内に避難して、木工品など見せていただいたり。
(喫茶店部分は窓開け放しで冷房無しでしたが、階下の木製品のフロアは冷房が入ってた♪)
とりあえず軽くなったリュックを背負って、重くなった腹を抱え、午後の部へとなだれ込み。
ここからがこの行程の最重要ミッション(?)松尾寺への山歩き、です。
参考にしたマップによれば
「一箇所だけごつごつした歩きづらい岩の道」があるってことでしたが。
それを除いても、山道だし、登りだし、東明寺→矢田寺間のようなわけにはいかん。
ってことで、タクシー乗車組はここでお別れ。
ワレワレ徒歩組はそのまま山道を歩くことになりました。
これといって特徴のない山道を、先ほど降った雨でぬかるみに足を取られながら進む進む。
結構厳しい道だったと思うのですが「ノドもと過ぎれば熱さ忘れる」鶏頭のわたしゆえ、
あんまり大変だった記憶がありません。最近山道ばかり歩いているせいかなあ。
それでも途中「ごつごつ道」にはこだわっており、そこだけ越えれば後はなんとか
と思っていたので、「これがそうか?」「ここか?」ってのだけは敏感に。
でも、それは、あまりに、単純な道でした。
確かにごつごつしてましたよ>ごつごつ道。
岩だらけで、山道!してましたが、急坂というほどの勾配もなく、
歩きづらいほどの困難さもありませんでした。
なので通り過ぎてから「もしかして、さっきのが、ごつごつ道?」とか思う始末。
「んじゃー、一番の難所を過ぎたんじゃないのよー」とか浮かれたのもつかの間。
その後、階段の道が出現。
もちろん地図上にはすでに明記されていたのですが、この階段が曲者だった。
山にありがちな「右足でふんばって登って、左足を踏み出して、さらに右足で登って…」
を繰り返す、一段の面積のデカイ、上りにくい階段なのです。
右!左!って一歩ずつで登れる階段ならばそんなに調子狂わないのですが、
一段あがって、一歩踏み出し、一段あがって、一歩踏み出し、式の階段はナンギだ!
これ方式の階段が二箇所あることになってます>地図。
すでに一つ目でアップアップな心臓。
山道でくねくねしているのでまっすぐ先が見通せません。
「まだありますか~」
よっぽどこっちの階段の方がしんどかったです。
途中階段が切れて、しばらくしてまた付いている部分にくると
「これが二つめ?もうこれが最後?」とか泣き言も。
そうこうしているうちに、二つめの階段群にもたどり着き、無事踏破。
するとほどなく広い場所に出て「もうすぐ展望台だよん」という表示。
頑張れ~もうすぐ一番高い場所(たぶん)だぞーと思っていたら、
そこから目と鼻の先が展望台でした。
こういう時こそ快晴であって欲しかったけど、残念ながら曇り。
方角的に見えるのは、若草山とか天理の山々とか御破裂山とかある方向。
しばしそこから、東向きの盆地の光景を眺めていたら、とある集団と遭遇。
どうやら、「走って山を登る方々」みたいで。
歩いて登ってゼーハーしているワレワレとしては「神」みたいな方々でしたわ。
なんだか狭い展望台なので、人で溢れかえっていたからそそくさとそこを離れることに。
ごつごつ道も、階段も、展望台もクリアしたのであとはもう少しのはず。
そして最後の最後で標識の無い、広い道に出て。
はて?ここからどうやって歩けばいいの?
その時、携帯電話が…。
「今どこですか~」
「はあ、今道に迷ってます。もうすぐ着くと思いまーす」
「松尾寺に居ますのでお待ちしてまーす」
はい、確かにそこからすぐでした。
登り道と下り道があって、「もう登りたくない!」と思って下へと向かったら、
お寺風の屋根が見えきて、そこが松尾寺でした。
おー、乗り切ったぞお。
しかししかしだ。
山門が見えてきたかと思ったら、そこから先は階段だった(笑)
また登るんかい。ええ~い、登ったろーじゃねーかぁ!
