先ほどの記事で書いたように、研究室の荷物の片づけを少しずつしていますが、いろいろと懐かしいものが出てくるので作業がはかどりません。
2002年にニューヨークのホフストラ大学で1902年生まれのジョン・スタインベックの生誕100周年を祝う国際スタインベック学会が開催された時の写真が出てきました。
この時は、John Stern's "The Gifts of Iban"--John was stern in New York City--というタイトルで若きスタインベックがニューヨークでの自分の恋愛経験に基づき書いた短編"The Gifts of Iban"について研究発表を行いました。
実は、この学会への参加は、同時に実施していた新見公立短期大学第1回アメリカ研修旅行でニューヨークのニューパルツ(当時の大佐町の姉妹都市)を訪問中に行ったものす。
第1回目のアメリカ研修だったため、ニューヨーク州立大学ニューパルツ校への学術訪問団を兼ねたもので同僚の3人の先生(桑原一良先生、塚本千恵子先生、矢藤誠慈郎先生)も同行していただいていました。
私は先生方に学生たちをゆだねて学会に一日参加してきたのです。
この学会は2002年3月の開催で、ご存じのとおり半年前の2001年9月11日には同時多発テロがニューヨークでも発生していました(2001年9月11日
、米国同時多発テロ遭遇記(10年後に振り返って)
など参照)ので、ニューヨークでの学会への参加やアメリカ研修の実施が危ぶまれましたが、安全確保に心がけ実施をしました。
そのようなことからもとても印象に残る学会参加でした。
2002年にニューヨークのホフストラ大学で1902年生まれのジョン・スタインベックの生誕100周年を祝う国際スタインベック学会が開催された時の写真が出てきました。
この時は、John Stern's "The Gifts of Iban"--John was stern in New York City--というタイトルで若きスタインベックがニューヨークでの自分の恋愛経験に基づき書いた短編"The Gifts of Iban"について研究発表を行いました。
実は、この学会への参加は、同時に実施していた新見公立短期大学第1回アメリカ研修旅行でニューヨークのニューパルツ(当時の大佐町の姉妹都市)を訪問中に行ったものす。
第1回目のアメリカ研修だったため、ニューヨーク州立大学ニューパルツ校への学術訪問団を兼ねたもので同僚の3人の先生(桑原一良先生、塚本千恵子先生、矢藤誠慈郎先生)も同行していただいていました。
私は先生方に学生たちをゆだねて学会に一日参加してきたのです。
この学会は2002年3月の開催で、ご存じのとおり半年前の2001年9月11日には同時多発テロがニューヨークでも発生していました(2001年9月11日
、米国同時多発テロ遭遇記(10年後に振り返って)
など参照)ので、ニューヨークでの学会への参加やアメリカ研修の実施が危ぶまれましたが、安全確保に心がけ実施をしました。
そのようなことからもとても印象に残る学会参加でした。