山内 圭のブログ(Kiyoshi Yamauchi's Blog)

英語教育、国際姉妹都市交流、ジョン・スタインベック、時事英語などの研究から趣味や日常の話題までいろいろと書き綴ります。

祖母の誕生日

2010-09-04 14:30:58 | 日記
9月3日は今は亡き祖母みつ江の誕生日。

僕の母方の祖母は、大石みつ江といい、1908(明治41)年生まれでした。
生きていれば今年103歳になったことになります。
しかし残念ながら2004(平成16)年7月3日に96歳で亡くなってしまいました。
祖母は旧小笠郡大須賀町横須賀の大石家に長女として生まれました。
12歳下に妹(僕にとっては大叔母)がいます。
静岡女子師範学校に進学しましたが、当時は豆腐屋に下宿していたそうです。
関東大震災(1923(大正12)年)が起こったときはその下宿屋の豆腐を入れた水がとても揺れていたという話を聞いたことがあります。

卒業後、小学校教員を務め、長女だったので婿養子を取り、(僕の)祖父と結婚しました。
一男六女をもうけましたが、女の子二人は幼くして亡くなったそうです。
僕の母は生まれた順からいくと五女でした。
第二次大戦中、幼子を抱えて大変だったことと思います。

僕は祖母にとっては5番目の孫でした。
同居はしていませんでしたが、同じ静岡県内だったのでしばしば遊びに行ったり遊びに来てくれていました。
僕たち兄弟が祖母にとって距離的に一番近い孫でした。
妹や弟の出産時に来てくれたり、幼稚園の遠足にも弟や妹の世話で来れなかった母の代わりに来てくれたことも覚えています。
毎年お正月や夏休みに祖母の家に行くと親戚一同が集まるのがとても楽しかったです。
1973年、僕が小学校3年生のときに夫(祖父)に先立たれました。

僕が大学時代、アメリカでホームステイをする時には、ホストファミリーに木目込みの鞠の置物を作ってくれました。
ホストファミリーではそれをとても喜んでくれました。
(今でも、その鞠を飾っていてくださるそうです。)
ホストファミリーのおばあさんは僕の祖母にアメリカ製の糸通しが楽な針をプレゼントしてくれました。

先日、僕が大学生の時にカリフォルニアでお世話になったホストファミリーとの再会について書きましたが、この記事の中に出てくる写真に写っているのが、祖母が当時作って僕に持たせてくれた土産の一つです。
Host Family Reunion

ホストファミリーのおばあさんがこれを大切に保存してくださっていて、今回の再会に際して、これは、今度はあなたに返して息子さんのものとなるべきものと言ってくださり、返していただきました。
これは今、我が家のベッドルームに飾ってあります。

数年後、ホストファミリーのバロウズ夫妻が来日した時、僕の実家にもホームステイをしてもらいましたが、その時に祖母の家にもバロウズ夫妻を連れて行きました。
祖母にとっては戦争の相手国アメリカからの人たちで複雑な思いもあるかとも思いましたが、快く迎えてくれました。

2001年の正月に転倒して足の骨折をしてしまい、入院することとなり病院での生活が始まりました。
帰省するたびに病院に見舞いに行きました。
2003年に僕が結婚する時にも、本当は来てもらいたかったのですが、病院から出て静岡から岡山の遠い距離を移動することは困難なので、残念ながら断念しました。

祖母は、生まれ育った自分の家に戻りたかったと思いますが、それは叶わぬ夢となりました。
僕にも子どもができることを待ち望んでいましたが、生きている間に僕の子どもを見せてあげることができなくて残念でした。

祖母は僕達が幼い頃からよく手紙をくれました。
記念切手が出るとそれを送ってもくれました。

祖母の誕生日には祖母のことを思い出します。
皆さんも自分のおじいちゃん、おばあちゃんを大切に。

僕は、自分の祖父母は既にこの世にはおりませんが、妻の祖母がいます。
今、入院中の妻の祖母を今日は見舞いに行きました。
コメント
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