本殿前まで登りついたら、車組の皆さんがお待ちでした。
さすがに車組さんは涼しい顔でしたが(笑)
こちとら全身汗みずくですよ、あへへ。
その滝行をしたような格好のまま、大黒天さんと役行者さんに会わせていただきます。
大黒さんっていうと烏帽子かぶって袋かついでニコニコしてる姿が普通ですが、
こちらの大黒さんは、眉毛も目も吊り上げて、逆に口元はへの字に結ばれているお姿。
なかなか凛々しいですが、大黒さんって感じではないです。
その後、役行者さんちである行者堂へ。
ここの役行者像は日本最大級だそうで。確かにデカイ。
役行者さんの足元には、前鬼・後鬼のお姿も。
特別拝観をみせてもろて、しばし休憩。
なんかここで既に足がパンパンだったので、三重塔まで登ることもできず、
一番遠い松尾山神社なんてはなっから行く気がなくなっておりました。
すまん、次回来た時には奥までいくからさと心の中で約束。
そう、ここの厄除け観音さんは11月3日にしかお目にかかれない貴重な存在。
遷都1300年記念でも、ここまでは見せていただけなかったようなので。
またこなくちゃだわ。
しかし、ここも山の中。
じっとしていると山からの風は涼しい。
その中に汗みずくで現われた集団に、坊様たちはどう思われたことでしょうか。
(ま、山を歩いてくる物好きもいるわいな、くらいですかね)
で。
車組さんは、途中参加のyumekoさんが矢田寺に着いたときに偶然顔を合わせたとのことで、
タクシーではなく自家用車でここまで来ていたとのことでした。
なので、下山は当然のように車利用で。
あと一台はタクシー呼ばなくちゃと思ってたら…山門前までタクシーで乗り付けられた方がいて、
それと入れ替わりに乗ることに成功♪
運ちゃんも、ワレワレも、ラッキーでしたわ(笑)
結構いい坂を車で降りたら、下界まではあっという間。
しかし「松尾寺口」ってバス停から松尾寺まではゆうに30分はかかるなんて、詐欺だ。
そこをすっ飛ばして、一路慈光院へ。
ここは寺というよりは、お茶の飲めるお屋敷って感じの場所です。
もとは、小泉藩藩主の片桐貞昌が父の菩提を弔うために創建した寺。
この藩主さんってのが、お茶をやる人で、石洲流茶道の元祖として有名。
ということで、ここの拝観券には義務のようにお抹茶の接待付き。
(お茶イランって人もいるだろうけど)
書院にひかれた赤い毛氈に座っていると、お菓子とお茶が運ばれてきます。
おお、無作法ものゆえ判らんのだが。
お菓子を食べてから、お茶を飲めばいいのだよな?
最後はずずずって音をたてるんだっけ?(チガウ?)
まあお菓子とお茶は美味しくいただきましたけど。
ここからは大和平野の借景が望めて…というウリですが。
現在となっては、近所のスーパーの看板やら、ビル、マンションが邪魔です。
しかし、実はこの眺めが一番という触れ込みだったのですが。
奥のお茶室を眺めていたら、
話しかけたくてたまらん風情の和尚が近づいてきてお茶室講座開始。
わたしはお茶のことはからっきし判らんのだけど。
このお茶室、フツーのお茶室とは異なる造りをしているんだとか。
お茶室における上座、下座ってのが厳密に行われるお茶の世界において、
ここのお茶室は「亭主も、お客も、上も下もない。みんな平等」ということを表しているのだそうで。
そして、このお茶室には秘事(ひじ・ひめたること)が十いくつだっけ?含まれているとのこと。
この秘事がなかなか判らず、年をとってリタイヤされたような方々がまたお茶をやり始めて、
解明したいとお稽古に通われているんだって。
たとえば、お茶室の軒。
丸いものと、四角いものが、一つおきに配置されている。
四角ばかりじゃつまらん、たまには丸いのもなくてはならん。
というよな仕掛けがこのお茶室にはいくつも隠されているんだとか。
あと、大和平野の借景がウリとガイドブックには書かれているものの、
実はこの庭を望む一番よい場所というのは、このお茶室の
正客(お客の中の一番エライ人)の席から見た景色が一番よい景色なんだとか。
へー、何度かここへ来ているけど、この方向から庭を眺めることはなかったかも。
と、しみじみと後ろを振り返って、狭い茶室から、広い庭を眺めると…ほー。
そうなのか。
お茶室から渡り廊下でつながっている方丈(本殿)へと足を向けると…。
本尊さまの前の廊下に、なにやら生きボトケさまがおられた。
右足を膝立てて、左足の裏を見せて、足裏をあわせ
かったるそうに頬杖ついて「だるー」ってしている。
そう、そのお姿はまさに『如意輪観音』さま!
