The Japan News 11月7日号のHealth section (p.10)にWashington Post紙から転載された "U.S. medical schools tackle looming shortage of primary care doctors"という記事を読みました。
Medical schools tackle looming shortage of doctors
よく言われますが、アメリカの大学の学費はかなり高く、記事の中盤で紹介されているのですが、アメリカの医学生の借金の平均額が17万6000ドルだそうです。
したがって一般的に稼げないファミリードクターにはなりたがらないということです。
人口が約2,500人のアラバマ州Streifferという町でファミリードクターをしているJames Parker氏の言葉が記事の最後の方に出てきます。
"What I like about family medicine ... is you get to do a little bit of everything," he said. "Folks put us down and say 'jack of all trades, master of none.' But you have to be pretty close to a master of all of them." -
「家庭医という仕事で好きなことは、いろいろなことを少しずつできるということさ」と彼は言います。「みんなは俺たちを馬鹿にして「器用貧乏、何の名人にもあらず」と言うのです。しかし、「我々は、いろいろなことの名人にかなり近い状態でなくてはならない」ということなのです。
僕自身、自分の立場と重ね合わせて、これにはかなり共感を覚えました。
大学の英語教員も、例えば英語科や英文科など英語を専門とする学科の英語教員の方が上で、英語以外の専門学科のあるいは一般教養の英語教員の方が下であると、見られることがしばしばあります。
確かに英語関係の学科に所属すると、その中に英語教員が何人かいて、それぞれの教員が細分化された領域の専門家として専門性の高い存在でなければなりません。
いわゆるspecialistです。
それに加えて、例えば僕の勤務校のように英語を専門とする学生がいない学校の場合は、幅広い英語を教え、幅広く対応できる力が求められます。いわゆるgeneralistです。
"generalist"や新聞記事にもあった "jack of all trades"は「何でも屋」と訳されることがありますが、「何でも屋」であることは「ある道の専門家」であることと同様、難しいことだと思います。
これは、その人の性格とも関係していると思うのですが、あることを極めるのが好きな専門家タイプと、幅広くいろいろなことに興味がある何でも屋タイプがあり、僕の場合は何でも屋でいる方が好きであるし、おそらく勤務校に採用していただいたのも「何でも屋」としてやっていけそうだと思ってもらえたからだと考えております。
アメリカでは、小さな町(small towns)の高校生で将来医師となって自分の故郷に戻って働きたい人をスカウトすることによって、ファミリードクター不足に対処しているようです。
僕は、僕でコツコツと努力をして、何でも屋として専門性を高めていきたいと思います。
Medical schools tackle looming shortage of doctors
よく言われますが、アメリカの大学の学費はかなり高く、記事の中盤で紹介されているのですが、アメリカの医学生の借金の平均額が17万6000ドルだそうです。
したがって一般的に稼げないファミリードクターにはなりたがらないということです。
人口が約2,500人のアラバマ州Streifferという町でファミリードクターをしているJames Parker氏の言葉が記事の最後の方に出てきます。
"What I like about family medicine ... is you get to do a little bit of everything," he said. "Folks put us down and say 'jack of all trades, master of none.' But you have to be pretty close to a master of all of them." -
「家庭医という仕事で好きなことは、いろいろなことを少しずつできるということさ」と彼は言います。「みんなは俺たちを馬鹿にして「器用貧乏、何の名人にもあらず」と言うのです。しかし、「我々は、いろいろなことの名人にかなり近い状態でなくてはならない」ということなのです。
僕自身、自分の立場と重ね合わせて、これにはかなり共感を覚えました。
大学の英語教員も、例えば英語科や英文科など英語を専門とする学科の英語教員の方が上で、英語以外の専門学科のあるいは一般教養の英語教員の方が下であると、見られることがしばしばあります。
確かに英語関係の学科に所属すると、その中に英語教員が何人かいて、それぞれの教員が細分化された領域の専門家として専門性の高い存在でなければなりません。
いわゆるspecialistです。
それに加えて、例えば僕の勤務校のように英語を専門とする学生がいない学校の場合は、幅広い英語を教え、幅広く対応できる力が求められます。いわゆるgeneralistです。
"generalist"や新聞記事にもあった "jack of all trades"は「何でも屋」と訳されることがありますが、「何でも屋」であることは「ある道の専門家」であることと同様、難しいことだと思います。
これは、その人の性格とも関係していると思うのですが、あることを極めるのが好きな専門家タイプと、幅広くいろいろなことに興味がある何でも屋タイプがあり、僕の場合は何でも屋でいる方が好きであるし、おそらく勤務校に採用していただいたのも「何でも屋」としてやっていけそうだと思ってもらえたからだと考えております。
アメリカでは、小さな町(small towns)の高校生で将来医師となって自分の故郷に戻って働きたい人をスカウトすることによって、ファミリードクター不足に対処しているようです。
僕は、僕でコツコツと努力をして、何でも屋として専門性を高めていきたいと思います。