朝寝-昼酒-夜遊

日々感じたことを思いのままに書き散らすのみ。
※毎週土曜更新を目標にしています。

素晴らしい「吉田屋」だが…。

2009年04月19日 10時43分17秒 | 歌舞伎・文楽
昨日は図書館をいくつか廻り、歌舞伎座夜の部へ。
最後は久々に地下鉄を使って、開場30分前に着く。
そこそこ並んでいたが、どうにか立見にはならず。


1幕目は「彦山権現誓助剱」俗に「毛谷村六助」。
おそらく、見るのは初めて。

ベースに六助の「親には孝行」意識があるのだろう。
それが「剣術仕合でわざと負けてやる」
「親を殺された人の仇を討ってやる」動きに
つながっている構造。
わざと負けてやった相手が、討つべき仇だ、というのが趣向なのかな。

吉右衛門の六助の雰囲気が良い。
子どもをあやしているところ、
でんでん太鼓が太棹と合うところ、
お園に討たれそうになるあたりの動きなど。

福助のお園も、私は特に違和感がなかった。
周囲では妙なところでウケがきていたのだが、
それは女形の笑い方や驚く際の動きなどが
普通に理解できるものではなく、
単に「変なもの」と感じられてしまうからなのだろう。
このあたりは難しいなあ。

まあ私も、お園が「仇を討ってくれ」というクドキで、
いきなり入ってきた男に討ち掛かられながら
六助に説明するところがよく分からなかった。
「そういう形だ」と思って片付けてしまっていたが。


2幕目は今回目当ての「吉田屋」。
初見だと思っていたが、そうでもなさそう。
餅つきの場面など、見覚えがある。

仁左衛門の伊左衛門が流石。
零落した若旦那の思い・科白・立ち居振る舞いは
こんな感じなのだろう、と思った。
「腕喰い」や「へっつい幽霊」につながる雰囲気。
まあ、余所事の「神崎揚屋」を聞く趣向など、
上方落語にいろいろ取り入れられていると思う。

玉三郎の夕霧は出てきたときの存在感が凄い。
ただ、声は少し違和感があった。
何となく、上方の色街の「湿り気」が欠ける感じがする。

我當・秀太郎が吉田屋の主夫婦。
我當は特に好きな訳ではないが、
こういう実直な役には合うと思う。
秀太郎は好きな役者で、こういった役は素晴らしい。
上方のぽってりとした空気が出てくる。

全体には、まあ、筋がどうだとか言う芝居ではなく、
仁左衛門の雰囲気で楽しめた。
ただ、夕霧とごちゃごちゃして結局まとまるところ、
(その後、「勘当が解ける」ことになり、大団円へ突き進む)
少しダレたように思う。
今時の時間感覚に合わないのかも知れないなあ。

役者は良いし、充分楽しめたのだが、
私の最大の不満は、「吉田屋」が4月にかかること。
正月か顔見世の芝居だろう。
役者が揃わないとか、様々な理由はあるのだろうが、
「吉田屋」って、正月の雰囲気がある上に、
(ご都合主義だと思うほど)良いことが起こり、
ああ、めでたい、という芝居だと思う。
その側面(けっこう重要な面だと思う)が不足している感じ。


最後の「曽根崎心中」は見ず、
軽く飲んで帰った。
コメント
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