思わず独楽さんのそのお姿に両手を合わせちゃったさ(笑)
その後も、本尊様の前でごろんと横になり、
お釈迦様の手のひらの上で転がされて身をゆだねているような行動にも
「ここってそういうのアリな空間だよね」と再認識させられました。
和尚も「あちこち腰掛けてみなさい」とのことだったので、
あちこち移動しながら、いろんな場所で座り込んでみましたわ。
最後のところを車移動して時間的余裕が出たのが功を奏して、
最後の見学地である慈光院では本当にゆっくり、ゆったりできました。
ガシガシ歩いてきて、最後はのんびり。
いい感じのペース配分でしたね(とかゆう)
その後は、もちろん(?)飲み会になだれ込みです。
全ての行程を完走したので(走ってないけど)お祝い&お祝い♪
場所は「いかるがの里」で。
呑み助さんのねーさんが三人いたので、その飲みっぷりと
酔っ払いっぷりを見学しつつ、美味しいお料理を堪能しました。
わたしは一杯だけサワーを飲んであとは
烏龍茶とコーラっていうおこちゃまドリンクでしたが、
あのテンションにはもう一杯くらいアルコールを飲んでおくべきだったか(笑)
行動幹事はわたしだが、飲み会仕切りは独楽さんと相場が決まっているので(そうなの)
新幹線の時間を気にしつつ、会計のアルコールあり、少しあり、ノンアルコールの差をつけつつの
会計采配をこなして颯爽と帰ってゆかれました。
酒飲んだ帰りは歩くのがダルいとばかりに、yumekoさんの車にお邪魔しつつ、
駅まで送っていただきましてありがとうございました。
足元の悪い中うろうろしまくった連中ばかりで、
せっかくのキレイな車中を泥だらけにしてしまってどーもすみませんでした(拝)
駅で解散したのちは、この汗まみれの格好を脱ぎ捨てるために銭湯へ。
ひとっ風呂浴びて、近鉄車内で涼んで、帰りました。
この日は暑かったっすね。
また涼しくなったら、どこどこ歩きましょう。
(って、次の日はもっと暑くなったわけだから、あの日でよかったわけだが)
ご参加いただいた皆様ご苦労さまでした。
また、集う日まで~。
無事に6月27日(日)に敢行してきました。
当日の参加者は、独楽さん、ショータさん、なぎさん、ひろこさん、
punipuniさん、ゆずさん、yumekoさん、そしてアタクシ。
総勢8名の大所帯です。
一番心配していた天気も、朝の京都では雨降っていたものの、
何故か郡山に着いた時点では晴れている…。
もしかして「快晴」っていっていいくらいの晴れ。
実はわたくし晴れ女なので、主だった外行事の日には、降水確率が60%以上でも
「晴れてはいないが降ってもいない」程度の気候になることがしばしばで。
今回も念力パワー発揮してしまったようです。
そんなわけで駅前のコンビニでしこたま水分を買い込み、
集合時間にまでまだ時間があるので、いざ大納言塚へ。
前回桜の頃に来た頃にはついでだったのでここに立ち寄ることができず、
今回もツアー終了後には訪問できなさそうだったので。
では先立ってということで。
地図に従って歩けばものの5分ほどでつきました。
大納言塚は豊臣秀長が亡くなった時にこの地で葬られたという場所。
現在の墓石は豊臣滅亡後、江戸になってから移転させられた墓所が荒廃したため、
町の人々の努力により、元場所に現在の五輪塔が建立されたとのこと。
死後200年近くたってからの五輪塔の建立とは。
この人、民百姓に愛されていたのか。
墓の前には「お願いの砂」なるものが、蓋かぶせて置かれていました。
『今日お参りできたお礼を申し上げた後、自分の名前と、願いごとをいいながら
門前の石の箱へ、三回お砂を通しますと、きっと願い事を聞いてくださいます』
とのこと。
もちろん「今日は無事に全行程歩けますように」とお願いしておきましたよ。
そこから駅へ向かうと本日の参加者の皆様がゾクゾクと集合中でした。
「晴れたねー」
「晴れすぎだよねー」
すんません、それ、あたしのせいです(おかげではない)。
実はこの日は物凄く暑かったのだ。
歩くなんて無謀なのであった。
それは後で知った。
そんなもんさ。
ふん。
とりあえず、推奨ルートにのってウロウロ開始。
まずは体力温存のため、バスに乗って奈良高専近くの山際まで行き、
最初の目的地、奈良県立民俗博物館へ。
バス停からここに歩いてくるだけで既に汗噴出。
ゆるーい冷房がかかった館内はすでに夕涼みスポットと化します(謎)
ここに来るのは実は初めてなのです。
地元に住んでてもなかなか入りませんな、この手の類は。
館内では稲作や茶業・林業などの仕事の道具とその仕事ぶりが展示されていました。
この館を出ると敷地内は、昔の日本家屋が移築されてきている一画へ。
例年奈良大学の博物館実習が行われている、民家博物館の雰囲気にも似ています。
日本家屋は入ってしまえば風が抜ける構造になっているので涼しい。
しかし、出ると暑い。
蔵や家を覗きつつ、道を進めます。
道すがらの紫陽花もいい色をつけていて、矢田寺もさぞかしキレイだろうと予想。
次なる目的地は矢田坐久志玉比古神社。
「やたにいますくしたまひこじんじゃ!」
「ヤタニイマスクシタマヒコジンジャ!」
怪しい宗教団体の呪文かいな。
みんなで連呼して、その名前をこの身に刻み込みます。
この神社のウリは、山門にかけられたプロペラの羽。
饒速日命(にぎはやひのみこと)が降臨するに先立って、三本の矢を射た。
それが落ちた場所を住まいに定めるとしたところ、
二の矢が落ちたところがこの地だったという。
その際には、天磐船(あめのいわふね)に乗って、降臨したとの伝承が。
そこで、航空関係のひとの信心を集めるようになったってのは判るんだけど、
その頃の「船」って、プロペラついていたのか?(つっこむなよ)
一の鳥居、山門、二の鳥居と進んでいくと、どんどん雰囲気が変わって
神域な感じがしてきます。
「しーん」とした感じがして、よい神社でした。
さて、次はいよいよ寺三部作ですよ。
まずは東明寺。
とりあえず一本道で、上り坂ではありますが、なんとか進みます。
最初は単なる坂道でしたが、途中からはまさに山道。
先頭に向かって「ま~だ~?」「もうすぐー」とか
騙し騙しがんばります(謎)。
そうこうしているうちに東明寺です。
よかった…この山道がどんなモンかを知らない素人幹事としては
ここのキツサがどんなものか判らんかったのですが。まずは落伍者なしで。
しっかし、ここについた時点ですでに玉の汗。
道に出た看板からさらに坂を登って、さらに山門、階段、ときてようやく本殿。
流れる汗もダクダクのまま薬師如来さまにご対面。
ここは舎人親王が持統天皇の眼病平癒を願って建てたお寺とのこと。
天武天皇の皇子である舎人親王は、持統天皇の目の病が治る方法はないかと祈っていた。
すると舎人親王のもとに金の鍋が出現し、
これを持って、これこれこういう場所にいってみそ!
とのお告げがあった。
目が覚めると本当に鍋がその場にあったので、云われたとおりの場所に行ったら、
キレイな水がわいていたのでその水を鍋で汲んで持って帰り、持統天皇に差し上げた。
すると、なんということでしょう。
その水で眼を洗ったところ、眼病がたちどころに治ってしまったではないですか。
ということで、鍋蔵山という山号がついているんだとか。
本堂では、左・吉祥天立像、中央・薬師如来坐像、左・毘沙門天立像の揃い踏み。
この薬師さんは左右対称ではなく、中心線から少し左に傾いているのだとか。
説明をしてくれた坊様の受付机の前には「雷さまのへそ」が置かれていました。
ここに雷の子供が落ちてきて、いつも雷に悩まされていた和尚さんが今だ!
とばかりに雷の子供のへそをとってしまったので、ここには雷が落ちないんだそうな。
それゆえ、電気工事関係の人がお参りに来るんだとか。
しかし、雷とはいえ、子供のへそを取るなんて…和尚も大人気ない(笑)
お堂を出たところで、みなさんが縁側に座っていたので、しばし休憩。
山の風を浴びながらボーっとしていると本当に心地良い。
しばらくぽーっとしていたら、お寺の方が
お堂のおしょさんに水分補給のポットを届けにこられて。
帰り際にしばし立ち話を。
「普段は誰もこないんですけどね。この6月は人一杯でしたわ」
境内は自由散策ですが、普段からも事前申し込みしておけば本堂内は拝観可能です。
今年は遷都1300年で、6月中は申し込みなしで見せていただけましたが。
とりあえずここで少し休憩して次なる目的地への英気を養います。
次は矢田寺へ。
さて、問題はここから。
矢田寺には行ったことがある私も、歩いて行ったことはない。
ましてや、山道を歩いていったことなぞかつてない。
どんな道中なのか皆目見当つかないので「自己責任で!」と責任逃れして出発です。
ここから矢田寺までは山の中を歩くのですが、まあここは大した山道ではないとのこと。
一旦歩き出せば、山の中なので、日差しもさえぎられて、風が吹けば心地良い程度。
それでも歩くだけで汗が流れるような日なので、結構ドクドクしましたけどね(謎)
30分ほど歩いたら、人家が見えてきて「助かった~」とは大袈裟だけど、
そこからすぐにアジサイ時期だけ入山料が要る入山ゲートがすぐでした。
(普段は境内無料ですが、この時期だけはお布施がいるのだ)
さすがアジサイの魅力というか、境内は人で一杯。
よきかなよきかな。
寺はひっそりしていてもよし、ワイワイしててもよし。
本堂にあがると、赤いベストを着込んだボランティアの方々が一生懸命案内されてました。
うちの集団のソムリエさんたちも興味津々ってとこでしたでしょうか。
ここのご本尊は、もともとは十一面観音さん。
それがいつの間にか、ボス猿交代劇のように、
矢田地蔵縁起で有名になった地蔵菩薩さんに取って代わられました。
ここの地蔵さんは右手の親指と人差し指でわっかを作った形をしてます。
「OKサイン」もしくは「ゼニ」って感じの指文字といえばわかりがよいかと(をい)。
これは阿弥陀さまの「来迎印」に似ているってことで、
地蔵と阿弥陀の両方のご利益があるんだとか。
(長谷型観音さんは、地蔵と十一面観音さんのダブルご利益ってハナシだった)
で。
矢田寺ですから紫陽花を見ますよ。
もともとは山岳地帯に建つお寺ですから、その境内も起伏に富んでいて、
紫陽花の咲いている一画を歩くと、自然と上へ下への坂登り&階段下りとなってました。
「うげー。さっきの山道よりしんどいかも」
しかもさっきよりも道が狭くて混んでいますし、先も詰まっていれば、
途中記念撮影をされる方がいると、そこから先は当然渋滞。
無料になった日の沖縄の高速道路のような有様です。
人を見たんだか、紫陽花を見たんだかわかりませんが、
とりあえず見たぞって感じで一周した紫陽花の崖を離れて、
一路「矢田山ふるさと工房」へ。
ここは喫茶室兼木工工房ということで、お弁当の持込をしてもよいという太っ腹な喫茶室。
ここで昼ごはんをいただこうという算段です。
そこへ移動中にパラリと雨に降られましたが、
着いたら丁度止んだのでテラスにてお昼ご飯をいただくことに。
注文品は、全員一致で「レーコー!!」
企画した時点ではホットコーヒー飲めるじゃんとか思っていましたが、
もう出されたミント入りのお水もガブガブ、アイスコーヒーもストロー無しでグビグビ。
「これがビールだったらねえ~」
「ビールだったら、ここから先歩けないよ」
はは、確かに。お楽しみは先にとっておきましょう。
昼ごはんを食べている間は山の風に吹かれていい気分でしたが、
食べ終わる頃にはまたパラリと通り雨。
慌てて屋内に避難して、木工品など見せていただいたり。
(喫茶店部分は窓開け放しで冷房無しでしたが、階下の木製品のフロアは冷房が入ってた♪)
とりあえず軽くなったリュックを背負って、重くなった腹を抱え、午後の部へとなだれ込み。
ここからがこの行程の最重要ミッション(?)松尾寺への山歩き、です。
参考にしたマップによれば
「一箇所だけごつごつした歩きづらい岩の道」があるってことでしたが。
それを除いても、山道だし、登りだし、東明寺→矢田寺間のようなわけにはいかん。
ってことで、タクシー乗車組はここでお別れ。
ワレワレ徒歩組はそのまま山道を歩くことになりました。
これといって特徴のない山道を、先ほど降った雨でぬかるみに足を取られながら進む進む。
結構厳しい道だったと思うのですが「ノドもと過ぎれば熱さ忘れる」鶏頭のわたしゆえ、
あんまり大変だった記憶がありません。最近山道ばかり歩いているせいかなあ。
それでも途中「ごつごつ道」にはこだわっており、そこだけ越えれば後はなんとか
と思っていたので、「これがそうか?」「ここか?」ってのだけは敏感に。
でも、それは、あまりに、単純な道でした。
確かにごつごつしてましたよ>ごつごつ道。
岩だらけで、山道!してましたが、急坂というほどの勾配もなく、
歩きづらいほどの困難さもありませんでした。
なので通り過ぎてから「もしかして、さっきのが、ごつごつ道?」とか思う始末。
「んじゃー、一番の難所を過ぎたんじゃないのよー」とか浮かれたのもつかの間。
その後、階段の道が出現。
もちろん地図上にはすでに明記されていたのですが、この階段が曲者だった。
山にありがちな「右足でふんばって登って、左足を踏み出して、さらに右足で登って…」
を繰り返す、一段の面積のデカイ、上りにくい階段なのです。
右!左!って一歩ずつで登れる階段ならばそんなに調子狂わないのですが、
一段あがって、一歩踏み出し、一段あがって、一歩踏み出し、式の階段はナンギだ!
これ方式の階段が二箇所あることになってます>地図。
すでに一つ目でアップアップな心臓。
山道でくねくねしているのでまっすぐ先が見通せません。
「まだありますか~」
よっぽどこっちの階段の方がしんどかったです。
途中階段が切れて、しばらくしてまた付いている部分にくると
「これが二つめ?もうこれが最後?」とか泣き言も。
そうこうしているうちに、二つめの階段群にもたどり着き、無事踏破。
するとほどなく広い場所に出て「もうすぐ展望台だよん」という表示。
頑張れ~もうすぐ一番高い場所(たぶん)だぞーと思っていたら、
そこから目と鼻の先が展望台でした。
こういう時こそ快晴であって欲しかったけど、残念ながら曇り。
方角的に見えるのは、若草山とか天理の山々とか御破裂山とかある方向。
しばしそこから、東向きの盆地の光景を眺めていたら、とある集団と遭遇。
どうやら、「走って山を登る方々」みたいで。
歩いて登ってゼーハーしているワレワレとしては「神」みたいな方々でしたわ。
なんだか狭い展望台なので、人で溢れかえっていたからそそくさとそこを離れることに。
ごつごつ道も、階段も、展望台もクリアしたのであとはもう少しのはず。
そして最後の最後で標識の無い、広い道に出て。
はて?ここからどうやって歩けばいいの?
その時、携帯電話が…。
「今どこですか~」
「はあ、今道に迷ってます。もうすぐ着くと思いまーす」
「松尾寺に居ますのでお待ちしてまーす」
はい、確かにそこからすぐでした。
登り道と下り道があって、「もう登りたくない!」と思って下へと向かったら、
お寺風の屋根が見えきて、そこが松尾寺でした。
おー、乗り切ったぞお。
しかししかしだ。
山門が見えてきたかと思ったら、そこから先は階段だった(笑)
また登るんかい。ええ~い、登ったろーじゃねーかぁ!
本殿前まで登りついたら、車組の皆さんがお待ちでした。
さすがに車組さんは涼しい顔でしたが(笑)
こちとら全身汗みずくですよ、あへへ。
その滝行をしたような格好のまま、大黒天さんと役行者さんに会わせていただきます。
大黒さんっていうと烏帽子かぶって袋かついでニコニコしてる姿が普通ですが、
こちらの大黒さんは、眉毛も目も吊り上げて、逆に口元はへの字に結ばれているお姿。
なかなか凛々しいですが、大黒さんって感じではないです。
その後、役行者さんちである行者堂へ。
ここの役行者像は日本最大級だそうで。確かにデカイ。
役行者さんの足元には、前鬼・後鬼のお姿も。
特別拝観をみせてもろて、しばし休憩。
なんかここで既に足がパンパンだったので、三重塔まで登ることもできず、
一番遠い松尾山神社なんてはなっから行く気がなくなっておりました。
すまん、次回来た時には奥までいくからさと心の中で約束。
そう、ここの厄除け観音さんは11月3日にしかお目にかかれない貴重な存在。
遷都1300年記念でも、ここまでは見せていただけなかったようなので。
またこなくちゃだわ。
しかし、ここも山の中。
じっとしていると山からの風は涼しい。
その中に汗みずくで現われた集団に、坊様たちはどう思われたことでしょうか。
(ま、山を歩いてくる物好きもいるわいな、くらいですかね)
で。
車組さんは、途中参加のyumekoさんが矢田寺に着いたときに偶然顔を合わせたとのことで、
タクシーではなく自家用車でここまで来ていたとのことでした。
なので、下山は当然のように車利用で。
あと一台はタクシー呼ばなくちゃと思ってたら…山門前までタクシーで乗り付けられた方がいて、
それと入れ替わりに乗ることに成功♪
運ちゃんも、ワレワレも、ラッキーでしたわ(笑)
結構いい坂を車で降りたら、下界まではあっという間。
しかし「松尾寺口」ってバス停から松尾寺まではゆうに30分はかかるなんて、詐欺だ。
そこをすっ飛ばして、一路慈光院へ。
ここは寺というよりは、お茶の飲めるお屋敷って感じの場所です。
もとは、小泉藩藩主の片桐貞昌が父の菩提を弔うために創建した寺。
この藩主さんってのが、お茶をやる人で、石洲流茶道の元祖として有名。
ということで、ここの拝観券には義務のようにお抹茶の接待付き。
(お茶イランって人もいるだろうけど)
書院にひかれた赤い毛氈に座っていると、お菓子とお茶が運ばれてきます。
おお、無作法ものゆえ判らんのだが。
お菓子を食べてから、お茶を飲めばいいのだよな?
最後はずずずって音をたてるんだっけ?(チガウ?)
まあお菓子とお茶は美味しくいただきましたけど。
ここからは大和平野の借景が望めて…というウリですが。
現在となっては、近所のスーパーの看板やら、ビル、マンションが邪魔です。
しかし、実はこの眺めが一番という触れ込みだったのですが。
奥のお茶室を眺めていたら、
話しかけたくてたまらん風情の和尚が近づいてきてお茶室講座開始。
わたしはお茶のことはからっきし判らんのだけど。
このお茶室、フツーのお茶室とは異なる造りをしているんだとか。
お茶室における上座、下座ってのが厳密に行われるお茶の世界において、
ここのお茶室は「亭主も、お客も、上も下もない。みんな平等」ということを表しているのだそうで。
そして、このお茶室には秘事(ひじ・ひめたること)が十いくつだっけ?含まれているとのこと。
この秘事がなかなか判らず、年をとってリタイヤされたような方々がまたお茶をやり始めて、
解明したいとお稽古に通われているんだって。
たとえば、お茶室の軒。
丸いものと、四角いものが、一つおきに配置されている。
四角ばかりじゃつまらん、たまには丸いのもなくてはならん。
というよな仕掛けがこのお茶室にはいくつも隠されているんだとか。
あと、大和平野の借景がウリとガイドブックには書かれているものの、
実はこの庭を望む一番よい場所というのは、このお茶室の
正客(お客の中の一番エライ人)の席から見た景色が一番よい景色なんだとか。
へー、何度かここへ来ているけど、この方向から庭を眺めることはなかったかも。
と、しみじみと後ろを振り返って、狭い茶室から、広い庭を眺めると…ほー。
そうなのか。
お茶室から渡り廊下でつながっている方丈(本殿)へと足を向けると…。
本尊さまの前の廊下に、なにやら生きボトケさまがおられた。
右足を膝立てて、左足の裏を見せて、足裏をあわせ
かったるそうに頬杖ついて「だるー」ってしている。
そう、そのお姿はまさに『如意輪観音』さま!
思わず独楽さんのそのお姿に両手を合わせちゃったさ(笑)
その後も、本尊様の前でごろんと横になり、
お釈迦様の手のひらの上で転がされて身をゆだねているような行動にも
「ここってそういうのアリな空間だよね」と再認識させられました。
和尚も「あちこち腰掛けてみなさい」とのことだったので、
あちこち移動しながら、いろんな場所で座り込んでみましたわ。
最後のところを車移動して時間的余裕が出たのが功を奏して、
最後の見学地である慈光院では本当にゆっくり、ゆったりできました。
ガシガシ歩いてきて、最後はのんびり。
いい感じのペース配分でしたね(とかゆう)
その後は、もちろん(?)飲み会になだれ込みです。
全ての行程を完走したので(走ってないけど)お祝い&お祝い♪
場所は「いかるがの里」で。
呑み助さんのねーさんが三人いたので、その飲みっぷりと
酔っ払いっぷりを見学しつつ、美味しいお料理を堪能しました。
わたしは一杯だけサワーを飲んであとは
烏龍茶とコーラっていうおこちゃまドリンクでしたが、
あのテンションにはもう一杯くらいアルコールを飲んでおくべきだったか(笑)
行動幹事はわたしだが、飲み会仕切りは独楽さんと相場が決まっているので(そうなの)
新幹線の時間を気にしつつ、会計のアルコールあり、少しあり、ノンアルコールの差をつけつつの
会計采配をこなして颯爽と帰ってゆかれました。
酒飲んだ帰りは歩くのがダルいとばかりに、yumekoさんの車にお邪魔しつつ、
駅まで送っていただきましてありがとうございました。
足元の悪い中うろうろしまくった連中ばかりで、
せっかくのキレイな車中を泥だらけにしてしまってどーもすみませんでした(拝)
駅で解散したのちは、この汗まみれの格好を脱ぎ捨てるために銭湯へ。
ひとっ風呂浴びて、近鉄車内で涼んで、帰りました。
この日は暑かったっすね。
また涼しくなったら、どこどこ歩きましょう。
(って、次の日はもっと暑くなったわけだから、あの日でよかったわけだが)
ご参加いただいた皆様ご苦労さまでした。
また、集う日まで~。